夜光杯雑記帳

小ネタが輝く、万華鏡のようなブログを目指します

京都検定1級用語集 百本ノック 0301~0400

[0301]法師が木に登って賀茂の競馬を見物する情景が書かれている文学作品は、【吉田兼好】の【 】である。(2010)
[0302]日本初の官許の花街となった島原には、揚屋建築の【 】が残る。(2011)
[0303]梶井基次郎の小説のうち、「私」が爆弾に見立てたものを京都の書店に置く描写があるのは【 】である。(2016)
[0304]東寺塔頭の【観智院】が所蔵する「鷲の図」と「竹林図」を描いたのは【 】である。(2019)
[0305]【光格天皇】の父である閑院宮典仁親王は、明治時代に【 天皇】の尊号を追号された。(2019)
[0306]文久2(1862)年に創建され孝明天皇の勅願所となった神社で、参道入口に逆立ちしている備前焼狛犬があるのは【 】である。※黒住教。(2020)
[0307]京の台所を支えた名水として知られるのは【 】である。(2022)
[0308]西国三十三所の第21番札所で、横たわった釈迦涅槃像や身代わり観音の伝説があるのは【 】である。(2007)(2018)
[0309]ある僧侶が菜の葉と塩を黒豆にまぶしたものを参詣聴聞者にふるまったのが始まりとされる豆菓子は【 】である。※僧侶の名は真盛/豊臣秀吉は「茶味に適す」と賞賛し、細川幽斎は「苔のむす豆」と評した。(2020)
[0310]香具商の熊谷直孝は、日本で初めての小学校である【 】を開校し、それが後の柳池小学校となった。(2019)
[0311]室町幕府8代将軍の足利義政が造営した東山殿(後の銀閣寺)は、夢窓疎石が再興した臨済宗寺院の【  】をモデルとして造られた。(2011)
[0312]明治4(1871)年、日本初の博覧会は【 】の書院で行われた。※内国勧業博覧会との混同に注意。(2009)
[0313]2月の初午の日に食べる辛子和えに用いる野菜で、京都府の「京の伝統野菜」に指定されているのは【 】である。※京のブランド産品には指定されていない。(2008)
[0314]第3代京都府知事の【 】は、琵琶湖疎水事業を推進した。(2007)(2008)
[0315]江戸時代には京都を地盤に禁裏能などで活躍し、京流とも呼ばれた狂言の流派は【 】である。(2005)/その流派を創始し、宮中への参勤を主として活動しながら尾張徳川家に召し抱えられたのは【 】である。※和泉元彌民事訴訟で流派の宗家とは認めらず、現在は宗家不在。(2016)
[0316]葵祭の行列における最高位者は【 】である。(2008)
[0317]陸軍第16師団司令部庁舎は、現在、【 】となっている。(2009)
[0318]菖蒲の節句発祥の神社といわれ、勝運と馬の神社としても知られているのは【 】である。(2005)
[0319]石川丈山が造営した詩仙堂は、正しくは【 】と呼ばれ、でこぼこした土地に建てた住居を意味する。(2017)
[0320]日本初となる竪杭工法が採用された琵琶湖疎水の第一トンネルは、【 山】を貫いている。※大津市域から山科区域まで続く最長のトンネル。(2015)
[0321]京都市右京区にある【小倉山】の東北麓に位置し、鳥辺野、蓮台野とともに葬送の地であったのは【 】である。(2013)
[0322]千宗旦の次男【①】は【②家】を興し、讃岐高松松平家の茶道指南を務めた。(2006)(2010)/【②家】の代名詞ともなっている茶室【 】は、道具畳と客畳との間に幅約15cmの半板が敷かれ、主客に余裕を持たせるよう工夫されている。(2022)
[0323]延暦寺の建物の中で、織田信長による焼き討ちを唯一免れたとされるのは、西塔にある【 】である。※重要文化財。(2021)
[0324]「鳥羽伏見戦跡」の石標は【 橋】付近にある。(2022)
[0325]後白河法皇が造営した院御所を【①】という。(2014)/後白河法皇の身代わり不動を本尊とし、明治時代まで法皇の御陵を守ってきたのは【②】である。(2019)
[0326]大原の天台声明の道場に始まる【 】は、融通念仏の宗祖良忍により再興され、薬師・釈迦・阿弥陀の三尊を本尊としている。(2009)
[0327]南観音山では、祇園祭宵山の深夜に御神体を神輿に縛り付け、激しく揺らしながら町内を巡る儀式が行われるが、これを【 】という。(2015)
[0328]平安京のように大内裏を北端に置く都市を【 】という。(2022)
[0329]大徳寺塔頭の【聚光院】方丈にある襖絵は、【 】・永徳の父子が描いたものである。※国宝指定の現物は京都国立博物館に寄託され、現地にあるのはデジタル複製品。(2014)
[0330]東本願寺が分かれた際の西本願寺の宗主は【 】である。※そのときの東本願寺門主教如。(2017)
[0331]後醍醐天皇の菩提を弔うために天龍寺を創建するにあたり、その費用調達のための天龍寺船が派遣された当時の中国王朝は【 】である。(2022)
[0332]石清水八幡宮の神使は「鳩」、吉田神社の神使は【 】である。(2013)
[0333]小倉百人一首のうち、名古曽滝を題材とした和歌を詠んだのは【 】である。(2018)
[0334]仁和寺の御室御殿には重要文化財の茶室が2つあり、光格天皇遺愛の茶室は【①】、尾形光琳ゆかりと伝わる茶室は【②】である。(2023)
[0335]後水尾法皇実弟の邸宅に貴船の鎮宅霊符神を勧請したことに始まる寺院で、「鎮宅さん」と呼ばれるのは【 】である。(2016)
[0336]琵琶湖疎水工事の責任者は【 】であった。(2007)
[0337]医者から転じて独自の煎茶道を創案し、その家元として公家や文人煎茶道を流行させ、のちにその喫茶法を『喫茶弁』として出版したのは【 】である。(2009)(2016)
[0338]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、刺繡は【 】である。(2006)
[0339]現存最古といわれる船底天井図は、三千院【 】の天井に描かれており、同寺内の「円融蔵」に原寸大で復元展示されている。(2013)
[0340]京舞に親しんでもらうため、井上八千代が出演し数十名の参加者で行われる催しを【 】という。(2009)
[0341]世阿弥が『風姿花伝』の後に悟り得た芸の神髄を書いたものを【 】という。(2014)
[0342]天台宗門跡寺院であり、「黄不動」の通称で知られる国宝の不動明王像を所有するのは【 】である。※現物は京都国立博物館に寄託。(2006)
[0343]西国三十三所の第16番札所は【 】である。(2005)(2007)/能の演目の一つである「田村」の題材となった縁起を持つ寺院は【 】である。(2011)
[0344]桓武天皇に平安遷都を進言したのは【 】である。(2009)/造営大夫として平安建都に尽力し、江戸時代に「護王大明神」の神号を授けられ、護王神社にまつられているのは【 】である。(2018)
[0345]三千家のうち、千宗旦四男の仙叟宗室に始まり茶室【今日庵】があるのは【 】である。(2006)
[0346]京都初の映画撮影所は、【 】の西南隅櫓の向かい側に開設された。(2013)/現在の京都御苑の北部分にあった【桂宮邸】の建物は【 】に移築されている。※明治27(1894)年に移築され本丸御殿となる。(2018)
[0347]後に第2代京都府知事となった槇村正直が行った京都近代化政策の一つは、女性教育機関である【 】の開設である。(2005)
[0348]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、和装飾用、帯締め、羽織ひも、和洋服飾品などに使われるものを【 】という。(2006)(2008)
[0349]大堰川高瀬川を開削し、嵐山に千光寺を建立したのは【 】である。(2005)(2011)
[0350]祇園祭の山鉾のうち、中国の『二十四孝』から題材を取り、「筍山」とも呼ばれるのは【 】である。(2011)
[0351]築堤工事によって伏見港と宇治川との間が船で通航できなくなったため、昭和4(1929)年に宇治川と濠川の合流点に建設した施設を【 】という。(2015)
[0352]後鳥羽上皇は【 】に配流された。(2021)
[0353]「京都府の鳥」に指定され、舞鶴市の冠島が繁殖地として知られるのは【 】である。(2009)
[0354]随心院には小野小町が使ったとされる【 】があり、『都名所図会』にも記されている。(2016)
[0355]京都府派遣留学生であった【稲畑勝太郎】は、学友であったリュミエール兄弟から「シネマトグラフ」を購入し、明治30(1897)年、現在の【元■■小学校】(当時は京都電燈株式会社)の敷地で日本初の映写を行った。(2013)
[0356]清水寺の西門下にある石燈籠に虎の絵を刻んだ絵師は【 】である。※燈籠らしくない外観。(2022)
[0357]西国三十三所の第17番札所は【 】である。(2007)/「都七福神まいり」の社寺のうち、弁財天をまつるのは【 】である。(2010)
[0358]延暦寺の東塔にある全山の総本堂を【①】といい、そこには最澄が刻んだとされる本尊の薬師如来像が安置され、最澄が灯した【②の法灯】が一隅を照らし続けている。(2013)
[0359]『平安通志』60巻の編さんに携わった歴史家で、相国寺の近くにその住居が残るのは【 】である。(2020)
[0360]二条城は、徳川家康征夷大将軍の宣下を受ける際の居館として、京都所司代【 】を総奉行として築かれた。(2010)(2014)
[0361]本阿弥光悦が作庭したとされる「三巴の庭」がある寺院は【 】である。(2010)
[0362]丹後地方に伝わる安寿姫と厨子王の説話を題材にした森鴎外の小説は【 】である。(2017)
[0363]2020年に京都市左京区岡崎でリニューアルオープンした美術館は【 】である。※所在する円勝寺町には京都国立近代美術館もある。(2020)
[0364]二条城の障壁画・襖絵を描いた画派を【 】という。(2011)
[0365]後鳥羽上皇が集めた騎馬の武士を表現した時代祭行列を【 】といい、平安講社第四社の奉仕によるものである。(2021)
[0366]万治2(1659)年、後水尾上皇の山荘(現在の修学院離宮)に招かれ、日記『隔蓂記』に「御庭の滝風景凡そ眼を驚かせ、肝胆に徹するものなり」と書いたのは【 】である。(2017)
[0367]文久2(1862)年に【①職】を拝命した【②藩】の藩主【③】は、配下の新選組を使って尊王攘夷運動を取り締まった。(2009)(2013)
[0368]大文字山を支峰とする山で、かつて三井寺の別院が山中にあったことに由来して名付けられたのは【 】である。(2013)
[0369]橋本関雪の邸宅であった「白沙村荘」に残る52畳の大画室を【 】という。(2013)
[0370]明治5(1872)年に京都博覧会の附博覧として披露された「都をどり」を振り付けし、六世片山九郎右衛門と結婚して京舞能楽の交流を深めたのは【 】である。※四世は八世片山九郎右衛門と結婚。(2013)(2016)
[0371]陰暦の6月16日に厄除招福を願って食べた菓子を【 】という。※和菓子の日の由来。(2018)
[0372]後に第2代京都府知事となった槇村正直が行った京都近代化政策の一つは、南北の道路【 】の建設である。(2005)
[0373]小塩山の中腹にある寺院で、明治時代の神仏分離の際に愛宕神社の【勝軍地蔵】が遷されてまつられているのは【 】である。(2017)
[0374]東福寺の開山となり、応長元(1311)年に日本初の国師号となる聖一国師の号を贈られたのは【 】である。(2019)
[0375]梁などを支える寺社建築の部材で、装飾として使われることもあるものを【 】という。(2013)
[0376]京都大学の教授であったとき、日本人初のノーベル賞を受賞したのは【 】である。(2010)
[0377]豊国神社が所蔵する「豊国祭礼図屏風」を描いたのは【 】である。(2021)
[0378]時代祭行列の出発場所は【 】である。※堺町御門から丸太町通に出る。(2011)
[0379]藤森神社の境内社のうち、社殿が重要文化財となっているのは、【①】と【②】である。(2014)
[0380]2011年は法然上人の【 年】の遠忌であった。(2011)
[0381]牛若丸(源義経)が奥州に出発する時に道中の安全を祈願したとされる神社は【 】である。※承安4(1174)年のこと。(2011)(2012)
[0382]「くじ取らず」の山鉾のうち、前祭の21番は【 】である。(2008)/2023年に与謝蕪村の「琴棋書画図」を下絵に刺繡を施した下水引を244年ぶりに復元新調したのは【 】である。(2023)
[0383]「月はおぼろに東山 かすむ夜ごとのかがり火に 夢もいざよふ紅ざくら しのぶおもひを ふりそでに 祇園恋しや だらりの帯よ」と刻まれている石碑がある場所は【 】である。(2008)/7代目【小川治兵衛】が作庭した京都市東山区の公園は【 】である。(2018)
[0384]大徳寺塔頭の真珠庵が所蔵する「花鳥図」を描いたことで知られ、長年途絶えていた朝廷の絵所預に復帰したことから土佐家中興の祖とも呼ばれている江戸時代を代表する絵師は誰か。
[0385]後白河法皇が編さんした今様の歌謡集を【 】という。(2014)
[0386]松尾大社の最も近くにある境外摂社は【 】である。(2015)
[0387]茶の湯で出される菓子のうち、落雁・煎餅・有平糖などの薄茶用のものを干菓子といい、蒸・生菓子などの濃茶用のものを【 】という。(2010)
[0388]京都にある3つのよきものを「女子、【①】の水、寺社」と『羇旅漫録』に書いたのは【②】である。※漢字表記に注意。(2006)(2013)
[0389]不審庵は、もともと利休の屋敷にあった茶室であり、大徳寺117世の【 】が「不審花開今日春」という禅語からつけたとされる。(2022)
[0390]2月25日に北野天満宮で行われる祭りを【 】という。(2012)
[0391]江戸時代の伝説的人物である白幽子が晩年を過ごし、富岡鉄斎による「白幽子巌居之蹟」の石碑が残り、また、臨済宗中興の祖である白隠の著書『夜船閑話』に登場する山は【 】である。(2013)
[0392]源義経の母にゆかりがあり、京の六地蔵めぐりの一つでもある【源光寺】の最寄り駅は、京福電鉄の【 駅】である。(2012)
[0393]新選組の参謀を務めたが、活動方針の相違から離脱して御陵衛士高台寺党)を結成した後、近藤勇らの謀略により七条油小路で暗殺されたのは【 】である。(2016)
[0394]南座の顔見世興行のまねき看板に出演者の名前が墨書される書体を【 】という。(2006)(2010)(2012)
[0395]鹿ケ谷にある【霊鑑寺】は椿が有名な尼門跡寺院で、「谷御所」とか【鹿ケ谷■■■御所】と呼ばれる。(2014)
[0396]フランスから輸入したジャカード機の国内製造に成功した西陣の機大工は【 】である。(2009)
[0397]山内容堂名での大政奉還建白書の提出を主導した土佐藩士は【 】である。(2017)
[0398]京都市三大事業(第二疎水、上水道、道路拡築・電気軌道敷設)を推進したのは、第2代京都市長【 】であった。(2009)
[0399]現在の智積院明王殿は、【 】の本堂が移築されたものである。(2017)
[0400]都をどりが開催される会場は【 】である。※改修時期は別会場開催だった。(2016)

[0301]徒然草
[0302]角屋
[0303]檸檬(レモン)
[0304]宮本武蔵
[0305]慶光天皇
[0306]宗忠神社
[0307]錦の水
[0308]穴太寺
[0309]真盛豆
[0310]上京第二十七番組小学校
[0311]西芳寺
[0312]西本願寺
[0313]畑菜
[0314]北垣国道
[0315]和泉流
[0316]勅使(近衛使
[0317]聖母女学院本館
[0318]藤森神社
[0319]凹凸窠
[0320]長等山
[0321]化野
[0322]①一翁宗守/②武者小路千家/③官休庵
[0323]瑠璃堂
[0324]小枝橋
[0325]①法住寺殿/②法住寺
[0326]来迎院
[0327]あばれ観音
[0328]北闕型都市
[0329]狩野松栄
[0330]准如
[0331]元
[0332]鹿
[0333]藤原公任
[0334]①飛濤亭/②遼廓亭
[0335]閑臥庵
[0336]田邊朔郎
[0337]小川可進
[0338]京繍
[0339]往生極楽院
[0340]澪の会
[0341]花鏡
[0342]曼殊院
[0343]清水寺
[0344]和気清麻呂
[0345]裏千家
[0346]二条城
[0347]女紅場
[0348]京くみひも
[0349]角倉了以
[0350]孟宗山
[0351]三栖閘門
[0352]隠岐
[0353]オオミズナギドリ
[0354]化粧井戸
[0355]元立誠小学校
[0356]岸駒
[0357]六波羅蜜寺
[0358]①根本中堂/②不滅の法灯
[0359]湯本文彦
[0360]板倉勝重
[0361]本法寺
[0362]山椒太夫
[0363]京都市京セラ美術館
[0364]狩野派
[0365]城南流鏑馬
[0366]鳳林承章
[0367]①京都守護職/②会津藩/③松平容保
[0368]如意ヶ岳
[0369]存古楼
[0370]片山春子
[0371]嘉祥菓子
[0372]新京極通
[0373]金蔵寺
[0374]円爾
[0375]蟇股
[0376]湯川秀樹
[0377]狩野内膳
[0378]京都御所
[0379]①大将軍社/②八幡宮
[0380]800年
[0381]首途八幡宮
[0382]放下鉾
[0383]円山公園
[0384]土佐光起
[0385]梁塵秘抄
[0386]月読神社
[0387]主菓子
[0388]①加茂川/②滝沢馬琴
[0389]古渓宗陳
[0390]梅花祭
[0391]瓜生山
[0392]常盤駅
[0393]伊東甲子太郎
[0394]勘亭流
[0395]鹿ケ谷比丘尼御所
[0396]荒木小平
[0397]後藤象二郎
[0398]西郷菊次郎
[0399]大雲院
[0400]祇園甲部歌舞練場

目次に戻る