夜光杯雑記帳

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京都検定1級用語集 百本ノック 0801~0900

[0801]2019年3月、JR嵯峨野線の【 駅】が開業した。(2019)
[0802]丹波国一の宮【 】は、延喜式神名帳に記載される古社である。(2009)/亀岡市にある千歳車塚古墳は、6世紀前半の築造と推定される口丹波地方で最大の前方後円墳で、その近くには丹波国一の宮である【 】がある。(2020)
[0803]江戸時代の歌人で、「平安和歌四天王」の一人に数えられ、平易率直な「ただこと歌」を主張し、歌集『六帖詠草』や歌論書『布留の中道』などを書いたのは【 】である。(2009)
[0804]「市屋道場」とか「一夜道場」と呼ばれる寺院で、重要文化財の「遊行上人絵巻」を所蔵するのは【 】である。(2022)
[0805]2023年の京都の顔見世興行は【 月 日から 月 日まで】行われた。(2010)
[0806]足利尊氏は、後醍醐天皇の冥福を祈るため、【 上皇】が亀山殿を造営した地に天龍寺を創建した。(2005)/皇統が持明院統大覚寺統に分かれる原因を作ったのは【 天皇】である。(2020)/車折神社に「正一位車折大明神」の神号を与えたと伝わるのは【 天皇】である。(2017)
[0807]京都国立博物館の噴水前にある銅像「考える人」を創作したのは【 】である。※レプリカという扱いではない。(2019)
[0808]国宝の「風神雷神図」を描いたのは【 】である。(2006)/京都国立博物館が所蔵する「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」の書は本阿弥光悦によるもので、鶴の絵は【 】が描いたものである。(2022)
[0809]後醍醐天皇の菩提を弔うために天龍寺を創建するにあたり、その費用調達のための天龍寺船が派遣された当時の中国王朝は【 】である。(2022)
[0810]明治45(1912)年に竣工した本願寺伝道院は、ドーム状の屋根を持つ赤れんが造りの近代建築であるが、これを設計したのは【 】である。(2017)
[0811]明治2(1869)年に京都御苑内の私邸で創始した漢詩文の私塾「立命館」が時事問題の討論の場となり、後に内閣総理大臣になった人物は【 】である。(2011)
[0812]世阿弥が自らの能楽論をまとめた【 】では、田楽能の一忠を「この道の聖」と評している。(2005)(2010)
[0813]京都府立図書館や京都市役所本館を設計したのは【 】である。(2006)(2012)
[0814]【藤森神社】の境内に湧く御神水を【 】という。(2014)
[0815]南禅寺発祥の地で、亀山法皇の作庭ともいわれる史跡・名勝の池泉回遊式庭園は心字島を特徴とし、方丈などが桂昌院の寄進で再建されたのは【 】である。※特別史跡特別名勝ではない。(2016)
[0816]明治37(1904)年に竣工した重要文化財京都府庁旧本館は、創建時の姿をとどめる現役の官公庁の建物としては日本最古のものであるが、この建物を設計したのは【 】である。※1888年北海道庁旧本庁舎は現役庁舎ではない。愛知県本庁舎は1938年。(2012)
[0817]「都七福神まいり」の社寺のうち、大黒天をまつるのは【 】である。(2010)
[0818]大文字山を支峰とする山で、かつて三井寺の別院が山中にあったことに由来して名付けられたのは【 】である。(2013)
[0819]蕉門十哲の一人である【服部嵐雪】が句集『枕屏風』の中で、東山三十六峰の穏やかな景観を詠んだ句は【 】である。(2009)
[0820]定朝の子とされ、七条仏所を開いたのは【 】である。※定朝の弟子説あり。(2021)
[0821]石清水八幡宮は、貞観元(859)年に南都大安寺の【 】が豊後の宇佐神宮から八幡大神を勧請したのが起源である。(2017)(2021)
[0822]木津川市加茂町・当尾の里にある寺院で、本尊の阿弥陀如来坐像や三重塔などの重要文化財を有し、アジサイの名所としても知られるのは【 】である。(2014)/隅鬼が垂木を支える重要文化財の三重塔があるのは【 】である。(2017)
[0823]醍醐天皇の皇子であった源高明の邸宅の鎮守社を起源とし、後に後白河天皇の里内裏にもなり、真田幸村の「知恵の地蔵尊」があるのは【 】である。(2021)
[0824]南禅寺の三門は、寛永5(1628)年に【 】の寄進により再建された。(2005)
[0825]明智光秀が仕えた室町幕府の将軍は【 】である。(2019)
[0826]後白河法皇が造営した院御所を【①】という。(2014)/後白河法皇の身代わり不動を本尊とし、明治時代まで法皇の御陵を守ってきたのは【②】である。(2019)
[0827]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、くくりの模様が子鹿の斑点に似ているとされるものを【 】という。(2006)(2022)
[0828]桂離宮にあった5つの茶屋のうち最も東に位置し、対岸の古書院と向かい合い、白と藍染の加賀奉書を互い違いに配置した斬新な襖を持つ建物は【①】である。※竹林亭は現存しない。(2015)/【八条宮智仁】親王と【智忠】親王の父子が造営した桂離宮の中で、市松模様の床の間がある建物は【①】である。(2018)/桂離宮に現存する茶屋は、【①】、【②】、【③】、【④】である。(2008)
[0829]御所にまつられていた由岐大明神を鞍馬に勧請した際、無数の松明をもって出迎えた故事に由来するといわれる祭りは【 】である。(2007)
[0830]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、刺繡は【 】である。(2006)
[0831]西国三十三所の第15番札所は【 】である。(2007)/医学の先人を顕彰する医聖堂や、日本最古の医書『医心方』の一千年記念碑が立つ泉涌寺塔頭は【 】である。(2018)
[0832]京のブランド産品の水産物のうち、稚貝を肉厚になるまで大きく育てたものを【 】という。※「丹後ぐじ」も京のブランド産品。(2017)
[0833]東福寺の三門に掲げられている扁額の「妙雲閣」を揮毫したのは【 】である。(2022)
[0834]11月1日に護王神社で行われる亥子祭は宮中の儀式に由来するが、その儀式を【 】という。(2014)
[0835]祇園の芸舞妓の着付け師を【 】といい、その性的遍歴が題材となったのは、瀬戸内晴美(寂聴)の小説『祇園の男』である。(2021))
[0836]時代祭行列を運営する市民組織を【 】という。(2006)(2011)
[0837]【海住山寺】の五重塔は、【 】の一周忌の供養に際して建てられたものである。(2017)
[0838]世阿弥室町幕府将軍の支援を受けるきっかけとなった公演は【 】で行われた。(2005)/後白河院が創建した【 】は、院御所であった法住持殿の鎮守とされ、また、院お手植えと伝わる大樟は「大樟大権現」と呼ばれ、京都市指定の天然記念物である。(2008)(2021)
[0839]東寺の門前で売られている名物菓子を【 】という。※東寺との関係は薄い。どら焼きは門前では売られていない。(2009)
[0840]第3代京都府知事となった北垣国道は、京都・【 】間車道を完成させた。(2009)
[0841]安永9(1780)年に刊行された【①】は、京都とその周辺の名所や史跡を【②】が竹原春朝斎の挿絵付きで解説している。(2006)(2011)(2013)(2018)
[0842]梨木神社に湧く名水を【 】という。(2012)
[0843]首途八幡宮は、奥州へ出発する牛若丸(源義経)が道中の安全を祈願したとされ、そのとき随従した伝説的商人【 】の屋敷の鎮守社と伝わる。(2014)
[0844]薩摩出身の実業家・伊集院兼常が造営した別荘は、市田弥一郎が譲り受けた際に【 】と命名されたが、その庭園部分は7代目小川治兵衛によって作り直され、現在は名勝に指定されている。(2020)
[0845]下鴨神社の境内摂社である【河合神社】では、美麗の祈願絵馬として、手鏡の形をした【 】を奉納する。(2013)
[0846]「くじ取らず」の山鉾のうち、前祭の22番は【 】である。(2008)
[0847]京田辺市内の寺院で、実際に1000本の手を持つ千手観音立像を本尊とし、かつては東側に鶴沢の池が広がっていたのは【 】である。(2014)(2020)
[0848]葵祭室町時代後期と明治期に中絶しているが、明治4(1871)年の中絶後、明治17(1884)年に再興した人物は【 】である。(2006)(2015)
[0849]天正16(1588)年、豊臣秀吉が造営した聚楽第行幸した天皇は【 】である。(2006)
[0850]『東海道中膝栗毛』には、「商人のよき衣きたるは他國に異にして、京の【 】の名は、益西陣の織元より出」と書かれている。(2008)
[0851]円山応挙の師で、醍醐寺三宝院の障壁画「蘇鉄に孔雀図」を描いたのは【 】である。(2017)
[0852]日本最古の紀年銘を持ち「黄鐘調の鐘」と呼ばれる国宝の梵鐘は【 】にあるが、この寺院は固い経済基盤を持つことから「算盤面」ともいわれる。※黄鐘調はピアノの「ラ」音。(2007)/明智風呂と呼ばれる浴室がある寺院は【 】である。(2019)
[0853]真如堂では3月に大涅槃図が公開され、3月15日には涅槃会が行われるが、その日に授与される、無病息災の御利益がある京菓子を【 】という。※東福寺泉涌寺のものは漢字表記が違う。(2022)
[0854]室町幕府8代将軍の足利義政が造営した東山殿(後の銀閣寺)は、夢窓疎石が再興した臨済宗寺院の【  】をモデルとして造られた。(2011)
[0855]聖徳太子の母である穴穂部【 】(はしうど)皇后は、蘇我氏物部氏の争乱を避けて現在の京丹後市丹後町に逃れたが、乱が収まった後、都に戻る際に自らの名を贈ったところ、里人は皇后の名をそのまま地名にするのはおそれ多いとして、皇后の退座にちなみ、【 】と書いて「たいざ」と読むことにしたとされる。(2021)
[0856]現在の衣棚通三条通から六角通までの部分は、その地に住んだ茶人にちなんで【 】とも呼ばれる。(2021)
[0857]漢字に基づいて作られた日本語独特の文字を【 】という。(2006)
[0858]【足利義持】の時代に活躍した画僧で、東福寺の大涅槃図を描いたのは【 】である。(2020)
[0859]日本三大摩利支天の一つに数えられる建仁寺塔頭寺院で、境内に多くの狛亥がまつられているのは【 】である。(2018)
[0860]「くじ取らず」の山鉾のうち、2023年の後祭の2番は【 】であった。※後祭復活前は最後尾だった。(2005)(2008)
[0861]永禄8(1565)年、三好義継・三好三人衆・松永久通の軍勢に襲撃され、殺害された室町幕府13代将軍は【 】である。(2020)
[0862]六波羅蜜寺で1月1~3日に有償授与される飲み物であり、元日に汲んだ「若水」でいれた煎茶に梅干しと結び昆布を入れたもので、空也上人がふるまい、村上天皇が飲まれたこともあるものを【 】という。(2021)
[0863]京の台所を支えた名水として知られるのは【 】である。(2022)
[0864]栂尾の高山寺は、鎌倉時代華厳宗中興の祖である【 】によって再興され、国宝の「鳥獣戯画」を所蔵する。(2008)/高山寺が所蔵する国宝の肖像画に樹の上で座禅をしている姿が描かれている人物は【 】である。(2020)
[0865]桂離宮の近くにある中村軒の名物菓子で、田植え時の間食として重宝されたものを【 】という。(2019)
[0866]清水寺の西門下にある石燈籠に虎の絵を刻んだ絵師は【 】である。※燈籠らしくない外観。(2022)
[0867]本阿弥光悦が嫁いで行く娘に与えたと伝わる国宝の白楽茶碗を【 】という。(2021)
[0868]「荒神口」の名は、【 】という寺院の通称名清荒神」に由来する。(2016)
[0869]「京都府立陶板名画の庭」を設計したのは【 】である。(2011)
[0870]千利休が師事したとされる茶人は【 】である。(2006)/村田珠光を継承した【 】は四畳半より小さい茶室を考案している。(2022)
[0871]豊臣秀吉伏見城築城の際に宇治川に架けた【 】は王政復古後の動乱で焼け、現在はその場所に観月橋が架かる。(2016)
[0872]方広寺にある重要文化財の梵鐘に刻まれている計8文字の字句で、「大坂冬の陣」の契機となったのは【 】である。(2011)
[0873]平安神宮の社殿配置は平安京の【①】を模しており、外拝殿は大極殿、神門は【②】と呼ばれる。(2005)(2016)(2020)/平安京大内裏の正庁である【①】は国家的行事に使われ、その正殿を大極殿という。(2009)
[0874]谷崎潤一郎の『細雪』で「まことに此処の花を措いて京洛の春を代表するものはない」と賞賛されているのは【 】の桜である。(2008)/6月1~2日に【京都薪能】が行われるのは【 】である。(2010)/時代祭行列の到着場所は【 】である。(2011)/7代目小川治兵衛が作庭した神苑があるのは【 】である。(2018)
[0875]神泉苑には、龍神である【 】が住むといわれ、天長元(824)年、淳和天皇の勅命により雨乞いの祈願が行われた。(2023)/その際、東寺の僧【 】は、西寺の僧・守敏と法力を競い勝利した。(2019)
[0876]市比賣神社の湧水で、洛陽の七名水の一つに数えられる【 】は、歴代天皇の産湯に使われたと伝わり、神水を飲んで絵馬に一つだけ願い事を書いて奉納すると叶うとされる。(2022)
[0877]2月10~13日、初午大根焚きが行われる寺院は【 】である。(2015)
[0878]大覚寺が所蔵する重要文化財の太刀で、源頼光が土蜘蛛を切った伝説があるのは【 】である。(2021)
[0879]法然の高弟証空が念仏の道場として再興した寺院は、背後の山容が仏器の形に似ていることから寺名を【 】と改めた。(2020)
[0880]鴨川は桂川に合流し、さらに下流三川合流点では宇治川、【 】、桂川が合流して淀川となる。(2020)
[0881]豊臣秀吉によって造られた土塁は【御 】と呼ばれ、軍事目的や治水目的のほか、洛中と洛外を分ける役割もあった。(2005)(2008)
[0882]京都市学校歴史博物館の建物は、【■■■小学校】の校舎を利用しており、白川石を使った石塀や立派な正門が残っている。(2019)
[0883]平清盛の【西八条第】の鎮守社として創建された神社で、社前に清盛手植えと伝わる大楠があるのは【 】である。(2018)
[0884]「利休七哲」のうちの一人で、利休死後に千少庵を保護し、徳川家康とともに千家の再興に尽力した武将は【 】である。(2022)
[0885]8月24日に志古淵神社で行われる念仏踊の奉納行事を【 】という。(2015)
[0886]山鉾巡行の順番をくじで決めず、古例で決まっているものを【 】という。(2006)/その山鉾のうち、前祭の1番は【 】である。(2008)/2016年に【伊藤若冲】の原画をもとに見送を新調した山鉾は【 】である。(2016)
[0887]重要伝統的建造物群保存地区のうち、与謝野町にあるのは【 】である。(2009)
[0888]「春はあけぼの」で始まる随筆を書いたのは【 】である。(2006)(2007)/泉涌寺にある石碑に刻まれた「夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」の歌を詠んだのは【 】で、晩年を泉涌寺の近くで過ごしたとも伝わる。(2010)(2016)
[0889]聖徳太子ゆかりの七大寺の一つである広隆寺は、【 】が聖徳太子から賜った仏像を本尊として建立した。(2006)(2021)/世阿弥が書いた『風姿花伝』の序文によれば、聖徳太子の命を受けて申楽を初めて上演したのは【 】である。(2007)
[0890]永徳の長男【 】が描いた「鳴き龍」とも呼ばれる蟠龍図があるのは【 】の法堂である。(2005)(2013)(2021)
[0891]鴨川の上流にあり「京の奥座敷」といわれ、夏の期間に川床料理が味わえるのは【 】である。(2010)
[0892]小野妹子の子である小野毛人の経歴が書かれ、国宝に指定されている墓誌は、【 】の裏山から発見されたものである。(2012)
[0893]藤原頼通が宇治に開いた寺院は【 】である。(2006)
[0894]花街では12月13日から正月の準備を始めるが、京舞【 流】家元の稽古場には「玉椿」の軸が掛けられ、門弟から届けられた鏡餅が飾られる。(2006)
[0895]比叡山から如意ケ岳にかけての山麓を源流とする白川は祇園の花街を流れ、6月の第1日曜日に祇園放生会が【 橋】で行われる。(2020)
[0896]京都府の中北部にある建造物のうちで唯一の国宝は、綾部市にある【①山】の中腹に建つ【②寺】の【③】であり、近くにある樹齢2000年ともいわれるトチノキ京都府指定の天然記念物である。(2009)(2014)(2021)
[0897]周りを海に囲まれる天橋立神社に湧き出る塩味を含まない淡水を【 】といい、環境省の「名水百選」に選ばれている。(2022)
[0898]江戸時代には京都を地盤に禁裏能などで活躍し、京流とも呼ばれた狂言の流派は【①】である。(2005)/その流派を創始し、宮中への参勤を主として活動しながら尾張徳川家に召し抱えられたのは【②】である。※和泉元彌民事訴訟で流派の宗家とは認めらず、現在は宗家不在。(2016)
[0899]酸化鉄を主成分とし、京町家の格子の塗装などに使われてきた赤色顔料を【 】という。(2017)
[0900]「遮那王が 背くらべ石を 山に見て わがこころなほ 明日を待つかな」という与謝野鉄幹の歌を刻んだ石碑が立つ寺院は【 】である。(2008)/源義経が牛若丸として幼少期を過ごした寺院は【 】である。(2012)

[0801]梅小路京都西駅
[0802]出雲大神宮
[0803]小沢蘆庵
[0804]金光寺
[0805]12月1日から12月24日まで
[0806]後嵯峨天皇上皇
[0807]ロダン
[0808]俵屋宗達
[0809]元
[0810]伊東忠太
[0811]西園寺公望
[0812]風姿花伝
[0813]武田五一
[0814]不二の水
[0815]南禅院
[0816]松室重光
[0817]松ヶ崎大黒天
[0818]如意ヶ岳
[0819]布団着て 寝たる姿や 東山
[0820]覚助
[0821]行教
[0822]岩船寺
[0823]高松神明神社
[0824]藤堂高虎
[0825]足利義昭
[0826]①法住寺殿/②法住寺
[0827]京鹿の子絞
[0828]①松琴亭/②賞花亭/③笑意軒/④月波楼
[0829]鞍馬の火祭
[0830]京繍
[0831]今熊野観音寺
[0832]丹後とり貝
[0833]足利義持
[0834]御玄猪
[0835]男衆
[0836]平安講社
[0837]貞慶
[0838]新熊野神社
[0839]東寺餅
[0840]宮津
[0841]①都名所図会/②秋里籬島
[0842]染井の水
[0843]金売吉次
[0844]對龍山荘
[0845]鏡絵馬
[0846]岩戸山
[0847]寿宝寺
[0848]岩倉具視
[0849]後陽成天皇
[0850]着たをれ
[0851]石田幽汀
[0852]妙心寺
[0853]花供曽
[0854]西芳寺
[0855]間人
[0856]了頓図子
[0857]仮名
[0858]明兆
[0859]禅居庵
[0860]南観音山
[0861]足利義輝
[0862]皇服茶(大福茶
[0863]錦の水
[0864]明恵
[0865]麦代餅
[0866]岸駒
[0867]不二山
[0868]護浄院
[0869]安藤忠雄
[0870]武野紹鷗
[0871]豊後橋
[0872]国家安康 君臣豊楽
[0873]①朝堂院/②応天門
[0874]平安神宮
[0875]①善女龍王/②空海
[0876]天之真名井
[0877]三千院
[0878]膝丸
[0879]三鈷寺
[0880]木津川
[0881]御土居
[0882]元開智小学校
[0883]若一神社
[0884]蒲生氏郷
[0885]久多花笠踊
[0886]①くじ取らず/②長刀鉾
[0887]加悦
[0888]清少納言
[0889]秦河勝
[0890]①狩野光信/②相国寺
[0891]貴船
[0892]崇道神社
[0893]平等院鳳凰堂
[0894]井上流
[0895]巽橋
[0896]①君尾山/②光明寺/③二王門
[0897]磯清水
[0898]①和泉流/②山脇和泉元宜
[0899]紅殻
[0900]鞍馬寺

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