夜光杯雑記帳

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京都検定1級用語集 百本ノック 0701~0800

[0701]北野天満宮の祭神は【 】である。(2012)
[0702]千本三条の北東角には、かつて在原行平が創設した【 】があり、その跡を示す石標がある。(2019)
[0703]法然を開山として知恩院の諸堂を興したのは【 】である。(2011)
[0704]木津川市内の寺院で、重要文化財不動明王立像(白不動)を所蔵し、蔵王権現を本尊とすることから「北吉野」とも呼ばれるのは【 】である。(2014)
[0705]世阿弥の能は、現在の【 流】へとつながる。(2005)
[0706]豊臣秀吉による都市改造の一つは、【 第】の建設である。(2005)
[0707]妙心寺塔頭【退蔵院】にある国宝の水墨画【①】は、【②】が描いたものである。(2006)(2011)
[0708]大国主命の故事にちなみ、境内の大国社の前に石造の狛鼠がある神社は【 】である。※本殿前は狛犬。(2018)
[0709]東山三十六峰の穏やかな景観を「布団着て 寝たる姿や 東山」と詠んだのは【 】である。(2012)
[0710]指定替えで誕生した国定公園で、福知山市舞鶴市宮津市京丹後市伊根町与謝野町にまたがるのは【 】である。(2007)
[0711]富岡鉄斎宮司を務めたこともあり、境内に芸能神社がある神社の鳥居がホームから見える京福電鉄の駅は【 】である。(2012)
[0712]仁和寺の再興を支援した将軍は【 】である。(2013)/東寺五重塔は、現存する木造塔として最高の高さで、寛永21(1644)年、【 】によって再建された。(2017)/知恩院の現在の御影堂を建てた将軍は【 】である。(2019)
[0713]日本画家の橋本関雪が造営し、大文字山を借景とした池泉回遊式庭園が広がる【 】では、庭園や同画伯の作品を公開している。※茶室は通常非公開。(2011)
[0714]丹後地方に伝わる安寿姫と厨子王の説話を題材にした森鴎外の小説は【 】である。(2017)
[0715]藤森神社の境内社のうち、社殿が重要文化財となっているのは、【①】と【②】である。(2014)
[0716]源氏物語の作者が仕えた一条天皇中宮は【 】である。※清少納言が仕えた人物との混同に注意。(2007)
[0717]4代目坂田藤十郎であった中村雁治郎は2020年に亡くなっているが、歴代の「坂田藤十郎」の屋号は【 】である。(2005)(2018)
[0718]神護寺が所有する重要文化財愛染明王坐像を作った慶派の仏師は【 】である。※東京国立博物館に寄託。(2017)
[0719]辰野金吾長野宇平治が設計し、明治39(1906)年に完成した旧日本銀行京都支店は、現在は重要文化財に指定され、【 】として活用されている。(2009)(2012)
[0720]延暦寺の建物の中で、織田信長による焼き討ちを唯一免れたとされるのは、西塔にある【 】である。※重要文化財。(2021)
[0721]氷河期以来の水生生物群集が天然記念物に指定されているのは【 池】である。※特別天然記念物ではない。(2007)
[0722]法輪寺には、本尊である【 】の化身とされる羊の像が境内にまつられている。(2015)
[0723]「くじ取らず」の山鉾のうち、後祭の1番は【 】である。(2008)/祇園祭の山鉾のうち、源義経と弁慶との決闘をテーマとしたものは【 】である。(2012)
[0724]京都府派遣留学生であった【稲畑勝太郎】は、学友であったリュミエール兄弟から「シネマトグラフ」を購入し、明治30(1897)年、現在の【元■■小学校】(当時は京都電燈株式会社)の敷地で日本初の映写を行った。(2013)
[0725]ある僧侶が菜の葉と塩を黒豆にまぶしたものを参詣聴聞者にふるまったのが始まりとされる豆菓子は【 】である。※僧侶の名は真盛/豊臣秀吉は「茶味に適す」と賞賛し、細川幽斎は「苔のむす豆」と評した。(2020)
[0726]京都御苑内の九條邸跡には、拾翠亭という茶室や【 】という邸内社が残る。(2018)
[0727]重要伝統的建造物群保存地区のうち、京都市右京区にあるのは【 】である。(2009)
[0728]8月14日から16日まで東大谷墓地で【 万灯会】が行われる。(2008)
[0729]六勝寺のうち、鳥羽天皇御願寺は【 】である。(2020)
[0730]千本三条の交差点から南東方向に続く道路は【 通】である。(2019)
[0731]葵祭斎王代列の女官のうち、馬に乗る巫女を【 】という。(2019)
[0732]大佛次郎の小説『帰郷』では、主人公の守屋恭吾と娘の伴子は【 】の境内で再会する。(2010)/2016年、北山大塔の「相輪」の一部と見られる青銅製の破片が【 】の境内から発掘された。(2017)
[0733]薬の町として栄えた二条通沿いにある【 】は、少彦名命、神農、ヒポクラテスなどの祭神をまつる。(2018)
[0734]門前に「迷子みちしるへ」と刻まれた石碑があるのは【 寺】である。※北野天満宮の奇縁氷人石、八坂神社の月下氷人石も同様のもの。(2016)
[0735]世阿弥が『風姿花伝』の後に悟り得た芸の神髄を書いたものを【 】という。(2014)
[0736]大徳寺塔頭のうち、細川忠興(三斎)が父藤孝(幽斎)の菩提所として創建し、茶室松向軒があるのは【 】である。(2006)
[0737]西国三十三所の第18番札所は【 】である。(2007)/池坊家元が代々住職を務める六角堂の寺号は【 】である。(2014)
[0738]応仁の乱が起こったときの将軍は【 】である。(2008)
[0739]花街の新年準備は12月13日の【 】から始まる。(2006)
[0740]後水尾天皇八条宮智忠親王らと親交があり、随筆『にぎはひ草』を書いた京都の豪商・文人は【 】である。(2012)
[0741]【須賀神社】の節分祭では、烏帽子水干姿の人物が【 】を売る。(2017)
[0742]足利将軍家同朋衆が座敷飾などを解説した書物を【 】という。※作者は能阿弥と相阿弥か。(2021)
[0743]北側へと分岐する道がなく、南側のみに分岐していたことから名づけられたとされる地名に由来する京福電鉄の駅は【 】である。(2012)
[0744]【藤森神社】の本殿にまつられる祭神のうちの一柱が【 皇后】である。(2014)/祇園祭の船鉾では、7月3日に「神面改め」が行われるが、この神面をつける御神体は【 皇后】である。(2015)
[0745]宇治七名水のうち唯一残っているのは、宇治上神社に湧く【 】である。(2018)
[0746]「陀羅尼の鐘」は建仁寺、「迎え鐘」は六道珍皇寺、「安珍清姫の鐘」は【 】にある。(2012)(2013)
[0747]平安神宮の祭神は、桓武天皇と【 】である。(2005)/松平容保をあつく信頼した天皇は【 】である。(2013)
[0748]「谷御所」とも呼ばれ、日光椿など100種類以上の椿がある鹿ケ谷の尼門跡寺院は【 】である。(2006)
[0749]舞妓が9月に挿す花簪は【 】である。(2005)
[0750]琵琶湖疎水の第3トンネル西口の扁額に【三条実美】が揮毫した字句は【 】である。※東口は松方正義の「過雨看松色」。(2017)
[0751]聖武天皇の勅願で良弁が創建した寺院が起源とされ、国宝の五重塔がある【 】は、【都名所図会】に概ね現在と同じ寺観が描かれている。(2005)(2015)
[0752]旧明倫小学校の建物は現在、【 】として活用されている。(2019)
[0753]南観音山では、祇園祭宵山の深夜に御神体を神輿に縛り付け、激しく揺らしながら町内を巡る儀式が行われるが、これを【 】という。(2015)
[0754]東本願寺に伝わる「坂東本」と呼ばれる国宝の親鸞自筆の書物を【 】という。※京都国立博物館に寄託。(2007)
[0755]自筆本が国宝となっている歌論書『古来風躰抄』を書いたのは【 】である。※冷泉家時雨亭文庫が所蔵。(2017)
[0756]亀岡市内にある薭田野神社などの4社合同で8月14日に実施される【 】は、国の重要無形民俗文化財に指定されており、神輿巡行、太鼓掛け、灯籠追い、人形浄瑠璃などが行われる。※他の3社は御霊神社、河阿神社、若宮神社。(2017)
[0757]「春はあけぼの」で始まる平安時代の随筆は【 】である。(2006)(2007)
[0758]治承4(1180)年、後白河天皇の皇子であった【 】は諸国に平氏打倒の令旨を発したが失敗し、奈良興福寺へ向かう途中で討たれた。(2013)
[0759]【藤森神社】の境内に3500株あるとされる花は【 】である。(2014)
[0760]法然らが後鳥羽上皇の怒りに触れて流罪となった事件を【①】という。(2011)/法然親鸞流罪となった事件は、後鳥羽上皇の女御であった【②】が法然の弟子の住蓮と安楽のもとに出家してきたことがきっかけであった。(2016)
[0761]小倉百人一首のうち、名古曽滝を題材とした和歌を詠んだのは【 】である。(2018)
[0762]服部宗巴・宗碩父子を継ぎ、明治以降は観世流宗家と親族関係となり、関西の観世流の総支配人的な役割を担っているのは【 家】である。(2007)
[0763]火伏・防火の神として知られる愛宕神社では、かつては本殿に本地仏の【①】をまつっていた。(2015)/神仏分離の際、愛宕神社の【①】は、小塩山の中腹にある【②寺】に移された。(2017)
[0764]平成20年(2008)年に行われた記念事業で、「古典の日」が法制化されるきっかけとなったのは【 】である。(2012)
[0765]日本初の官許の花街となった島原には、揚屋建築の【 】が残る。(2011)
[0766]与謝蕪村に絵画や俳諧を学び、蕪村の死後は円山応挙との交流を深めて影響を受け、その住まいから四条派と呼ばれる流派の祖となった絵師は【 】である。(2016)
[0767]明治34(1901)年に舞鶴鎮守府の初代司令長官となったのは【 】である。(2021)
[0768]寛永年間の二条城大改修で現在の本丸西南部に天守閣が設けられた際、当初の天守閣は【 】に移築された。(2015)
[0769]2003年3月に始まった【京都・東山■■■】は、2022年3月をもって終了した。(2007)
[0770]高山寺清滝川を見下ろす高台にあり、国宝の建造物である【 】は、【明恵】上人時代の唯一の遺構である。(2007)
[0771]山伏山の御神体のモデルとされるのは【 】である。(2014)/八坂塔の名称で親しまれる法観寺五重塔が傾いた際、【 】が法力で立て直したという伝説がある。(2017)
[0772]「迎え鐘」を撞くのは珍皇寺、「送り鐘」を撞くのは【 】である。(2006)(2008)
[0773]大徳寺塔頭で、豊臣秀吉織田信長の菩提を弔うために建てたのは【 】である。(2012)(2017)
[0774]東福寺塔頭で、鶴島、亀島の石組がある方丈南庭が雪舟による作庭と伝えられ、「雪舟寺」の通称名で知られるのは【 】である。(2022)
[0775]京の六地蔵めぐりのうち、桂地蔵をまつるのは【 】である。(2011)
[0776]真如堂は、正式には【 】という。(2010)/明治41(1908)年、【 】の境内で「本能寺合戦」が撮影された。(2013)/洛陽六阿弥陀巡りの一つで、重要文化財の本堂が天台宗寺院として京都市内最大規模であり、また、三井家の墓があるのは【 】である。※他の洛陽六阿弥陀は、永観堂清水寺阿弥陀堂、安祥院、安養寺、誓願寺。(2016)
[0777]現在の五条通から七条通の間、平安時代の【朱雀大路】を挟んだ東西には【 】という外交施設があり、渤海国の外交使節などを接待した。(2019)
[0778]江戸初期の儒医で、京都地誌の『雍州府志』や年中行事解説書の『日次紀事』などを書いたのは【 】である。(2005)
[0779]安政の御所炎上の際、孝明天皇が避難先の聖護院で食したとされる【 】は、厄除けの菓子としても知られ、節分の日に販売される。(2011)(2015)
[0780]多田源氏の祖となった源満仲の子で、藤原道長に仕えた【 】は、大江山の鬼退治の伝説でも知られる。(2007)
[0781]京丹後市丹後町間人の出身で、百三十銀行、南海鉄道、大阪紡績などを設立した【 】は、百三十銀行の破綻整理のため全財産を提供し実業界を引退した。(2020)
[0782]第3代京都府知事の【 】は、琵琶湖疎水事業を推進した。(2007)(2008)
[0783]明治10(1877)年に仙洞御所内で日本初の水素気球を揚げたのは【 】である。(2009)
[0784]後祭の山鉾巡行で最後尾を務めるのは【 】であるが、蛤御門の変により焼失して長らく休み鉾となっていた時期がある。(2005)(2008)(2010)
[0785]京都の正月のお節料理で「三種」と呼ばれるのは、ごまめ、たたき牛蒡、【 】である。(2009)
[0786]【日野富子】の子で、室町幕府9代将軍となったのは【 】である。(2017)
[0787]本阿弥光悦が芸術村を建設した地域を【 】という。(2010)/長坂口から北西に向かうと、本阿弥光悦徳川家康から拝領した【 】、長坂を経て杉坂に至る。(2016)
[0788]日本初の勅撰和歌集は【 】である。(2006)(2023)/素性法師都大路の春景を詠んだ歌「見わたせば 柳桜を こきまぜて 宮こそ春の 錦なりける」は、日本初の勅撰和歌集である【 】に収められている。(2008)
[0789]茶の湯で出される菓子のうち、落雁・煎餅・有平糖などの薄茶用のものを干菓子といい、蒸・生菓子などの濃茶用のものを【 】という。(2010)
[0790]大正11(1922)年に来日した【 】は、知恩院にある重さ約70トンの鐘の下で、物理学の実験を行った。(2013)
[0791]16世紀前半に花道の大成者がまとめた、いけばな理論の花伝書を【 】という。(2014)
[0792]昼は朝廷に仕え、夜は六道珍皇寺の井戸を通って閻魔大王に仕えたという伝説が残る人物は【 】である。(2008)(2014)
[0793]鶏図を得意とし、【動植綵絵】などの作品で知られる絵師【①】は、錦市場の【②】の家に生まれた。(2005)(2016)(2022)
[0794]山号を歌中山といい、西郷隆盛月照が密談した郭公亭という茶室があった寺院は【 】である。(2017)(2022)
[0795]征夷大将軍として蝦夷征討に功績があり、「王城の守護神」とあがめられた人物で、清水寺の創建に尽力したのは【 】である。(2020)
[0796]小堀遠州江戸幕府における役職のうち、京都に関わりの深いものは【 】である。(2015)
[0797]木津川市内の寺院で、国宝の釈迦如来坐像を本尊とし、『今昔物語集』に里の娘が難を逃れた逸話が登場するのは【 】である。(2014)(2018)
[0798]足利義満を補佐する管領であった【 】が創建した地蔵院には、「十六羅漢の庭」と呼ばれる枯山水庭園がある。※上京区の同名寺院との混同に注意。(2015)
[0799]5月5日に下鴨神社で行われる神事を【 】という。(2020)
[0800]江戸幕府西陣織を保護し、最盛期の高機台数は【 】と推定される。※1730年の西陣焼けで3,000台以上焼失。(2015)

[0701]菅原道真
[0702]奨学院
[0703]源智
[0704]神童寺
[0705]観世流
[0706]聚楽第
[0707]①瓢鮎図/②如拙
[0708]大豊神社
[0709]服部嵐雪
[0710]丹後天橋立大江山国定公園
[0711]車折神社
[0712]徳川家光
[0713]白沙村荘
[0714]山椒太夫
[0715]①大将軍社/②八幡宮
[0716]中宮彰子
[0717]山城屋
[0718]康円
[0719]京都文化博物館別館
[0720]瑠璃堂
[0721]深泥池
[0722]虚空蔵菩薩
[0723]橋弁慶山
[0724]元立誠小学校
[0725]真盛豆
[0726]厳島神社
[0727]嵯峨鳥居本
[0728]東大谷万灯会
[0729]最勝寺
[0730]後院通
[0731]騎女
[0732]金閣寺
[0733]薬祖神祠
[0734]誓願寺
[0735]花鏡
[0736]高桐院
[0737]頂法寺
[0738]足利義政
[0739]事始め
[0740]灰屋紹益
[0741]懸想文
[0742]君台観左右帳記
[0743]帷子ノ辻
[0744]神功皇后
[0745]桐原水
[0746]妙満寺
[0747]孝明天皇
[0748]霊鑑寺
[0749]桔梗
[0750]美哉山河
[0751]海住山寺
[0752]京都芸術センター
[0753]あばれ観音
[0754]教行信証
[0755]藤原俊成
[0756]佐伯灯籠
[0757]枕草子
[0758]以仁王
[0759]紫陽花
[0760]①建永の法難(承元の法難)/②松虫・鈴虫
[0761]藤原公任
[0762]片山家
[0763]①勝軍地蔵/②金蔵寺
[0764]源氏物語千年紀
[0765]角屋
[0766]松村月渓(呉春)
[0767]東郷平八郎
[0768]淀城
[0769]京都・東山花灯路
[0770]石水院
[0771]浄蔵(浄蔵貴所)
[0772]矢田寺
[0773]総見院
[0774]芬陀院
[0775]地蔵寺
[0776]真正極楽寺
[0777]鴻臚館
[0778]黒川道祐
[0779]法螺貝餅
[0780]源頼光
[0781]松本重太郎
[0782]北垣国道
[0783]島津源蔵
[0784]大船鉾
[0785]数の子
[0786]足利義尚
[0787]鷹峯
[0788]古今和歌集
[0789]主菓子
[0790]アインシュタイン
[0791]池坊専応口伝
[0792]小野篁
[0793]①伊藤若冲/②青物問屋
[0794]清閑寺
[0795]坂上田村麻呂
[0796]作事奉行・伏見奉行
[0797]蟹満寺
[0798]細川頼之
[0799]歩射神事
[0800]七千台

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