夜光杯雑記帳

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京都検定1級用語集 百本ノック 0501~0600

[0501]孤峯庵、里子、慈念が登場する小説を書いたのは【 】である。(2007)
[0502]木津川市内の寺院で、重要文化財不動明王立像(白不動)を所蔵し、蔵王権現を本尊とすることから「北吉野」とも呼ばれるのは【 】である。(2014)
[0503]坂田藤十郎は、【 】が書いた「傾城仏の原」などの脚本を演じ、上方歌舞伎の和事芸を創始した。(2006)
[0504]「くじ取らず」の山鉾のうち、2023年の後祭の6番は【 】であった。(2008)
[0505]最澄が創建し、【円山公園】の名称の由来となった山号を持つ【 】は、後に法然が吉水草庵を営んで専修念仏を広める拠点となった。(2013)
[0506]観阿弥世阿弥は、大和猿楽四座のうちの【 座】の出身である。(2005)(2010)
[0507]御物忌川と御手洗川は上賀茂神社境内で合流して【①川】となるが、ここで行われる夏越大祓の情景を和歌に詠んだのが【 】で、小倉百人一首に収められている。(2010)(2014)
[0508]松尾大社の境外摂社である【月読神社】には「安産石」とも呼ばれる【 】があり、【神功皇后】が出産の際、この石で腹をなでて安産したとされる。(2011)(2016)
[0509]三条大橋西詰の南側には『東海道中膝栗毛』の主人公2人の【 】像がある。(2016)
[0510]大覚寺にある建物で、歴代天皇の写経が納められているのは【 】である。※般若心経の写経。(2018)
[0511]二条城にある建物で、6棟の国宝が東南から北西にかけて雁行形に立ち並ぶ御殿を【①】という。(2011)/大広間から黒書院に続く大廊下を【②】という。(2009)/最も奥に位置し、将軍の居間と寝室であったと考えられている建物を【 】という。(2016)
[0512]知恩院の門前に住んだ扇絵師で、高級手描き染色を創始したとされるのは【 】である。(2008)(2018)
[0513]京都市学校歴史博物館の建物は、【■■■小学校】の校舎を利用しており、白川石を使った石塀や立派な正門が残っている。(2019)
[0514]先斗町では、5月に「鴨川をどり」、10月に【 】が開催される。(2011)
[0515]天然記念物に指定されている九重ザクラは、光厳法皇が創建した【 】にある。※特別天然記念物ではない。※鷹峯にある寺院との混同に注意。(2021)
[0516]唐から伝来した散楽や日本古来の諸芸が交じり合い、後に能や狂言に発展したのは【 】である。(2008)
[0517]舞妓が10月に挿す花簪は【 】である。(2010)
[0518]「煙草王」と呼ばれた【村井吉兵衛】が東山に建てた【 】は、ロココ様式を取り入れた洋館で、京都市指定の文化財である。(2008)
[0519]源頼義が六条醒ヶ井に創建した後に現在地に移り、陶祖神の椎根津彦命が合祀されて「陶器神社」とも呼ばれる神社は【 】であり、8月7日から10日まで陶器祭が行われ、8月8日には陶器神輿が巡行する。(2006)(2008)(2023)
[0520]応仁・文明の乱の当事者で、【日野富子】の夫の弟にあたるのは【 】である。(2017)
[0521]【東福門院(和子)】の女御御殿として使用されていたとされる建物が移築されたのが大覚寺の【 】である。(2018)
[0522]室町幕府の御用絵師となり、狩野派の祖となったのは【 】である。(2019)(2021)
[0523]周りを海に囲まれる天橋立神社に湧き出る塩味を含まない淡水を【 】といい、環境省の「名水百選」に選ばれている。(2022)
[0524]仁和寺の再興を支援した将軍は【 】である。(2013)/東寺五重塔は、現存する木造塔として最高の高さで、寛永21(1644)年、【 】によって再建された。(2017)/知恩院の現在の御影堂を建てた将軍は【 】である。(2019)
[0525]天明の大火で焼失した京都御所は、寛政元(1789)年から2年にかけて、有職故実家【①】が書いた【②】に基づき、復古的に再建された。(2010)(2018)
[0526]京都出身の実業家で、フランスのリュミエール兄弟から「シネマトグラフ」を買い取り、明治30(1897)年に【元立誠小学校】敷地内で日本初の映画試写を行ったのは【 】である。(2018)
[0527]『山州名跡志』によれば、修学院から延暦寺へと続く音羽川沿いの山道は、夕雲が覆い、都からは雲が生ずるようにも見え、【 】と呼ばれた。(2005)(2012)
[0528]谷崎潤一郎の『細雪』で「まことに此処の花を措いて京洛の春を代表するものはない」と賞賛されているのは【 】の桜である。(2008)/6月1~2日に【京都薪能】が行われるのは【 】である。(2010)/時代祭行列の到着場所は【 】である。(2011)/7代目小川治兵衛が作庭した神苑があるのは【 】である。(2018)
[0529]京都市考古資料館として活用されている建物は西陣織物館として建てられたものであるが、設計したのは【 】である。(2015)
[0530]「因幡堂縁起」には、【 】が因幡堂(平等寺)を創建した経過や本尊の薬師如来像の来歴が書かれている。(2019)
[0531]12月7~8日、大報恩寺千本釈迦堂)では無病息災を願う【 】が行われる。※有償提供。(2012)
[0532]全国的にも知名度の高い日本酒製造業者が酒づくりを行ってきた地域は【 】である。(2012)
[0533]日本料理の体系のうちの一つで、公家社会で発達した宴会料理を【 】という。(2022)
[0534]「300年を紡ぐ絹が織り成す【 】回廊」は日本遺産に認定されている。(2017)
[0535]「春はあけぼの」で始まる随筆を書いたのは【 】である。(2006)(2007)/泉涌寺にある石碑に刻まれた「夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」の歌を詠んだのは【 】で、晩年を泉涌寺の近くで過ごしたとも伝わる。(2010)(2016)
[0536]小堀遠州江戸幕府における役職のうち、京都に関わりの深いものは【 】である。(2015)
[0537]東本願寺に伝わる「坂東本」と呼ばれる国宝の親鸞自筆の書物を【 】という。※京都国立博物館に寄託。(2007)
[0538]元治元(1864)年、長州軍と御所を守る薩摩・会津などの幕府軍との戦いは、激戦地となった京都御苑西側の門の名をとって【 】とも呼ばれる。(2012)/松平容保が自ら京都御所を守った戦いは【 】である。(2013)
[0539]延暦13(794)年、「この国、山河襟帯、自然に城をなす。この形勝によりて新号を制すべし。よろしく山背国を改め山城国となすべし。また子来の民、謳歌の輩、異口同辞し、【 】と号す」という詔が出された。(2007)
[0540]後水尾天皇八条宮智忠親王らと親交があり、随筆『にぎはひ草』を書いた京都の豪商・文人は【 】である。(2012)
[0541]【長楽寺】の庭園を作庭したとされるのは【 】である。(2019)
[0542]平成19(2007)年、時代祭に【■■時代列】が加わった。※逆臣が活躍した時代。(2006)(2011)
[0543]京丹後市丹後町間人の出身で、百三十銀行、南海鉄道、大阪紡績などを設立した【 】は、百三十銀行の破綻整理のため全財産を提供し実業界を引退した。(2020)
[0544]文久3(1863)年に刊行された『京(花洛)羽津根』によれば、現在の東山区宮川筋一丁目と二丁目の境を東西に通じる【■■辻子】は、寛文8年(1668)年に開通したとされる。(2011)
[0545]現在の衣棚通三条通から六角通までの部分は、その地に住んだ茶人にちなんで【 】とも呼ばれる。(2021)
[0546]知恩院の山内で最も古い建物は【 】である。(2019)
[0547]北野天満宮の門前茶屋では、餡餅ときな粉餅の2種が名物菓子【 】として販売されている。※長五郎餅との混同に注意。(2009)(2013)
[0548]西国三十三所の第19番札所は【 】である。(2007)/「都七福神まいり」の社寺のうち、寿老神をまつるのは【 】である。(2010)
[0549]平清盛の母とされる人物で、京都御苑内の【厳島神社】の祭神として宗像三女神とともにまつられているのは【 】である。(2021)
[0550]「東山三十六峰」の中で最も北にある山は【 】である。(2010)/後水尾天皇の幡枝御所であった圓通寺の枯山水庭園は【 】を借景としている。(2020)
[0551]かつて「幻の都」と呼ばれた長岡京の解明に業績を残した人物で、長岡京市内の記念館でその功績が紹介されているのは【 】である。※長岡宮跡は向日市内にある。(2017)
[0552]香川景樹を祖とする和歌の流派は【 】で、『古今和歌集』を重視した。(2015)
[0553]黄檗萬福寺を開いた【隠元隆琦】が中国から伝えた精進料理を【 】という。(2009)(2022)
[0554]冷泉家の初代当主は【 】である。(2017)
[0555]2003年の祇園祭の山一番は、前祭が【①】、後祭が【②】だった。(2006)(2007)(2022)
[0556]現在の京都御所の前身となった里内裏は【 】である。(2007)
[0557]元伊勢と称する籠神社の本殿の建築様式は、伊勢神宮と同じ【 】である。(2019)
[0558]菅原道真の母をまつる北野天満宮の摂社は【 】である。※公式サイトでは「摂社」扱い。(2018)
[0559]平清盛の【西八条第】の鎮守社として創建された神社で、社前に清盛手植えと伝わる大楠があるのは【 】である。(2018)
[0560]羽柴秀吉明智光秀が勝敗を決した戦いを【 】という。(2019)
[0561]「谷御所」とも呼ばれ、日光椿など100種類以上の椿がある鹿ケ谷の尼門跡寺院は【 】である。(2006)
[0562]【足利義持】の時代に活躍した画僧で、東福寺の大涅槃図を描いたのは【 】である。(2020)
[0563]円山応挙を中心とする画派を【 】という。(2013)
[0564]6月1~2日に平安神宮で行われる伝統芸能の公演を【 】という。(2005)(2012)(2021)
[0565]太秦初の映画撮影所を開設したのは、俳優の田村高廣・正和・亮の父としても知られる【 】のプロダクションだった。(2021)
[0566]番組小学校には、火事の発見や時刻を知らせるために【 】があったが、現在は元有済小学校校舎の屋上に唯一現存し、国の登録有形文化財になっている。(2019)
[0567]「勘亭流」を作った岡崎屋勘六は、江戸時代の公文書の書体となった御家流を学んだといわれるが、その御家流の発祥の寺院は【 】である。(2011)
[0568]かつて白峯神宮の地に邸宅があり、蹴鞠と和歌の宗家だったのは【 家】である。(2005)
[0569]松平容保が京都で在任した幕府の役職の役割は【 】である。(2013)
[0570]たらしこみ技法を考案した俵屋宗達を祖とする画派を【 】という。(2005)/本阿弥光悦などを祖とする画派を【 】という。(2010)
[0571]西本願寺の御用菓子【松風】は、石山本願寺織田信長に攻められた際の門徒たちの兵糧に由来するが、菓子名の由来となった歌を詠んだ人物は【 】である。※「わすれては 波のおとかと おもうなり まくらにちかき 庭の松風」。(2014)
[0572]京都市上京区にある三時知恩寺は尼門跡寺院であり、【 】とも呼ばれた。(2020)
[0573]豊臣秀吉をまつる豊国廟がある山は【 】である。(2013)
[0574]寛平6(894)年に派遣を取り止めた外交使節は【 】である。(2018)
[0575]京田辺市内の寺院で、実際に1000本の手を持つ千手観音立像を本尊とし、かつては東側に鶴沢の池が広がっていたのは【 】である。(2014)(2020)
[0576]江戸後期の京焼の陶工で、主に煎茶器を制作し、青蓮院粟田御所の御用焼物師となったのは【 】である。(2008)(2017)
[0577]「月はおぼろに東山 かすむ夜ごとのかがり火に 夢もいざよふ紅ざくら しのぶおもひを ふりそでに 祇園恋しや だらりの帯よ」と作詞したのは【①】である。(2007)(2008)/【円山公園】には、「月はおぼろに東山」で始まる【②】の歌詞を刻んだ石碑がある。(2019)
[0578]梨木神社には、物理学者の【湯川秀樹】や『雨月物語』を書いた【 】の歌を刻んだ石碑がある。(2011)
[0579]千利休が茶頭として仕えた人物は【 】である。(2006)/永禄11(1568)年、足利義昭を擁して上洛し、京都の都市政策を進めた人物は【 】である。(2013)
[0580]平成20年(2008)年に行われた記念事業で、「古典の日」が法制化されるきっかけとなったのは【 】である。(2012)
[0581]祇園甲部の始業式は、京舞井上流家元による【 】の舞で締めくくられる。(2010)(2022)
[0582]『雍州府志』にも記録され、辛味がないことから「甘長」と呼ばれたり、市場で「青ト」の愛称で親しまれている京の伝統野菜は【 】である。(2010)
[0583]祇園祭の粽に付けられる護符には、【牛頭天王】の故事にちなんで【 】と書かれている。(2008)
[0584]【日本外史】を書いた儒学者で、「三十六峰外史」とも号し、京都の風景美を「山紫水明」と表現して書斎の名称にも用い、長楽寺に葬られたのは【 】である。(2011)(2013)
[0585]本阿弥光悦が作った国宝の硯箱は【 】である。(2010)
[0586]琵琶湖疎水の第3トンネル西口の扁額に【三条実美】が揮毫した字句は【 】である。※東口は松方正義の「過雨看松色」。(2017)
[0587]八坂神社の境内末社の祭神は容姿端麗だったとの言い伝えがあり、【 】の前には美容水が湧き出ている。(2012)(2022)
[0588]2月23日に醍醐寺の金堂で行われる行事で、金堂前では大鏡餅を抱え上げる時間を競う奉納餅上げ大会が行われるのは【 】である。(2008)
[0589]千本三条の北東角には、かつて在原行平が創設した【 】があり、その跡を示す石標がある。(2019)
[0590]小野妹子の子である小野毛人の経歴が書かれ、国宝に指定されている墓誌は、【 】の裏山から発見されたものである。(2012)
[0591]後水尾上皇が造営した山荘は【 】である。(2006)
[0592]指定替えで誕生した国定公園で、福知山市舞鶴市宮津市京丹後市伊根町与謝野町にまたがるのは【 】である。(2007)
[0593]仁和寺の北西方向には、四国八十八ヵ所霊場を縮小した参拝道が設けられた【 山】がある。(2013)
[0594]重要文化財の絵巻「泣不動縁起」を所有する【 】では、2013年に能楽「泣不動」が上演された。※国宝絵画の「阿弥陀三尊像」とともに京都国立博物館に寄託。(2013)/清和天皇の勅願により円仁が四宗兼学の禁裏内道場として建立したのが始まりとされる寺院で、現在は浄土宗の京都四箇本山の一つとなっているのは【 】である。(2016)
[0595]明治28(1895)年、京都電気鉄道は東洞院塩小路と伏見【■■■町】の間に日本初の路面電車を開業した。(2012)
[0596]京都府画学校を修了し「アレ夕立に」や「斑猫」などを描き、京都画壇を代表する画家となり第1回文化勲章を受けたのは【 】である。(2020)
[0597]冷泉家などで行われている旧暦7月7日の七夕行事を【 】という。(2012)(2017)(2022)
[0598]東寺の【講堂】には空海の手による「立体曼荼羅」と呼ばれる仏像群が並び、五智如来の中心には密教の教主とされる【 】が安置されている。(2013)
[0599]『広辞苑』の編纂者として知られ、北区小山中溝町に旧宅が残るのは【 】である。(2019)
[0600]六道珍皇寺がある地域は、東の葬地であった【 】の入口にあたる。

[0501]水上勉
[0502]神童寺
[0503]近松門左衛門
[0504]北観音山
[0505]安養寺
[0506]結崎座
[0507]①ならの小川/②藤原家隆
[0508]月延石
[0509]弥次喜多
[0510](勅封)心経殿
[0511]二の丸御殿/蘇鉄の間/白書院
[0512]宮崎友禅斎
[0513]元開智小学校
[0514]水明会
[0515]常照皇寺
[0516]猿楽
[0517]菊
[0518]長楽館
[0519]若宮八幡宮社
[0520]足利義視
[0521]宸殿
[0522]狩野正信
[0523]磯清水
[0524]徳川家光
[0525]①裏松固禅/②大内裏図考証
[0526]稲畑勝太郎
[0527]雲母坂
[0528]平安神宮
[0529]本野精吾
[0530]橘行平
[0531]大根焚き
[0532]伏見
[0533]大饗料理
[0534]丹後ちりめん
[0535]清少納言
[0536]作事奉行・伏見奉行
[0537]教行信証
[0538]禁門の変蛤御門の変
[0539]平安京
[0540]灰屋紹益
[0541]相阿弥
[0542]室町時代
[0543]松本重太郎
[0544]団栗辻子
[0545]了頓図子
[0546]勢至堂
[0547]粟餅
[0548]革堂行願寺
[0549]祇園女御
[0550]比叡山
[0551]中山修一
[0552]桂園派
[0553]普茶料理
[0554]冷泉為相
[0555]①山伏山/②浄妙山
[0556]土御門東洞院殿
[0557]唯一神明造
[0558]伴氏社
[0559]若一神社
[0560]山崎の戦い
[0561]霊鑑寺
[0562]明兆
[0563]円山派
[0564]京都薪能
[0565]阪東妻三郎
[0566]太鼓望楼
[0567]青蓮院
[0568]飛鳥井家
[0569]京都の治安維持と御所・二条城の警護
[0570]琳派
[0571]顕如
[0572]入江御所
[0573]阿弥陀ヶ峰
[0574]遣唐使
[0575]寿宝寺
[0576]青木木米
[0577]①長田幹彦/②祇園小唄
[0578]上田秋成
[0579]織田信長
[0580]源氏物語千年紀
[0581]倭文
[0582]伏見とうがらし
[0583]蘇民将来之子孫也
[0584]頼山陽
[0585]舟橋蒔絵硯箱
[0586]美哉山河
[0587]美御前社
[0588]五大力尊仁王会
[0589]奨学院
[0590]崇道神社
[0591]修学院離宮
[0592]丹後天橋立大江山国定公園
[0593]成就山
[0594]清浄華院
[0595]下油掛町
[0596]竹内栖鳳
[0597]乞巧奠
[0598]大日如来
[0599]新村出
[0600]鳥辺野

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