夜光杯雑記帳

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京都検定1級用語集 百本ノック 0001~0100

[0001]天元5(982)年に書かれた随筆で、右京の荒廃ぶりを描写した【①】を書いたのは【②】である。(2018)(2022)
[0002]祇園祭の山鉾のうち、左甚五郎作といわれる破風【蟇股】の彫刻や、円山応挙による屋根裏の草花図で知られるのは【 】である。(2007)
[0003]【遣唐使】が伝えた唐菓子の一つで、「聖天さん」に供える菓子として、「お団」とも呼ばれるのは【 】である。※万人向けでない独特の味わいを持つ。(2009)
[0004]五花街におけるその年最後の踊りの会となるのは【 】であり、11月1日から10日まで開催される。(2006)
[0005]豊臣秀吉は、宇治川巨椋池から切り離すための【 】を築き、伏見城に水を引いた。(2007)
[0006]西国三十三所の第21番札所で、横たわった釈迦涅槃像や身代わり観音の伝説があるのは【 】である。(2007)(2018)
[0007]京町家の小屋根によく設置されるのは、鬼に強いとされる【 】の置物である。(2016)
[0008]俵屋宗達が描いた「牛図」や宗達の墓があるのは【 】である。(2015)
[0009]明治時代に型友禅の基礎を作り量産化の道を開いたのは、染色家の【 】である。(2015)
[0010]後白河法皇の臨終仏とされる阿弥陀如来像を本尊とする寺院は【 】である。(2014)
[0011]祇園祭が官祭から町衆の祭礼へと変化していったことは、『祇園執行日記』に「神事コレ無クトモ、【 】渡シタキ事ヂヤケニ候」と書かれていることからもうかがえる。(2006)
[0012]祇園祭の山鉾のうち、中国の『二十四孝』から題材を取り、「筍山」とも呼ばれるのは【 】である。(2011)
[0013]大覚寺は、嵯峨天皇離宮であった嵯峨院を寺院に改めたのが起源であるが、境内には、中国の洞庭湖を模して造られた【 池】があり、日本三大名月鑑賞地の一つに数えられる。※他の2つは猿沢池石山寺。(2005)(2018)/その池にある平安時代の庭園遺構で、巨勢金岡が立てたと伝えられる二島一石の石を【 】という。(2022)
[0014]頭を柊にさして門口に立てると魔よけになるとも言われ、節分に食べる魚は【 】である。(2007)
[0015]京都博覧会の付博覧として、京舞井上流の三世井上八千代が創設したのは【 】である。(2009)
[0016]現在の東寺南大門は、【 】の西門が移築されたものである。(2017)
[0017]鎌倉時代初め、東寺の復興に尽力した僧は【 】である。※神護寺も復興/袈裟御前にも注意。 (2006)
[0018]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、厨子から変化したものが江戸時代に一般家庭に広まったのを【 】という。(2006)
[0019]豊臣秀吉伏見城築城の際に宇治川に架けた【 】は王政復古後の動乱で焼け、現在はその場所に観月橋が架かる。(2016)
[0020]京都御所の建物のうち、大正天皇の即位礼の際に三種の神器の一つ「御鏡」を一時的に皇居から移して奉安したのは【 】である。(2017)
[0021]舞鶴市内の寺院で、亀腹に瓦を葺き上重の高欄に鳥居をもつ多宝塔があるのは【 】である。(2017)
[0022]京都に煎茶を普及させ、【①】とも呼ばれた黄檗僧は【②】である。(2007)(2014)/その人物は、享保19(1734)年、東山に茶亭【④】を設けた。(2011)
[0023]聖徳太子ゆかりの七大寺の一つである広隆寺は、【 】が聖徳太子から賜った仏像を本尊として建立した。(2006)(2021)/世阿弥が書いた『風姿花伝』の序文によれば、聖徳太子の命を受けて申楽を初めて上演したのは【 】である。(2007)
[0024]豊臣秀吉による都市改造の一つは、【 橋】の架設である。(2005)/時代祭行列が鴨川を渡る時に通るのは【 橋】である。(2015)
[0025]応仁の乱が起こった当時の将軍の正室は【 】である。(2008)
[0026]五摂家のうちの一つで、禁門の変蛤御門の変)で久坂玄瑞らの長州藩士が朝廷へ嘆願するために立てこもり、現在は京都御苑の堺町御門の北側にあった邸宅跡地に石柱が立つのは【 家】である。(2015)
[0027]明治41(1908)年、千本一条上る東側にあった芝居小屋「千本座」の経営者の【 】が監督として「本能寺合戦」を撮影し、それが日本初の時代劇映画となった。(2008)(2013)(2019)
[0028]【円山公園】の一重白彼岸枝垂桜は「祇園しだれ桜」とも呼ばれるが、その先代の桜と親木が同じとされるのは、井手町内にある【 】のシダレザクラである。(2021)
[0029]京田辺市内の寺院で、実際に1000本の手を持つ千手観音立像を本尊とし、かつては東側に鶴沢の池が広がっていたのは【 】である。(2014)(2020)
[0030]石川五右衛門南禅寺の三門から見える春の情景を前に「絶景かな絶景かな」と言う場面で知られる歌舞伎の演目を【 】という。(2008)
[0031]京都市西京区にある研究機関で、日本文化を国際的な視野で学際的かつ総合的に研究しているのは【 】である。(2008)
[0032]観阿弥世阿弥は、大和猿楽四座のうちの【 座】の出身である。(2005)(2010)
[0033]祇園の芸舞妓の着付け師を【 】といい、その性的遍歴が題材となったのは、瀬戸内晴美(寂聴)の小説『祇園の男』である。(2021))
[0034]日本初の官許の花街となった島原には、置屋【 】のほか、大門や柳の木が残る。(2011)
[0035]指定替えで誕生した国定公園で、福知山市舞鶴市宮津市京丹後市伊根町与謝野町にまたがるのは【 】である。(2007)
[0036]梶井基次郎の小説のうち、「私」が爆弾に見立てたものを京都の書店に置く描写があるのは【 】である。(2016)
[0037]芝ヶ原古墳は【 市】にある日本最古級の前方後円墳で、出土品は重要文化財に指定されている。(2020)
[0038]5月12日に下鴨神社では御蔭祭が行われるが、糺の森における東游の舞楽奉納などからなる神事を【 】という。(2015)
[0039]花街の新年準備は12月13日の【 】から始まる。(2006)
[0040]嵯峨野の古墳群の中で最大規模のものは【①】である。7世紀頃に築造された前方後円墳であり、京都府内最大の石室面積を持ち、渡来系氏族【②】の首長の墓と推定されている。(2008)(2016)(2020)
[0041]定朝の父であり、東福寺塔頭の同聚院にある不動明王坐像を制作したとされるのは【 】である。(2014)
[0042]琵琶湖疎水の第3トンネル西口の扁額に書かれている【美哉山河】の字句を揮毫したのは【 】である。※東口には松方正義の「過雨看松色」。(2012)
[0043]「弘法さんが晴れやったら天神さんは雨や」の意味は【 】である。(2009)
[0044]「もの思へば 沢のほたるも わが身より あくがれ出づる たまかとぞ見る」と詠んだのは【①】であり、その歌を刻んだ石碑があるのは【②】である。(2008)/誠心院にある石塔は、情熱的な恋歌を数多く残した【①】の墓といわれる。(2009)
[0045]今宮神社の境内社のうち、織物の祖神をまつるのは【 】である。(2015)
[0046]「迎え鐘」を撞くのは珍皇寺、「送り鐘」を撞くのは【 】である。(2006)(2008)
[0047]大将軍八神社は、小説『天地明察』の主人公である【 】が作った天球儀などを所蔵する。(2012)/碁所であった京都の安井家に生まれたが、「貞享暦」を作った功績で幕府の初代天文方となったのは【 】である。(2023)
[0048]2011年は法然上人の【 年】の遠忌であった。(2011)
[0049]京都の顔見世は【①】の興行であり、その興行が行われる劇場は【②】である。(2010)
[0050]都をどりが開催される会場は【 】である。※改修時期は別会場開催だった。(2016)
[0051]雪舟の【天橋立図】にも描かれた丹後国一の宮で、宮司家の系譜を記した日本最古の系図として国宝に指定された「海部氏系図」を所蔵するのは【 】である。(2006)
[0052]木津川市内の寺院で、国宝の釈迦如来坐像を本尊とし、『今昔物語集』に里の娘が難を逃れた逸話が登場するのは【 】である。(2014)(2018)
[0053]二条城では、江戸幕府から朝廷に【 】を行う旨の上意下達が諸大名に対して行われた。(2011)
[0054]京都市内の重要伝統的建造物群保存地区は、産寧坂、【 】、嵯峨鳥居本、上賀茂の4地区である。(2005)(2009)
[0055]後水尾天皇八条宮智忠親王らと親交があり、随筆『にぎはひ草』を書いた京都の豪商・文人は【 】である。(2012)
[0056]【近松門左衛門】の浄瑠璃作品のうち、京都の南北の通り名が登場するのは【 】である。(2018)
[0057]二条城は、徳川家康征夷大将軍の宣下を受ける際の居館として、京都所司代【 】を総奉行として築かれた。(2010)(2014)
[0058]大原の天台声明の道場に始まる【 】は、融通念仏の宗祖良忍により再興され、薬師・釈迦・阿弥陀の三尊を本尊としている。(2009)
[0059]江戸時代の歌人で、「平安和歌四天王」の一人に数えられ、平易率直な「ただこと歌」を主張し、歌集『六帖詠草』や歌論書『布留の中道』などを書いたのは【 】である。(2009)
[0060]親鸞延暦寺から六角堂へ参籠する際に身を清めたとされる「御聖水」という湧水がある寺院は【 】である。(2023)
[0061]「小倉百人一首」に選ばれた大納言藤原公任の「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」の歌に詠まれている滝を【 】という。(2011)
[0062]平安京の二大官寺とされたのは、東寺と【 】である。(2023)
[0063]仙洞御所は、後水尾天皇上皇となった際に造営されたもので、当初の庭園は【 】によるものだが、後に後水尾上皇によって大きく改変され、安政元(1854)年に御所は焼失し、現在は茶室と庭園が残っている。(2018)
[0064]法輪寺には、本尊である【 】の化身とされる羊の像が境内にまつられている。(2015)
[0065]平安神宮の創建理由は【 】である。(2005)
[0066]高台寺の開山堂は、前身寺院の【 】から移築されたもので、臥龍池の上に渡した「臥龍廊」で秀吉・ねねの霊屋とつながっている。(2023)
[0067]天明の大火で焼失した京都御所は、寛政元(1789)年から2年にかけて、有職故実家【①】が書いた【②】に基づき、復古的に再建された。(2010)(2018)
[0068]「天神さん」の縁日が行われる日は【毎月■■日】である。(2009)
[0069]2019年3月、JR嵯峨野線の【 駅】が開業した。(2019)
[0070]12月7~8日、大報恩寺千本釈迦堂)では無病息災を願う【 】が行われる。※有償提供。(2012)
[0071]京都市下京区には『源氏物語』に登場する女性の墓とされる場所を表示する石柱が立っており、その場所は【 町】である。(2020)
[0072]冷泉家が所蔵する国宝の日記は【 】である。(2017)
[0073]西院春日神社の境内摂社で、旅行安全・交通安全の守り神をまつるのは【 】である。(2019)
[0074]新田義貞首塚があるのは【 寺】である。(2019)
[0075]平成20年(2008)年に行われた記念事業で、「古典の日」が法制化されるきっかけとなったのは【 】である。(2012)
[0076]花街では12月13日から正月の準備を始めるが、京舞【 流】家元の稽古場には「玉椿」の軸が掛けられ、門弟から届けられた鏡餅が飾られる。(2006)
[0077]関ヶ原の戦いの前哨戦となった伏見城の戦いで、徳川家譜代の家臣であった【 】は小早川秀秋らの攻撃を受けて死亡したが、その際の床板が正伝寺や養源院に移されて血天井と呼ばれている。(2016)
[0078]源氏物語を書いた人物の邸宅跡が境内にあるのは【①寺】である。(2007)/その寺院を創建した【②】は、魔を滅する「豆大師」や疫病退散の「角大師」として、また、おみくじの祖としても知られ、18代天台座主となった。(2021)
[0079]元治元(1864)年、三条小橋近くの旅籠【 】に長州藩士らが集まっていたところを新選組が襲撃した。(2010)(2020)/その事件は、新選組が壬生の旧前川邸で【 】を自白させて起こしたである。(2014)
[0080]「陀羅尼の鐘」は建仁寺、「迎え鐘」は六道珍皇寺、「安珍清姫の鐘」は【 】にある。(2012)(2013)
[0081]源頼義が六条醒ヶ井に創建した後に現在地に移り、陶祖神の椎根津彦命が合祀されて「陶器神社」とも呼ばれる神社は【 】であり、8月7日から10日まで陶器祭が行われ、8月8日には陶器神輿が巡行する。(2006)(2008)(2023)
[0082]後に第2代京都府知事となった槇村正直が行った京都近代化政策の一つは、産業振興を目的とした【 】の開催である。※内国勧業博覧会との混同に注意。(2005)
[0083]知恩院が所蔵する国宝の「阿弥陀二十五菩薩来迎図」は、通称【 】と呼ばれる。(2012)
[0084]「日野薬師」とか「乳薬師」とも呼ばれる寺院で、本尊の薬師如来には安産・授乳の御利益があるとされるのは【 】である。(2011)
[0085]八幡市内にある足利氏とゆかりのある律宗寺院で、俗に「もみじ寺」とも呼ばれるのは【 】である。(2007)/明治時代の神仏分離まで石清水八幡宮でまつられていた僧形八幡大菩薩像を本尊とする律宗寺院は【 】である。(2018)
[0086]一条通沿いの寺院で、花びらが1枚ずつ散る五色の八重散椿があり、「椿寺」とも呼ばれるのは【 】である。※西京区の同名寺院との混同に注意。(2016)
[0087]一時的な仮御所を【①】というが、光厳天皇が仮御所とした【②】は、現在の京都御所の原形となった。(2007)(2010)(2014)
[0088]昼夜の寒暖差が大原の早朝に現れる霞を【 】という。(2022)
[0089]江戸在住者の視点で京都見聞録『見た京物語』を書いたのは【 】である。※1781年時点で京都は「田舎」との評価。(2017)
[0090]1月7日に祇園の芸舞妓が一同に会する行事を【 】という。※上七軒は1月9日。(2011)
[0091]6月1~2日に平安神宮で行われる伝統芸能の公演を【 】という。(2005)(2012)(2021)
[0092]下鴨神社末社で、社殿前にラグビー「第一蹴の地」の記念碑があり、奉納する絵馬がラグビーボール型をしているのは【 】である。(2019)
[0093]高野川、甲野さん、宗近君が登場する小説を書いたのは【 】である。(2007)
[0094]鹿ケ谷にある【霊鑑寺】は椿が有名な尼門跡寺院で、「谷御所」とか【鹿ケ谷■■■御所】と呼ばれる。(2014)
[0095]キリスト教宣教師として来日したアメリカ人で、同志社大学アーモスト館、大丸ヴィラ、東華菜館を設計したのは【 】である。(2019)
[0096]大内裏の正門から南方向へと続いていた大路を【 】という。※朱雀門。(2005)/その大路の南端に位置した平安京の正門を【 】という。(2010)
[0097]安政の御所炎上の際、孝明天皇が避難先の聖護院で食したとされる【 】は、厄除けの菓子としても知られ、節分の日に販売される。(2011)(2015)
[0098]建仁寺両足院を創建したのは、日本に饅頭を伝えた【 】の子孫である。(2017)
[0099]豊臣秀吉が築造した御土居は、当時、【 】と呼ばれていた。(2011)
[0100]5月15日に京都御所から下鴨神社上賀茂神社に向かう祭儀の行列を【①】という。(2008)/女人列の中心となる女性は【②】である。(2013)

[0001]①池亭記/②慶滋保胤
[0002]月鉾
[0003]清浄歓喜
[0004]祇園をどり
[0005]太閤堤
[0006]穴太寺
[0007]鐘馗
[0008]頂妙寺
[0009]広瀬治
[0010]長講堂
[0011]山鉾
[0012]孟宗山
[0013]①大沢池/②庭湖石
[0014]鰯
[0015]都をどり
[0016]三十三間堂
[0017]文覚
[0018]京仏壇
[0019]豊後橋
[0020]春興殿
[0021]円隆寺
[0022]①売茶翁/②高遊外/③通仙亭
[0023]秦河勝
[0024]三条大橋
[0025]日野富子
[0026]鷹司家
[0027]牧野省三
[0028]地蔵禅院
[0029]寿宝寺
[0030]楼門五三桐
[0031]国際日本文化研究センター
[0032]結崎座
[0033]男衆
[0034]輪違屋
[0035]丹後天橋立大江山国定公園
[0036]檸檬(レモン)
[0037]城陽市
[0038]切芝神事
[0039]事始め
[0040]①蛇塚古墳/②秦氏
[0041]康尚
[0042]三条実美
[0043]京都は4~5日の周期で天気が変わる
[0044]①和泉式部/②貴船神社
[0045]織姫社
[0046]矢田寺
[0047]渋川春海(安井算哲)
[0048]800年
[0049]①歌舞伎/②南座
[0050]祇園甲部歌舞練場
[0051]籠神社
[0052]蟹満寺
[0053]大政奉還
[0054]祇園新橋
[0055]灰屋紹益
[0056]堀川波
[0057]板倉勝重
[0058]来迎院
[0059]小沢蘆庵
[0060]本願寺北山別院
[0061]名古曽滝
[0062]西寺
[0063]小堀遠州
[0064]虚空蔵菩薩
[0065]平安奠都1100年紀念祭、第四回内国勧業博覧会の記念殿
[0066]康徳寺
[0067]①裏松固禅/②大内裏図考証
[0068]毎月25日
[0069]梅小路京都西駅
[0070]大根焚き
[0071]夕顔町
[0072]明月記
[0073]西院還来神社
[0074]滝口寺
[0075]源氏物語千年紀
[0076]井上流
[0077]鳥居元忠
[0078]①蘆山寺/②良源
[0079]①池田屋/②古高俊太郎(枡屋喜右衛門)
[0080]妙満寺
[0081]若宮八幡宮社
[0082]京都博覧会
[0083]早来迎
[0084]法界寺
[0085]善法律寺
[0086]地蔵院
[0087]①里内裏/②土御門東洞院殿
[0088]小野霞
[0089]二鐘亭半山
[0090]始業式
[0091]京都薪能
[0092]雑太社
[0093]夏目漱石
[0094]鹿ケ谷比丘尼御所
[0095]ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
[0096]①朱雀大路/②羅城門
[0097]法螺貝餅
[0098]林浄因
[0099]京廻ノ堤
[0100]①路頭の儀/②斎王代

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