夜光杯雑記帳

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京都検定1級用語集 百本ノック 0501~0600

[0501]光悦寺は、本阿弥光悦徳川家康から拝領した【鷹峯】に草庵を結び【 】を建てたのが始まりで、その後、日慈が開山となり寺院となった。(2015)
[0502]南禅寺発祥の地で、亀山法皇の作庭ともいわれる史跡・名勝の池泉回遊式庭園は心字島を特徴とし、方丈などが桂昌院の寄進で再建されたのは【 】である。※特別史跡特別名勝ではない。(2016)
[0503]主に洛北の農家の女性が「野菜どうどすえ、おいしおすえ」の呼び声で、大八車に積んだ朝採りの野菜を売りに来ていた販売方法を【 】という。(2020)
[0504]小堀遠州の茶道の真髄は、わび・さびの精神に美しさ、明るさ、豊かさを加える【 】である。(2015)
[0505]天文5(1536)年、比叡山延暦寺の衆徒と洛中の日蓮宗を信仰する町衆が争い、日蓮宗寺院が焼かれ下京が焼失した戦いを【 】という。(2021)
[0506]山内容堂名の大政奉還建白書の提出を主導した土佐藩士は【 】である。(2017)
[0507]与謝蕪村に絵画や俳諧を学び、蕪村の死後は円山応挙との交流を深めて影響を受け、その住まいから四条派と呼ばれる流派の祖となった絵師は【 】である。(2016)
[0508]祇園祭の粽に付けられる護符には、【牛頭天王】の故事にちなんで【 】と書かれている。(2008)
[0509]2023年の京都の顔見世興行は【 月 日から 月 日まで】行われた。(2010)
[0510]1月8日から14日まで東寺で行われる行事は【 】である。(2009)(2023)
[0511]大正15(1926)年に阪東妻三郎が建てた撮影所が発展したものが、現在の【 】京都撮影所である。(2013)
[0512]琵琶湖疎水の第3トンネル西口の扁額に【三条実美】が揮毫した字句は【 】である。※東口は松方正義の「過雨看松色」。(2017)
[0513]「東山三十六峰」の中で最も北にある山は【 】である。(2010)/後水尾天皇の幡枝御所であった圓通寺の枯山水庭園は【 】を借景としている。(2020)
[0514]【片山東熊】が設計し明治28(1895)年に完成したのは、【 】の明治古都館である。※旧帝国京都博物館の本館。(2012)
[0515]斎藤道三の書状と伝わる「美濃一国譲り状」を所蔵するのは【 】である。(2020)/狩野派歴代の墓がある日蓮宗の寺院は【 】である。(2021)
[0516]後に第2代京都府知事となった槇村正直は、殖産興業の一環として、明治3(1870)年に【①】を中心に【②】を開設し、石鹸・ラムネ・ビールなどの製造や技術指導を行った。(2005)(2009)(2010)(2022)
[0517]葵祭室町時代後期と明治期に中絶しているが、明治4(1871)年の中絶後、明治17(1884)年に再興した人物は【 】である。(2006)(2015)
[0518]石川丈山が造営した詩仙堂は、正しくは【 】と呼ばれ、でこぼこした土地に建てた住居を意味する。(2017)
[0519]寛平6(894)年に派遣を取り止めた外交使節は【 】である。(2018)
[0520]【池坊専好(2代)】以降の歴代家元の墓碑がある寺院は【 】である。(2019)
[0521]9月15日に三勅祭の一つに数えられた例祭が行われる神社は【 】である。(2007)
[0522]方広寺にある重要文化財の梵鐘に刻まれている計8文字の字句で、「大坂冬の陣」の契機となったのは【 】である。(2011)
[0523]「モダニズム建築の旗手」と呼ばれ、京都会館(現ロームシアター京都)を設計したのは【 】である。(2010)(2018)
[0524]初代坂田藤十郎が「伊左衛門」役を演じた歌舞伎の演目は【 】である。(2009)
[0525]自筆本が国宝となっている歌論書『古来風躰抄』を書いたのは【 】である。※冷泉家時雨亭文庫が所蔵。(2017)
[0526]栂尾の高山寺は、鎌倉時代華厳宗中興の祖である【 】によって再興され、国宝の「鳥獣戯画」を所蔵する。(2008)/高山寺が所蔵する国宝の肖像画に樹の上で座禅をしている姿が描かれている人物は【 】である。(2020)
[0527]平等院鳳凰堂の本尊である国宝の阿弥陀如来坐像は、【 】が寄木造の技法で作ったものである。(2006)(2008)
[0528]豊臣秀吉をまつる豊国廟がある山は【 】である。(2013)
[0529]菓子屋の当主が大峰山霊夢を受けて作ったのが始まりといわれ、7月16日限定で販売される京菓子は【 】である。※2022年に発売中止となったことがある。(2007)
[0530]新選組の参謀を務めたが、活動方針の相違から離脱して御陵衛士高台寺党)を結成した後、近藤勇らの謀略により七条油小路で暗殺されたのは【 】である。(2016)
[0531]松永尺五(昌三)は松永貞徳の子で、春秋館や尺五堂のほか東堀川二条に私塾【 】を開設し、門弟の中には【貝原益軒】や【木下順庵】らがいた。(2019)
[0532]京町家の中のカマドは「おくどさん」とも呼ばれるが、上部の吹き抜けになっている空間を【 】という。(2020)
[0533]後に第2代京都府知事となった槇村正直が行った京都近代化政策の一つは、日本最初の【 】64校の開校である。(2005)
[0534]重要伝統的建造物群保存地区に選定されている伊根浦において、海に面した特徴的な建造物を【 】という。(2015)
[0535]修学院離宮の下離宮にあり、後水尾上皇の御座所とされた建物を【 】という。(2016)
[0536]大堰川高瀬川を開削し、嵐山に千光寺を建立したのは【 】である。(2005)(2011)
[0537]下賀茂社下鴨神社の正式名称を【 】という。(2008)(2013)
[0538]神護寺には、空海が唐から請来したものを手本に書写したとされる、日本現存最古の両界曼荼羅図である【 】が伝えられており、国宝に指定されている。(2012)
[0539]現在の亀岡市内の神社で、足利尊氏が元弘3(1333)年に鎌倉幕府の倒幕を祈願し、挙兵した場所は【 】である。(2020)
[0540]京都国立博物館のPR大使を務めるマスコットキャラクターの愛称は【 】である。(2019)
[0541]「応仁の乱勃発地」の石標が建つ神社は【 】である。(2006)(2008)/その神社の名物菓子である【 】は、疫病除けの煎餅としてふるまわれたのが起源といわれる。(2005)
[0542]お茶屋の代表的な遊びで、浄瑠璃の『国姓爺合戦』にちなむ三すくみの「拳」を【 】という。(2020)
[0543]幕末に京都所司代や老中を務め、淀藩最後の藩主となったのは【 】である。(2019)
[0544]志明院の境内南側にあるシャクナゲなどの植生は京都市の天然記念物となっているが、志明院が舞台となっている歌舞伎の演目を【 】という。※歌舞伎十八番のうちの一つ。(2005)
[0545]2019年に国宝となった五智如来坐像を京都国立博物館に寄託している寺院は【 】である。※5体とも国宝。(2019)
[0546]後水尾上皇が造営した山荘は【 】である。(2006)
[0547]八坂神社の境内末社の祭神は容姿端麗だったとの言い伝えがあり、【 】の前には美容水が湧き出ている。(2012)(2022)
[0548]「鷲の図」と「竹林図」は東寺塔頭の【①】にあり、【②】が描いたものである。(2006)(2019)
[0549]二条城二の丸御殿遠侍は国宝であるが、その若松の間に描かれた天井画は天井全体が一つの絵画になっており、【 図】という。(2013)
[0550]文久2(1862)年に岩倉具視が一旦失脚したときに出家隠棲した寺院で、境内に歯牙塚が残るのは【 】である。(2017)
[0551]足利義満が春屋妙葩を開山として建立した【 】には二層宝形の舎利殿枯山水庭園があり、京福電鉄の最寄り駅は【 】である。(2009)(2012)(2017)
[0552]「谷御所」とも呼ばれ、日光椿など100種類以上の椿がある鹿ケ谷の尼門跡寺院は【 】である。(2006)
[0553]南禅寺の境内にあり、琵琶湖疎水の分線が流れる半円アーチ式煉瓦造の建造物を【 】という。(2006)(2016)
[0554]多くの京町家に見られる建築構造で、外壁面に柱が露出しているものを【 】という。(2015)
[0555]京都市三大事業(第二疎水、上水道、道路拡築・電気軌道敷設)を推進したのは、第2代京都市長【 】であった。(2009)
[0556]京丹後市丹後町間人の出身で、百三十銀行、南海鉄道、大阪紡績などを設立した【 】は、百三十銀行の破綻整理のため全財産を提供し実業界を引退した。(2020)
[0557]重要文化財の絵巻「泣不動縁起」を所有する【 】では、2013年に能楽「泣不動」が上演された。※国宝絵画の「阿弥陀三尊像」とともに京都国立博物館に寄託。(2013)/清和天皇の勅願により円仁が四宗兼学の禁裏内道場として建立したのが始まりとされる寺院で、現在は浄土宗の京都四箇本山の一つとなっているのは【 】である。(2016)
[0558]征夷大将軍として蝦夷征討に功績があり、「王城の守護神」とあがめられた人物で、清水寺の創建に尽力したのは【 】である。(2020)
[0559]京都府立図書館や京都市役所本館を設計したのは【 】である。(2006)(2012)
[0560]山号を歌中山といい、西郷隆盛月照が密談した郭公亭という茶室があった寺院は【 】である。(2017)(2022)
[0561]四条寺町の御旅所に隣接する八坂神社の境外末社で、商売上の駆け引きの罪などを払う「誓文払い」の神として信仰されている神社は【 】である。(2019)
[0562]「勘亭流」を作った岡崎屋勘六は、江戸時代の公文書の書体となった御家流を学んだといわれるが、その御家流の発祥の寺院は【 】である。(2011)
[0563]昭和40年代、京焼・清水焼の窯元の一部は、恵まれた創作環境を求めて宇治市北部の【 】という山あいの地域に移転した。(2021)
[0564]「遮那王が 背くらべ石を 山に見て わがこころなほ 明日を待つかな」という与謝野鉄幹の歌を刻んだ石碑が立つ寺院は【 】である。(2008)/源義経が牛若丸として幼少期を過ごした寺院は【 】である。(2012)
[0565]観世流の宗家が江戸に移った後、町衆の間で流行した【①】の師範を務めた家を総称して【②】という。(2008)(2015)/その家名は、【③家】、【④家】、【⑤家】、【⑥家】、【⑦ 家】である。※今も残るのは家名を50音順に並べて最後に来る一家のみ。(2011)
[0566]イタリアにある京都市姉妹都市で、錦市場と友好協定を締結した市場があるのは【 】である。(2022)
[0567]現存する国宝の曜変天目茶碗は3碗あり、そのうちの1碗を所蔵するのが大徳寺塔頭【①】である。※他に所蔵するのは、東京都千代田区静嘉堂文庫美術館大阪市都島区藤田美術館。(2019)/その塔頭には、小堀遠州が江月宗玩のために建てた国宝の茶室【②】があり、その書院床には南宋の密庵咸傑による国宝の墨蹟が掛けられて「密庵床」と呼ばれた。(2015)(2022)
[0568]木津川市加茂町・当尾の里にある寺院で、本尊の阿弥陀如来坐像や三重塔などの重要文化財を有し、アジサイの名所としても知られるのは【 】である。(2014)/隅鬼が垂木を支える重要文化財の三重塔があるのは【 】である。(2017)
[0569]京の台所を支えた名水として知られるのは【 】である。(2022)
[0570]洛中では現存最古となる国宝の本堂がある【 】は、行快が作った重要文化財の釈迦如来坐像を秘仏本尊として所蔵する。※普段は非公開。(2019)
[0571]京都の旦那が芸舞妓や幇間の一八らを連れて山に登る筋書きの落語【 】では、火伏信仰で知られる山での「かわらけ投げ」で盛り上がりを迎える。(2021)
[0572]西国三十三所の第15番札所は【 】である。(2007)/医学の先人を顕彰する医聖堂や、日本最古の医書『医心方』の一千年記念碑が立つ泉涌寺塔頭は【 】である。(2018)
[0573]白峯神宮にある京都市指定天然記念物の【 】は、【飛鳥井家】の邸宅であった時代の植栽といわれ、樹齢800年ともいわれている。(2021)
[0574]京都市内に現存する最大規模の京町家住宅は、呉服商を営んだ【①家】のものであり、その屋号は【②】であった。(2005)(2011)
[0575]聖武天皇の勅願で良弁が創建した寺院が起源とされ、国宝の五重塔がある【 】は、【都名所図会】に概ね現在と同じ寺観が描かれている。(2005)(2015)
[0576]葵祭において、賀茂両社の社頭で駿河歌を歌い、楽器を奏する役を勤める武官を【 】という。(2015)
[0577]延暦寺の建物の中で、織田信長による焼き討ちを唯一免れたとされるのは、西塔にある【 】である。※重要文化財。(2021)
[0578]元和9(1623)年にできた淀藩の初代藩主となり、淀城を築城したのは【 】である。(2022)
[0579]国人や農民が協力して畠山氏を排除し、文明17(1485)年から約8年間自治を行ったことを【 】という。(2016)
[0580]源頼朝に「日本国第一の大天狗」と評された【①】は、今様集の【②】を編さんした。(2009)(2014)
[0581]松尾大社の境内に湧く名水を【 】という。(2015)
[0582]土御門殿を主要な邸宅とし、その隣接地に法成寺を創建したのは【 】である。(2017)
[0583]2月25日に北野天満宮で行われる祭りを【 】という。(2012)
[0584]尊王攘夷派の薩摩藩士で、文久2(1862)年の寺田屋事件で、鎮圧部隊の道島五郎兵衛を道連れに死亡したのは【 】である。(2020)
[0585]香川景樹を祖とする和歌の流派は【 】で、『古今和歌集』を重視した。(2015)
[0586]徳川家康は伊賀を目指して信楽街道を進み、瀬田道と交わる【①峠】を越え、山城と近江の国境である【②峠】を越えて信楽に入ったといわれる。(2023)
[0587]大徳寺塔頭で、豊臣秀吉織田信長の菩提を弔うために建てたのは【 】である。(2012)(2017)
[0588]東本願寺に伝わる「坂東本」と呼ばれる国宝の親鸞自筆の書物を【 】という。※京都国立博物館に寄託。(2007)
[0589]大林組の木村得三郎が和風の意匠を織り込んで設計し、昭和11(1936)年に竣工した【 】は、帝国ホテルとして2026年春の開業に向けて整備が進められている。(2012)(2021)
[0590]「くじ取らず」の山鉾のうち、後祭の1番は【 】である。(2008)/祇園祭の山鉾のうち、源義経と弁慶との決闘をテーマとしたものは【 】である。(2012)
[0591]桓武天皇の父で、三室戸寺を創建したとされるのは【 】である。(2019)
[0592]京の六地蔵めぐりのうち、桂地蔵をまつるのは【 】である。(2011)
[0593]明智光秀が最期を遂げた場所とされる明智藪は、京都市伏見区の【 】にある。(2015)(2019)
[0594]【日野富子】の木像が安置されている尼門跡寺院は【 】である。(2017)
[0595]随心院には小野小町が使ったとされる【 】があり、『都名所図会』にも記されている。(2016)
[0596]鞍馬寺は、鑑真の高弟であった【 】が宝亀元(770)年に毘沙門天をまつったことに由来する。(2021)
[0597]たらしこみ技法を考案した俵屋宗達を祖とする画派を【 】という。(2005)/本阿弥光悦などを祖とする画派を【 】という。(2010)
[0598]室町幕府8代将軍の足利義政が造営した東山殿(後の銀閣寺)は、夢窓疎石が再興した臨済宗寺院の【  】をモデルとして造られた。(2011)
[0599]8月7日から10日にかけて【 】で陶器祭が行われ、8日には陶器神輿が巡行する。(2008)(2013)
[0600]豊臣政権の五奉行として活躍した人物で、三条大橋の工事を担当してその擬宝珠に名前が刻まれているのは【 】である。(2021)

[0501]法華題目堂
[0502]南禅院
[0503]振り売り
[0504]綺麗さび
[0505]天文法華の乱
[0506]後藤象二郎
[0507]松村月渓(呉春)
[0508]蘇民将来之子孫也
[0509]12月1日から12月24日まで
[0510]後七日御修法
[0511]東映
[0512]美哉山河
[0513]比叡山
[0514]京都国立博物館
[0515]妙覚寺
[0516]①明石博高/②舎密局
[0517]岩倉具視
[0518]凹凸窠
[0519]遣唐使
[0520]善想寺
[0521]石清水八幡宮
[0522]国家安康 君臣豊楽
[0523]前川國男
[0524]夕霧名残の正月
[0525]藤原俊成
[0526]明恵
[0527]定朝
[0528]阿弥陀ヶ峰
[0529]行者餅
[0530]伊東甲子太郎
[0531]講習堂
[0532]火袋
[0533]小学校
[0534]舟屋
[0535]寿月観
[0536]角倉了以
[0537]賀茂御祖神社
[0538]高雄曼荼羅
[0539]篠村八幡宮
[0540]トラりん
[0541]①上御霊神社/②唐板
[0542]虎拳
[0543]稲葉正邦
[0544]鳴神
[0545]安祥寺
[0546]修学院離宮
[0547]美御前社
[0548]①観智院/②宮本武蔵
[0549]葡萄図
[0550]霊源寺
[0551]鹿王院
[0552]霊鑑寺
[0553]水路閣
[0554]真壁造
[0555]西郷菊次郎
[0556]松本重太郎
[0557]清浄華院
[0558]坂上田村麻呂
[0559]武田五一
[0560]清閑寺
[0561]冠者殿社
[0562]青蓮院
[0563]炭山
[0564]鞍馬寺
[0565]①素謡/②京観世五軒家/③浅野家/④井上家/⑤岩井家/⑥薗家/⑦林家
[0566]フィレンツェ
[0567]①龍光院/②密庵
[0568]岩船寺
[0569]錦の水
[0570]大報恩寺千本釈迦堂
[0571]愛宕山
[0572]今熊野観音寺
[0573]オガタマノキ
[0574]①杉本家/②奈良屋
[0575]海住山寺
[0576]陪従
[0577]瑠璃堂
[0578]松平定綱
[0579]山城の国一揆
[0580]①後白河法皇/②梁塵秘抄
[0581]亀の井
[0582]藤原道長
[0583]梅花祭
[0584]有馬新七
[0585]桂園派
[0586]①松峠/②裏白峠
[0587]総見院
[0588]教行信証
[0589]弥栄会館
[0590]橋弁慶山
[0591]光仁天皇
[0592]地蔵寺
[0593]小栗栖
[0594]宝鏡寺
[0595]化粧井戸
[0596]鑑禎
[0597]琳派
[0598]西芳寺
[0599]五条坂
[0600]増田長盛

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