夜光杯雑記帳

小ネタが輝く、万華鏡のようなブログを目指します

京都検定1級用語集 百本ノック 0201~0300

[0201]【蘆山寺】を創建した【 】は、魔を滅する「豆大師」や疫病退散の「角大師」として、また、おみくじの祖としても知られ、18代天台座主となった。(2021)
[0202]蹴上浄水場にある石碑に刻まれた「御目ざめの 鐘は知恩院 聖護院 いでて見たまへ 紫の水」の歌は【 】が詠んだものである。(2011)
[0203]明治5(1872)年に京都博覧会の附博覧として披露された「都をどり」を振り付けし、六世片山九郎右衛門と結婚して京舞能楽の交流を深めたのは【 】である。※四世は八世片山九郎右衛門と結婚。(2013)(2016)
[0204]7月15日に四条通を挟んで麩屋町通の南北に生竹が1本ずつ建てられる行事を【 】という。(2017)
[0205]応徳3(1086)年に白河上皇が造営した鳥羽離宮の土地は【 】から寄進を受けたものである。(2020)
[0206]慶応3(1867)年12月に徳川家の処遇を決定した会議を【 】という。(2007)
[0207]現在の亀岡市出身で、『都鄙問答』などを書いて石門心学の祖となったのは【 】であり、その門弟には手島堵庵などがいる。(2017)(2019)
[0208]現在の宮津市出身で、西洋医学を学んだ後、天保10(1839)年に医学校の順正書院を開設したのは【 】であり、その建物は現在、湯豆腐店となっている。(2019)
[0209]フランスから輸入したジャカード機の国内製造に成功した西陣の機大工は【 】である。(2009)
[0210]元伊勢と称する籠神社の本殿の建築様式は、伊勢神宮と同じ【 】である。(2019)
[0211]平安遷都を行った天皇で、平安神宮の祭神でもあるのは【 】である。(2005)
[0212]京狩野の祖とされる【狩野山楽】とその婿養子の【狩野山雪】が描いた重要文化財の方丈障壁画をデジタル複製し、オリジナル文化財京都国立博物館に寄託した妙心寺塔頭は【 】である。(2016)
[0213]仁和寺の御室御殿の北側にある茶室「飛濤亭」は【光格天皇】遺愛の席、「遼廓亭」は【 】の屋敷から移したとも伝わる。(2014)
[0214]随心院には小野小町が使ったとされる【 】があり、『都名所図会』にも記されている。(2016)
[0215]銀閣寺にある国宝建造物のうち、付書院や違い棚を備えた四畳半の【同仁斎】があるのは【 】である。※他の国宝建造物は「銀閣」。(2014)
[0216]茂山千五郎家が家訓とする狂言のあり方を【 】という。(2007)(2010)
[0217]藤原信頼源義朝らが後白河上皇の三条殿を襲撃して起こった内乱を【 】という。(2011)
[0218]六波羅蜜寺の「空也上人立像」を作った康勝は【 派】の仏師である。※有名作品だが国宝ではなく重要文化財。(2005)
[0219]足利義政に取り立てられ、作庭分野で名を残したのは【 】である。(2012)
[0220]知恩院の七不思議に数えられる「抜け雀」と「三方正面真向きの猫」を描いたのは【 】である。(2023)
[0221]明治28(1895)年、京都電気鉄道は東洞院塩小路と伏見【■■■町】の間に日本初の路面電車を開業した。(2012)
[0222]「くじ取らず」の山鉾のうち、2023年の後祭の6番は【 】であった。(2008)
[0223]1月9日から16日まで、西本願寺親鸞聖人を偲んで行われる法要を【 】という。※東本願寺報恩講は旧暦に従い11月。(2017)
[0224]法然を開祖とする宗派を【 】という。(2011)
[0225]【片山東熊】が設計し明治28(1895)年に完成したのは、【 】の明治古都館である。※旧帝国京都博物館の本館。(2012)
[0226]京の六地蔵めぐりのうち、伏見六地蔵をまつるのは【 】である。(2011)
[0227]鎌倉時代初め、東寺の復興に尽力した僧は【 】である。※神護寺も復興/袈裟御前にも注意。 (2006)
[0228]西国三十三所の第16番札所は【 】である。(2005)(2007)/能の演目の一つである「田村」の題材となった縁起を持つ寺院は【 】である。(2011)
[0229]二条城は、徳川家康征夷大将軍の宣下を受ける際の居館として、京都所司代【 】を総奉行として築かれた。(2010)(2014)
[0230]平成19(2007)年、時代祭に【■■時代列】が加わった。※逆臣が活躍した時代。(2006)(2011)
[0231]平安神宮の創建理由は【 】である。(2005)
[0232]大徳寺塔頭のうち、前田利家夫人の松子が創建し、「京の四閣」の一つとされる【吞湖閣】があるのは【 】である。(2010)
[0233]京舞井上流の流祖は、奉公先の【①】で御殿舞などを学び、流派の紋である【②】は同家に由来する。(2008)(2014)(2016)/京都御苑の北西部にある糸桜は、五摂家の一つであった【①】の邸宅跡に植えられている。(2013)
[0234]醍醐寺三宝院の庭園は豊臣秀吉の作庭と伝えられ、庭の中心には天下の名石といわれる【①】がある。(2014)/その名石の名前は、現在の岡山県倉敷市で行われた戦いで源氏方の【②】が活躍した地名によるものとされる。(2022)
[0235]大将軍八神社は、小説『天地明察』の主人公である【 】が作った天球儀などを所蔵する。(2012)/碁所であった京都の安井家に生まれたが、「貞享暦」を作った功績で幕府の初代天文方となったのは【 】である。(2023)
[0236]御物忌川と御手洗川は上賀茂神社境内で合流して【①川】となるが、ここで行われる夏越大祓の情景を和歌に詠んだのが【 】で、小倉百人一首に収められている。(2010)(2014)
[0237]「賀茂の厳神」に対し、松尾大社は【松尾の■■】といわれる。(2015)
[0238]「煙草王」と呼ばれた【村井吉兵衛】が東山に建てた【 】は、ロココ様式を取り入れた洋館で、京都市指定の文化財である。(2008)
[0239]京都にある3つのよきものを「女子、【①】の水、寺社」と『羇旅漫録』に書いたのは【②】である。※漢字表記に注意。(2006)(2013)
[0240]『古今和歌集』を編さんさせ、延暦21(921)年には空海に大師号を賜与したのは【 天皇】である。(2021)
[0241]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、漆器を【 】という。(2006)(2010)
[0242]西本願寺の御用菓子【松風】は、石山本願寺織田信長に攻められた際の門徒たちの兵糧に由来するが、菓子名の由来となった歌を詠んだ人物は【 】である。※「わすれては 波のおとかと おもうなり まくらにちかき 庭の松風」。(2014)
[0243]喫茶店として初めて、その建物が国の登録有形文化財になったのは【 】である。※2003年登録で、営業継続中。(2020)
[0244]伊藤仁斎が自宅に開いた私塾を【 】といい、その遺跡は史跡に指定されている。※特別史跡ではない。(2009)(2019)
[0245]慶長6(1601)年、徳川家康は伏見に銀貨の鋳造所を設けたが、銀座役人を世襲した家名を【 】という。※江戸の銀座より早い。(2020)
[0246]元治元(1864)年、三条小橋近くの旅籠【 】に長州藩士らが集まっていたところを新選組が襲撃した。(2010)(2020)/その事件は、新選組が壬生の旧前川邸で【 】を自白させて起こしたである。(2014)
[0247]福知山市内の神社で、明智光秀をまつるのは【 】である。(2019)
[0248]下鴨神社末社で、社殿前にラグビー「第一蹴の地」の記念碑があり、奉納する絵馬がラグビーボール型をしているのは【 】である。(2019)
[0249]下鴨神社の社家住宅として現在も残るのは鴨脚家のみであり、【 】は下鴨神社の資料館となった。※鴨社資料館秀穂舎。(2015)
[0250]明治41(1908)年に押小路通沿いに創建された能楽堂は【 】である。(2018)
[0251]二条城では、江戸幕府から朝廷に【 】を行う旨の上意下達が諸大名に対して行われた。(2011)
[0252]京都御苑内の西園寺家の邸宅跡にある神社で、弁財天をまつり、「御所の弁天さん」と呼ばれるのは【 】である。(2014)
[0253]【近衛信尹】、【松花堂昭乗】とともに寛永の三筆として知られる【 】は、江戸幕府から洛北【鷹峯】に土地を与えられて芸術村をつくった。※その時期を「晩年」と言ってよいか微妙。(2007)
[0254]祇園祭の神輿3基のうち、錦市場を通る神輿を【 】という。※7/24還幸祭で通る。他の2つの神輿は中御座と東御座。(2022)
[0255]「イタオミキ」とは【 】を指す言葉である。(2020)
[0256]豊臣秀吉聚楽第に創建した神社とされる【 】は、江戸時代になって遷座し、長らく二条城の西側にあったが、2012年に左京区大原へ移転した。(2012)
[0257]本堂に重要文化財聖徳太子像が安置されている浄土真宗の寺院で、飛鳥時代に織られ江戸後期に法隆寺から贈られた太子ゆかりの蜀江錦の一種である「法隆寺裂」が2021年に見つかったのは【 】である。(2021)
[0258]同志社大学のルーツとなった学校を創立した新島襄と妻の八重が葬られた「同志社墓地」は【 山】の山頂にある。(2013)
[0259]時代祭行列の出発場所は【 】である。※堺町御門から丸太町通に出る。(2011)
[0260]織屋の丁稚と織子の言い争いから起きた「撞かずの鐘」の伝説が残る寺院は【 】である。※黒田長政が死去した部屋がある。(2016)
[0261]源頼朝に「日本国第一の大天狗」と評された【 】は、今様を集めた【梁塵秘抄】を編さんした。(2009)
[0262]明治4(1871)年、日本初の博覧会は【 】の書院で行われた。※内国勧業博覧会との混同に注意。(2009)
[0263]「都七福神まいり」の社寺のうち、萬福寺の天王殿には【 】がまつられている。(2022)
[0264]洛中では現存最古となる国宝の本堂がある【 】は、行快が作った重要文化財の釈迦如来坐像を秘仏本尊として所蔵する。※普段は非公開。(2019)
[0265]9月15日に石清水祭の一部として行われる行事で、川に魚を放って生き物の平安を願うものを【 】という。(2021)
[0266]八幡山が所蔵する祇園祭礼図の屏風を描いたのは【 】である。※友松の子。(2018)
[0267]北野天満宮の本殿前の中門は【 】とも呼ばれる。※天神さまの七不思議の一つ。(2012)
[0268]鎌倉幕府との関係を深めて大きな勢力を持ち、東大寺興福寺から一字ずつ取って東福寺を造営した公卿は【 】である。※子の頼経が摂家将軍となったが、晩年は不遇となる。(2006)
[0269]菓子屋の当主が大峰山霊夢を受けて作ったのが始まりといわれ、7月16日限定で販売される京菓子は【 】である。※2022年に発売中止となったことがある。(2007)
[0270]尊王攘夷派の薩摩藩士で、文久2(1862)年の寺田屋事件で、鎮圧部隊の道島五郎兵衛を道連れに死亡したのは【 】である。(2020)
[0271]南丹市美山町にある重要文化財の古民家で、慶安3(1650)年建築の最古の農家は【 家】である。(2019)
[0272]「京都美術協会雑誌」の編集者を務め、画家・図案家として琳派を継承しつつ近代デザインの先駆者となったのは【 】である。(2023)
[0273]二条城の障壁画・襖絵を描いた画派を【 】という。(2011)
[0274]「月はおぼろに東山 かすむ夜ごとのかがり火に 夢もいざよふ紅ざくら しのぶおもひを ふりそでに 祇園恋しや だらりの帯よ」と刻まれている石碑がある場所は【 】である。(2008)/7代目【小川治兵衛】が作庭した京都市東山区の公園は【 】である。(2018)
[0275]芝ヶ原古墳は【 市】にある日本最古級の前方後円墳で、出土品は重要文化財に指定されている。(2020)
[0276]仁和寺の北西方向には、四国八十八ヵ所霊場を縮小した参拝道が設けられた【 山】がある。(2013)
[0277]「くじ取らず」の山鉾のうち、後祭の10番は【 】である。(2008)/2004年に大船鉾が復興し、2022年には【 】が復興した。(2015)(2019)
[0278]明治41(1908)年、千本一条上る東側にあった芝居小屋「千本座」の経営者の【 】が監督として「本能寺合戦」を撮影し、それが日本初の時代劇映画となった。(2008)(2013)(2019)
[0279]比叡山麓から産出され、石燈籠などの京石工芸品に使われてきた良質の花崗岩を【 】という。※現在は採石禁止。(2009)
[0280]源頼義が六条醒ヶ井に創建した後に現在地に移り、陶祖神の椎根津彦命が合祀されて「陶器神社」とも呼ばれる神社は【 】であり、8月7日から10日まで陶器祭が行われ、8月8日には陶器神輿が巡行する。(2006)(2008)(2023)
[0281]小堀遠州が師事した茶人は【 】である。(2015)/藪内家初代の剣仲紹智は【武野紹鷗】に茶を学び、利休の媒酌で妻となったのが【 】の妹であり、茶室の燕庵を賜っている。(2022)
[0282]石山本願寺織田信長に攻められた際の兵糧に由来する西本願寺の御用菓子を【 】という。(2008)
[0283]境内から水が湧き出して良い香りが四方に漂い、その水を飲むと病気がたちまち癒えたという奇瑞から名を賜った神社は【 】であり、「御香水」は環境省の「名水百選」にも選ばれている。(2022)
[0284]修学院離宮の客殿にある五段の違棚は【 】と呼ばれ、醍醐寺三宝院の「醍醐棚」、桂離宮の「桂棚」とともに「天下の三大名棚」の一つに数えられる。※客殿は中離宮にある。(2009)(2018)
[0285]後に第2代京都府知事となった槇村正直が行った京都近代化政策の一つは、南北の道路【 】の建設である。(2005)
[0286]自らの隠居所として「凹凸窠」(のちの詩仙堂)を建てた徳川家康の元家臣は【 】である。(2011)(2023)
[0287]7月7日に行われる貴船神社の水まつりでは、神事の後、献茶式や舞楽奉納、【 流】の式庖丁が披露される。(2005)
[0288]光明皇后が創建したと伝わる清水寺塔頭の泰産寺にある三重塔を【 】という。(2018)
[0289]琵琶湖疎水の建設工事中に行われたアメリカ視察がきっかけとなり、【 】の実用化を図ることになった。※視察したのは田邉朔郎と高木文平。(2007)
[0290]松平容保会津藩の本陣を置いた寺院は【 】である。(2013)(2020)/法然が腰かけたとされる紫雲石がある西雲院は【 】の塔頭である。(2013)
[0291]下賀茂社下鴨神社の正式名称を【 】という。(2008)(2013)
[0292]八坂神社の境内末社の祭神は容姿端麗だったとの言い伝えがあり、【 】の前には美容水が湧き出ている。(2012)(2022)
[0293]西国三十三所の第10番札所は【 】である。(2007)
[0294]初代海軍大臣を務めた人物で、琵琶湖疎水の第2トンネル西口の扁額に書かれている「随山到水源」の字句を揮毫したのは【 】である。※東口は井上馨の「仁以山悦智為水歓」。(2020)
[0295]松尾大社の最も近くにある境外摂社は【 】である。(2015)
[0296]【菅原道真】に引退を勧め、道真失脚の黒幕説もあるのは【 】で、子の浄蔵貴所の祈りが通じて一条戻橋の上で一時蘇った伝説を持つ。(2015)(2020)
[0297]「若冲筆投げの間」と呼ばれる方丈がある寺院は【 】である。(2016)
[0298]天龍寺の庭園は【 】が作庭したとされ、近景の亀山や遠景の嵐山を借景とした池泉回遊式で、史跡・特別名勝である。(2005)/西芳寺は「苔寺」とも呼ばれるが、その庭園は【 】が作庭したとされ、史跡・特別名勝である。(2008)/後醍醐天皇足利尊氏が帰依した【 】は、天龍寺庭園、西芳寺庭園などを作庭した。(2012)
[0299]冷泉家の初代当主は【 】である。(2017)
[0300]聖徳太子の創建と伝わる寺院で、国宝の『絵因果経』を所蔵するのは【 】である。(2013)/蓮台野と呼ばれたかつての葬送地には、十二坊と呼ばれる真言宗の寺院【 】の北に近衛天皇の火葬塚がある。(2019)

[0201]良源
[0202]与謝野晶子
[0203]片山春子
[0204]斎竹建て
[0205]藤原季綱
[0206]小御所会議
[0207]石田梅岩
[0208]新宮凉庭
[0209]荒木小平
[0210]唯一神明造
[0211]桓武天皇
[0212]天球院
[0213]尾形光琳
[0214]化粧井戸
[0215]東求堂
[0216]お豆腐狂言
[0217]平治の乱
[0218]慶派
[0219]善阿弥
[0220]狩野信政
[0221]下油掛町
[0222]北観音山
[0223]御正忌報恩溝
[0224]浄土宗
[0225]京都国立博物館
[0226]大善寺
[0227]文覚
[0228]清水寺
[0229]板倉勝重
[0230]室町時代
[0231]平安奠都1100年紀念祭、第四回内国勧業博覧会の記念殿
[0232]芳春院
[0233]①近衛家/②井菱
[0234]①藤戸石/②佐々木盛綱
[0235]渋川春海(安井算哲)
[0236]①ならの小川/②藤原家隆
[0237]松尾の猛霊
[0238]長楽館
[0239]①加茂川/②滝沢馬琴
[0240]醍醐天皇
[0241]京漆器
[0242]顕如
[0243]フランソア喫茶室
[0244]古義堂
[0245]大黒常是
[0246]①池田屋/②古高俊太郎(枡屋喜右衛門)
[0247]御霊神社
[0248]雑太社
[0249]旧浅田家
[0250]大江能楽堂
[0251]大政奉還
[0252]白雲神社
[0253]本阿弥光悦
[0254]西御座
[0255]酒粕
[0256]出世稲荷神社
[0257]佛光寺
[0258]若王子山
[0259]京都御所
[0260]報恩寺
[0261]後白河法皇
[0262]西本願寺
[0263]布袋
[0264]大報恩寺千本釈迦堂
[0265]放生行事
[0266]海北友雪
[0267]星欠けの三光門
[0268]九条道家
[0269]行者餅
[0270]有馬新七
[0271]石田家
[0272]神坂雪佳
[0273]狩野派
[0274]円山公園
[0275]城陽市
[0276]成就山
[0277]鷹山
[0278]牧野省三
[0279]白川石
[0280]若宮八幡宮社
[0281]古田織部
[0282]松風
[0283]御香宮神社
[0284]霞棚
[0285]新京極通
[0286]石川丈山
[0287]生間流
[0288]子安塔
[0289]水力発電
[0290]金戒光明寺
[0291]賀茂御祖神社
[0292]美御前社
[0293]三室戸寺
[0294]西郷従道
[0295]月読神社
[0296]三善清行
[0297]海宝寺
[0298]夢窓疎石
[0299]冷泉為相
[0300]上品蓮台寺

目次に戻る