夜光杯雑記帳

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京都検定1級用語集 百本ノック 0101~0200

[0101]妙満寺清水寺北野天満宮の各成就院(成就坊)にあった「雪月花の三庭苑」を作庭したのは【 】である。※2022年に「花の庭」が復活/「月の庭」は現在も「成就院」にあると言える。(2014)(2022))
[0102]琵琶湖疎水を建設した目的は【 】である。(2007)
[0103]落語『景清』では、失明した目貫師(彫金師)が【 】に日参したが失敗し、清水寺に日参したところ、平家方の豪傑だった悪七兵景清の目を与えられるという筋書きである。(2021)
[0104]梶井基次郎の小説のうち、「私」が爆弾に見立てたものを京都の書店に置く描写があるのは【 】である。(2016)
[0105]「鳥羽伏見戦跡」の石標は【 橋】付近にある。(2022)
[0106]太秦初の映画撮影所を開設したのは、俳優の田村高廣・正和・亮の父としても知られる【 】のプロダクションだった。(2021)
[0107]重要伝統的建造物群保存地区のうち、南丹市にあるのは【 】である。(2009)
[0108]千家十職のうち、竹細工・柄杓師は【 家】である。(2012)
[0109]織田有楽斎建仁寺塔頭の正伝院を再興した際に建てた国宝の茶室を【 】といい、明治時代の廃仏毀釈を受け、愛知県犬山市に移築された。(2022)
[0110]白峯神宮にある京都市指定天然記念物の【 】は、【飛鳥井家】の邸宅であった時代の植栽といわれ、樹齢800年ともいわれている。(2021)
[0111]「くじ取らず」の山鉾のうち、前祭の5番は【 】である。(2008)
[0112]平安京の初代造営大夫は【 】である。(2009)(2011)
[0113]奈良時代に創建され、平安時代に千観内供が中興した寺院で、昭和20年代に一旦廃寺となった後、仏像彫刻家の西村公朝が住職となり復興し、境内に1200体の羅漢像があるのは【 】である。(2021)
[0114]平家一族が綾部市北部の隠れ里で作り始めたとされる京都府指定の無形文化財は【 】である。(2015)
[0115]推古2(594)年に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うため建立した寺院で、聖徳太子の乳母であった玉照姫が初代住持と伝わるのは【 】である。(2021)
[0116]京都府画学校を修了し「アレ夕立に」や「斑猫」などを描き、京都画壇を代表する画家となり第1回文化勲章を受けたのは【 】である。(2020)
[0117]平安京の左京と右京には【 】と呼ばれる行政機関が置かれ、司法・警察・民政などを担当した。(2010)(2017)
[0118]「もの思へば 沢のほたるも わが身より あくがれ出づる たまかとぞ見る」と詠んだのは【①】であり、その歌を刻んだ石碑があるのは【②】である。(2008)/誠心院にある石塔は、情熱的な恋歌を数多く残した【①】の墓といわれる。(2009)
[0119]知恩院の山内で最も古い建物は【 】である。(2019)
[0120]平安京のように大内裏を北端に置く都市を【 】という。(2022)
[0121]高野川、甲野さん、宗近君が登場する小説を書いたのは【 】である。(2007)
[0122]本阿弥光悦が作庭したとされる「三巴の庭」がある寺院は【 】である。(2010)
[0123]平等院宇治川の間にある川沿いの小道を【 】という。(2011)
[0124]妙心寺塔頭で、東睦宗補が作庭した「東海一連の庭」が名勝・史跡となっているのは【 】である。※特別名勝特別史跡ではない。(2021)
[0125]2003年の祇園祭の山一番は、前祭が【①】、後祭が【②】だった。(2006)(2007)(2022)
[0126]千宗旦四男の仙叟宗室が出仕した大名家は【 】である。(2005)(2015)
[0127]奈良の田村後宮から現在地に移された経過を持ち、臣籍降下した氏族から尊崇された【①】は、【②造】の重要文化財の本殿があり、桜の名所としても知られる。(2009)(2015)
[0128]万治2(1659)年、後水尾上皇の山荘(現在の修学院離宮)に招かれ、日記『隔蓂記』に「御庭の滝風景凡そ眼を驚かせ、肝胆に徹するものなり」と書いたのは【 】である。(2017)
[0129]文久2(1862)年に岩倉具視が一旦失脚したときに出家隠棲した寺院で、境内に歯牙塚が残るのは【 】である。(2017)
[0130]後白河法皇の臨終仏とされる阿弥陀如来像を本尊とする寺院は【 】である。(2014)
[0131]土御門殿を主要な邸宅とし、その隣接地に法成寺を創建したのは【 】である。(2017)
[0132]豊国神社が所蔵する「豊国祭礼図屏風」を描いたのは【 】である。(2021)
[0133]2月の初午の日に食べる辛子和えに用いる野菜で、京都府の「京の伝統野菜」に指定されているのは【 】である。※京のブランド産品には指定されていない。(2008)
[0134]「300年を紡ぐ絹が織り成す【 】回廊」は日本遺産に認定されている。(2017)
[0135]承久の乱後、平氏政権の拠点であった土地を鎌倉幕府が接収し、朝廷の監視や洛中警護などの目的で置いた出先機関を【 】という。(2018)(2021)
[0136]琵琶湖疎水工事の責任者は【 】であった。(2007)
[0137]交差点で山鉾を直角に方向転換させることを【 】という。(2009)
[0138]第3回内国勧業博覧会に「四季美人図」を出品して画名を高めた【 】は、昭和23(1948)年、女性初の文化勲章を受章した。(2008)
[0139]花街では8月1日を【 】といい、師匠やお茶屋などに挨拶回りをする。※祇園上七軒も同様。(2011)
[0140]東寺塔頭の【観智院】が所蔵する「鷲の図」と「竹林図」を描いたのは【 】である。(2019)
[0141]鞍馬寺は、鑑真の高弟であった【 】が宝亀元(770)年に毘沙門天をまつったことに由来する。(2021)
[0142]毎年6月下旬に開催される京都五花街の合同公演を【 】という。(2007)
[0143]重要伝統的建造物群保存地区に選定されている伊根浦において、海に面した特徴的な建造物を【 】という。(2015)
[0144]桂離宮の中では唯一の瓦葺の建物で、宮家の持仏堂であったものを【 】という。(2022)
[0145]千本閻魔堂とも呼ばれる【①寺】には、紫式部の供養塔と伝えられる重要文化財の石塔がある。(2008)/その寺院は蓮台野の入口に位置しており、【②町】にある。(2019)
[0146]石清水八幡宮が鎮座する山は【 】である。(2021)
[0147]『雍州府志』にも記録され、辛味がないことから「甘長」と呼ばれたり、市場で「青ト」の愛称で親しまれている京の伝統野菜は【 】である。(2010)
[0148]大徳寺塔頭のうち、三千家菩提寺は【 】である。(2020)
[0149]『宇治拾遺物語』によれば、「京の台所」の錦小路は、当初【 】と呼ばれていた。(2005)(2022)
[0150]京都市内に現存する最大規模の京町家住宅は、呉服商を営んだ【①家】のものであり、その屋号は【②】であった。(2005)(2011)
[0151]5月5日に下鴨神社で行われる歩射神事で、屋越式や大的式などを奉納する流派は【 】である。(2014)
[0152]文久3(1863)年、将軍後見職徳川慶喜が宿所としたのは【 藩】の藩邸である。※酒井家の藩邸であり、将軍となり二条城に入るまでの4年近くを過ごした。(2021)
[0153]平清盛の【 第】は、『平家物語』に「玉をみがき金銀をちりばめて作られたりし」と表現されたが、都落ちの際に火をかけられて焼失した。(2008)
[0154]天元5(982)年に書かれ、右京の荒廃ぶりを描写しているのは【①】であり、それを書いたのは【②】である。(2018)(2022)
[0155]平安時代織部司が置かれた地で織られ、現在の西陣織の基礎ともなった鎌倉時代ごろの先染めの絹織物を【 】という。(2011)
[0156]東寺の【講堂】には空海の手による「立体曼荼羅」と呼ばれる仏像群が並び、五智如来の中心には密教の教主とされる【 】が安置されている。(2013)
[0157]観阿弥世阿弥は、大和猿楽四座のうちの【 座】の出身である。(2005)(2010)
[0158]寝殿造の庭園に関する現存最古の書物で、橘俊綱が書いたとされるものは【 】である。(2006)(2012)
[0159]幽霊が買い求めたという民間伝承を持ち、現在も六道珍皇寺の近くで販売されている飴を【 】という。(2008)(2013)
[0160]大覚寺宸殿にある重要文化財の襖絵の「牡丹図」と「紅白梅図」を描いたのは、京狩野の祖とされる【 】である。(2009)(2012)
[0161]八幡市内にある足利氏とゆかりのある律宗寺院で、俗に「もみじ寺」とも呼ばれるのは【 】である。(2007)/明治時代の神仏分離まで石清水八幡宮でまつられていた僧形八幡大菩薩像を本尊とする律宗寺院は【 】である。(2018)
[0162]上京第二十五番組小学校(龍池小学校)は、現在、【 】として使用されている。(2009)
[0163]【宝鏡寺】に立つ人形塚には【 】の歌碑がある。(2012)
[0164]天龍寺塔頭で、重要文化財毘沙門天立像や枯山水庭園の「虎嘯の庭」があり、【禁門の変蛤御門の変)】の際に長州兵が付けた刀傷が残っているのは【 】である。(2021)
[0165]京都の旦那が芸舞妓や幇間の一八らを連れて山に登る筋書きの落語【 】では、火伏信仰で知られる山での「かわらけ投げ」で盛り上がりを迎える。(2021)
[0166]【日本外史】を書いた儒学者で、「三十六峰外史」とも号し、京都の風景美を「山紫水明」と表現して書斎の名称にも用い、長楽寺に葬られたのは【 】である。(2011)(2013)
[0167]大徳寺塔頭【芳春院】にあり、「京の四閣」の一つに数えられる楼閣は【 】である。(2005)
[0168]祇園祭の粽に付けられる護符には、【牛頭天王】の故事にちなんで【 】と書かれている。(2008)
[0169]祇園甲部の始業式では、芸舞妓は家元からご祝儀の【 】を受け取る。(2006)
[0170]知恩院にある建造物で、今日では縁結びの神として親しまれているのは【 】である。※11月25日に護摩木を焚く法要が行われる。(2019)
[0171]「善気水」があるのは【 】である。(2012)/谷崎潤一郎の墓は【 】にある。(2022)
[0172]伏見稲荷の社家の出身で国学の四大人に数えられる【 】は、江戸で国学を説き、神田明神(東京都千代田区外神田)には「国学発祥の地」の碑がある。※契沖の「国学発祥の地」は和泉市にある。(2020)
[0173]後水尾上皇が造営した山荘は【 】である。(2006)
[0174]上賀茂神社で、重陽の神事に引き続いて、二の鳥居内の細殿前庭で行われる祭事を【 】という。(2005)
[0175]宇治上神社から源氏物語ミュージアムへと向かうときに通ることになる散策路を【 】という。(2008)
[0176]林羅山の生誕地とされる【 町】は、南観音山の山鉾町である。(2020)
[0177]大徳寺塔頭の真珠庵が所蔵する「花鳥図」を描いたことで知られ、長年途絶えていた朝廷の絵所預に復帰したことから土佐家中興の祖とも呼ばれている江戸時代を代表する絵師は誰か。
[0178]小堀遠州が作庭した特別名勝の庭園があるのは、南禅寺塔頭の【 】である。(2007)
[0179]豊臣秀吉による都市改造の一つは、【 橋】の架設である。(2005)/時代祭行列が鴨川を渡る時に通るのは【 橋】である。(2015)
[0180]平安京の内裏は焼失と再建を繰り返したが、安貞元(1227)年の焼失後は再建されず、その跡地は荒廃して【 】と呼ばれるようになっていたところ、天正15(1587)年に豊臣秀吉聚楽第を造営した。(2012)
[0181]天明の大火で焼失した京都御所は、寛政元(1789)年から2年にかけて、有職故実家【①】が書いた【②】に基づき、復古的に再建された。(2010)(2018)
[0182]冷泉家が所蔵する国宝の日記は【 】である。(2017)
[0183]伊藤若冲が数多く描いた動物は【 】である。(2016)
[0184]神護寺には、空海が唐から請来したものを手本に書写したとされる、日本現存最古の両界曼荼羅図である【 】が伝えられており、国宝に指定されている。(2012)
[0185]父から桂離宮を引き継いで整備したのは【 】である。(2008)
[0186]京都熊野神社の現在の本殿は、1835年に【 】の本殿を移築したものである。(2017)
[0187]宇治川の中州にある浮島十三重塔は高さ約15mの日本最大の石塔であり、宇治橋を修復した際に【 】が建立した。(2017)
[0188]北野天満宮の現在の本殿を造営したのは【 】である。(2012)/片桐且元を奉行として国宝の東寺金堂を再建したのは【 】である。(2018)
[0189]小町寺とも呼ばれる寺院で、小野小町の老衰像や姿見の井戸などがあるのは【 】である。(2012)
[0190]応仁の乱で「西陣」の名の由来となる西軍を率いた守護大名は【 】である。(2008)(2010)(2015)
[0191]人臣として初めて関白に就任し、宇多天皇の時代に「阿衡の紛議」を起こしたのは【 】である。(2019)
[0192]京都市下京区には『源氏物語』に登場する女性の墓とされる場所を表示する石柱が立っており、その場所は【 町】である。(2020)
[0193]三条通沿いの御幸町通麩屋町通の間には【 石】がある。(2008)
[0194]大覚寺は、嵯峨天皇離宮であった嵯峨院を寺院に改めたのが起源であるが、境内には、中国の洞庭湖を模して造られた【 池】があり、日本三大名月鑑賞地の一つに数えられる。※他の2つは猿沢池石山寺。(2005)(2018)
[0195]足利義満が春屋妙葩を開山として建立した【 】には二層宝形の舎利殿枯山水庭園があり、京福電鉄の最寄り駅は【 】である。(2009)(2012)(2017)
[0196]神護寺の鎮守として空海宇佐神宮から勧請したといわれ、44面の花卉が描かれた「花の天井」がある神社は【 】である。(2019)
[0197]後に第2代京都府知事となった槇村正直が行った京都近代化政策の一つは、産業振興を目的とした【 】の開催である。※内国勧業博覧会との混同に注意。(2005)
[0198]角倉了以・素庵、伊藤仁斎・東涯らの墓があるのは【 】である。(2016)
[0199]文徳天皇が染殿皇后の安産を祈願して創建した寺院で、在原業平が晩年を過ごしたことから「なりひら寺」とも呼ばれるのは【①】である。(2012)/その寺院には、業平がかつて恋人であった【②】を想って塩を焼いたとされる塩竃が復元されており、5月28日には業平忌が行われる。(2020)
[0200]西陣聖天とも呼ばれる雨宝院の本堂前の八重桜は、【 】と呼ばれ根元から花が咲く。(2016)

[0101]松永貞徳
[0102]動力源、物流、農業用水
[0103]柳谷観音楊谷寺
[0104]檸檬(レモン)
[0105]小枝橋
[0106]阪東妻三郎
[0107]美山町
[0108]黒田正玄
[0109]如庵
[0110]オガタマノキ
[0111]函谷鉾
[0112]藤原小黒麻呂
[0113]愛宕念仏寺
[0114]黒谷和紙
[0115]寂光院
[0116]竹内栖鳳
[0117]京職
[0118]①和泉式部/②貴船神社
[0119]勢至堂
[0120]北闕型都市
[0121]夏目漱石
[0122]本法寺
[0123]あじろぎの道
[0124]東海庵
[0125]①山伏山/②浄妙山
[0126]加賀前田家
[0127]①平野神社②比翼春日造(平野造)
[0128]鳳林承章
[0129]霊源寺
[0130]長講堂
[0131]藤原道長
[0132]狩野内膳
[0133]畑菜
[0134]丹後ちりめん
[0135]六波羅探題
[0136]田邊朔郎
[0137]辻回し
[0138]上村松園
[0139]八朔
[0140]宮本武蔵
[0141]鑑禎
[0142]都の賑い
[0143]舟屋
[0144]園林堂
[0145]①引接寺/②閻魔前町
[0146]男山
[0147]伏見とうがらし
[0148]聚光院
[0149]具足小路
[0150]①杉本家/②奈良屋
[0151]小笠原流
[0152]若狭小浜藩
[0153]西八条第
[0154]①池亭記/②慶滋保胤
[0155]大宮絹
[0156]大日如来
[0157]結崎座
[0158]作庭記
[0159]幽霊子育飴
[0160]狩野山楽
[0161]善法律寺
[0162]京都国際マンガミュージアム
[0163]武者小路実篤
[0164]弘源寺
[0165]愛宕山
[0166]頼山陽
[0167]呑湖閣
[0168]蘇民将来之子孫也
[0169]舞扇
[0170]濡髪大明神
[0171]法然院
[0172]荷田春満
[0173]修学院離宮
[0174]烏相撲
[0175]さわらびの道
[0176]百足屋町
[0177]土佐光起
[0178]金地院
[0179]三条大橋
[0180]内野
[0181]①裏松固禅/②大内裏図考証
[0182]明月記
[0183]鶏
[0184]高雄曼荼羅
[0185]八条宮智忠
[0186]下鴨神社
[0187]叡尊
[0188]豊臣秀頼
[0189]補陀洛寺
[0190]山名持豊山名宗全
[0191]藤原基経
[0192]夕顔町
[0193]弁慶石
[0194]大沢池
[0195]鹿王院
[0196]平岡八幡宮
[0197]京都博覧会
[0198]二尊院
[0199]①十輪寺/②二条后(藤原高子)
[0200]歓喜

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