夜光杯雑記帳

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京都検定1級用語集 百本ノック 0601~0700

[0601]藤原信頼源義朝らが後白河上皇の三条殿を襲撃して起こった内乱を【 】という。(2011)
[0602]浄土宗大本山の一つである百萬遍知恩寺の中にあり、法然上人と第2世源智上人の墓石を覆う形の廟堂の入口にある門を【 】という。(2022)
[0603]建礼門院が出家したとされる寺院で、時宗に改められて【一遍】を含む7人の上人の木造を所蔵するのは【 】である。(2007)
[0604]上七軒では、3月に「北野をどり」、11月に【 】が開催される。(2011)
[0605]上賀茂神社の門前で売られている名物菓子を【 】という。※販売店は複数あり、見た目も異なる。(2010)
[0606]京狩野の祖とされる【狩野山楽】が描いた襖絵「楼閣山水図」や、比叡山を借景とする枯山水庭園があるのは【 】である。※血天井にも注意。(2015)
[0607]法然を開山として知恩院の諸堂を興したのは【 】である。(2011)
[0608]上賀茂神社の社家の出身で、書家として世に出たが、東京永田町にあった「星岡茶寮」の美食家・料理家や陶芸家としても知られたのは【 】である。※星岡茶寮を「開いた」のではない。(2010)(2017)
[0609]永禄8(1565)年、三好義継・三好三人衆・松永久通の軍勢に襲撃され、殺害された室町幕府13代将軍は【 】である。(2020)
[0610]千本北大路の東北角には【 天皇】の火葬塚がある。(2019)
[0611]舞妓が9月に挿す花簪は【 】である。(2005)
[0612]自らは仕官しなかったが3人の息子を大名に仕官させ、三千家の基礎を築いたのは【 】である。(2007)
[0613]五花街ごとに芸舞妓がそろって顔見世興行を鑑賞する行事を【 】という。(2008)(2010)
[0614]大覚寺に縁が深い第52代天皇は【 】である。(2018)/空海に東寺を下賜した天皇は【 】である。(2006)(2023)
[0615]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、能装束を始め、南座など全国の大劇場の緞帳や横綱の化粧まわしにも使われているものは【 】である。(2006)(2012)
[0616]自筆本が国宝となっている歌論書『古来風躰抄』を書いたのは【 】である。※冷泉家時雨亭文庫が所蔵。(2017)
[0617]近衛家に仕え、西郷隆盛らと交流があったことから「安政の大獄」で処罰されたが、維新後に嵯峨野の直指庵を再興したのは【 】である。(2014)
[0618]天龍寺の庭園は【 】が作庭したとされ、近景の亀山や遠景の嵐山を借景とした池泉回遊式で、史跡・特別名勝である。(2005)/西芳寺は「苔寺」とも呼ばれるが、その庭園は【 】が作庭したとされ、史跡・特別名勝である。(2008)/後醍醐天皇足利尊氏が帰依した【 】は、天龍寺庭園、西芳寺庭園などを作庭した。(2012)
[0619]白い餅と草餅の上につぶ餡をのせたもので、城南宮の近く、鳥羽街道の名物菓子として知られるのは【 】である。(2021)
[0620]京都の正月のお節料理で「三種」と呼ばれるのは、ごまめ、たたき牛蒡、【 】である。(2009)
[0621]豊臣秀吉による都市改造の一つは、【 形】の町割の実施である。(2005)
[0622]武士に招かれて花を挿し、人々の間で評判となったことが東福寺の禅僧の日記『碧山日録』に記されている人物は【 】である。(2014)
[0623]「モダニズム建築の旗手」と呼ばれ、京都会館(現ロームシアター京都)を設計したのは【 】である。(2010)(2018)
[0624]豊臣秀吉が築造した御土居は、当時、【 】と呼ばれていた。(2011)
[0625]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品の中の「その他の工芸品」のうち、うちわと表具を除く他の一つを【 】という。※平安時代初期に「木簡」を何枚かつなげたのが始まり。(2006)
[0626]後水尾上皇が主催した立花会で指導的役割を果たしたのは【 】である。(2006)
[0627]明治16(1883)年に石田有年が刊行した銅板刷りの書物で、当時の京都の店舗などを紹介したものは【 】である。(2018)
[0628]東山三十六峰の穏やかな景観を「布団着て 寝たる姿や 東山」と詠んだのは【 】である。(2012)
[0629]上賀茂神社の神紋は【 】である。(2010)
[0630]平安京の四神にあたるもののうち、現存しないのは【 】である。(2015)
[0631]「四神相応」の四神について、東西南北の各方位を守護するとされるのは、それぞれ、【①】、【②】、【③】、【④】である。(2009)
[0632]「くじ取らず」の山鉾のうち、前祭の5番は【 】である。(2008)
[0633]千家十職うち、三条通沿いの美術館を運営する釜師は【 】である。(2013)
[0634]京都中央電話局の建物は、現在、【 】として使用されている。(2009)
[0635]琵琶湖疎水の第3トンネル西口の扁額に書かれている【美哉山河】の字句を揮毫したのは【 】である。※東口には松方正義の「過雨看松色」。(2012)
[0636]現在の宇治田原町出身で、「青製煎茶製法」を開発したのは【 】である。(2018)
[0637]妙心寺塔頭【退蔵院】にある国宝の水墨画【①】は、【②】が描いたものである。(2006)(2011)
[0638]福知山市内の神社で、明智光秀をまつるのは【 】である。(2019)
[0639]「天神さん」の縁日が行われる神社は【 】である。(2009)
[0640]歌舞伎は、【 】が慶長8(1603)年に京都で踊ったのが始まりとされ、北野の杜や五条河原などでも興行した。(2006)(2010)
[0641]【日野富子】の子で、室町幕府9代将軍となったのは【 】である。(2017)
[0642]木津川市内の寺院で、国宝の釈迦如来坐像を本尊とし、『今昔物語集』に里の娘が難を逃れた逸話が登場するのは【 】である。(2014)(2018)
[0643]【西芳寺】の庭園にある茶室「湘南亭」は、【 】が建立したものの再建である。(2014)
[0644]祇園祭の山鉾のうち、金の烏帽子をかぶり大長刀を持つ女人姿の御神体をまつり、その背後の松に付けられた絵馬が巡行後に盗難除けの護符として授与されるのは【 】である。(2015)
[0645]地球温暖化防止京都会議(COP3)では【 】が採択された。※1997年。(2007)
[0646]昭和40年代、京焼・清水焼の窯元の一部は、恵まれた創作環境を求めて宇治市北部の【 】という山あいの地域に移転した。(2021)
[0647]織田有楽斎建仁寺塔頭の正伝院を再興した際に建てた国宝の茶室を【 】といい、明治時代の廃仏毀釈を受け、愛知県犬山市に移築された。(2022)
[0648]御所にまつられていた由岐大明神を鞍馬に勧請した際、無数の松明をもって出迎えた故事に由来するといわれる祭りは【 】である。(2007)
[0649]松平容保大政奉還後の京都で経験した戦いは【 】である。(2013)
[0650]京の三閣の一つとされる飛雲閣がある西本願寺の庭園を【 】という。(2011)
[0651]大徳寺塔頭のうち、三千家菩提寺は【 】である。(2020)
[0652]お茶屋の代表的な遊びで、浄瑠璃の『国姓爺合戦』にちなむ三すくみの「拳」を【 】という。(2020)
[0653]醍醐山上に小堂宇を建立して准胝・如意輪の両観音を安置し、醍醐寺を創建したとされるのは【 】である。(2006)
[0654]石清水八幡宮元服し「八幡太郎」と呼ばれたのは【 】である。(2021)
[0655]蹴上の【インクライン】の下に、らせん状にレンガを積んでいるトンネルがあり、それを通称【 】という。(2011)
[0656]永徳の長男【 】が描いた「鳴き龍」とも呼ばれる蟠龍図があるのは【 】の法堂である。(2005)(2013)(2021)
[0657]高山寺清滝川を見下ろす高台にあり、国宝の建造物である【 】は、【明恵】上人時代の唯一の遺構である。(2007)
[0658]「もの思へば 沢のほたるも わが身より あくがれ出づる たまかとぞ見る」と詠んだのは【①】であり、その歌を刻んだ石碑があるのは【②】である。(2008)/誠心院にある石塔は、情熱的な恋歌を数多く残した【①】の墓といわれる。(2009)
[0659]平等院には、源頼政が自害した場所といわれる【 】があり、最勝院内には頼政の墓がある。(2014)
[0660]京都織物会社本館の建物は、現在、【 】として使用されている。(2009)
[0661]下鴨神社の門前で販売されている名物菓子を【 】という。(2020)
[0662]土御門殿を主要な邸宅とし、その隣接地に法成寺を創建したのは【 】である。(2017)
[0663]西国三十三所の第29番札所は【 】である。(2007)/美福門院の念持仏とされる国宝の普賢延命菩薩像を所蔵するのは【 】である。(2017)
[0664]京都コンサートホールを設計したのは【 】である。(2005)(2023)
[0665]文久3(1863)年、将軍後見職徳川慶喜が宿所としたのは【 藩】の藩邸である。※酒井家の藩邸であり、将軍となり二条城に入るまでの4年近くを過ごした。(2021)
[0666]桂離宮の中では唯一の瓦葺の建物で、宮家の持仏堂であったものを【 】という。(2022)
[0667]江戸初期の儒医で、京都地誌の『雍州府志』や年中行事解説書の『日次紀事』などを書いたのは【 】である。(2005)
[0668]妙心寺塔頭で、東睦宗補が作庭した「東海一連の庭」が名勝・史跡となっているのは【 】である。※特別名勝特別史跡ではない。(2021)
[0669]東寺は【■■■■寺】とも表記される。※法人名称でもあるが、「正式名称」と言うことには異論もあり。(2006)
[0670]16世紀前半に花道の大成者がまとめた、いけばな理論の花伝書を【 】という。(2014)
[0671]「日野薬師」とか「乳薬師」とも呼ばれる寺院で、本尊の薬師如来には安産・授乳の御利益があるとされるのは【 】である。(2011)
[0672]大谷廟堂を建てて本願寺の基礎を築いた親鸞の末娘は【 】である。(2020)
[0673]芝ヶ原古墳は【 市】にある日本最古級の前方後円墳で、出土品は重要文化財に指定されている。(2020)
[0674]千本閻魔堂とも呼ばれる【①寺】には、紫式部の供養塔と伝えられる重要文化財の石塔がある。(2008)/その寺院は蓮台野の入口に位置しており、【②町】にある。(2019)
[0675]泉涌寺にある重要文化財の「聖観音像」は、玄宗皇帝が寵妃の面影を写させたとの伝承を生み、江戸時代初め頃から【 】と呼ばれている。(2009)
[0676]昼夜の寒暖差が大原の早朝に現れる霞を【 】という。(2022)
[0677]富岡鉄斎宮司を務めたこともあり、境内に芸能神社がある神社の鳥居がホームから見える京福電鉄の駅は【 】である。(2012)
[0678]12月13日から31日まで六波羅蜜寺で行われる空也踊躍念仏は、【 】ともいわれる。(2014)
[0679]宇治上神社から源氏物語ミュージアムへと向かうときに通ることになる散策路を【 】という。(2008)
[0680]山城と丹波の国境であった大枝山の【①】峠付近には、源頼光が退治したとされる【②】をまつる首塚大明神がある。(2016)(2023)
[0681]4代目坂田藤十郎であった中村雁治郎は2020年に亡くなっているが、歴代の「坂田藤十郎」の屋号は【 】である。(2005)(2018)
[0682]延暦4(785)年、長岡京造営の中心人物でもあった藤原種継が暗殺される事件が起こり、これに関与した疑いで【 】は乙訓寺に幽閉された。(2021)
[0683]三蹟のうちの一人で、本能寺が所蔵する国宝の「本能寺切」と呼ばれる書巻を書いたのは【 】である。※他の三蹟小野道風と藤理佐里。京都鳩居堂が所蔵する「仮名消息」(古文書)も国宝。「白氏詩巻」も国宝だが京都府内にはない。(2006)
[0684]「くじ取らず」の山鉾のうち、後祭の1番は【 】である。(2008)/祇園祭の山鉾のうち、源義経と弁慶との決闘をテーマとしたものは【 】である。(2012)
[0685]随心院の本尊は、重要文化財の【①】である。(2016)/随心院にある重要文化財の金剛薩埵坐像を作ったのは【②】である。※伝定朝作と伝わる重要文化財阿弥陀如来坐像もある。(2016)
[0686]平等院宇治川の間にある川沿いの小道を【 】という。(2011)
[0687]聚楽第の一部が移築され、大徳寺の【 】になったとされる。(2017)
[0688]栂尾の高山寺は、鎌倉時代華厳宗中興の祖である【 】によって再興され、国宝の「鳥獣戯画」を所蔵する。(2008)/高山寺が所蔵する国宝の肖像画に樹の上で座禅をしている姿が描かれている人物は【 】である。(2020)
[0689]知恩院が所蔵する国宝の「阿弥陀二十五菩薩来迎図」は、通称【 】と呼ばれる。(2012)
[0690]豊臣秀吉による都市改造の一つは、【 第】の建設である。(2005)
[0691]東寺にある建築物のうち、最初に国宝指定された建物は【 】である。※蓮花門、金堂、大師堂(西院御影堂)、観智院客殿も国宝。(2006)
[0692]桓武天皇の父で、三室戸寺を創建したとされるのは【 】である。(2019)
[0693]5月12日の夜、新たに神霊を迎える上賀茂神社の神事を【 】という。(2012)
[0694]11月1日に護王神社で行われる亥子祭は宮中の儀式に由来するが、その儀式を【 】という。(2014)
[0695]大宝元(701)年に松尾大社を創建した人物は【 】である。(2015)
[0696]「かにかくに 祇園はこひし 寝る時も 枕の下を 水のながるる」と刻まれた石碑があるのは【 】である。(2008)
[0697]真如堂は、正式には【 】という。(2010)/明治41(1908)年、【 】の境内で「本能寺合戦」が撮影された。(2013)/洛陽六阿弥陀巡りの一つで、重要文化財の本堂が天台宗寺院として京都市内最大規模であり、また、三井家の墓があるのは【 】である。※他の洛陽六阿弥陀は、永観堂清水寺阿弥陀堂、安祥院、安養寺、誓願寺。(2016)
[0698]平安遷都後、「やましろ」の国名表記は【 】となった。(2009)
[0699]永観堂が建立される以前にこの地に住み、「奥山の 岩垣紅葉 散りぬべし、照る日の光 見る時なくて」(『古今和歌集』)と詠んだのは【 】である。(2009)
[0700]重要伝統的建造物群保存地区のうち、伊根町にあるのは【 】である。(2009)

[0601]平治の乱
[0602]念字門
[0603]長楽寺
[0604]寿会
[0605]やきもち(葵餅)
[0606]正伝寺
[0607]源智
[0608]北大路魯山人
[0609]足利義輝
[0610]後冷泉天皇
[0611]桔梗
[0612]千宗旦
[0613]花街総見
[0614]嵯峨天皇
[0615]西陣
[0616]藤原俊成
[0617]村岡局(津崎矩子)
[0618]夢窓疎石
[0619]おせき餅
[0620]数の子
[0621]短冊形
[0622]池坊専慶
[0623]前川國男
[0624]京廻ノ堤
[0625]京扇子
[0626]池坊専好(2代)
[0627]都の魁
[0628]服部嵐雪
[0629]双葉葵
[0630]巨椋池
[0631]①青竜/②白虎/③朱雀/④玄武
[0632]函谷鉾
[0633]大西清右衛門
[0634]新風館
[0635]三条実美
[0636]永谷宗円
[0637]①瓢鮎図/②如拙
[0638]御霊神社
[0639]北野天満宮
[0640]出雲の阿国
[0641]足利義尚
[0642]蟹満寺
[0643]千少庵
[0644]鈴鹿
[0645]京都議定書
[0646]炭山
[0647]如庵
[0648]鞍馬の火祭
[0649]鳥羽・伏見の戦い
[0650]滴翠園
[0651]聚光院
[0652]虎拳
[0653]聖宝
[0654]源義家
[0655]ねじりまんぽ
[0656]①狩野光信/②相国寺
[0657]石水院
[0658]①和泉式部/②貴船神社
[0659]扇の芝
[0660]京都大学東南アジア地域研究 研究所
[0661]みたらし団子
[0662]藤原道長
[0663]松尾寺
[0664]磯崎新
[0665]若狭小浜藩
[0666]園林堂
[0667]黒川道祐
[0668]東海庵
[0669]教王護国寺
[0670]池坊専応口伝
[0671]法界寺
[0672]覚信尼
[0673]城陽市
[0674]①引接寺/②閻魔前町
[0675]楊貴妃観音
[0676]小野霞
[0677]車折神社
[0678]かくれ念仏
[0679]さわらびの道
[0680]①老ノ坂/②酒呑童子
[0681]山城屋
[0682]早良親王
[0683]藤原行成
[0684]橋弁慶山
[0685]①如意輪観音/②快慶
[0686]あじろぎの道
[0687]唐門
[0688]明恵
[0689]早来迎
[0690]聚楽第
[0691]五重塔
[0692]光仁天皇
[0693]御阿礼神事
[0694]御玄猪
[0695]秦忌寸都理
[0696]祇園白川
[0697]真正極楽寺
[0698]山城
[0699]藤原関雄
[0700]伊根浦

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