夜光杯雑記帳

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京都検定1級用語集 百本ノック 0101~0200(2024.07.25)

[0101]三勅祭の一つに数えられた例祭が9月15日に行われる神社は【 】である。(2007)
[0102]源頼朝に「日本国第一の大天狗」と評された【①】は、今様集【②】を編さんした。(2009)(2014)
[0103]貞観8(866)年に大納言伴善男が応天門を放火したとされる事件「応天門の変」は、国宝の絵巻物【 】の題材となった。※出光美術館が所蔵。(2013)
[0104]明智光秀が最期を遂げた場所とされる明智藪は、京都市伏見区の【 】にある。(2015)(2019)
[0105]醍醐天皇の皇子であった源高明の邸宅の鎮守社を起源とし、後に後白河天皇の里内裏にもなり、真田幸村の「知恵の地蔵尊」があるのは【 】である。(2021)
[0106]清河八郎が率いる【 】は上洛後に分裂し、京都に残った一派が新選組を結成した。(2020)
[0107]菅原道真が右大臣であったときの左大臣は【 】である。(2018)
[0108]上賀茂神社の本殿と権殿の建築様式は【 】である。※下鴨神社の東本殿と西本殿も同じ建築様式。(2010)
[0109]【日野富子】の兄で、「押大臣」と呼ばれたのは【 】である。(2017)
[0110]医者から転じて独自の煎茶道を創案し、その家元として公家や文人煎茶道を流行させ、のちにその喫茶法を『喫茶弁』として出版したのは【 】である。(2009)(2016)
[0111]樹齢700年といわれる五葉松や額縁庭園で知られる寺院は【 】である。※ゴヨウマツは京都市登録天然記念物。(2019)(2021)
[0112]石山本願寺織田信長に攻められた際の兵糧に由来する西本願寺の御用菓子を【①】という。(2008)/その菓子名の由来となった歌を詠んだ人物は【②】である。※「わすれては 波のおとかと おもうなり まくらにちかき 庭の松風」。(2014)
[0113]【藤森神社】の本殿にまつられる祭神のうちの一柱が【 皇后】である。(2014)/祇園祭の船鉾では、7月3日に「神面改め」が行われるが、この神面をつける御神体は【 皇后】である。(2015)
[0114]「遮那王が 背くらべ石を 山に見て わがこころなほ 明日を待つかな」と詠んだのは【 】である。※鞍馬寺にある歌碑。(2008)
[0115]9月15日に石清水祭の一部として行われる行事で、川に魚を放って生き物の平安を願うものを【 】という。(2021)
[0116]8月16日、家庭では【 】を炊いてお供えし、その湯がき汁を門口に撒くと精霊はこの世に未練を残さず冥土に帰ることができるとされる。(2008)
[0117]俵屋宗達が描いた「牛図」や宗達の墓があるのは【 】である。※日蓮宗の京都八本山の一つ。(2015)
[0118]下鴨神社上賀茂神社の直近の式年遷宮は、【 年】に行われた。(2008)
[0119]平安初期に織部司のもとで営まれていた官営の織物業は衰え、鎌倉時代になると、【①】と呼ばれる先染めの絹織物が織られた。(2011)/室町時代には【②】という同業組合が形づくられ、西陣織の起源となった。(2015)
[0120]陸軍第十六師団の司令部が深草に移転するのに伴い3つの軍道が整備され、第二車道が琵琶湖疎水をまたぐ【 橋】には、現在も陸軍の星マークが橋脚上部に残っている。(2023)
[0121]大徳寺の開山となり、後に「大燈国師」の諡号を贈られたのは【 】である。(2010)
[0122]伊藤仁斎が自宅に開いた私塾を【 】といい、その遺跡は史跡に指定されている。※特別史跡ではない。(2009)(2019)
[0123]文久2(1862)年の寺田屋事件は、薩摩藩の実権を握っていた【 】が過激派の薩摩藩士を粛清したものである。(2014)
[0124]後水尾法皇実弟の邸宅に貴船の鎮宅霊符神を勧請したことに始まる寺院で、「鎮宅さん」と呼ばれるのは【 】である。(2016)
[0125]【三十三間堂】にある国宝の二十八部衆立像のうち、鳥の顔で背中に羽を持ち笛を吹いているのは【 】である。※清水寺にもあるが国宝ではない。(2017)
[0126]法然が腰かけたとされる紫雲石がある西雲院は、【①寺】の塔頭である。(2013)/【①寺】塔頭の西翁院にある茶室は、淀方面を遠望できたことから【②】と名付けられた。(2010)/松平容保会津藩の本陣を置いた寺院は【①寺】である。(2013)(2020)
[0127]文久3(1863)年、将軍後見職徳川慶喜が宿所としたのは【 藩】の藩邸である。※酒井家の藩邸。将軍として二条城に入るまでの約4年を過ごした。(2021)
[0128]大覚寺が所蔵する重要文化財の太刀で、源頼光が土蜘蛛を切った伝説があるのは【 】である。(2021)
[0129]【上品蓮台寺】や【醍醐寺】に伝わる国宝の絵画で、釈迦の伝記を絵解きしているものを【 】という。(2008)(2016)
[0130]『雍州府志』にも記載され、辛味がないことから「甘長」と呼ばれたり、「青ト」の愛称で親しまれている京の伝統野菜は【 】である。(2010)
[0131]大宝元(701)年に松尾大社を創建した人物は【 】である。(2015)
[0132]修学院離宮の客殿にある五段の違棚は【 】と呼ばれ、醍醐寺三宝院の「醍醐棚」、桂離宮の「桂棚」とともに「天下の三大名棚」の一つに数えられる。※客殿は中離宮にある。(2009)(2018)
[0133]「都七福神まいり」の社寺のうち、ゑびす神をまつるのは【 】である。(2010)
[0134]東本願寺と分かれた際の西本願寺の宗主は【 】である。※そのときの東本願寺門主教如。(2017)
[0135]【海住山寺】の五重塔は、【 】の一周忌の供養に際して建てられたものである。(2017)
[0136]京都市山科区にある本山修験宗の寺院で、延鎮が開山と伝わり、霊夢により金色の水源を求めて辿りついたとされる「金生水」があるのは【 】である。※昭和初期に法相宗から本山修験宗に改宗。(2023)
[0137]豊臣秀吉聚楽第に創建した神社とされる【 】は、江戸時代に遷座し、長らく二条城の西側にあったが、2012年に京都市左京区大原へ移転した。(2012)
[0138]『新古今和歌集』に収められている「偽りを 糺の森の 木綿襷 かけつつ誓へ 我を思はば」の歌を詠んだのは【 】である。(2009)
[0139]京狩野の祖とされる【狩野山楽】とその婿養子の【狩野山雪】が描いた重要文化財の方丈障壁画をデジタル複製し、オリジナルを京都国立博物館に寄託した妙心寺塔頭は【 】である。(2016)
[0140]北野天満宮の摂社・火之御子社で毎年6月1日の例祭日にのみ授与されるのは、【 】除けの守札である。(2013)
[0141]延暦4(785)年、長岡京造営の中心人物でもあった藤原種継が暗殺される事件が起こり、これに関与した疑いで【 】は乙訓寺に幽閉された。(2021)
[0142]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、厨子から変化して江戸時代に一般家庭に広まったのを【 】という。(2006)
[0143]西本願寺の御影堂前にあり、火災を防いだとされる木の樹種は【 】である。(2017)
[0144]二条城の築城に際し、建設予定地の町家の立ち退きの様子を「町屋四、五千間モノクト云々」と記録する醍醐寺三宝院座主の日記を【 】という。(2017)
[0145]5月の満月の夜、全山に灯明を灯し参列者が灯明を持って本尊に世界の救済を祈念する鞍馬寺の行事を【 】という。(2020)
[0146]文久2(1862)年に【①職】を拝命した【②藩】の藩主【③】は、配下の新選組を使って尊王攘夷運動を取り締まった。(2009)(2013)
[0147]昼は朝廷に仕え、夜は六道珍皇寺の井戸を通って閻魔大王に仕えたという伝説が残る人物は【 】である。(2008)(2014)
[0148]大谷廟堂を建てて本願寺の基礎を築いた親鸞の末娘は【 】である。(2020)
[0149]東福寺の開山となり、応長元(1311)年に日本初の国師号となる聖一国師の号を贈られたのは【 】である。(2019)
[0150]京都織物会社本館の建物は、現在、【 】として使用されている。(2009)
[0151]花街では12月13日から正月の準備を始めるが、京舞【 流】家元の稽古場には「玉椿」の軸が掛けられ、門弟から届けられた鏡餅が飾られる。(2006)
[0152]京福電鉄【 線】の鳴滝駅近くには山中貞雄稲垣浩らが住み、「鳴滝組」といわれた。(2013)
[0153]時代祭行列を運営する市民組織を【 】という。(2006)(2011)
[0154]「三十六峰外史」とも号した儒学者で、京都の風景美を「山紫水明」と表現して書斎の名称にも用い、【長楽寺】に葬られたのは【①】である。(2011)(2013)/その人物が「山紫水明処」で完成させた歴史書は【②】である。(2018)
[0155]後に第2代京都府知事となった槇村正直が行った京都近代化政策の一つは、女性教育機関である【 】の開設である。(2005)/京都府の勧業政策の一つとして花街にも設立され、現在は祇園で芸事や習い事を教えるための法人は【 】である。※学校名は祇園女子技芸学校。(2015)
[0156]灯台をモチーフとした京都タワーを設計した【 】は、日本武道館も設計している。(2017)
[0157]菅原道真の生涯や怨霊による災いなどを描いた北野天満宮所蔵の国宝の絵巻を【 】という。(2006)
[0158]京都市右京区梅ヶ畑にある遺跡で、昭和30(1955)年に旧石器時代のナイフ形石器などが見つかり、現在はボートの遊覧やキャンプ地として利用されている池畔にあるのは【 】である。(2023)
[0159]日蓮の孫弟子にあたる日像を開祖とする寺院で、後醍醐天皇のとき日蓮宗で初めての勅願寺となり、尾形光琳が描いた「松竹梅図」を所蔵するのは【①】である。(2009)(2015)/その寺院の書院の東側にある庭を【②】という。※抱一曲水の庭、孟宗竹の坪庭、四海唱道の庭もある。(2016)/その寺院の塔頭で、尾形光琳、乾山兄弟の墓があるのは【③】である。(2023)
[0160]源頼義が六条醒ヶ井に創建した後に現在地に移り、陶祖神の椎根津彦命が合祀されて「陶器神社」とも呼ばれる神社は【 】であり、8月7日から10日まで陶器祭が行われ、8月8日には陶器神輿が巡行する。(2006)(2008)(2023)
[0161]大覚寺宸殿にある重要文化財の襖絵の「牡丹図」と「紅白梅図」を描いたのは、京狩野の祖とされる【 】である。(2009)(2012)
[0162]本尊は重要文化財十一面千手観音坐像、重要文化財の供水所が最古の閼伽井屋の遺構である寺院は【 】である。(2007)/久寿元(1154)年創建とされる本山修験宗の寺院は【 】で、推定樹齢1200年ともいわれる「花背の三本杉」は御神木とされる。(2021)
[0163]不審庵は、もともと利休の屋敷にあった茶室であり、大徳寺117世の【 】が「不審花開今日春」という禅語からつけたとされる。(2022)
[0164]西本願寺の学寮を起源とする大学で、擬洋風建築の本館が今も残るのは【 】である。(2020)
[0165]「日野薬師」とか「乳薬師」と呼ばれる寺院で、本尊の薬師如来には安産・授乳の御利益があるとされるのは【 】である。※真言宗醍醐派。(2011)
[0166]【吉井勇】の歌碑が立ち、「かにかくに祭」が行われる場所にあったお茶屋「大友」の女将で、文芸芸妓と呼ばれたのは【 】である。(2014)/御池大橋西詰にある石碑に刻まれた「春の川を 隔てゝ 男女哉」の句は、夏目漱石祇園お茶屋「大友」の女将【 】に贈ったものである。(2022)
[0167]平安時代令外官として設置され、初めは治安警護を担当し、後に民事から行政まで広く関わったのは【 】である。(2023)
[0168]五条寺を2つに分けて弟子に相続させたことに由来するともいわれる地名は【 町】である。※他説あり。(2019)
[0169]江戸初期の儒医で、全10巻からなる山城国の地誌【①】を書いた【②】は、年中行事解説書『日次紀事』も書いている。(2005)(2009)
[0170]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、明治12(1879)年に写し友禅染めの新技法を開発した【①】が量産化に成功したのは【②】である。(2006)(2007)(2015)
[0171]【後陽成天皇】の陵墓は【 】である。(2017)
[0172]2月3日に境内の天岩戸をくぐる「ぬけ参り」を行うと厄が抜けるとされる神社は【 】である。(2022)
[0173]天正16(1588)年、豊臣秀吉が造営した聚楽第行幸したのは【 天皇】である。(2006)
[0174]応仁・文明の乱の当事者で、【日野富子】の夫の弟にあたるのは【 】である。(2017)
[0175]酸化鉄を主成分とし、京町家の格子の塗装などに使われてきた赤色顔料は【 】である。(2017)
[0176]「善気水」があるのは【 】である。(2012)/谷崎潤一郎の墓は【 】にある。※浄土宗。(2022)
[0177]大覚寺にある重要文化財五大明王像は、円派を代表する仏師【 】の作品である。(2015)
[0178]公家や武家に料理を供する包丁家の中で、細川晴元の包丁人から興った流派を【 】という。(2014)
[0179]大徳寺塔頭の【聚光院】方丈にある襖絵は、【 】・永徳の父子が描いたものである。※国宝指定の現物は京都国立博物館に寄託され、現地にあるのはデジタル複製品。(2014)
[0180]薩摩出身の実業家・伊集院兼常が造営した別荘は、市田弥一郎が譲り受けた際に【 】と命名されたが、その庭園部分は7代目小川治兵衛によって作り直され、現在は名勝に指定されている。(2020)
[0181]明智光秀が仕えた室町幕府の将軍は【 】である。(2019)
[0182]京の六地蔵めぐりのうち、桂地蔵をまつるのは【 】である。(2011)
[0183]京都の旦那が芸舞妓や幇間の一八らを連れて山に登る筋書きの落語【 】では、火伏信仰で知られる山での「かわらけ投げ」で盛り上がりを迎える。(2021)
[0184]知恩院の七不思議のうち、黒門前にある石を【①】という。(2019)/その石には、【②】が降臨して一夜にして瓜が実ったという伝説があり、また、二条城へ続く抜け道の出入口とも言われる。(2016)
[0185]梨木神社に湧く名水を【 】という。(2012)
[0186]「弘法さんが晴れやったら天神さんは雨や」の意味は【 】である。(2009)
[0187]平安遷都後、「やましろ」の国名表記は【 】となった。(2009)
[0188]西国三十三所の第16番札所は【 】である。(2005)(2007)/能の演目「田村」の題材となった縁起を持つ寺院は【 】である。(2011)
[0189]東福寺塔頭で、鶴島、亀島の石組がある方丈南庭が雪舟の作庭と伝えられ、「雪舟寺」の通称名で知られるのは【 】である。(2022)
[0190]毎年10月15日に鹿王院で開帳される仏牙舎利を宋の寺院から請来した鎌倉幕府の将軍は【 】である。(2018)(2022)
[0191]明治10(1877)年に京都仙洞御所内で日本初の水素気球を揚げたのは【 】である。(2009)
[0192]平等院には、源頼政が自害した場所といわれる【 】があり、最勝院内には頼政の墓がある。(2014)
[0193]大将軍八神社は、小説『天地明察』の主人公である【 】が作った天球儀などを所蔵する。(2012)/碁所であった京都の安井家に生まれたが、「貞享暦」を作った功績で幕府の初代天文方となったのは【 】である。(2023)
[0194]小堀遠州江戸幕府における役職のうち、京都に関わりの深いものは【 】である。(2015)
[0195]物まね主体の能を歌舞主体の幽玄能へと洗練させたのは【①】である。(2012)/【①】が田楽能の一忠を「この道の聖」と書いた能楽の理論書は【②】である。(2005)(2010)/【①】が【②】を書いた後で悟り得た芸の神髄を書いたものを【③】という。(2014)
[0196]祇園祭の神輿3基のうち、錦市場を通って巡行する神輿は【 】である。※7/24還幸祭で通る。中御座と東御座は錦小路通を通らない。(2022)
[0197]桂離宮の造営を始めたのは【①】である。(2008)/父から桂離宮を引き継いで整備したのは【②】である。(2008)
[0198]鎌倉幕府との関係を深めて大きな権勢を持ち、東大寺興福寺から一字ずつ取って東福寺を造営した公卿は【 】である。※子の頼経が摂家将軍となったが、晩年は不遇。(2006)
[0199]葵祭の行列が下鴨・上賀茂両社に到着すると、御祭文の奉納、東游舞の奉納など【①■■の儀】が神前で行われる。(2006)/その儀式で駿河歌を歌い、楽器を奏する役を勤める武官を【②】という。(2015)
[0200]徳川家康が慶長8(1603)年に将軍宣下を受けた場所は【 】である。(2022)

[0101]石清水八幡宮
[0102]①後白河法皇/②梁塵秘抄
[0103]伴大納言絵詞
[0104]小栗栖
[0105]高松神明神社
[0106]浪士組
[0107]藤原時平
[0108]三間社流造
[0109]日野勝光
[0110]小川可進
[0111]宝泉院
[0112]①松風/②顕如
[0113]神功皇后
[0114]与謝野鉄幹
[0115]放生行事
[0116]あらめ
[0117]頂妙寺
[0118]2015年
[0119]①大宮絹/②大舎人座
[0120]師団橋
[0121]宗峰妙超
[0122]古義堂
[0123]島津久光
[0124]閑臥庵
[0125]迦楼羅
[0126]①金戒光明寺/②澱看席
[0127]若狭小浜藩
[0128]膝丸
[0129]絵因果経
[0130]伏見とうがらし
[0131]秦忌寸都理
[0132]霞棚
[0133]恵比須神社
[0134]准如
[0135]貞慶
[0136]法嚴寺
[0137]出世稲荷神社
[0138]平貞文
[0139]天球院
[0140]雷
[0141]早良親王
[0142]京仏壇
[0143]銀杏
[0144]義演准后日記
[0145]五月満月祭
[0146]①京都守護職/②会津藩/③松平容保
[0147]小野篁
[0148]覚信尼
[0149]円爾
[0150]京都大学東南アジア地域研究 研究所
[0151]井上流
[0152]北野線
[0153]平安講社
[0154]①頼山陽/②日本外史
[0155]①女紅場/②八坂女紅場学園
[0156]山田守
[0157]北野天神縁起
[0158]菖蒲谷遺跡
[0159]①妙顕寺/②光琳曲水の庭/③泉妙院
[0160]若宮八幡宮社
[0161]狩野山楽
[0162]峰定寺
[0163]古渓宗陳
[0164]龍谷大学
[0165]法界寺
[0166]磯田多佳
[0167]検非違使
[0168]二帖半敷町
[0169]①雍州府志/②黒川道祐
[0170]①広瀬治助/②京友禅
[0171]深草北陵
[0172]日向大神宮
[0173]後陽成天皇
[0174]足利義視
[0175]紅殻
[0176]法然院
[0177]明円
[0178]進士流
[0179]狩野松栄
[0180]對龍山荘
[0181]足利義昭
[0182]地蔵寺
[0183]愛宕山
[0184]①瓜生石/②牛頭天王
[0185]染井の水
[0186]京都は4~5日の周期で天気が変わる
[0187]山城
[0188]清水寺
[0189]芬陀院
[0190]源実朝
[0191]島津源蔵
[0192]扇の芝
[0193]渋川春海(安井算哲)
[0194]作事奉行・伏見奉行
[0195]①世阿弥/②風姿花伝/③花鏡
[0196]西御座
[0197]①八条宮智仁/②八条宮智忠
[0198]九条道家
[0199]①社頭の儀/②陪従
[0200]伏見城

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