夜光杯雑記帳

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【文化財】京都府 木津川市

 4月8日、京都市を朝に出発し、青春18きっぷを使って下記の2か所に行ってきました。今回は近場です。

 ①浄瑠璃寺本堂・三重塔[国宝建造物]・阿弥陀如来坐像ほか[国宝彫刻]・庭園[史跡・特別名勝]:木津川市
 ②海住山寺五重塔[国宝建造物]:木津川市

 ①はJR加茂駅から見ると南方向。バスに乗り、「浄瑠璃寺前」で降りるとすぐです。まずは本堂へ。ここで頂いた小冊子的なパンフレットが立派でした。本堂には9体の阿弥陀如来が勢ぞろいです。本堂の次は三重塔へ。好天とは言い難い曇り空でしたが、写真のとおり開扉されており、中を拝見したのですが、正直なところ、暗くてよく見えませんでした。帰りはバスでJR加茂駅へ。
 ②はJR加茂駅から見ると北方向。行きはすべて徒歩でした。参道は結構な坂道。写真2枚目が五重塔です。国宝の塔は件数が少なく、全国では(おそらく)9件、京都府では4件ですが、そのうちの2件が木津川市にあるわけです。帰りは途中まで徒歩、途中からJR加茂駅までバスに乗りました。

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【文化財】兵庫県 加東市

 4月5日、京都市を早朝に出発し、青春18きっぷを使って下記の1か所に行ってきました。これで兵庫県内の国宝建造物は全件制覇です。

 ①朝光寺本堂[国宝建造物]:加東市

 公共交通機関で行くのは、なかなか厳しいところでした。
 JR社町駅で降り、駅前から神姫バスに乗り「依藤野」まで。そこから徒歩で約5km行くと、朝光寺がありました。向拝が長いと思ったのですが、かつては多くの参拝者が訪れたこともあったのでしょうか。帰路はルートを変えて約6km歩き、神姫バスの「嬉野台生涯教育センター」へ。そこからバスで「やしろショッピングパークBio」まで移動。そのあたりで昼食を取り、また2kmほど徒歩で社町駅へ、という感じでした。足が丈夫な人向けです。

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【文化財】山梨県 甲州市・山梨市

 3月31日、京都市を早朝に出発し、青春18きっぷを使って下記の2か所に行ってきました。現在のところ、山梨県内の国宝のうち、建造物は次の2件のみです。

 ①大善寺本堂[国宝建造物]:甲州市
 ②清白寺仏殿[国宝建造物]:山梨市

 ①は勝沼ぶどう郷駅からタクシーでした。大善寺武田勝頼が宿泊したり、近藤勇とも関わりがある寺院です。この寺院は少し変わった特色があり、住職がワインをつくっておられ、それを飲めるのです。せっかくなので白ワインを1杯いただいたところ、すっきりしてさわやかな味わいでした。帰りは徒歩で勝沼ぶどう郷駅へ。駅では専門事業者がワインを販売されていました。国産ワインは値段が高めですので、この機会にということで、全種有料試飲しました。どれもおいしかったのですが、甘口の赤が面白かったです。輸入ワインで安いものだと、水っぽいか、逆にやたら濃いか、あるいはやたら甘いかという印象を持ってるのですが、ここで試飲したものは、すっきりした甘口でした。
 ②は東山梨駅から徒歩でした。賽銭箱的なものが見当たらず、無料で見てしまいました。帰りも徒歩です。ここまで見ると、その日のうちに京都に戻れないのは予定どおりであり、この日は甲府市内で宿泊し、翌日は東京回りで帰りました。

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京都検定1級用語集 百本ノック 0901~1000

[0901]山号を歌中山といい、西郷隆盛月照が密談した郭公亭という茶室があった寺院は【 】である。(2017)(2022)
[0902]樹齢700年といわれる五葉松や額縁庭園で知られる寺院は【 】である。※ゴヨウマツは京都市登録天然記念物。(2019)(2021)
[0903]『広辞苑』の編纂者として知られ、北区小山中溝町に旧宅が残るのは【 】である。(2019)
[0904]東寺塔頭の【観智院】が所蔵する「鷲の図」と「竹林図」を描いたのは【 】である。(2019)
[0905]妙心寺塔頭で、東睦宗補が作庭した「東海一連の庭」が名勝・史跡となっているのは【 】である。※特別名勝特別史跡ではない。(2021)
[0906]東寺が所蔵する国宝の絵画のうち、密教の教えの真髄を表現するものを【 】という。※他にも国宝絵画あり。(2006)
[0907]国人や農民が協力して畠山氏を排除し、文明17(1485)年から約8年間自治を行ったことを【 】という。(2016)
[0908]畳んでも上端が広がる京扇子で、寺院の儀式などに用いられるものを【 】という。(2014)(2019)
[0909]生き別れた双子の姉妹の京都での出会いと別れを描いた小説【①】を書いたのは【②】である。(2007)(2016)(2022)
[0910]落語「幽霊飴」では、幽霊の女は【 】の墓地に葬られており、「子を大事」と掛けたオチとなっている。(2021)
[0911]藪内家を代表する重要文化財の茶室【 】は、相伴席付の三畳台目で、【古田織部】の作風を伝える。(2009)
[0912]東寺の建物のうち、立体曼荼羅があるのは【 】である。(2023)
[0913]「イタオミキ」とは【 】を指す言葉である。(2020)
[0914]京都の三大念仏狂言は、壬生寺の「壬生大念仏狂言」、引接寺の【①】、【②】の「嵯峨大念仏狂言」である。(2010)
[0915]12月13日から31日まで六波羅蜜寺で行われる空也踊躍念仏は、【 】ともいわれる。(2014)
[0916]「弘法さん」の縁日が行われる日は【毎月■■日】である。(2009)
[0917]松尾大社の境外摂社である【月読神社】には「安産石」とも呼ばれる【 】があり、【神功皇后】が出産の際、この石で腹をなでて安産したとされる。(2011)(2016)
[0918]東舞鶴にある見学施設で、所蔵する資料がユネスコの「世界の記憶」に登録されているのは【 】である。(2015)
[0919]京都市考古資料館として活用されている建物は西陣織物館として建てられたものであるが、設計したのは【 】である。(2015)
[0920]小野小町のもとに通い続けた「百夜通い」伝説の主人公は【 】である。(2016)
[0921]京都国立博物館の明治古都館を設計したのは【 】である。(2019)
[0922]日本料理の体系のうちの一つで、公家社会で発達した宴会料理を【 】という。(2022)
[0923]1661年に萬福寺を開創したのは【 】である。(2022)
[0924]山内容堂名での大政奉還建白書の提出を主導した土佐藩士は【 】である。(2017)
[0925]丹後国一の宮である籠神社に伝わる国宝の【 】は、日本最古の家系図とされる。(2017)
[0926]比叡山から如意ケ岳にかけての山麓を源流とする白川は祇園の花街を流れ、6月の第1日曜日に祇園放生会が【 橋】で行われる。(2020)
[0927]東福寺塔頭で、鶴島、亀島の石組がある方丈南庭が雪舟による作庭と伝えられ、「雪舟寺」の通称名で知られるのは【 】である。(2022)
[0928]本堂に重要文化財聖徳太子像が安置されている浄土真宗の寺院で、飛鳥時代に織られ江戸後期に法隆寺から贈られた太子ゆかりの蜀江錦の一種である「法隆寺裂」が2021年に見つかったのは【 】である。(2021)
[0929]『平安通志』60巻の編さんに携わった歴史家で、相国寺の近くにその住居が残るのは【 】である。(2020)
[0930]大豆を原材料とし、豆腐と並んで京都を代表する食品は【 】である。(2012)
[0931]江戸時代に御所から仁和寺に移築された国宝の建造物は【 】である。※紫宸殿を移築。(2013)
[0932]「遮那王が 背くらべ石を 山に見て わがこころなほ 明日を待つかな」と詠んだのは【 】である。※鞍馬寺にある歌碑。(2008)
[0933]光明皇后が創建したと伝わる清水寺塔頭の泰産寺にある三重塔を【 】という。(2018)
[0934]東福寺塔頭で、薩摩藩菩提寺でもあり、明治維新で戦死した霊を供養するために西郷隆盛が建立した石碑があるのは【 】である。(2018)
[0935]平安京の内裏は焼失と再建を繰り返したが、安貞元(1227)年の焼失後は再建されず、その跡地は荒廃して【 】と呼ばれるようになっていたところ、天正15(1587)年に豊臣秀吉聚楽第を造営した。(2012)
[0936]指定替えで誕生した国定公園で、福知山市舞鶴市宮津市京丹後市伊根町与謝野町にまたがるのは【 】である。(2007)
[0937]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、厨子から変化したものが江戸時代に一般家庭に広まったのを【 】という。(2006)
[0938]織田有楽斎建仁寺塔頭の正伝院を再興した際に建てた国宝の茶室を【 】といい、明治時代の廃仏毀釈を受け、愛知県犬山市に移築された。(2022)
[0939]薩摩出身の実業家・伊集院兼常が造営した別荘は、市田弥一郎が譲り受けた際に【 】と命名されたが、その庭園部分は七代目小川治兵衛によって作り直され、現在は名勝に指定されている。(2020)
[0940]2月の初午の日に食べる辛子和えに用いる野菜で、京都府の「京の伝統野菜」に指定されているのは【 】である。※京のブランド産品には指定されていない。(2008)
[0941]旧制第三高等学校で学んだ【 】の小説『檸檬』には、「私」が爆弾に見立てたレモンを京都の書店に置くという描写がある。(2022)
[0942]慶長8(1603)年に徳川家康が将軍宣下を受けた場所は【 】である。(2022)
[0943]現存する国宝の曜変天目茶碗は3碗あり、そのうちの1碗を所蔵するのが大徳寺塔頭【①】である。※他に所蔵するのは、東京都千代田区静嘉堂文庫美術館大阪市都島区藤田美術館。(2019)/その塔頭には、小堀遠州が江月宗玩のために建てた国宝の茶室【②】があり、その書院床には南宋の密庵咸傑による国宝の墨蹟が掛けられて「密庵床」と呼ばれた。(2015)(2022)
[0944]「善気水」があるのは【 】である。(2012)/谷崎潤一郎の墓は【 】にある。(2022)
[0945]京の六地蔵めぐりのうち、山科地蔵をまつるのは【 】である。(2011)
[0946]大覚寺が所蔵する重要文化財の太刀で、源頼光が土蜘蛛を切った伝説があるのは【 】である。(2021)
[0947]1月第2日曜日に行われる全国都道府県対抗女子駅伝は、【 】を出発して国立京都国際会館前で折り返す。※男子駅伝は1月第3日曜日に広島市で開催。(2007)
[0948]橋本関雪の邸宅であった「白沙村荘」に残る52畳の大画室を【 】という。(2013)
[0949]菓子屋の当主が大峰山霊夢を受けて作ったのが始まりといわれ、7月16日限定で販売される京菓子は【 】である。※2022年に発売中止となったことがある。(2007)
[0950]亀岡市内にある薭田野神社などの4社合同で8月14日に実施される【 】は、国の重要無形民俗文化財に指定されており、神輿巡行、太鼓掛け、灯籠追い、人形浄瑠璃などが行われる。※他の3社は御霊神社、河阿神社、若宮神社。(2017)
[0951]平成20年(2008)年に行われた記念事業で、「古典の日」が法制化されるきっかけとなったのは【 】である。(2012)
[0952]千利休が師事したとされる茶人は【 】である。(2006)/村田珠光を継承した【 】は四畳半より小さい茶室を考案している。(2022)
[0953]奈良時代に創建され、平安時代に千観内供が中興した寺院で、昭和20年代に一旦廃寺となった後、仏像彫刻家の西村公朝が住職となり復興し、境内に1200体の羅漢像があるのは【 】である。(2021)
[0954]漢字に基づいて作られた日本語独特の文字を【 】という。(2006)
[0955]足利義満を補佐する管領であった【 】が創建した地蔵院には、「十六羅漢の庭」と呼ばれる枯山水庭園がある。※上京区の同名寺院との混同に注意。(2015)
[0956]与謝蕪村と合作で国宝の「十便十宜図」を描いたのは【 】である。(2006)/その妻の玉瀾が時代祭の江戸時代婦人列に登場するのは【 】である。(2013)/2018年、深泥池貴船神社に【 】ゆかりの地の石碑が建立された。(2018)
[0957]上野岑雄が「深草の野辺の桜し心あらば…」と詠んだところ、桜が喪に服するかのような色で咲いたとされることにちなんだ地名を【 】という。※藤原基経の死を悼んで詠んだ歌。(2007)
[0958]京の六地蔵めぐりのうち、桂地蔵をまつるのは【 】である。(2011)
[0959]大覚寺の大沢池にある平安時代の庭園遺構の中で、巨勢金岡が立てたと伝えられる二島一石の石を【 】という。(2022)
[0960]天台宗門跡寺院であり、「黄不動」の通称で知られる国宝の不動明王像を所有するのは【 】である。※現物は京都国立博物館に寄託。(2006)
[0961]「日野薬師」とか「乳薬師」とも呼ばれる寺院で、本尊の薬師如来には安産・授乳のご利益があるとされるのは【 】である。(2011)
[0962]本阿弥光悦が作った国宝の硯箱は【 】である。(2010)
[0963]大覚寺宸殿にある重要文化財の襖絵の「牡丹図」と「紅白梅図」を描いたのは、京狩野の祖とされる【 】である。(2009)(2012)
[0964]平安神宮の祭神は、桓武天皇と【 】である。(2005)/松平容保をあつく信頼した天皇は【 】である。(2013)
[0965]太秦の多くの撮影所は戦時期に統合され、その後解散したが、その会社名は「【 】通り商店街」という名称の中に残っている。(2013)
[0966]徳川家康は伊賀を目指して信楽街道を進み、瀬田道と交わる【①峠】を越え、山城と近江の国境である【②峠】を越えて信楽に入ったといわれる。(2023)
[0967]豊臣秀吉織田信長の菩提を弔うために建てた大徳寺塔頭は【 】である。(2012)(2017)
[0968]源氏物語の作者が仕えた一条天皇中宮は【 】である。※清少納言が仕えた人物との混同に注意。(2007)
[0969]『古今和歌集』を編さんさせ、延暦21(921)年には空海に大師号を賜与したのは【 天皇】である。(2021)
[0970]2011年は法然上人の【 年】の遠忌であった。(2011)
[0971]平重盛邸であった「小松殿」の遺構ともいわれる庭園で、江戸時代には妙法院の所有となったものを【 】という。※現在はホテルの付属庭園。(2017)
[0972]時代祭と同じ日に京都三大奇祭のうちの一つを行う神社は【 】である。※他の三大奇祭は牛祭とやすらい祭。重要無形文化財「やすらい花」は今宮など4地区に伝承される。(2016)
[0973]金地院を再興し、江戸幕府の政治に参画して「黒衣の宰相」とも呼ばれ、禁中並公家諸法度を起草したのは【 】である。(2019)(2022)
[0974]多田源氏の祖となった源満仲の子で、藤原道長に仕えた【 】は、大江山の鬼退治の伝説でも知られる。(2007)
[0975]幕末に京都所司代や老中を務め、淀藩最後の藩主となったのは【 】である。(2019)
[0976]足利義政に取り立てられ、作庭分野で名を残したのは【 】である。(2012)
[0977]後水尾天皇八条宮智忠親王らと親交があり、随筆『にぎはひ草』を書いた京都の豪商・文人は【 】である。(2012)
[0978]「くじ取らず」の山鉾のうち、2023年の後祭の6番は【 】であった。(2008)
[0979]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、型友禅の技術を生かして小さな文様を引き染めすることが多いものを【 】という。(2006)(2020)
[0980]二条城では、江戸幕府から朝廷に【 】を行う旨の上意下達が諸大名に対して行われた。(2011)
[0981]明治28(1895)年、京都電気鉄道は東洞院塩小路と伏見【■■■町】の間に日本初の路面電車を開業した。(2012)
[0982]聖徳太子の創建と伝わる寺院で、国宝の『絵因果経』を所蔵するのは【 】である。(2013)/蓮台野と呼ばれたかつての葬送地には、十二坊と呼ばれる真言宗の寺院【 】の北に近衛天皇の火葬塚がある。(2019)
[0983]日本初の勅撰和歌集は【 】である。(2006)(2023)/素性法師都大路の春景を詠んだ歌「見わたせば 柳桜を こきまぜて 宮こそ春の 錦なりける」は、日本初の勅撰和歌集である【 】に収められている。(2008)
[0984]かつて「花の御所」にあったが尼門跡寺院となり、「御寺御所」と称されるのは【 】である。(2014)
[0985]能『頼政』をパロディー化した狂言は【 】である。(2009)
[0986]京都大学の教授であったとき、日本人初のノーベル賞を受賞したのは【 】である。(2010)
[0987]文久2(1862)年に【①職】を拝命した【②藩】の藩主【③】は、配下の新選組を使って尊王攘夷運動を取り締まった。(2009)(2013)
[0988]「モダニズム建築の旗手」と呼ばれ、京都会館(現ロームシアター京都)を設計したのは【 】である。(2010)(2018)
[0989]「若しうらゝかなれば、峰によぢのぼりて、はるかにふるさとの空を望み、木幡山、伏見の里、鳥羽、羽束師を見る。勝地は主なければ、心を慰むるにさはりなし。歩み煩ひなく、心遠くいたる時は、これより峰つゞき、炭山を越え、笠取を過ぎて、或は石間にまうで、或は石山を拝む」と書かれている作品は【 】である。(2007)/鴨長明が、山科の日野に草庵を結んで書いた作品は【 】である。(2016)
[0990]与謝蕪村に絵画や俳諧を学び、蕪村の死後は円山応挙との交流を深めて影響を受け、その住まいから四条派と呼ばれる流派の祖となった絵師は【 】である。(2016)
[0991]重要伝統的建造物群保存地区のうち、地区内に五重塔があるのは【 】である。(2009)/伝統的建造物群保存地区の制度ができる前、【 】は京都市の「特別保全修景地区」制度による最初の指定地区であった。※祇園新橋も指定されていた。(2011)
[0992]7月の土用の丑の日下鴨神社で行われる行事で、「足つけ神事」とも呼ばれるのは【 】である。(2005)(2020)
[0993]牛若丸(源義経)が奥州に出発する時に道中の安全を祈願したとされる神社は【 】である。※承安4(1174)年のこと。(2011)(2012)
[0994]1493年に細川政元足利義澄を将軍に擁立した事件を【 】という。(2017)
[0995]京都織物会社本館の建物は、現在、【 】として使用されている。(2009)
[0996]寺町通から高倉通まで続く「京の台所」と呼ばれる商店街は【 】である。(2012)
[0997]薩摩藩の家老に出世し、坂本龍馬亀山社中を設立するのを援助し、京都で薩長同盟(盟約)が締結された際に重要な役割を果たしたのは【 】である。(2023)
[0998]永徳の長男【 】が描いた「鳴き龍」とも呼ばれる蟠龍図があるのは【 】の法堂である。(2005)(2013)(2021)
[0999]仁和寺を創建したのは【 】である。(2013)/菅原道真を重用した天皇は【 】である。(2018)
[1000]平家一族が綾部市北部の隠れ里で作り始めたとされる京都府指定の無形文化財は【 】である。(2015)

[0901]清閑寺
[0902]宝泉院
[0903]新村出
[0904]宮本武蔵
[0905]東海庵
[0906]両界曼荼羅図(伝真言曼荼羅
[0907]山城の国一揆
[0908]中啓
[0909]①古都/②川端康成
[0910]高台寺
[0911]燕庵
[0912]講堂
[0913]酒粕
[0914]①ゑんま堂大念仏狂言/②清凉寺
[0915]かくれ念仏
[0916]毎月21日
[0917]月延石
[0918]舞鶴引揚記念館
[0919]本野精吾
[0920]深草少将
[0921]片山東
[0922]大饗料理
[0923]隠元隆琦
[0924]後藤象二郎
[0925]海部氏系図
[0926]巽橋
[0927]芬陀院
[0928]佛光寺
[0929]湯本文彦
[0930]ゆば
[0931]金堂
[0932]与謝野鉄幹
[0933]子安塔
[0934]即宗院
[0935]内野
[0936]丹後天橋立大江山国定公園
[0937]京仏壇
[0938]如庵
[0939]對龍山荘
[0940]畑菜
[0941]梶井基次郎
[0942]伏見城
[0943]①龍光院/②密庵
[0944]法然院
[0945]徳林庵
[0946]膝丸
[0947]たけびしスタジアム京都(西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場)
[0948]存古楼
[0949]行者餅
[0950]佐伯灯籠
[0951]源氏物語千年紀
[0952]武野紹鷗
[0953]愛宕念仏寺
[0954]仮名
[0955]細川頼之
[0956]池大雅
[0957]墨染
[0958]地蔵寺
[0959]庭湖石
[0960]曼殊院
[0961]法界寺
[0962]舟橋蒔絵硯箱
[0963]狩野山楽
[0964]孝明天皇
[0965]大映
[0966]①松峠/②裏白峠
[0967]総見院
[0968]中宮彰子
[0969]醍醐天皇
[0970]800年
[0971]積翠園
[0972]由岐神社
[0973]以心崇伝
[0974]源頼光
[0975]稲葉正邦
[0976]善阿弥
[0977]灰屋紹益
[0978]北観音山
[0979]京小紋
[0980]大政奉還
[0981]下油掛町
[0982]上品蓮台寺
[0983]古今和歌集
[0984]大聖寺
[0985]通圓
[0986]湯川秀樹
[0987]①京都守護職/②会津藩/③松平容保
[0988]前川國男
[0989]方丈記
[0990]松村月渓(呉春)
[0991]産寧坂
[0992]御手洗祭
[0993]首途八幡宮
[0994]明応の政変
[0995]京都大学東南アジア地域研究 研究所
[0996]錦市場商店街
[0997]小松帯刀
[0998]①狩野光信/②相国寺
[0999]宇多天皇
[1000]黒谷和紙

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京都検定1級用語集 百本ノック 0801~0900

[0801]京都府内の伝統的工芸品等のうち、奈良時代に大陸から伝わったもので、金属の生地に色の異なった金属をはめ込み、それぞれの色彩や隆起などで模様を表現するものを【 】という。※経済産業大臣が指定した伝統的工芸品ではない。(2013)
[0802]【日本外史】を書いた儒学者で、「三十六峰外史」とも号し、京都の風景美を「山紫水明」と表現して書斎の名称にも用い、長楽寺に葬られたのは【 】である。(2011)(2013)
[0803]江戸在住者の視点で京都見聞録『見た京物語』を書いたのは【 】である。※1781年時点で京都は「田舎」との評価。(2017)
[0804]祇園祭の巡行に参加する山鉾の総数は【 基】である。※2023年7月巡行時。(2009)
[0805]二条城の南にある重要文化財の住宅で、諸大名の宿泊施設として利用されたのは【 】である。(2022)
[0806]随心院の本尊は、重要文化財の【①】である。(2016)/随心院にある重要文化財の金剛薩埵坐像を作ったのは【②】である。※伝定朝作と伝わる重要文化財阿弥陀如来坐像もある。(2016)
[0807]多くの京町家に見られる建築構造で、外壁面に柱が露出しているものを【 】という。(2015)
[0808]孤峯庵、里子、慈念が登場する小説を書いたのは【 】である。(2007)
[0809]9月15日に三勅祭の一つに数えられた例祭が行われる神社は【 】である。(2007)
[0810]石川丈山が造営した詩仙堂は、正しくは【 】と呼ばれ、でこぼこした土地に建てた住居を意味する。(2017)
[0811]【藤森神社】の境内に湧く御神水を【 】という。(2014)
[0812]西本願寺御影堂前にあり、火災を防いだとされる木の樹種は【 】である。(2017)
[0813]服部宗巴・宗碩父子を継ぎ、明治以降は観世流宗家と親族関係となり、関西の観世流の総支配人的な役割を担っているのは【 家】である。(2007)
[0814]葵祭の行列が下鴨・上賀茂両社に到着すると、御祭文の奉納、東游舞の奉納など【■■の儀】が神前で行われる。(2006)
[0815]小堀遠州龍光院内に建てた子院は【①】である。(2015)/大徳寺塔頭のうち、松平不昧が晩年に建てた大圓庵の茶室が2018年に復元されたのは【①】である。(2018)/十二畳からなる書院風の茶室【②】は、小堀遠州の設計で重要文化財。縁先の障子の下は吹き放ちになっており、近くに置かれた「露結の手水鉢」と寄燈籠、少し離れた書院直入軒の庭とを視覚的に結びつけている。(2008)(2022))
[0816]白峯神宮にある京都市指定天然記念物の【 】は、【飛鳥井家】の邸宅であった時代の植栽といわれ、樹齢800年ともいわれている。(2021)
[0817]石清水八幡宮が鎮座する山は【 】である。(2021)
[0818]平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像を囲む長押上に懸けられた【 】は、鳳翔館に保存されているものと合わせて、現在では全52体が国宝に指定されている。(2007)(2016)
[0819]明智光秀が最期を遂げた場所とされる明智藪は、京都市伏見区の【 】にある。(2015)(2019)
[0820]重要伝統的建造物群保存地区のうち、京都市右京区にあるのは【 】である。(2009)
[0821]明治37(1904)年に竣工した重要文化財京都府庁旧本館は、創建時の姿をとどめる現役の官公庁の建物としては日本最古のものであるが、この建物を設計したのは【 】である。※1888年北海道庁旧本庁舎は現役庁舎ではない。愛知県本庁舎は1938年。(2012)
[0822]8月14日から16日まで東大谷墓地で【 万灯会】が行われる。(2008)
[0823]関ヶ原の戦いの前哨戦となった伏見城の戦いで、徳川家譜代の家臣であった【 】は小早川秀秋らの攻撃を受けて死亡したが、その際の床板が正伝寺や養源院に移されて血天井と呼ばれている。(2016)
[0824]高山寺清滝川を見下ろす高台にあり、国宝の建造物である【 】は、【明恵】上人時代の唯一の遺構である。(2007)
[0825]1月8日から14日まで東寺で行われる行事は【 】である。(2009)(2023)
[0826]琵琶湖疎水を建設した目的は【 】である。(2007)
[0827]「都七福神まいり」の社寺のうち、大黒天をまつるのは【 】である。(2010)
[0828]西国三十三所の第10番札所は【 】である。(2007)
[0829]【円山公園】の一重白彼岸枝垂桜は「祇園しだれ桜」とも呼ばれるが、その先代の桜と親木が同じとされるのは、井手町内にある【 】のシダレザクラである。(2021)
[0830]浄土宗大本山の一つである百萬遍知恩寺の中にあり、法然上人と第2世源智上人の墓石を覆う形の廟堂の入口にある門を【 】という。(2022)
[0831]自らは仕官しなかったが3人の息子を大名に仕官させ、三千家の基礎を築いたのは【 】である。(2007)
[0832]『東海道中膝栗毛』には、「商人のよき衣きたるは他國に異にして、京の【 】の名は、益西陣の織元より出」と書かれている。(2008)
[0833]途中峠を経由する若狭街道と都の接続点は【 口】で、付近の町名にその名が残る。(2016)
[0834]千宗旦が隠居所に設けた茶室は四男の仙叟宗室に継承され、【裏千家】は、【 】の庵号に託された精神を受け継いだ。(2006)(2022)
[0835]香具商の熊谷直孝は、日本で初めての小学校である【 】を開校し、それが後の柳池小学校となった。(2019)
[0836]「都七福神まいり」の社寺のうち、福禄寿をまつるのは【 】である。(2010)
[0837]京丹後市網野町にあり、全長約200mに及ぶ日本海沿岸最大の前方後円墳は【 】である。(2015)
[0838]スポーツの日の前日に当たる日曜日に秋元神社で行われる【 】は、室町時代の風流踊りに起源を持ち、「切子灯籠」を頭に乗せた女装の少年たちや踊り子の少女たちによって奉納される。(2018)
[0839]先斗町では、5月に「鴨川をどり」、10月に【 】が開催される。(2011)
[0840]東福寺の三門に掲げられている扁額の「妙雲閣」を揮毫したのは【 】である。(2022)
[0841]北野天満宮の門前茶屋では、餡餅ときな粉餅の2種が名物菓子【 】として販売されている。※長五郎餅との混同に注意。(2009)(2013)
[0842]落語「こぶ弁慶」に登場する男は、肩にできた弁慶の顔の瘤を取りたいと願い、【 】に日参した。(2021)
[0843]方広寺にある重要文化財の梵鐘に刻まれている計8文字の字句で、「大坂冬の陣」の契機となったのは【 】である。(2011)
[0844]「かにかくに 祇園はこひし 寝る時も 枕の下を 水のながるる」と刻まれた石碑があるのは【 】である。(2008)
[0845]浄土庭園の代表例は、木津川市内の【 】の庭園で、史跡・特別名勝に指定されている。※特別史跡ではない。(2012)/京都府内最古の三重塔は【 】にあり、国宝である。(2017)
[0846]小浜藩出身の尊王の志士で、京都市中京区にある大福寺に寓居したこともある【 】は、安政の大獄で獄死し、時代祭では維新志士列の中に吉田松陰頼三樹三郎らとともに名前入りで登場する。(2015)
[0847]「もの思へば 沢のほたるも わが身より あくがれ出づる たまかとぞ見る」と詠んだのは【 】である。※貴船神社にある歌碑。(2008)/誠心院にある石塔は、情熱的な恋歌を数多く残した【 】の墓といわれる。(2009)
[0848]大徳寺塔頭のうち、前田利家夫人の松子が創建し、「京の四閣」の一つとされる【吞湖閣】があるのは【 】である。(2010)
[0849]冷泉家の初代当主は【 】である。(2017)
[0850]知恩院の三門楼上には白木の棺が安置され、造営奉行であった【 】夫婦の木像が納められている。※七不思議の一つ。(2017)
[0851]京都熊野神社の現在の本殿は、1835年に【 】の本殿を移築したものである。(2017)
[0852]明治42(1909)年に映画初主演し日本初の映画スターといわれた【 】は、「目玉の松ちゃん」の愛称で親しまれた。(2013)
[0853]北野天満宮の本殿の建築様式は【 】である。(2012)
[0854]羽柴秀吉明智光秀が勝敗を決した戦いを【 】という。(2019)
[0855]下鴨神社の境内地にある社叢を【 】という。(2020)
[0856]幽霊が買い求めたという民間伝承を持ち、現在も六道珍皇寺の近くで販売されている飴を【 】という。(2008)(2013)
[0857]番組小学校には、火事の発見や時刻を知らせるために【 】があったが、現在は元有済小学校校舎の屋上に唯一現存し、国の登録有形文化財になっている。(2019)
[0858]祇園甲部の紋章は【■個の■■■■■に■の字】である。(2023)
[0859]2023年の京都の顔見世興行は【 月 日から 月 日まで】行われた。(2010)
[0860]修学院離宮の下離宮にあり、後水尾上皇の御座所とされた建物を【 】という。(2016)
[0861]【近衛信尹】、【松花堂昭乗】とともに寛永の三筆として知られる【 】は、江戸幕府から洛北【鷹峯】に土地を与えられて芸術村をつくった。※その時期を「晩年」と言ってよいか微妙。(2007)
[0862]山鉾巡行の順番をくじで決めず、古例で決まっているものを【 】という。(2006)
[0863]「くじ取らず」の山鉾のうち、後祭の1番は【 】である。(2008)/祇園祭の山鉾のうち、源義経と弁慶との決闘をテーマとしたものは【 】である。(2012)
[0864]宇治田原町立川大道寺地区では、「鶴の子柿」という小ぶりの渋柿を柿屋で乾燥させ、干し柿の【 】を作る。(2023)
[0865]京都南座の「吉例顔見世興行」のまねき看板が書かれる場所となっている寺院は【 】である。(2022)
[0866]江戸時代の歌人で、「平安和歌四天王」の一人に数えられ、平易率直な「ただこと歌」を主張し、歌集『六帖詠草』や歌論書『布留の中道』などを書いたのは【 】である。(2009)
[0867]明智光秀が仕えた室町幕府の将軍は【 】である。(2019)
[0868]平安京の四神にあたるもののうち、現存しないのは【 】である。(2015)
[0869]舞鶴市内の寺院で、亀腹に瓦を葺き上重の高欄に鳥居をもつ多宝塔があるのは【 】である。(2017)
[0870]第3代京都府知事となった北垣国道は、京都・【 】間車道を完成させた。(2009)
[0871]「夜泣き止め松」は、【 寺】5世であった日諦上人にまつわる伝承に由来する。(2015)
[0872]「月はおぼろに東山 かすむ夜ごとのかがり火に 夢もいざよふ紅ざくら しのぶおもひを ふりそでに 祇園恋しや だらりの帯よ」と作詞したのは【①】である。(2007)(2008)/【円山公園】には、「月はおぼろに東山」で始まる【②】の歌詞を刻んだ石碑がある。(2019)
[0873]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品の中の「その他の工芸品」のうち、うちわと表具を除く他の一つを【 】という。※平安時代初期に「木簡」を何枚かつなげたのが始まり。(2006)
[0874]『山州名跡志』によれば、修学院から延暦寺へと続く音羽川沿いの山道は、夕雲が覆い、都からは雲が生ずるようにも見え、【 】と呼ばれた。(2005)(2012)
[0875]岩倉具視幽棲旧宅の敷地内にあり、【武田五一】が設計した建物を【 】という。(2013)(2019)
[0876]三すくみのジャンケンで勝ち負けを競う「拳」は、お茶屋の代表的な遊びの一つであるが、浄瑠璃の『国姓爺合戦』にちなむ拳を【 】という。(2020)
[0877]万治元(1658)年に中川喜雲が刊行した京都初の名所記は【 】である。(2007)(2018)
[0878]平安京の左京と右京には【 】と呼ばれる行政機関が置かれ、司法・警察・民政などを担当した。(2010)(2017)
[0879]五奉行の一人で、主に宗教政策を担当し、関ヶ原の戦いの後に初代丹波亀山藩主となったのは【 】である。(2018)
[0880]江戸後期の京焼の陶工で、主に煎茶器を制作し、青蓮院粟田御所の御用焼物師となったのは【 】である。(2008)(2017)
[0881]鴨川は桂川に合流し、さらに下流三川合流点では宇治川、【 】、桂川が合流して淀川となる。(2020)
[0882]真如堂は、正式には【 】という。(2010)/明治41(1908)年、【 】の境内で「本能寺合戦」が撮影された。(2013)/洛陽六阿弥陀巡りの一つで、重要文化財の本堂が天台宗寺院として京都市内最大規模であり、また、三井家の墓があるのは【 】である。※他の洛陽六阿弥陀は、永観堂清水寺阿弥陀堂、安祥院、安養寺、誓願寺。(2016)
[0883]「哲学の道」は、『善の研究』を書いた【 】らが散策したことから名づけられた。(2007)
[0884]医者から転じて独自の煎茶道を創案し、その家元として公家や文人煎茶道を流行させ、のちにその喫茶法を『喫茶弁』として出版したのは【 】である。(2009)(2016)
[0885]天明の大火で焼失した京都御所は、寛政元(1789)年から2年にかけて、有職故実家【①】が書いた【②】に基づき、復古的に再建された。(2010)(2018)
[0886]天正16(1588)年、豊臣秀吉が造営した聚楽第行幸した天皇は【 】である。(2006)
[0887]山伏山の御神体のモデルとされるのは【 】である。(2014)/八坂塔の名称で親しまれる法観寺五重塔が傾いた際、【 】が法力で立て直したという伝説がある。(2017)
[0888]「葵祭の中餅」と呼ばれた下鴨神社の名物菓子で、小豆のゆで汁でついた餅菓子を【 】という。(2023)
[0889]江戸時代には京都を地盤に禁裏能などで活躍し、京流とも呼ばれた狂言の流派は【 】である。※和泉家当代当主は民事訴訟で宗家と認められず宗家不在。(2005)
[0890]桂離宮の中では唯一の瓦葺の建物で、宮家の持仏堂であったものを【 】という。(2022)
[0891]豊臣秀吉によって造られた土塁は【御 】と呼ばれ、軍事目的や治水目的のほか、洛中と洛外を分ける役割もあった。(2005)(2008)
[0892]赤レンガの外壁を残して内部のみを改築するファサード保存の手法が用いられた日本で最初の例とされるのは【 】である。(2016)
[0893]昭和13(1938)年に近衛文麿が創設した【①】には、近衛家伝来の貴重な資料が数多く所蔵されており、藤原道長が書いた国宝の日記である【②】は、ユネスコの「世界の記憶」にも登録されている。(2009)(2019)(2023)
[0894]妙心寺塔頭で、中根金作が作庭した余香苑があるのは【 】である。(2012)
[0895]【池坊専好(2代)】を禁裏の花会に招いた天皇は【 】である。(2014)/退位した後、現在の修学院離宮となる山荘を造営した上皇は【 】である。(2005)
[0896]京都市下京区には『源氏物語』に登場する女性の墓とされる場所を表示する石柱が立っており、その場所は【 町】である。(2020)
[0897]平安神宮の創建理由は【 】である。(2005)
[0898]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、木製品、金属製品、木彫仏、仏画軸を指すものを【 】という。※11世紀初頭の七条仏所で本格的な製作が始まった。(2006)
[0899]重要伝統的建造物群保存地区のうち、南丹市にあるのは【 】である。(2009)
[0900]新選組の参謀を務めたが、活動方針の相違から離脱して御陵衛士高台寺党)を結成した後、近藤勇らの謀略により七条油小路で暗殺されたのは【 】である。(2016)

[0801]京象嵌
[0802]頼山陽
[0803]二鐘亭半山
[0804]34基
[0805]小川家住宅
[0806]①如意輪観音/②快慶
[0807]真壁造
[0808]水上勉
[0809]石清水八幡宮
[0810]凹凸窠
[0811]不二の水
[0812]銀杏
[0813]片山家
[0814]社頭の儀
[0815]①孤篷庵/②忘筌席
[0816]オガタマノキ
[0817]男山
[0818]雲中供養菩薩像
[0819]小栗栖
[0820]嵯峨鳥居本
[0821]松室重光
[0822]東大谷万灯会
[0823]鳥居元忠
[0824]石水院
[0825]後七日御修法
[0826]動力源、物流、農業用水
[0827]松ヶ崎大黒天
[0828]三室戸寺
[0829]地蔵禅院
[0830]念字門
[0831]千宗旦
[0832]着たをれ
[0833]大原口
[0834]今日庵
[0835]上京第二十七番組小学校
[0836]赤山禅院
[0837]銚子山古墳
[0838]赦免地踊
[0839]水明会
[0840]足利義持
[0841]粟餅
[0842]蛸薬師
[0843]国家安康 君臣豊楽
[0844]祇園白川
[0845]浄瑠璃寺
[0846]梅田雲浜
[0847]和泉式部
[0848]芳春院
[0849]冷泉為相
[0850]五味金右衛門
[0851]下鴨神社
[0852]尾上松之助
[0853]八ツ棟造(権現造)
[0854]山崎の戦い
[0855]糺の森
[0856]幽霊子育飴
[0857]太鼓望楼
[0858]8個のつなぎ団子に甲の字
[0859]12月1日から12月24日まで
[0860]寿月観
[0861]本阿弥光悦
[0862]くじ取らず
[0863]橋弁慶山
[0864]古老柿
[0865]妙傳寺
[0866]小沢蘆庵
[0867]足利義昭
[0868]巨椋池
[0869]円隆寺
[0870]宮津
[0871]本隆寺
[0872]①長田幹彦/②祇園小唄
[0873]京扇子
[0874]雲母坂
[0875]対岳文庫
[0876]虎拳
[0877]京童
[0878]京職
[0879]前田玄以
[0880]青木木米
[0881]木津川
[0882]真正極楽寺
[0883]西田幾多郎
[0884]小川可進
[0885]①裏松固禅/②大内裏図考証
[0886]後陽成天皇
[0887]浄蔵(浄蔵貴所)
[0888]申餅
[0889]和泉流
[0890]園林堂
[0891]御土居
[0892]中京郵便局
[0893]①陽明文庫/②御堂関白記
[0894]退蔵院
[0895]後水尾天皇上皇
[0896]夕顔町
[0897]平安奠都1100年紀念祭、第四回内国勧業博覧会の記念殿
[0898]京仏具
[0899]美山町
[0900]伊東甲子太郎

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京都検定1級用語集 百本ノック 0701~0800

[0701]赤松満祐が室町幕府6代将軍【足利義教】を殺害し、幕府軍に討伐された一連の騒動を【 】という。(2014)
[0702]光悦寺は、本阿弥光悦徳川家康から拝領した【鷹峯】に草庵を結び【 】を建てたのが始まりで、その後、日慈が開山となり寺院となった。(2015)
[0703]京都御所の正殿を【 】という。(2007)
[0704]世阿弥の能は、現在の【 流】へとつながる。(2005)
[0705]花街では12月13日から正月の準備を始めるが、京舞【 流】家元の稽古場には「玉椿」の軸が掛けられ、門弟から届けられた鏡餅が飾られる。(2006)
[0706]道元が伏見深草に創建し、淀城主の永井尚政が宇治の地に再興した曹洞宗の寺院で、総門から続く琴坂にサクラやカエデが植えられているのは【 】である。(2006)(2019)
[0707]「くじ取らず」の山鉾のうち、前祭の1番は【 】である。(2008)/2016年に【伊藤若冲】の原画をもとに見送を新調した山鉾は【 】である。(2016)
[0708]五摂家のうちの一つで、禁門の変蛤御門の変)で久坂玄瑞らの長州藩士が朝廷へ嘆願するために立てこもり、現在は京都御苑の堺町御門の北側にあった邸宅跡地に石柱が立つのは【 家】である。(2015)
[0709]洛中では現存最古となる国宝の本堂がある【 】は、行快が作った重要文化財の釈迦如来坐像を秘仏本尊として所蔵する。※普段は非公開。(2019)
[0710]観世流の宗家が江戸に移った後、最初に観世京屋敷の管理と諸用向きを取り仕切った観世ワキ方福王流の家元は【 】である。(2016)
[0711]西国三十三所の第20番札所は【 】である。(2007)/西山宮門跡とも呼ばれる寺院で、天然記念物に指定されている樹齢約600年の「遊龍松」があるのは【 】である。(2005)(2015)
[0712]都をどりが開催される会場は【 】である。※改修時期は別会場開催だった。(2016)
[0713]小倉百人一首のうち、名古曽滝を題材とした和歌を詠んだのは【 】である。(2018)
[0714]上賀茂神社で、重陽の神事に引き続いて、二の鳥居内の細殿前庭で行われる祭事を【 】という。(2005)
[0715]千利休が茶頭として仕えた人物は【 】である。(2006)/永禄11(1568)年、足利義昭を擁して上洛し、京都の都市政策を進めた人物は【 】である。(2013)
[0716]四条寺町の御旅所に隣接する八坂神社の境外末社で、商売上の駆け引きの罪などを払う「誓文払い」の神として信仰されている神社は【 】である。(2019)
[0717]洛中法華二十一ヵ寺本山のうち、石田三成の軍師であった島左近の墓があるのは【 】である。※島左近関ヶ原で戦死。灰屋紹益の墓もあり、幽霊飴伝説も残る。(2017)
[0718]豊臣秀吉が築造した御土居は、当時、【 】と呼ばれていた。(2011)
[0719]平安京のように大内裏を北端に置く都市を【 】という。(2022)
[0720]2015年に下鴨神社で約550年ぶりに復活した能の行事を【 】という。※その後は定期開催していないが令和元年は天皇即位を祝い開催。(2015)
[0721]六歌仙三十六歌仙に数えられる歌人のうち、紫野の雲林院と関わりが深いのは【 】である。※六歌仙の全員が三十六歌仙に含まれるわけではない。
[0722]人臣として初めて関白に就任し、宇多天皇の時代に「阿衡の紛議」を起こしたのは【 】である。(2019)
[0723]八坂神社の境内末社の祭神は容姿端麗だったとの言い伝えがあり、【 】の前には美容水が湧き出ている。(2012)(2022)
[0724]後祭の山鉾巡行で最後尾を務めるのは【 】であるが、蛤御門の変により焼失して長らく休み鉾となっていた時期がある。(2005)(2008)(2010)
[0725]建仁寺法堂には、小泉淳作が描いた【 図】がある。(2013)
[0726]京の六地蔵めぐりのうち、常盤地蔵をまつるのは【 】である。(2011)
[0727]京都御苑内の九條邸跡には、拾翠亭という茶室や【 】という邸内社が残る。(2018)
[0728]聖武天皇の勅願で良弁が創建した寺院が起源とされ、国宝の五重塔がある【 】は、【都名所図会】に概ね現在と同じ寺観が描かれている。(2005)(2015)
[0729]鹿ケ谷にある【霊鑑寺】は椿が有名な尼門跡寺院で、「谷御所」とか【鹿ケ谷■■■御所】と呼ばれる。(2014)
[0730]賀茂社とともに王城鎮護の神として崇敬を集め、「酒の神」としても知られる神社は【 】である。(2010)/重森美玲が手掛けた上古の庭、曲水の庭、蓬莱の庭の三庭からなる松風苑がある神社は【 】である。(2018)
[0731]天明の大火で焼失した京都御所は、寛政元(1789)年から2年にかけて、老中【 】によって復元された。(2007)(2018)
[0732]六勝寺のうち、鳥羽天皇御願寺は【 】である。(2020)
[0733]梁などを支える寺社建築の部材で、装飾として使われることもあるものを【 】という。(2013)
[0734]2019年3月、JR嵯峨野線の【 駅】が開業した。(2019)
[0735]時代祭行列の出発前に、京都御所建礼門前で執り行われる祭事を【 】という。(2015)
[0736]伏見稲荷の社家の出身で国学の四大人に数えられる【 】は、江戸で国学を説き、神田明神(東京都千代田区外神田)には「国学発祥の地」の碑がある。※契沖の「国学発祥の地」は和泉市にある。(2020)
[0737]観世流の宗家が江戸に移った後、町衆の間で流行した【①】の師範を務めた家を総称して【②】という。(2008)(2015)/その家名は、【③家】、【④家】、【⑤家】、【⑥家】、【⑦ 家】である。※今も残るのは家名を50音順に並べて最後に来る一家のみ。(2011)
[0738]【藤森神社】の境内に3500株あるとされる花は【 】である。(2014)
[0739]現在の宮津市出身で、西洋医学を学んだ後、天保10(1839)年に医学校の順正書院を開設したのは【 】であり、その建物は現在、湯豆腐店となっている。(2019)
[0740]蹴上浄水場にある石碑に刻まれた「御目ざめの 鐘は知恩院 聖護院 いでて見たまへ 紫の水」の歌は【 】が詠んだものである。(2011)
[0741]上賀茂神社の正式名称は【 】である。(2008)(2010)
[0742]16世紀前半に花道の大成者がまとめた、いけばな理論の花伝書を【 】という。(2014)
[0743]大覚寺にあり5体とも重要文化財となっている五大明王像は、円派を代表する仏師【 】の作品である。(2015)
[0744]元伊勢と称する籠神社の本殿の建築様式は、伊勢神宮と同じ【 】である。(2019)
[0745]平等院宇治川の間にある川沿いの小道を【 】という。(2011)
[0746]安永9(1780)年に刊行された【①】は、京都とその周辺の名所や史跡を【②】が竹原春朝斎の挿絵付きで解説している。(2006)(2011)(2013)(2018)
[0747]安土桃山から江戸初期にかけての京都の豪商で、新たな藍染技法を考案したり江戸幕府の御用呉服商としても活躍したのは【 家】である。(2010)
[0748]「くじ取らず」の山鉾のうち、前祭の21番は【 】である。(2008)/2023年に与謝蕪村の「琴棋書画図」を下絵に刺繡を施した下水引を244年ぶりに復元新調したのは【 】である。(2023)
[0749]7月15日から24日までの期間のみ開放される烏丸通に面する井戸を【 】という。(2022)
[0750]お祝いの1割程度を返礼する京都のならわしを【 】という。(2005)(2019)
[0751]初代海軍大臣を務めた人物で、琵琶湖疎水の第2トンネル西口の扁額に書かれている「随山到水源」の字句を揮毫したのは【 】である。※東口は井上馨の「仁以山悦智為水歓」。(2020)
[0752]芝ヶ原古墳は【 市】にある日本最古級の前方後円墳で、出土品は重要文化財に指定されている。(2020)
[0753]葵祭の行列における最高位者は【 】である。(2008)
[0754]蹴上の【インクライン】の下に、らせん状にレンガを積んでいるトンネルがあり、それを通称【 】という。(2011)
[0755]【日野富子】の子で、室町幕府9代将軍となったのは【 】である。(2017)
[0756]龍安寺境内の南側は回遊式庭園となっているが、その中心にある【 池】は、平安時代には徳大寺家の別荘の一部として、龍頭船が浮かべられた場所であった。(2015)
[0757]東天王社と呼ばれた岡崎神社に対し、西天王社と呼ばれたのは【 】である。(2012)/美福門院が建てた歓喜光院の鎮守社とされた神社で、「角豆祭」として知られた神幸祭が5月10日に行われるのは【 】である。(2016)
[0758]千本北大路の東北角には【 天皇】の火葬塚がある。(2019)
[0759]鶏図を得意とし、【動植綵絵】などの作品で知られる絵師【①】は、錦市場の【②】の家に生まれた。(2005)(2016)(2022)
[0760]征夷大将軍として蝦夷征討に功績があり、「王城の守護神」とあがめられた人物で、清水寺の創建に尽力したのは【 】である。(2020)
[0761]「陀羅尼の鐘」は建仁寺、「迎え鐘」は六道珍皇寺、「安珍清姫の鐘」は【 】にある。(2012)(2013)
[0762]8月16日、家庭では【 】を炊いてお供えし、その湯がき汁を門口に撒くと精霊はこの世に未練を残さず冥土に帰ることができるとされる。(2008)
[0763]二条城二の丸御殿遠侍は国宝であるが、その若松の間に描かれた天井画は天井全体が一つの絵画になっており、【 図】という。(2013)
[0764]歌舞伎は、【 】が慶長8(1603)年に京都で踊ったのが始まりとされ、北野の杜や五条河原などでも興行した。(2006)(2010)
[0765]法然らが後鳥羽上皇の怒りに触れて流罪となった事件を【①】という。(2011)/法然親鸞流罪となった事件は、後鳥羽上皇の女御であった【②】が法然の弟子の住蓮と安楽のもとに出家してきたことがきっかけであった。(2016)
[0766]五山の送り火の一つである東山の「大」の字形には諸説あるが、寛文2(1662)年の『案内者』では【 】の筆画とされている。(2014)
[0767]応仁の乱が起こった当時の将軍の正室は【 】である。(2008)
[0768]大原の天台声明の道場に始まる【 】は、融通念仏の宗祖良忍により再興され、薬師・釈迦・阿弥陀の三尊を本尊としている。(2009)
[0769]「利休七哲」のうちの一人で、利休死後に千少庵を保護し、徳川家康とともに千家の再興に尽力した武将は【 】である。(2022)
[0770]京都市西京区にある研究機関で、日本文化を国際的な視野で学際的かつ総合的に研究しているのは【 】である。(2008)
[0771]父から桂離宮を引き継いで整備したのは【 】である。(2008)
[0772]木津川市加茂町・当尾の里にある寺院で、本尊の阿弥陀如来坐像や三重塔などの重要文化財を有し、アジサイの名所としても知られるのは【 】である。(2014)/隅鬼が垂木を支える重要文化財の三重塔があるのは【 】である。(2017)
[0773]童謡で歌われる源義経と弁慶の決闘の場所は【 】である。(2012)
[0774]松平容保会津藩の本陣を置いた寺院は【 】である。(2013)(2020)/法然が腰かけたとされる紫雲石がある西雲院は【 】の塔頭である。(2013)
[0775]法師が木に登って賀茂の競馬を見物する情景が書かれている文学作品は、【吉田兼好】の【 】である。(2010)
[0776]知恩院の【瓜生石】には、【 】が降臨して一夜にして瓜が実ったという伝説があり、また、二条城へ続く抜け道の出入口とも言われる。(2016)
[0777]2003年3月に始まった【京都・東山■■■】は、2022年3月をもって終了した。(2007)
[0778]慶応3(1867)年12月に徳川家の処遇を決定した会議を【 】という。(2007)
[0779]御土居の西南に設けられた都への出入口は、JR嵯峨野線の【 】駅としてその名が残っている。(2016)
[0780]東寺は【■■■■寺】とも表記される。※法人名称でもあるが、「正式名称」と言うことには異論もあり。(2006)
[0781]千宗旦四男の仙叟宗室が出仕した大名家は【 】である。(2005)(2015)
[0782]元治元(1864)年、三条小橋近くの旅籠【 】に長州藩士らが集まっていたところを新選組が襲撃した。(2010)(2020)/その事件は、新選組が壬生の旧前川邸で【 】を自白させて起こしたである。(2014)
[0783]豊臣秀吉が伏見に築いた城は慶長大地震で倒壊し、その後別の場所に城が築かれたため、両者を区別する場合は最初の城を【 】と呼ぶ。(2015)
[0784]重要伝統的建造物群保存地区のうち、伊根町にあるのは【 】である。(2009)
[0785]陰暦の6月16日に厄除招福を願って食べた菓子を【 】という。※和菓子の日の由来。(2018)
[0786]酸化鉄を主成分とし、京町家の格子の塗装などに使われてきた赤色顔料を【 】という。(2017)
[0787]始業式では、芸舞妓は黒紋付を着て【 】の付いた花簪を挿す。(2006)
[0788]菅原道真の生涯や怨霊による災いなどを描いた北野天満宮所蔵の国宝の絵巻を【 】という。(2006)
[0789]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、明治12(1879)年に【広瀬治助】が写し友禅染めの新技法を開発して量産化に成功したのは【 】である。(2006)(2007)
[0790]【近松門左衛門】の浄瑠璃作品のうち、京都の南北の通り名が登場するのは【 】である。(2018)
[0791]京町家の中のカマドは「おくどさん」とも呼ばれるが、上部の吹き抜けになっている空間を【 】という。(2020)
[0792]松尾大社の境内に湧く名水を【 】という。(2015)
[0793]下鴨神社の摂社で、鴨長明と関係が深いのは【 】である。(2020)
[0794]【光格天皇】の父である閑院宮典仁親王は、明治時代に【 天皇】の尊号を追号された。(2019)
[0795]北白川一帯で採れる花崗岩は【白川石】と呼ばれ、京石工芸品に欠かせないものであったが、その卓越した加工技術は【 】の参道に架かる萬世橋に見ることができる。※現在は採石禁止。(2020)
[0796]大佛次郎の小説『帰郷』では、主人公の守屋恭吾と娘の伴子は【 】の境内で再会する。(2010)/2016年、北山大塔の「相輪」の一部と見られる青銅製の破片が【 】の境内から発掘された。(2017)
[0797]天寧寺の山門は、【 】とも呼ばれている。(2014)
[0798]京都迎賓館の庭園は、建物と融け合うように配置され、【 】の思想を体現している。(2012)
[0799]現在の東寺南大門は、【 】の西門が移築されたものである。(2017)
[0800]上賀茂神社の「白馬奏覧神事」、御香宮神社の「七種神事」、祇園4花街の始業式は、いずれも【■月■日】に行われる。(2013)

[0701]嘉吉の変(乱)
[0702]法華題目堂
[0703]紫宸殿
[0704]観世流
[0705]井上流
[0706]興聖寺
[0707]長刀鉾
[0708]鷹司家
[0709]大報恩寺千本釈迦堂
[0710]服部宗巴
[0711]善峯寺
[0712]祇園甲部歌舞練場
[0713]藤原公任
[0714]烏相撲
[0715]織田信長
[0716]冠者殿社
[0717]立本寺
[0718]京廻ノ堤
[0719]北闕型都市
[0720]糺勧進
[0721]僧正遍昭
[0722]藤原基経
[0723]美御前社
[0724]大船鉾
[0725]双龍図
[0726]源光寺
[0727]厳島神社
[0728]海住山寺
[0729]鹿ケ谷比丘尼御所
[0730]松尾大社
[0731]松平定信
[0732]最勝寺
[0733]蟇股
[0734]梅小路京都西駅
[0735]行在所祭
[0736]荷田春満
[0737]①素謡/②京観世五軒家/③浅野家/④井上家/⑤岩井家/⑥薗家/⑦林家
[0738]紫陽花
[0739]新宮凉庭
[0740]与謝野晶子
[0741]賀茂別雷神社
[0742]池坊専応口伝
[0743]明円
[0744]唯一神明造
[0745]あじろぎの道
[0746]①都名所図会/②秋里籬島
[0747]茶屋家
[0748]放下鉾
[0749]御手洗井
[0750]おため
[0751]西郷従道
[0752]城陽市
[0753]勅使(近衛使
[0754]ねじりまんぽ
[0755]足利義尚
[0756]鏡容池
[0757]須賀神社
[0758]後冷泉天皇
[0759]①伊藤若冲/②青物問屋
[0760]坂上田村麻呂
[0761]妙満寺
[0762]あらめ
[0763]葡萄図
[0764]出雲の阿国
[0765]①建永の法難(承元の法難)/②松虫・鈴虫
[0766]近衛信尹
[0767]日野富子
[0768]来迎院
[0769]蒲生氏郷
[0770]国際日本文化研究センター
[0771]八条宮智忠
[0772]岩船寺
[0773]五条大橋
[0774]金戒光明寺
[0775]徒然草
[0776]牛頭天王
[0777]京都・東山花灯路
[0778]小御所会議
[0779]丹波口
[0780]教王護国寺
[0781]加賀前田家
[0782]①池田屋/②古高俊太郎(枡屋喜右衛門)
[0783]指月伏見城(指月城)
[0784]伊根浦
[0785]嘉祥菓子
[0786]紅殻
[0787]稲穂
[0788]北野天神縁起
[0789]京友禅
[0790]堀川波
[0791]火袋
[0792]亀の井
[0793]河合神社
[0794]慶光天皇
[0795]北白川天神宮
[0796]金閣寺
[0797]額縁門
[0798]庭屋一如
[0799]三十三間堂
[0800]一月七日

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