夜光杯雑記帳

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京都検定1級用語集 百本ノック 0001~0100

[0001]祇園甲部歌舞練場の本館破風に掲げられている扁額「歌舞練場」を揮ごうしたのは【①】である。(2023)/【①】が宮司を務めたことがあり、境内に芸能神社がある神社の宮司最寄り駅は、京福電鉄【②】駅である。(2012)(2019)
[0002]現在の八坂塔は、室町幕府6代将軍【 】が再建したものである。(2017)
[0003]2月の初午の日に食べる辛子和えに用いる野菜で、京都府の「京の伝統野菜」に指定されているのは【 】である。※京のブランド産品には指定されていない。(2008)
[0004]【吉井勇】の歌碑が立ち、「かにかくに祭」が行われる場所にあったお茶屋「大友」の女将で、文芸芸妓と呼ばれたのは【 】である。(2014)/御池大橋西詰にある石碑に刻まれた「春の川を 隔てゝ 男女哉」の句は、夏目漱石祇園お茶屋「大友」の女将【 】に贈ったものである。(2022)
[0005]鎌倉幕府との関係を深めて大きな権勢を持ち、東大寺興福寺から一字ずつ取って東福寺を造営した公卿は【 】である。※子の頼経が摂家将軍となったが、晩年は不遇。(2006)
[0006]『源氏物語』の第1帖の巻名は【①】であり、第45帖【②】から第54帖までを【③】という。(2005)(2007)
[0007]仁和寺の御室御殿の北側には重要文化財の茶室が2つあり、光格天皇遺愛の茶室は【①】、【②】ゆかりと伝わる茶室は【③】である。(2013)(2014)
[0008]一条通沿いの寺院で、花びらが1枚ずつ散る五色の八重散椿があり、「椿寺」とも呼ばれるのは【 】である。※西京区の同名寺院との混同に注意。浄土宗。(2016)
[0009]室町幕府8代将軍の足利義政が造営した東山殿は、【夢窓疎石】が再興した臨済宗寺院【  】を手本として造られ、後に銀閣寺となった。(2011)
[0010]五山の送り火の一つである東山の「大」の字形には諸説あるが、寛文2(1662)年の『案内者』では【 】の筆画とされている。(2014)
[0011]薩摩出身の実業家・伊集院兼常が造営した別荘は、市田弥一郎が譲り受けた際に【 】と命名されたが、その庭園部分は7代目小川治兵衛によって作り直され、現在は名勝に指定されている。(2020)
[0012]上賀茂神社の門前名物菓子は【 】である。※販売店は複数あり、見た目もかなり異なる。(2010)
[0013]応仁の乱で「西陣」の名の由来となった西軍を率いた守護大名は【 】である。(2008)(2010)(2015)
[0014]泉涌寺舎利殿天井の「鳴き龍」として知られる蟠龍図を描いたのは【 】である。(2014)
[0015]詩仙堂は、正しくは【①】と呼ばれ、徳川家康の家臣であった【②】が建てた住居に由来する。※曹洞宗。(2011)(2017)(2023)
[0016]五花街ごとに芸舞妓がそろって顔見世興行を鑑賞する行事を【 】という。(2008)(2010)
[0017]二条城は、徳川家康征夷大将軍の宣下を受ける際の宿泊所として、京都所司代【 】を総奉行として築かれた。(2010)(2014)
[0018]五摂家のうちの一つで、禁門の変蛤御門の変)の際に久坂玄瑞らの長州藩士が朝廷へ嘆願するために立てこもり、現在は京都御苑の堺町御門の北側にあった邸宅跡地に石柱が立つのは【 家】である。(2015)
[0019]後白河法皇が造営した院御所を【①】という。(2014)/後白河法皇の身代わり不動を本尊とし、明治時代まで法皇の御陵を守ってきたのは【②】である。(2019)
[0020]東寺は【■■■■寺】とも表記される。※法人名称でもあるが、「正式名称」とするのは異論もあり。(2006)
[0021]「弘法さんが晴れやったら天神さんは雨や」の意味は【 】である。(2009)
[0022]京都府の中北部にある建造物のうちで唯一の国宝は、綾部市にある【①山】の中腹に建つ【②寺】の【③】であり、近くにある樹齢2000年ともいわれるトチノキ京都府指定の天然記念物である。(2009)(2014)(2021)
[0023]京都御苑内の西園寺家の邸宅跡にある神社で、弁財天をまつり、「御所の弁天さん」と呼ばれるのは【 】である。(2014)
[0024]山内容堂名による大政奉還建白書の提出を主導した土佐藩士は【 】である。(2017)
[0025]世阿弥室町幕府将軍の支援を受けるきっかけとなった公演は【 】で行われた。(2005)/後白河院が創建した【 】は、院御所であった法住持殿の鎮守とされ、また、院お手植えと伝わる大樟は「大樟大権現」と呼ばれ、京都市指定の天然記念物である。(2008)(2021)
[0026]京舞に親しんでもらうため、井上八千代が出演し数十名の参加者で行われる催しを【 】という。(2009)
[0027]松尾芭蕉の弟子で、「柿ぬしや 梢はちかき あらし山」の句を詠んだ【①】は、嵯峨野に【②】を建てて晩年を過ごした。(2005)(2021)
[0028]東寺口は、【 】と都の接続点だった。(2016)
[0029]葵祭の行列が下鴨・上賀茂両社に到着すると、御祭文の奉納、東游舞の奉納など【■■の儀】が神前で行われる。(2006)/その儀式で駿河歌を歌い、楽器を奏する役を勤める武官を【 】という。(2015)
[0030]初代海軍大臣を務めた人物で、琵琶湖疎水の第2トンネル西口の扁額に書かれている「随山到水源」の字句を揮ごうしたのは【 】である。※東口は井上馨の「仁以山悦智為水歓」。(2020)
[0031]松尾大社本殿の建築様式は【 】である。(2015)
[0032]明治以降、【 流】狂言茂山千五郎家は京都を本拠地として、狂言の普及と大衆化に努めた。(2010)
[0033]寛永年間の二条城大改修で現在の本丸西南部に天守閣が設けられた際、当初の天守閣は【 】に移築された。(2015)
[0034]六勝寺のうち、鳥羽天皇御願寺は【 】である。(2020)
[0035]後に第2代京都府知事となった槇村正直は、殖産興業の一環として、明治3(1870)年に【①】を中心に【②】を開設し、石鹸・ラムネ・ビールなどの製造や技術指導を行った。(2005)(2009)(2010)(2022)
[0036]日本初の両切たばこの製造・販売を行い「煙草王」と呼ばれた【①】は、東山にロココ様式を取り入れた【②】を建てた。※紙巻たばこには両切と口付があった。(2008)(2016)//比叡山開創1150年を記念して設けられた延暦寺の大書院は、【①】の邸宅を移築したものである。※武田五一の設計で、東京から移築。(2022)
[0037]菅原道真を重用したのは【 天皇】である。(2018)/仁和寺を創建したのは【 天皇】である。(2013)
[0038]豊臣秀吉聚楽第に創建した神社とされる【 】は、江戸時代に遷座し、長らく二条城の西側にあったが、2012年に京都市左京区大原へ移転した。(2012)
[0039]落語「こぶ弁慶」に登場する男は、肩にできた弁慶の顔の瘤を取りたいと願い、【 】に日参した。(2021)
[0040]乙訓地域最大の前方後円墳で、多量の鉄製土器が出土したのは【 】である。※長岡京市にあり、「乙訓古墳群」として史跡指定。(2020)
[0041]木津川にかかる人道橋で、久御山町八幡市を結んでおり、通称「流れ橋」として知られているのは【 】である。
[0042]足利義満を補佐する管領であった【 】が創建した地蔵院には、「十六羅漢の庭」と呼ばれる枯山水庭園がある。※臨済宗上京区にある同名の浄土宗寺院との混同に注意。(2015)
[0043]7代目【小川治兵衛】が作庭した京都市東山区にある公園は【 】である。(2018)
[0044]清河八郎が率いる【 】は上洛後に分裂し、京都に残った一派が新選組を結成した。(2020)
[0045]徳川家康が慶長8(1603)年に将軍宣下を受けた場所は【 】である。(2022)
[0046]延暦13(794)年、「この国、山河襟帯、自然に城をなす。この形勝によりて新号を制すべし。よろしく山背国を改め山城国となすべし。また子来の民、謳歌の輩、異口同辞し、【 】と号す」という詔が出された。(2007)
[0047]聚楽第の一部は移築され、大徳寺の【 】になったとされる。(2017)
[0048]織屋の丁稚と織子の言い争いから起きた「撞かずの鐘」の伝説が残る寺院は【 】である。※黒田長政が死去した部屋がある。(2016)
[0049]定朝の子とされ、七条仏所を設けたのは【 】である。※定朝の弟子説あり。(2021)
[0050]京都国立博物館の噴水前にある銅像「考える人」を創作したのは【 】である。※レプリカ扱いではない。(2019)
[0051]現在の東寺南大門は、【 】の西門が移築されたものである。(2017)
[0052]応仁・文明の乱の当事者で、【日野富子】の夫の弟にあたるのは【 】である。(2017)
[0053]日本画家の橋本関雪が造営し、大文字山を借景とした池泉回遊式庭園が広がる【①】では、庭園や同画伯の作品を公開している。※茶室は通常非公開。(2011)/そこに残る52畳の大画室を【②】という。(2013)
[0054]丹後地方に伝わる安寿姫と厨子王の説話を題材にした森鴎外の小説は【 】である。(2017)
[0055]親鸞延暦寺から六角堂へ参籠する際に身を清めたとされる「御聖水」がある寺院は【 】である。(2023)
[0056]境内から水が湧き出して良い香りが四方に漂い、その水を飲むと病気がたちまち癒えたという奇瑞から名を与えられた神社は【 】であり、「御香水」は環境省の「名水百選」にも選ばれている。(2022)/その神社は徳川家康により建立されたが、本殿の建築様式を【 】という。(2019)
[0057]京丹後市丹後町間人の出身で、百三十銀行、南海鉄道、大阪紡績などを設立した【 】は、百三十銀行の破綻整理のため全財産を提供し実業界を引退した。(2020)
[0058]八幡山が所蔵する祇園祭礼図の屏風を描いたのは【 】である。※友松の子。(2018)
[0059]唐から伝来した散楽や日本古来の諸芸が交じり合い、後に能や狂言に発展したのは【 】である。(2008)
[0060]洛中法華二十一ヵ寺本山のうち、石田三成の軍師であった島左近の墓があるのは【 】である。※島左近関ヶ原で戦死。京都八本山の一つで、灰屋紹益の墓もあり、幽霊飴伝説も残る。(2017)
[0061]豊臣秀吉による都市改造の一つは、【 橋】の架設である。(2005)/時代祭行列が鴨川を渡る時に通るのは【 橋】である。(2015)
[0062]時代祭と同じ日に京都三大奇祭のうちの一つを行う神社は【 】である。※他の三大奇祭は牛祭とやすらい祭。重要無形文化財「やすらい花」は今宮など4地区に伝承される。(2016)
[0063]平安京の二大官寺とされたのは、東寺と【 】である。(2023)
[0064]二条城にある建物で、6棟の国宝が東南から北西にかけて雁行形に立ち並ぶ御殿を【①】という。(2011)/大広間から黒書院に続く大廊下を【②】という。(2009)/最も奥に位置し、将軍の居間と寝室であったと考えられている建物を【 】という。(2016)
[0065]高台寺の開山堂は、【 寺】から移築されたもので、臥龍池の上に渡した「臥龍廊」で秀吉・ねねの霊屋とつながっている。(2023)
[0066]時代祭が始まるきっかけとなった行事は【 】である。(2011)
[0067]京の台所を支えた名水として知られるのは【 】である。(2022)
[0068]六波羅蜜寺の「空也上人立像」を作った康勝は【 派】の仏師である。※有名作品だが重要文化財。(2005)
[0069]重要伝統的建造物群保存地区のうち、京都市右京区にあるのは【 】である。(2009)
[0070]重要文化財の絵巻「泣不動縁起」を所有する【 】では、2013年に能楽「泣不動」が上演された。※国宝絵画の「阿弥陀三尊像」とともに京都国立博物館に寄託。(2013)/清和天皇の勅願により【円仁】が四宗兼学の禁裏内道場として建立したのが始まりとされる寺院で、現在は浄土宗の京都四箇本山の一つとなっているのは【 】である。(2016)
[0071]現在の東京藝術大学にあたる東京美術学校の教授を務め、現在の京都工芸繊維大学にあたる京都高等工芸学校に招かれ、後の関西美術院にあたる聖護院洋画研究所を開き、関西の洋画界の発展に尽力した洋画家は【 】である。(2021)
[0072]建仁寺両足院を創建したのは、日本に饅頭を伝えた【 】の子孫である。(2017)
[0073]本尊が日本三如来の一つに数えられる因幡堂は、高倉天皇から【①】と命名されたが、町堂としても利用されてきた。※他の三如来善光寺清凉寺にある。(2010)/不明門通の名は、この通りに面する【①】の門が常に閉ざされていたことに由来するとされる。(2014)/「因幡堂縁起」には、【②】が因幡堂を創建した経過や本尊の薬師如来像の来歴が書かれている。(2019)
[0074]「鳴き砂」で知られる京丹後市網野町の【 】は、2007年に天然記念物・名勝として指定された。※特別天然記念物特別名勝ではない(2007)
[0075]北野天満宮の本殿前の中門は【 】とも呼ばれる。※天神さまの七不思議の一つ。(2012)
[0076]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、書画を掛軸や額に仕立てたり、屏風・衝立・襖などにするものを【 】という。(2006)(2011)
[0077]大徳寺塔頭のうち、三千家菩提寺は【 】である。(2020)
[0078]後に第2代京都府知事となった槇村正直が行った京都近代化政策の一つは、日本最初の【 】64校の開校である。(2005)
[0079]1月8日から14日まで東寺で行われる行事は【 】である。(2009)(2023)
[0080]知恩院が所蔵する絵巻で、宗祖の生涯を描いたものを【 】という。(2019)
[0081]【西芳寺】の庭園にある茶室「湘南亭」は、【 】が建立した茶室を再建したものである。(2014)
[0082]毎年10月15日に鹿王院で開帳される仏牙舎利を宋の寺院から請来した鎌倉幕府の将軍は【 】である。(2018)(2022)
[0083]大正11(1922)年に来日した【 】は、知恩院にある重さ約70トンの鐘の下で、物理学の実験を行った。(2013)
[0084]聖徳太子の創建とされ、宇治橋を管理していたとされることから「橋寺」とも呼ばれ、境内に重要文化財宇治橋断碑があるのは【 】である。※真言律宗。(2006)(2016)
[0085]修学院離宮の上離宮、中離宮、下離宮は松並木道でつながっており、上離宮には音羽川の水を引いて【 池】が造られている。(2018)
[0086]宗近と甲野が登山する場面から始まる小説【 】を書いたのは【 】である。(2007)
[0087]豊臣秀吉による都市改造の一つは、【 通】や寺之内通沿いの寺院街の形成である。(2005)
[0088]醍醐寺三宝院の庭園は豊臣秀吉の作庭と伝えられ、庭の中心には天下の名石といわれる【①】がある。(2014)/その名石の名前は、現在の岡山県倉敷市で行われた戦いで源氏方の【②】が活躍した地名によるものとされる。(2022)
[0089]豊臣秀吉は、方広寺大仏殿の建設のために五条大橋を架け替えたが、現在の五条通平安京の【 】に相当する。※当時の五条大橋は現在の松原橋に相当。(2014)
[0090]現在の二条城には、徳川家光の時代に造られた国宝の二の丸御殿があり、また、京都御苑の北側部分にあった【 】を明治26(1893)年に移築した重要文化財の本丸御殿がある。(2013)
[0091]「若冲筆投げの間」と呼ばれる方丈がある寺院は【 】である。(2016)
[0092]銀閣寺の本堂前の庭園には、白砂を円錐台形にした【①】と、白砂で波紋を表現した【②】がある。(2010)(2017)
[0093]平安初期には織部司のもとで織物業が営まれていたが、官営の織物工房は次第に衰え、室町時代には【 】という同業組合が形づくられ、西陣織の起源となった。(2015)
[0094]五奉行の一人で、主に宗教政策を担当し、関ヶ原の戦いの後に初代丹波亀山藩主となったのは【 】である。(2018)
[0095]上賀茂神社で、重陽の神事に引き続いて、二の鳥居内の細殿前庭で行われる祭事を【 】という。(2005)
[0096]【菅原道真】に引退を勧め、道真失脚の黒幕説もあるのは【 】で、子の浄蔵貴所の祈りが通じて一条戻橋の上で一時蘇った伝説を持つ。(2015)(2020)
[0097]葵祭の行列における最高位者は【 】である。(2008)
[0098]東寺に伝わる国宝の古文書群は、京都府立京都学・歴彩館が所蔵しているが、加賀藩前田綱紀が寄進した桐箱に保管されていたことから【 】と呼ばれる。(2007)
[0099]周りを海に囲まれる天橋立神社に湧く塩味を含まない淡水を【 】といい、環境省の「名水百選」に選ばれている。(2022)
[0100]菅原道真が右大臣であったときの左大臣は【 】である。(2018)

[0001]①富岡鉄斎/②車折神社
[0002]足利義教
[0003]畑菜
[0004]磯田多佳
[0005]九条道家
[0006]①桐壺/②橋姫/③宇治十帖
[0007]①飛濤亭/②尾形光琳/③遼廓亭
[0008]地蔵院
[0009]西芳寺
[0010]近衛信尹
[0011]對龍山荘
[0012]やきもち(葵餅)
[0013]山名持豊山名宗全
[0014]狩野山雪
[0015]①凹凸窠/②石川丈山
[0016]花街総見
[0017]板倉勝重
[0018]鷹司家
[0019]①法住寺殿/②法住寺
[0020]教王護国寺
[0021]京都は4~5日の周期で天気が変わる
[0022]①君尾山/②光明寺/③二王門
[0023]白雲神社
[0024]後藤象二郎
[0025]新熊野神社
[0026]澪の会
[0027]①向井去来/②落柿舎
[0028]西国街道
[0029]①社頭の儀/②陪従
[0030]西郷従道
[0031]両流造
[0032]大蔵流
[0033]淀城
[0034]最勝寺
[0035]①明石博高/②舎密局
[0036]①村井吉兵衛/②長楽館
[0037]宇多天皇
[0038]出世稲荷神社
[0039]蛸薬師
[0040]恵解山古墳
[0041]上津屋橋
[0042]細川頼之
[0043]円山公園
[0044]浪士組
[0045]伏見城
[0046]平安京
[0047]唐門
[0048]報恩寺
[0049]覚助
[0050]ロダン
[0051]三十三間堂
[0052]足利義視
[0053]①白沙村荘/②存古楼
[0054]山椒太夫
[0055]本願寺北山別院
[0056]①御香宮神社/②五間社流造
[0057]松本重太郎
[0058]海北友雪
[0059]猿楽
[0060]立本寺
[0061]三条大橋
[0062]由岐神社
[0063]西寺
[0064]①二の丸御殿/②蘇鉄の間/③白書院
[0065]康徳寺
[0066]平安奠都千百年紀念祭
[0067]錦の水
[0068]慶派
[0069]嵯峨鳥居本
[0070]清浄華院
[0071]浅井忠
[0072]林浄因
[0073]①平等寺/②橘行平
[0074]琴引浜
[0075]星欠けの三光門
[0076]京表具
[0077]聚光院
[0078]小学校
[0079]後七日御修法
[0080]法然上人絵伝
[0081]千少庵
[0082]源実朝
[0083]アインシュタイン
[0084]放生院
[0085]浴龍池
[0086]①虞美人草/②夏目漱石
[0087]寺町通
[0088]①藤戸石/②佐々木盛綱
[0089]六条坊門小路
[0090]桂宮
[0091]海宝寺
[0092]①向月台/②銀沙灘
[0093]大舎人座
[0094]前田玄以
[0095]烏相撲
[0096]三善清行
[0097]勅使(近衛使
[0098]東寺百合文書
[0099]磯清水
[0100]藤原時平

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京都検定1級用語集 スピードチェックの百本ノック 目次(2024.05.14更新)

 2004年12月に始まった京都検定の第1回は、2・3級のみの実施でした。1級は1年遅れで2005年12月から始まり、2023年12月で計19回の実施となりました。また、2021年からは3級が7月と12月の2回実施となっています。
 1級の問題は京都市民でも解けないものが多く、高得点を取るのが難しい試験です。1級の出題形式は、初期には揺らぎがありましたが近年は安定しており、結局のところ、75個のキーワードのうちの60個以上を適切な形で書ければ合格です。75個の内訳は、短文の一問一答形式が計40、長文や表の穴埋め形式が計20、論述形式が計15という具合です。
 過去問は書籍としても販売されていますが、京都新聞のウェブサイトでも公開されています。それを漫然と眺めていても頭に入るものではありませんから、正解となった(正解となりえた)キーワードをエクセルで名寄せ作業し、問題文中の重要な固有名詞をなるべく残すようにしながら1000本に詰め込もうと思い立ちました。
 それだけでは合格しないと思いますが、高校レベルの日本史や倫理とのつながりも見ていきたいので、並行して少しずつ作業しながら修正を繰り返し、圧縮率を高めていきたいと思います。「試験問題を編集して掲載すること」は禁止事項ですが、過去問の問題文等の全部又は一部をそのまま切り取って編集するのではなく、信頼できる情報源を参照しながら「事実の伝達」を目指しています。著作権法の観点から問題がないようにしたいと思っていますが、これはアカンという感じに見えるのであれば、御指摘いただけると幸いです。

<目次>※名寄せ未処理は26個。あと少し。
京都検定1級用語集 百本ノック 0001~0100
京都検定1級用語集 百本ノック 0101~0200
京都検定1級用語集 百本ノック 0201~0300
京都検定1級用語集 百本ノック 0301~0400
京都検定1級用語集 百本ノック 0401~0500
京都検定1級用語集 百本ノック 0501~0600
京都検定1級用語集 百本ノック 0601~0700
京都検定1級用語集 百本ノック 0701~0800
京都検定1級用語集 百本ノック 0801~0900
京都検定1級用語集 百本ノック 0901~1000

【常用漢字表】漢検10級~7級/「強風」とは

 「強風」は「きょうふう」と読みます。このブログおなじみの「デジタル大辞泉小学館)」では、「強風」は「1 強い風。」「2 風速毎秒13.9〜17.1メートル、風力階級7の風。」と解説されています。これで解決という気もしますが、法令を調べてみます。
 政府提供の「e-GOV法令検索」で「強風」を調べると、11件ヒットしました。法令には「強風」の定義はありません。風力階級については、「気象業務法施行規則(昭和27年運輸省令第101号)」により「気象庁風力階級表」を定めることになっています。気象庁のサイトを見ますと、「強風注意報」の運用基準は「平均風速がおおむね10m/sを超える場合(地方により基準値が異なる)」とのことであり、風力階級6でも強風と呼んでよいのだろうと思います。

【文化財】和歌山県 湯浅町・海南市・和歌山市・岩出市

 1月9日、京都市を早朝に出発し、青春18きっぷを使って次の4か所に行ってきました。

 ①湯浅町湯浅[重伝建(醸造町)]:湯浅町
 ②善福院釈迦堂[国宝建造物]:海南市
 ③岩橋千塚古墳群[特別史跡]:和歌山市
 ④根来寺大塔(多宝塔)[国宝建造物]:岩出市

 ①は湯浅駅から徒歩でした。指定地区はそこそこ広いのですが、見ごたえがあるのは北側に重文の建物がいくつかあるあたりでしょうか。醤油醸造業者は減っており、地区の特色を維持していくのが困難化しているのではないかと感じました。
 ②は加茂郷駅から徒歩でした。寺院の敷地は出入り自由な感じだったのですが、夜間もこんな感じだとすると、セキュリティは問題ないのだろうかと思いました。
 ③は和歌山駅からレンタサイクルで行きました。和歌山県立「紀伊風土記の丘」という博物館は休館日でした。史跡地区は広いのですが、山をぐるっと一周する感じで道が整備されています。自転車は乗り入れ禁止です。歩いて50分ほどかかりましたが一周しました。③に引き続いて④に行きたかったのですが、和歌山市観光協会のレンタサイクルなので、和歌山市域外に出てはいけないとのことでしたので、④には行かず和歌山駅に戻りました。
 ④は岩出駅からバスで行きました。広い敷地に人は少なく、ゆったり見ることができました。写真4枚目は大塔です。入山しなくても写真5枚目のように遠くから見ることができるのですが、近寄って見るほうが良いと思います。重文の大門は少し離れたところにあるのですが、見ごたえがありました。

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【常用漢字表】漢検10級~7級/「売り上げ」とは書かない

 「売り上げ」は「うりあげ」と読みます。このブログおなじみの「デジタル大辞泉小学館)」では、「売(り)上(げ)」は「商品などを売って得た代金の総額。売上高。売上金。」などと解説されています。デジタル大辞泉の見出し語としては、「り」と「げ」がカッコ書きになっていますが、常用漢字表では「売り上げ」です。日本商工会議所が定めている「商業簿記標準・許容勘定科目表」では「売上」であり、勘定科目として「売り上げ」とは書きません。
 政府提供の「e-GOV法令検索」で「売り上げ」を調べると、1件ヒットしました。「地方財政法施行令(昭和23年政令第267号)」第38条に「売出期間内に売り上げた地方債証券」とあります。これは活用のある語なので、ちょっと毛色が違います。
 名詞的に使われてるものを探しますと、1件見つかりました。「産業競争力強化法施行規則(平成30年内閣府総務省財務省文部科学省厚生労働省農林水産省経済産業省国土交通省環境省令第1号)」第49条に「資金計画認定事業再編事業者の売上の推移を示す書類」とあり、「売上」となってますね。
 「売上高」については、法令検索でのヒット件数は108件、送り仮名の「り」とか「げ」が入っているものは0件でした。内閣告示上、送り仮名を省くのは「許容範囲」という位置付けなのですが、現状は許容範囲のほうが多数派となっていますので、名詞的に使う場合は「売上」と書いておくのが無難でしょう。

【常用漢字表】漢検10級~7級/「汽笛」とは

 「汽笛」は「きてき」と読みます。このブログおなじみの「デジタル大辞泉小学館)」では、「汽笛」は「蒸気の噴出によって音を出す仕掛けの笛。機関車・船・工場などの蒸気機関に装置し、信号・合図などに用いる。」などと解説されています。
 政府提供の「e-GOV法令検索」で「汽笛」を調べると、21件ヒットしました。今回は、その中から1件紹介しましょう。

海上衝突予防法(昭和52年法律第62号)
(定義)
32条 この法律において「汽笛」とは、この法律に規定する短音及び長音を発することができる装置をいう。
2 この法律において「短音」とは、約1秒間継続する吹鳴をいう。
3 この法律において「長音」とは、4秒以上6秒以下の時間継続する吹鳴をいう。
 
 実は、「汽笛」という言葉から列車を連想したのですが、21件の法令に登場する汽笛は、ほとんどが船舶関係です。