夜光杯雑記帳

小ネタが輝く、万華鏡のようなブログを目指します

京都検定1級用語集 百本ノック 0701~0800

[0701]方広寺にある重要文化財の梵鐘に刻まれている計8文字の字句で、「大坂冬の陣」の契機となったのは【 】である。(2011)
[0702]京都の顔見世興行が行われる劇場は【 】である。(2010)
[0703]【妙満寺】に伝わる安珍清姫の鐘の再鋳供養を題材にした能楽の演目は【 】である。(2005)
[0704]北野天満宮の祭神は【 】である。(2012)
[0705]太秦の多くの撮影所は戦時期に統合され、その後解散したが、その会社名は「【 】通り商店街」という名称の中に残っている。(2013)
[0706]伊藤若冲が数多く描いた動物は【 】である。(2016)
[0707]祇園の芸妓であったモルガンお雪は、明治37(1904)年にアメリカ人のモルガン氏(モルガン財閥創始者の甥)と結婚し、「日本のシンデレラ」として評判になり、お雪が信仰したといわれる【 神社】は、「働く女性の守り神」として信仰されている。※「働く女性の守り本尊」は五大堂同聚院。(2020)
[0708]明智光秀が仕えた室町幕府の将軍は【 】である。(2019)
[0709]承久の乱が起こったときの鎌倉幕府の執権は【 】である。(2021)
[0710]大覚寺が所蔵する重要文化財の太刀で、源頼光が土蜘蛛を切った伝説があるのは【 】である。(2021)
[0711]京都博覧会の付博覧として、京舞井上流の三世井上八千代が創設したのは【 】である。(2009)
[0712]重要伝統的建造物群保存地区のうち、地区内に五重塔があるのは【 】である。(2009)/伝統的建造物群保存地区の制度ができる前、【 】は京都市の「特別保全修景地区」制度による最初の指定地区であった。※祇園新橋も指定されていた。(2011)
[0713]神護寺が所有する重要文化財愛染明王坐像を作った慶派の仏師は【 】である。※東京国立博物館に寄託。(2017)
[0714]貞観8(866)年に日本初の大師号を賜与されたのは、最澄と第3代天台座主の【 】である。(2018)
[0715]「此比都ニハヤル物 夜討強盗謀綸旨」で始まる【 】は、後醍醐天皇の政治や世相を風刺したものである。(2009)
[0716]「都七福神まいり」の社寺のうち、布袋尊をまつるのは【 】である。(2010)
[0717]上京第二十五番組小学校(龍池小学校)は、現在、【 】として使用されている。(2009)
[0718]「夜泣き止め松」は、【 寺】5世であった日諦上人にまつわる伝承に由来する。(2015)
[0719]寺町通から高倉通まで続く「京の台所」と呼ばれる商店街は【 】である。(2012)
[0720]石山本願寺織田信長に攻められた際の兵糧に由来する西本願寺の御用菓子を【 】という。(2008)
[0721]雪舟の【天橋立図】にも描かれた丹後国一の宮で、宮司家の系譜を記した日本最古の系図として国宝に指定された「海部氏系図」を所蔵するのは【 】である。(2006)
[0722]第3代京都府知事となった北垣国道は、京都・【 】間車道を完成させた。(2009)
[0723]鳥羽離宮の東殿に建てられた寺院で、重要文化財阿弥陀如来坐像があり、本御塔は鳥羽天皇陵となったが焼失し、新御塔が近衛天皇陵となったのは【 】である。(2006)
[0724]七条大宮仏所を設けて院派の祖となった仏師は【 】である。※七条仏所との混同に注意。諸説あるが少なくとも定朝の縁者。(2018)
[0725]五摂家のうちの一つで、禁門の変蛤御門の変)で久坂玄瑞らの長州藩士が朝廷へ嘆願するために立てこもり、現在は京都御苑の堺町御門の北側にあった邸宅跡地に石柱が立つのは【 家】である。(2015)
[0726]光悦寺は、本阿弥光悦徳川家康から拝領した【鷹峯】に草庵を結び【 】を建てたのが始まりで、その後、日慈が開山となり寺院となった。(2015)
[0727]北野天満宮にある神木で、立冬から立春前日までに初雪が降ると天神が降臨して雪見しながら詩を詠むという伝説が残るのは【 】である。※天神さまの七不思議の一つ。(2015)
[0728]比叡山麓から産出され、石燈籠などの京石工芸品に使われてきた良質の花崗岩を【 】という。※現在は採石禁止。(2009)
[0729]角倉了以・素庵、伊藤仁斎・東涯らの墓があるのは【 】である。(2016)
[0730]【西芳寺】庭園の上段は枯山水庭園、下段は池泉回遊式庭園となっており、下段の【 】は心字池とも呼ばれる。※史跡・特別名勝。(2018)
[0731]平安時代織部司が置かれた地で織られ、現在の西陣織の基礎ともなった鎌倉時代ごろの先染めの絹織物を【 】という。(2011)
[0732]現在の石川県七尾市出身の絵師で、智積院に残る国宝の「楓図」を描いたのは【 】である。(2010)
[0733]【本阿弥光悦】、【近衛信尹】とともに【①】に数えられ、石清水八幡宮にゆかりの人物は【②】である。(2010)(2020)
[0734]修学院離宮の下離宮にあり、後水尾上皇の御座所とされた建物を【 】という。(2016)
[0735]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、江戸時代には武士階級に愛用され、明治時代に入ると国民の礼服として広まったものを【 】という。※江戸時代の「びんろうじ染」に代わり、現在は黒浸染と黒引染。(2006)
[0736]京丹後市網野町にあり、全長約200mに及ぶ日本海沿岸最大の前方後円墳は【 】である。(2015)
[0737]観阿弥世阿弥親子は、演技主体の猿楽能に【■■能】の歌舞や曲舞のリズムを取り入れ、夢幻能の様式を作り上げた。(2010)
[0738]京都市中京区の木屋町三条付近にある寺院で、角倉了以豊臣秀次とその一族を弔うために建立したのは【 】である。(2013)
[0739]孤峯庵、里子、慈念が登場する小説は【 】である。(2007)/【水上勉】は13歳まで相国寺瑞春院で修行した体験をもとに、昭和36(1961)年に【 】を発表し、直木賞を受賞した。(2022)
[0740]一時的な仮御所を【 】というが、光厳天皇が仮御所とした【土御門東洞院殿】は、現在の京都御所の前身となった。(2010)(2014)
[0741]小堀遠州龍光院内に建てた子院は【①】である。(2015)/大徳寺塔頭のうち、松平不昧が晩年に建てた大圓庵の茶室が2018年に復元されたのは【①】である。(2018)/十二畳からなる書院風の茶室【②】は、小堀遠州の設計で重要文化財。縁先の障子の下は吹き放ちになっており、近くに置かれた「露結の手水鉢」と寄燈籠、少し離れた書院直入軒の庭とを視覚的に結びつけている。(2008)(2022))
[0742]妙満寺清水寺北野天満宮の各成就院(成就坊)にあった「雪月花の三庭苑」を作庭したのは【 】である。※2022年に「花の庭」が復活/「月の庭」は現在も「成就院」にあると言える。(2014)(2022))
[0743]徳川家康の命で「伏見版」と呼ばれる活字本の印刷事業を行った寺院は【 】である。※現在は左京区一乗寺にある。(2022)
[0744]2019年に国宝となった五智如来坐像を京都国立博物館に寄託している寺院は【 】である。※5体とも国宝。(2019)
[0745]1997年開業の4代目京都駅ビルを設計したのは【 】である。(2007)
[0746]現在の亀岡市出身で、『都鄙問答』などを書いて石門心学の祖となったのは【 】であり、その門弟には手島堵庵などがいる。(2017)(2019)
[0747]落語「はてなの茶碗」は、清水寺の【■■の滝】近くの茶店で、茶道具屋が茶碗に興味を持ったことで話が展開していく。(2021)
[0748]京都市内の重要伝統的建造物群保存地区は、産寧坂、【 】、嵯峨鳥居本、上賀茂の4地区である。(2005)(2009)
[0749]「九重は 上がる下がるで むずかしい」の句を載せている元文元(1736)年刊行の雑俳集は【 】である。(2008)
[0750]京都の顔見世は【 】の興行である。(2010)
[0751]京の町家の内部の「通り庭」や「走り庭」と呼ばれる通路の中ほどに設けられる半間ほどの板や衝立を【 】という。(2010)(2015)
[0752]時代祭と同じ日に京都三大奇祭のうちの一つを行う神社は【 】である。※他の三大奇祭は牛祭とやすらい祭。重要無形文化財「やすらい花」は今宮など4地区に伝承される。(2016)
[0753]神泉苑で行われた祈雨の法会で西寺の僧・守敏と法力を競い、勝利したと伝わる東寺の僧は【 】である。(2019)
[0754]千利休が師事したとされる茶人は【 】である。(2006)/村田珠光を継承した【 】は四畳半より小さい茶室を考案している。(2022)
[0755]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、くくりの模様が子鹿の斑点に似ているとされるものを【 】という。(2006)(2022)
[0756]三条仏所の始祖で、広隆寺が所蔵する国宝の十二神将立像を作ったのは【 】である。※定朝の弟子。(2006)
[0757]主に洛北の農家の女性が「野菜どうどすえ、おいしおすえ」の呼び声で、大八車に積んだ朝採りの野菜を売りに来ていた販売方法を【 】という。(2020)
[0758]俵屋宗達が描いた「牛図」や俵屋宗達の墓があるのは【 】である。(2015)
[0759]京都市内に現存する最大規模の京町家住宅は、呉服商を営んだ【①家】のものであり、その屋号は【②】であった。(2005)(2011)
[0760]二条城は将軍上洛の際の居館として築かれたが、【徳川家光】の次に上洛した将軍は【 】である。(2005)
[0761]市聖空也にならって踊念仏を行い、時宗を創始したのは【 】である。※信濃踊念仏を始めた後に京都でも行う。(2015)
[0762]父から桂離宮を引き継いで整備したのは【 】である。(2008)
[0763]12月の第1土曜日、広沢池の水を抜いて鯉などを収穫する冬の風物詩を【 】という。(2012)
[0764]洛中では現存最古となる国宝の本堂がある【 】は、行快が作った重要文化財の釈迦如来坐像を秘仏本尊として所蔵する。※普段は非公開。(2019)
[0765]茶事における懐石料理の献立の構成は、【 】が基本である。(2011)
[0766]「小倉百人一首」に選ばれた大納言藤原公任の「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」の歌に詠まれている滝を【 】という。(2011)
[0767]現存する国宝の曜変天目茶碗は3碗あり、そのうちの1碗を所蔵するのが大徳寺塔頭【①】である。※他に所蔵するのは、東京都千代田区静嘉堂文庫美術館大阪市都島区藤田美術館。(2019)/その塔頭には、小堀遠州が江月宗玩のために建てた国宝の茶室【②】があり、その書院床には南宋の密庵咸傑による国宝の墨蹟が掛けられて「密庵床」と呼ばれた。(2015)(2022)
[0768]「天神さん」の縁日が行われる日は【毎月■■日】である。(2009)
[0769]落語『景清』では、失明した目貫師(彫金師)が【 】に日参したが失敗し、清水寺に日参したところ、平家方の豪傑だった悪七兵景清の目を与えられるという筋書きである。(2021)
[0770]毎年10月15日に鹿王院で開帳される仏牙舎利を宋の寺院から請来した鎌倉幕府の将軍は【 】である。(2018)(2022)
[0771]祇園祭の神輿3基のうち、錦市場を通る神輿を【 】という。※7/24還幸祭で通る。他の2つの神輿は中御座と東御座。(2022)
[0772]定朝の子とされ、七条仏所を開いたのは【 】である。※定朝の弟子説あり。(2021)
[0773]万治元(1658)年に中川喜雲が刊行した京都初の名所記は【 】である。(2007)(2018)
[0774]豊臣秀吉は、宇治川巨椋池から切り離すための【 】を築き、伏見城に水を引いた。(2007)
[0775]二条城の南にある重要文化財の住宅で、諸大名の宿泊施設として利用されたのは【 】である。(2022)
[0776]法然の教えの核心は【 】である。(2011)
[0777]京都市南区にある神社で、祇園祭の神輿を守護する2人の「久世駒形稚児」を出すのは【 】である。(2021)
[0778]小堀遠州が作庭した特別名勝の庭園があるのは、南禅寺塔頭の【 】である。(2007)
[0779]大将軍社の一つとされ、東天王社とも呼ばれる岡崎神社の神使とされる動物は【 】である。(2014)
[0780]琵琶湖疎水を建設した目的は【 】である。(2007)
[0781]神護寺には、空海が唐から請来したものを手本に書写したとされる、日本現存最古の両界曼荼羅図である【 】が伝えられており、国宝に指定されている。(2012)
[0782]1月第2日曜日に行われる全国都道府県対抗女子駅伝は、【 】を出発して国立京都国際会館前で折り返す。※男子駅伝は1月第3日曜日に広島市で開催。(2007)
[0783]大徳寺塔頭のうち、前田利家夫人の松子が創建し、「京の四閣」の一つとされる【吞湖閣】があるのは【 】である。(2010)
[0784]山鉾巡行の順番をくじで決めず、古例で決まっているものを【 】という。(2006)/その山鉾のうち、前祭の1番は【 】である。(2008)/2016年に【伊藤若冲】の原画をもとに見送を新調した山鉾は【 】である。(2016)
[0785]時代祭行列を運営する市民組織を【 】という。(2006)(2011)
[0786]天正16(1588)年、豊臣秀吉が造営した聚楽第行幸した天皇は【 】である。(2006)
[0787]2003年3月に始まった【京都・東山■■■】は、2022年3月をもって終了した。(2007)
[0788]知恩院の【瓜生石】には、【 】が降臨して一夜にして瓜が実ったという伝説があり、また、二条城へ続く抜け道の出入口とも言われる。(2016)
[0789]【藤森神社】の境内に3500株あるとされる花は【 】である。(2014)
[0790]初代海軍大臣を務めた人物で、琵琶湖疎水の第2トンネル西口の扁額に書かれている「随山到水源」の字句を揮毫したのは【 】である。※東口は井上馨の「仁以山悦智為水歓」。(2020)
[0791]京町家の間口が狭く奥行きが深いことを【 】と表現する。(2008)
[0792]千利休は、茶頭として織田信長や【 】に仕えた。(2006)
[0793]8月14日から16日まで東大谷墓地で【 万灯会】が行われる。(2008)
[0794]与謝蕪村と合作で国宝の「十便十宜図」を描いたのは【 】である。(2006)/その妻の玉瀾が時代祭の江戸時代婦人列に登場するのは【 】である。(2013)/2018年、深泥池貴船神社に【 】ゆかりの地の石碑が建立された。(2018)
[0795]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、型友禅の技術を生かして小さな文様を引き染めすることが多いものを【 】という。(2006)(2020)
[0796]大豆を原材料とし、豆腐と並んで京都を代表する食品は【 】である。(2012)
[0797]京都御所の正門を【①門】という。(2007)/5月15日、勅使や斎王代の行列は御所の【①門】前を出発する。(2006)/時代祭行列の出発前に、【①門】の前で行われる祭事を【②】という。(2015)
[0798]明治37(1904)年に竣工した重要文化財京都府庁旧本館は、創建時の姿をとどめる現役の官公庁の建物としては日本最古のものであるが、この建物を設計したのは【 】である。※1888年北海道庁旧本庁舎は現役庁舎ではない。愛知県本庁舎は1938年。(2012)
[0799]聖徳太子四天王寺建立の材木を求め、現在の六角堂がある地域を訪れたところ、太子の念持仏であった【 】が、この地にとどまって人々を救いたいと太子に告げたため、太子が御堂を建てて安置したとされる。(2021)
[0800]治承4(1180)年、後白河天皇の皇子であった【 】は諸国に平氏打倒の令旨を発したが失敗し、奈良興福寺へ向かう途中で討たれた。(2013)

[0701]国家安康 君臣豊楽
[0702]南座
[0703]道成寺
[0704]菅原道真
[0705]大映
[0706]鶏
[0707]折上稲荷神社
[0708]足利義昭
[0709]北条義時
[0710]膝丸
[0711]都をどり
[0712]産寧坂
[0713]康円
[0714]円仁
[0715]二条河原落書
[0716]萬福寺
[0717]京都国際マンガミュージアム
[0718]本隆寺
[0719]錦市場商店街
[0720]松風
[0721]籠神社
[0722]宮津
[0723]安楽寿院
[0724]院助
[0725]鷹司家
[0726]法華題目堂
[0727]影向松
[0728]白川石
[0729]二尊院
[0730]黄金池
[0731]大宮絹
[0732]長谷川等伯
[0733]①寛永の三筆/②松花堂昭乗
[0734]寿月観
[0735]京黒紋付染
[0736]銚子山古墳
[0737]田楽能
[0738]瑞泉寺
[0739]雁の寺
[0740]里内裏
[0741]①孤篷庵/②忘筌席
[0742]松永貞徳
[0743]圓光寺
[0744]安祥寺
[0745]原広司
[0746]石田梅岩
[0747]音羽の滝
[0748]祇園新橋
[0749]口よせ草
[0750]歌舞伎
[0751]嫁隠し
[0752]由岐神社
[0753]空海
[0754]武野紹鷗
[0755]京鹿の子絞
[0756]長勢
[0757]振り売り
[0758]頂妙寺
[0759]①杉本家/②奈良屋
[0760]徳川家茂
[0761]一遍
[0762]八条宮智忠
[0763]鯉揚げ
[0764]大報恩寺千本釈迦堂
[0765]一汁三菜
[0766]名古曽滝
[0767]①龍光院/②密庵
[0768]毎月25日
[0769]柳谷観音楊谷寺
[0770]源実朝
[0771]西御座
[0772]覚助
[0773]京童
[0774]太閤堤
[0775]小川家住宅
[0776]「南無阿弥陀仏」の念仏を唱える専修念仏
[0777]綾戸國中神社
[0778]金地院
[0779]うさぎ
[0780]動力源、物流、農業用水
[0781]高雄曼荼羅
[0782]たけびしスタジアム京都(西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場)
[0783]芳春院
[0784]①くじ取らず/②長刀鉾
[0785]平安講社
[0786]後陽成天皇
[0787]京都・東山花灯路
[0788]牛頭天王
[0789]紫陽花
[0790]西郷従道
[0791]鰻の寝床
[0792]豊臣秀吉
[0793]東大谷万灯会
[0794]池大雅
[0795]京小紋
[0796]ゆば
[0797]①建礼門/②行在所祭
[0798]松室重光
[0799]如意輪観音
[0800]以仁王

目次に戻る