夜光杯雑記帳

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京都検定1級用語集 百本ノック 0301~0400

[0301]瑞龍図とされる【①】法堂の天井画を描いたのは【②】である。※「雲龍」にも見えるが、寺院サイトでは「蟠龍」。(2013)(2018)
[0302]【日野富子】の子で、室町幕府9代将軍となったのは【 】である。(2017)
[0303]菖蒲の節句発祥の神社といわれ、勝運と馬の神社としても知られているのは【 】である。(2005)
[0304]京都御所の正門を【①門】という。(2007)/5月15日、勅使や斎王代の行列は御所の【①門】前を出発する。(2006)/時代祭行列の出発前に、【①門】の前で行われる祭事を【②】という。(2015)
[0305]重要伝統的建造物群保存地区のうち、与謝野町にあるのは【 】である。(2009)
[0306]平安京に遷都する前の都は【 】である。(2005)
[0307]東寺、仁和寺とともに京都三弘法の一つに数えられ、太田垣蓮月が晩年に隠棲した寺院は【 】である。(2008)(2020)
[0308]「天神さん」の縁日が行われる神社は【 】である。(2009)
[0309]京都御所の正殿を【 】という。(2007)
[0310]「風狂の僧」として知られ、応仁・文明の乱で荒廃した大徳寺の住持を務めたのは【①】である。(2019)/その僧がの中興して晩年を過ごした寺院で、その僧の等身大の像があり、「一休寺」とか「薪の一休寺」とも呼ばれるのは【②】である。(2014)
[0311]空海が唐から持ち帰った国宝の経典で、仁和寺が所蔵する国宝の宝相華迦陵頻伽蒔絵𡑮冊子箱に納められているものを【 】という。(2018)
[0312]現存最古といわれる船底天井図は、三千院【 】の天井に描かれており、同寺内の「円融蔵」に原寸大で復元展示されている。(2013)
[0313]京町家の2階部分に見られるもので、漆喰塗りの格子を付けた窓を【 】という。(2013)
[0314]西国三十三所の第11番札所は【 】である。(2007)
[0315]江戸時代に御所から仁和寺に移築された国宝の建造物は【 】である。※紫宸殿を移築。(2013)
[0316]孤峯庵、里子、慈念が登場する小説は【 】である。(2007)/【水上勉】は13歳まで相国寺瑞春院で修行した体験をもとに、昭和36(1961)年に【 】を発表し、直木賞を受賞した。(2022)
[0317]「京都美術協会雑誌」の編集者を務め、画家・図案家として琳派を継承しつつ近代デザインの先駆者となったのは【 】である。(2023)
[0318]「弘法さん」の縁日が行われる日は【毎月■■日】である。(2009)
[0319]祇園甲部の始業式は、京舞井上流家元による【 】の舞で締めくくられる。(2010)(2022)
[0320]本堂に重要文化財聖徳太子像が安置されている浄土真宗の寺院で、飛鳥時代に織られ江戸後期に法隆寺から贈られた太子ゆかりの蜀江錦の一種である「法隆寺裂」が2021年に見つかったのは【 】である。(2021)
[0321]鴨川の上流にあり「京の奥座敷」といわれ、夏の期間に川床料理が味わえるのは【 】である。(2010)
[0322]仁和寺の北西方向には、四国八十八ヵ所霊場を縮小した参拝道が設けられた【 山】がある。(2013)
[0323]第3代京都府知事の【 】は、琵琶湖疎水事業を推進した。(2007)(2008)
[0324]神護寺が所蔵する国宝の似絵(肖像画)は、「伝源頼朝像」、「伝平重盛像」、【 】である。(2014)
[0325]1986年から都道府県持ち回りで開催されており、2011年は京都府での開催となった文化祭典を【 】という。(2010)
[0326]【宝鏡寺】に立つ人形塚には【 】の歌碑がある。(2012)
[0327]元和元(1615)年、江戸幕府は、天皇と公家のあり方を定める【 】を制定した。(2007)
[0328]下鴨神社の門前で販売されている名物菓子を【 】という。(2020)
[0329]江戸時代には京都を地盤に禁裏能などで活躍し、京流とも呼ばれた狂言の流派は【①】である。(2005)/その流派を創始し、宮中への参勤を主として活動しながら尾張徳川家に召し抱えられたのは【②】である。※和泉元彌民事訴訟で流派の宗家とは認めらず、現在は宗家不在。(2016)
[0330]三蹟のうちの一人で、本能寺が所蔵する国宝の「本能寺切」と呼ばれる書巻を書いたのは【 】である。※他の三蹟小野道風と藤理佐里。京都鳩居堂が所蔵する「仮名消息」(古文書)も国宝。「白氏詩巻」も国宝だが京都府内にはない。(2006)
[0331]フランスから輸入したジャカード機の国内製造に成功した西陣の機大工は【 】である。(2009)
[0332]京都出身の医者で、戦国武将の信頼を受け医学校・啓迪院を開き、「医聖」と呼ばれたのは【 】である。(2018)
[0333]旧明倫小学校の建物は現在、【 】として活用されている。(2019)
[0334]神護寺の鎮守として空海宇佐神宮から勧請したといわれ、44面の花卉が描かれた「花の天井」がある神社は【 】である。(2019)
[0335]天神川は北区鷹峯に源を発し、北野天満宮の付近から上流を【①川】と呼び、下流を天神川と呼ぶことが一般的であるが、その名称は平安時代の図書寮の別称【②院】に由来する。(2020)
[0336]木津川市内の寺院で、重要文化財不動明王立像(白不動)を所蔵し、蔵王権現を本尊とすることから「北吉野」とも呼ばれるのは【 】である。(2014)
[0337]東福寺方丈庭園を作庭したのは【 】である。(2012)
[0338]スポーツの日の前々日から15日にかけて行われる粟田神社の神事・行事を総称して【 】と呼び、神輿を先導する剣鉾は祇園祭の鉾の原型ともいわれる。※知恩院や瓜生石との関わりに注意。(2011)(2017)
[0339]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、木製品、金属製品、木彫仏、仏画軸を指すものを【 】という。※11世紀初頭の七条仏所で本格的な製作が始まった。(2006)
[0340]3月最終日曜日に随心院で行われる行事を【 】という。(2016)
[0341]重要伝統的建造物群保存地区のうち、伊根町にあるのは【 】である。(2009)
[0342]【西芳寺】庭園の上段は枯山水庭園、下段は池泉回遊式庭園となっており、下段の【 】は心字池とも呼ばれる。※史跡・特別名勝。(2018)
[0343]7月15日から24日までの期間のみ開放される烏丸通に面する井戸は【 】である。(2022)
[0344]萬福寺で行事や儀式の刻限を報じるために使われる魚の形をした法器を【 】といい、黄檗宗寺院に特有のものである。(2022)
[0345]最澄が作ったとされる薬師如来を本尊とし、西行や平康頼が庵住した寺院は【 】である。(2022)
[0346]鞍馬寺にある国宝の毘沙門天立像は、【ながめるように■■をかざしている】。(2013)
[0347]乙訓地域最大の前方後円墳で、多量の鉄製土器が出土したのは【 】である。※長岡京市にあり、「乙訓古墳群」として史跡指定。(2020)
[0348]慶長6(1601)年、徳川家康は伏見に銀貨の鋳造所を設けたが、銀座役人を世襲した家名を【 】という。※江戸の銀座より早い。(2020)
[0349]銀閣寺の本堂前の庭園には、白砂を円錐台形にした【①】と、白砂で波紋を表現した【②】がある。(2010)(2017)
[0350]西陣聖天とも呼ばれる雨宝院の本堂前の八重桜は、【 】と呼ばれ根元から花が咲く。(2016)
[0351]八幡山が所蔵する祇園祭礼図の屏風を描いたのは【 】である。※友松の子。(2018)
[0352]延暦寺の東塔にある総本堂を【①】といい、そこには最澄が刻んだとされる本尊の薬師如来像が安置され、最澄が灯した【②の法灯】が一隅を照らし続けている。(2013)
[0353]寛永年間の二条城大改修で現在の本丸西南部に天守閣が設けられた際、当初の天守閣は【 】に移築された。(2015)
[0354]東舞鶴にある見学施設で、所蔵する資料がユネスコの「世界の記憶」に登録されているのは【 】である。(2015)
[0355]大覚寺にあり5体とも重要文化財となっている五大明王像は、円派を代表する仏師【 】の作品である。(2015)
[0356]梨木神社には、物理学者の【湯川秀樹】や『雨月物語』を書いた【 】の歌を刻んだ石碑がある。(2011)
[0357]菅原道真の父は【 】である。(2018)
[0358]京の六地蔵めぐりのうち、山科地蔵をまつるのは【 】である。(2011)
[0359]「ちぎりをく 花とならびの 丘のへに あはれいくよの 春をすぐさむ」の歌を刻んだ石碑がある寺院は【 】である。(2008)
[0360]千宗旦が隠居所に設けた茶室は四男の仙叟宗室に継承され、【①】という庵号に託された精神を受け継いだのは【②家】である。(2006)(2022)
[0361]中根金作が作庭した余香苑は、妙心寺塔頭の【①】にあり、水滴が落下する音を楽しむ【②】がある。(2012)
[0362]天龍寺の庭園は【 】が作庭したとされ、近景の亀山や遠景の嵐山を借景とした池泉回遊式で、史跡・特別名勝である。(2005)/西芳寺は「苔寺」とも呼ばれるが、その庭園は【 】が作庭したとされ、史跡・特別名勝である。(2008)/後醍醐天皇足利尊氏が帰依した【 】は、天龍寺庭園、西芳寺庭園などを作庭した。(2012)
[0363]舞妓が9月に挿す花簪は【 】である。(2005)
[0364]昼は朝廷に仕え、夜は六道珍皇寺の井戸を通って閻魔大王に仕えたという伝説が残る人物は【 】である。(2008)(2014)
[0365]現在の智積院明王殿は、【 】の本堂が移築されたものである。(2017)
[0366]「市屋道場」とか「一夜道場」と呼ばれる寺院で、重要文化財の「遊行上人絵巻」を所蔵するのは【 】である。(2022)
[0367]時代祭と同じ日に京都三大奇祭のうちの一つを行う神社は【 】である。※他の三大奇祭は牛祭とやすらい祭。重要無形文化財「やすらい花」は今宮など4地区に伝承される。(2016)
[0368]泉涌寺の山内寺院であり、洛陽三十三所観音霊場の札所の一つでもあり、「ばんだい号」の遺族によって本堂が寄進されたのは【 】である。(2019)
[0369]八臂弁財天像を本尊とする寺院で、7月の第4日曜日に弁天祭が行われるのは【 】である。※弘法大師坐像も本尊かどうか要調査。(2014)
[0370]銀閣寺にある国宝建造物のうち、付書院や違い棚を備えた四畳半の【同仁斎】があるのは【 】である。※他の国宝建造物は「銀閣」。(2014)
[0371]陰暦の6月16日に厄除招福を願って食べた菓子を【 】という。※和菓子の日の由来。(2018)
[0372]国宝の「風神雷神図」を描いたのは【 】である。(2006)/京都国立博物館が所蔵する「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」の書は本阿弥光悦によるもので、鶴の絵は【 】が描いたものである。(2022)
[0373]冷泉家などで行われている旧暦7月7日の七夕行事を【 】という。(2012)(2017)(2022)
[0374]『平安通志』60巻の編さんに携わった歴史家で、相国寺の近くにその住居が残るのは【 】である。(2020)
[0375]推古2(594)年に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うため建立した寺院で、聖徳太子の乳母であった玉照姫が初代住持と伝わるのは【 】である。(2021)
[0376]永観堂が建立される以前にこの地に住み、「奥山の 岩垣紅葉 散りぬべし、照る日の光 見る時なくて」(『古今和歌集』)と詠んだのは【 】である。(2009)
[0377]足利尊氏は、後醍醐天皇の冥福を祈るため、【 上皇】が亀山殿を造営した地に天龍寺を創建した。(2005)/皇統が持明院統大覚寺統に分かれる原因を作ったのは【 天皇】である。(2020)/車折神社に「正一位車折大明神」の神号を与えたと伝わるのは【 天皇】である。(2017)
[0378]金地院を再興し、江戸幕府の政治に参画して「黒衣の宰相」とも呼ばれ、禁中並公家諸法度を起草したのは【 】である。(2019)(2022)
[0379]『古今和歌集』を編さんさせ、延暦21(921)年には空海に大師号を賜与したのは【 天皇】である。(2021)
[0380]祇園祭の山鉾のうち、平井保昌と【和泉式部】の恋物語をテーマとし、円山応挙の下絵を刺繡した前懸と胴懸があるのは【 】である。(2013)
[0381]平清盛の【西八条第】の鎮守社として創建された神社で、社前に清盛手植えと伝わる大楠があるのは【 】である。(2018)
[0382]服部宗巴・宗碩父子を継ぎ、明治以降は観世流宗家と親族関係となり、関西の観世流の総支配人的な役割を担っているのは【 家】である。(2007)
[0383]妙心寺塔頭【退蔵院】にある国宝の水墨画【①】は、【②】が描いたものである。(2006)(2011)
[0384]交差点で山鉾を直角に方向転換させることを【 】という。(2009)
[0385]平安時代に疫病が流行した際、当時の国数に倣った66本の鉾を立て、神輿を【 】に送ったのが祇園祭の始まりとされている。(2006)/源義経静御前と出会ったとされる場所は【 】である。(2012)
[0386]2月3日に境内の天岩戸をくぐる「ぬけ参り」を行うと厄が抜けるとされる神社は【 】である。(2022)
[0387]5月5日の藤森祭(深草祭)で奉納される神事を【 】という。(2014)
[0388]8月16日午後8時から、大文字、妙法、船形、左大文字の順に点火され、最後は曼荼羅山に【 】がともされる。(2008)
[0389]桂離宮の造営を始めたのは【 】である。(2008)
[0390]5月12日の夜、新たに神霊を迎える上賀茂神社の神事を【 】という。(2012)
[0391]国風文化を代表する長編物語は【①】であり、それを書いたのは【②】である。(2006)(2007)
[0392]永徳の長男【 】が描いた「鳴き龍」とも呼ばれる蟠龍図があるのは【 】の法堂である。(2005)(2013)(2021)
[0393]京都南座の「吉例顔見世興行」のまねき看板が書かれる場所となっている寺院は【 】である。(2022)
[0394]【吉井勇】の歌碑が立ち、「かにかくに祭」が行われる場所にあったお茶屋「大友」の女将で、文芸芸妓として知られたのは【 】である。(2014)/御池大橋西詰にある石碑に刻まれた「春の川を 隔てゝ 男女哉」の句は、夏目漱石祇園お茶屋「大友」の女将【 】に贈ったものである。(2022)
[0395]昭和13(1938)年に近衛文麿が創設した【①】には、近衛家伝来の貴重な資料が数多く所蔵されており、藤原道長が書いた国宝の日記である【②】は、ユネスコの「世界の記憶」にも登録されている。(2009)(2019)(2023)
[0396]東寺は【■■■■寺】とも表記される。※法人名称でもあるが、「正式名称」と言うことには異論もあり。(2006)
[0397]石山本願寺織田信長に攻められた際の兵糧に由来する西本願寺の御用菓子を【 】という。(2008)/その菓子名の由来となった歌を詠んだ人物は【 】である。※「わすれては 波のおとかと おもうなり まくらにちかき 庭の松風」。(2014)
[0398]二条城の築城に際し、建設予定地の町家の立ち退きの様子を「町屋四、五千間モノクト云々」と記録する醍醐寺三宝院座主の日記を【 】という。(2017)
[0399]7月1日から5日までの間に山鉾町が行う神事始めの儀式を【 】という。(2016)
[0400]後に第2代京都府知事となった槇村正直が行った京都近代化政策の一つは、女性教育機関である【 】の開設である。(2005)

[0301]①南禅寺/②今尾景年
[0302]足利義尚
[0303]藤森神社
[0304]①建礼門/②行在所祭
[0305]加悦
[0306]長岡京
[0307]神光院
[0308]北野天満宮
[0309]紫宸殿
[0310]①一休宗純/②酬恩庵
[0311]三十帖冊子
[0312]往生極楽院
[0313]虫籠窓
[0314]醍醐寺上醍醐准胝堂)
[0315]金堂
[0316]雁の寺
[0317]神坂雪佳
[0318]毎月21日
[0319]倭文
[0320]佛光寺
[0321]貴船
[0322]成就山
[0323]北垣国道
[0324]伝藤原光能
[0325]国民文化祭
[0326]武者小路実篤
[0327]禁中並公家諸法度
[0328]みたらし団子
[0329]①和泉流/②山脇和泉元宜
[0330]藤原行成
[0331]荒木小平
[0332]曲直瀬道三
[0333]京都芸術センター
[0334]平岡八幡宮
[0335]①紙屋川/②紙屋院
[0336]神童寺
[0337]重森三玲
[0338]粟田祭
[0339]京仏具
[0340]はねず踊り
[0341]伊根浦
[0342]黄金池
[0343]御手洗井
[0344]開梆
[0345]雙林寺
[0346]ながめるように左手をかざしている
[0347]恵解山古墳
[0348]大黒常是
[0349]①向月台/②銀沙灘
[0350]歓喜
[0351]海北友雪
[0352]①根本中堂/②不滅の法灯
[0353]淀城
[0354]舞鶴引揚記念館
[0355]明円
[0356]上田秋成
[0357]菅原是善
[0358]徳林庵
[0359]長泉寺
[0360]①今日庵/②裏千家
[0361]①退蔵院/②水琴窟
[0362]夢窓疎石
[0363]桔梗
[0364]小野篁
[0365]大雲院
[0366]金光寺
[0367]由岐神社
[0368]善能寺
[0369]長建寺
[0370]東求堂
[0371]嘉祥菓子
[0372]俵屋宗達
[0373]乞巧奠
[0374]湯本文彦
[0375]寂光院
[0376]藤原関雄
[0377]後嵯峨天皇上皇
[0378]以心崇伝
[0379]醍醐天皇
[0380]保昌山
[0381]若一神社
[0382]片山家
[0383]①瓢鮎図/②如拙
[0384]辻回し
[0385]神泉苑
[0386]日向大神宮
[0387]駈馬神事
[0388]鳥居形
[0389]八条宮智仁
[0390]御阿礼神事
[0391]①源氏物語/②紫式部
[0392]①狩野光信/②相国寺
[0393]妙傳寺
[0394]磯田多佳
[0395]①陽明文庫/②御堂関白記
[0396]教王護国寺
[0397]①松風/②顕如
[0398]義演准后日記
[0399]切符入
[0400]女紅場

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