夜光杯雑記帳

小ネタが輝く、万華鏡のようなブログを目指します

京都検定1級用語集 百本ノック 0001~0100

[0001]東寺の門前で売られている名物菓子を【 】という。※東寺との関係は薄い。どら焼きは門前では売られていない。(2009)
[0002]「弘法さん」の縁日が行われる日は【毎月■■日】である。(2009)
[0003]正月の縁起物として、三が日は飾っておくだけで箸をつけないとされるのは【 】である。(2010)
[0004]法然を開祖とする宗派を【 】という。(2011)
[0005]江戸時代の歌人で、「平安和歌四天王」の一人に数えられ、平易率直な「ただこと歌」を主張し、歌集『六帖詠草』や歌論書『布留の中道』などを書いたのは【 】である。(2009)
[0006]2月3日に境内の天岩戸をくぐる「ぬけ参り」を行うと厄が抜けるとされる神社は【 】である。(2022)
[0007]2023年の京都の顔見世興行は【 月 日から 月 日まで】行われた。(2010)
[0008]豊臣秀吉による都市改造の一つは、【 通】・寺之内通の寺院街の形成である。(2005)
[0009]祇園甲部では、4月に「都をどり」、10月に【 】を開催する。(2007)(2011)(2023)
[0010]本阿弥光悦が芸術村を建設した地域を【 】という。(2010)/長坂口から北西に向かうと、本阿弥光悦徳川家康から拝領した【 】、長坂を経て杉坂に至る。(2016)
[0011]初代の京都大工頭として二条城の建設工事を指揮したのは【 】である。※江戸城名古屋城仁和寺金堂(もとは御所の紫宸殿)なども手がけた。(2018)
[0012]平安建都1200年を記念して梅小路公園内に造られた池泉回遊式庭園を【 】という。(2021)
[0013]三千家のうち、千宗旦三男の江岑宗左に始まり茶室【不審菴】を継承してきたのは【 】である。(2006)
[0014]【菅原道真】に引退を勧め、道真失脚の黒幕説もあるのは【 】で、子の浄蔵貴所の祈りが通じて一条戻橋の上で一時蘇った伝説を持つ。(2015)(2020)
[0015]5月5日に下鴨神社で行われる歩射神事で、屋越式や大的式などを奉納する流派は【 】である。(2014)
[0016]下鴨神社の境内地にある社叢を【 】という。(2020)
[0017]桂離宮の近くにある中村軒の名物菓子で、田植え時の間食として重宝されたものを【 】という。(2019)
[0018]京都御苑内の西園寺家の邸宅跡にある神社で、弁財天をまつり、「御所の弁天さん」と呼ばれるのは【 】である。(2014)
[0019]東寺、仁和寺とともに京都三弘法の一つに数えられ、太田垣蓮月が晩年に隠棲した寺院は【 】である。(2008)(2020)
[0020]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、厨子から変化したものが江戸時代に一般家庭に広まったのを【 】という。(2006)
[0021]世阿弥室町幕府将軍の支援を受けるきっかけとなった公演は【 】で行われた。(2005)/後白河院が創建した【 】は、院御所であった法住持殿の鎮守とされ、また、院お手植えと伝わる大樟は「大樟大権現」と呼ばれ、京都市指定の天然記念物である。(2008)(2021)
[0022]明治42(1909)年に映画初主演し日本初の映画スターといわれた【 】は、「目玉の松ちゃん」の愛称で親しまれた。(2013)
[0023]銀線を輪郭線に用いた有線七宝を数多く製作して国内外で高く評価された【 】は、帝室技芸員となった。(2015)
[0024]国宝の「風神雷神図」を描いたのは【 】である。(2006)/京都国立博物館が所蔵する「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」の書は本阿弥光悦によるもので、鶴の絵は【 】が描いたものである。(2022)
[0025]妙法の送り火が点火される松ヶ崎の日蓮宗寺院であり、8月15日と16日に最古の盆踊りともいわれる題目踊りが行われるのは【 】である。(2008)
[0026]漢字に基づいて作られた日本語独特の文字を【 】という。(2006)
[0027]『古今和歌集』の撰者の一人で、その仮名序や『土佐日記』を書き、また、三十六歌仙にも数えられるのは【 】である。(2006)(2007)(2023)
[0028]9月15日に石清水祭の一部として行われる行事で、川に魚を放って生き物の平安を願うものを【 】という。(2021)
[0029]「賀茂の厳神」に対し、松尾大社は【松尾の■■】といわれる。(2015)
[0030]祇園祭の巡行に参加する山鉾の総数は【 基】である。※2023年7月巡行時。(2009)
[0031]醍醐寺三宝院の庭園は豊臣秀吉の作庭と伝えられ、庭の中心には天下の名石といわれる【①】がある。(2014)/その名石の名前は、現在の岡山県倉敷市で行われた戦いで源氏方の【②】が活躍した地名によるものとされる。(2022)
[0032]南禅寺発祥の地で、亀山法皇の作庭ともいわれる史跡・名勝の池泉回遊式庭園は心字島を特徴とし、方丈などが桂昌院の寄進で再建されたのは【 】である。※特別史跡特別名勝ではない。(2016)
[0033]聖徳太子ゆかりの七大寺の一つである広隆寺は、【 】が聖徳太子から賜った仏像を本尊として建立した。(2006)(2021)/世阿弥が書いた『風姿花伝』の序文によれば、聖徳太子の命を受けて申楽を初めて上演したのは【 】である。(2007)
[0034]与謝蕪村に絵画や俳諧を学び、蕪村の死後は円山応挙との交流を深めて影響を受け、その住まいから四条派と呼ばれる流派の祖となった絵師は【 】である。(2016)
[0035]酸化鉄を主成分とし、京町家の格子の塗装などに使われてきた赤色顔料を【 】という。(2017)
[0036]旧明倫小学校の建物は現在、【 】として活用されている。(2019)
[0037]京都出身の医者で、戦国武将の信頼を受け医学校・啓迪院を開き、「医聖」と呼ばれたのは【 】である。(2018)
[0038]毎年秋に抹茶4流派による市民大茶会が行われ、香雲亭や和楽庵などがある二条城内の庭園を【 】という。※飲食提供事業者は公募。(2011)
[0039]伏見稲荷の社家の出身で国学の四大人に数えられる【 】は、江戸で国学を説き、神田明神(東京都千代田区外神田)には「国学発祥の地」の碑がある。※契沖の「国学発祥の地」は和泉市にある。(2020)
[0040]京舞井上流は近衛家御殿舞を基礎に発展し、近衛家から流儀の紋である【 】を受けた。(2014)(2016)
[0041]西院春日神社の境内摂社で、旅行安全・交通安全の守り神をまつるのは【 】である。(2019)
[0042]【金戒光明寺】の塔頭・西翁院にある茶室で、淀方面を遠望できたことから名付けられたのは【 】である。(2010)
[0043]西本願寺の学寮を起源とする大学で、擬洋風建築の本館が残るのは【 】である。(2020)
[0044]尊王攘夷派の薩摩藩士で、文久2(1862)年の寺田屋事件で、鎮圧部隊の道島五郎兵衛を道連れに死亡したのは【 】である。(2020)
[0045]慶応3(1867)年12月に徳川家の処遇を決定した会議を【 】という。(2007)
[0046]丹波国一の宮である【 】は、延喜式神名帳に記載される古社である。(2009)/亀岡市にある千歳車塚古墳は、6世紀前半の築造と推定される口丹波地方で最大の前方後円墳で、その近くには丹波国一の宮である【 】がある。(2020)
[0047]藪内家を代表する重要文化財の茶室【 】は、相伴席付の三畳台目で、【古田織部】の作風を伝える。(2009)
[0048]真如堂では3月に大涅槃図が公開され、3月15日には涅槃会が行われるが、その日に授与される、無病息災の御利益がある京菓子を【 】という。※東福寺泉涌寺のものは漢字表記が違う。(2022)
[0049]平安京の初代造営大夫は【 】である。(2009)(2011)
[0050]日本画家の橋本関雪が造営し、大文字山を借景とした池泉回遊式庭園が広がる【 】では、庭園や同画伯の作品を公開している。※茶室は通常非公開。(2011)
[0051]足利義満を補佐する管領であった【 】が創建した地蔵院には、「十六羅漢の庭」と呼ばれる枯山水庭園がある。※上京区の同名寺院との混同に注意。(2015)
[0052]金地院を再興し、江戸幕府の政治に参画して「黒衣の宰相」とも呼ばれ、禁中並公家諸法度を起草したのは【 】である。(2019)(2022)
[0053]北野天満宮の現在の本殿を造営したのは【 】である。(2012)/片桐且元を奉行として国宝の東寺金堂を再建したのは【 】である。(2018)
[0054]雪舟が描いた国宝の絵画のうち、京都国立博物館が所蔵するのは【 】である。(2019)
[0055]本阿弥光悦の書と俵屋宗達の挿絵からなる嵯峨本を出版した豪商は【 】である。(2014)/高瀬川は、角倉了以とその子【 】によって開削された。(2020)
[0056]平安京のモデルとなった中国の都市は【 】である。(2005)
[0057]京都府立図書館や京都市役所本館を設計したのは【 】である。(2006)(2012)
[0058]父が人間国宝の片山幽雪、姉は京舞井上流家元五世井上八千代という、芸道一筋の家に生まれ、現在、京都観世会会長を務める能楽師は【 】である。(2012)
[0059]京のブランド産品の水産物のうち、稚貝を肉厚になるまで大きく育てたものを【 】という。※「丹後ぐじ」も京のブランド産品。(2017)
[0060]上賀茂神社の「白馬奏覧神事」、御香宮神社の「七種神事」、祇園4花街の始業式は、いずれも【■月■日】に行われる。(2013)
[0061]平安時代に疫病が流行した際、当時の国数に倣った66本の鉾を立て、神輿を【 】に送ったのが祇園祭の始まりとされている。(2006)/源義経静御前と出会ったとされる場所は【 】である。(2012)
[0062]浄土庭園の代表例は、木津川市内の【 】の庭園で、史跡・特別名勝に指定されている。※特別史跡ではない。(2012)/京都府内最古の三重塔は【 】にあり、国宝である。(2017)
[0063]西国三十三所の第18番札所は【 】である。(2007)/池坊家元が代々住職を務める六角堂の寺号は【 】である。(2014)
[0064]毎年6月下旬に開催される京都五花街の合同公演を【 】という。(2007)
[0065]喫茶店として初めて、その建物が国の登録有形文化財になったのは【 】である。※2003年登録で、営業継続中。(2020)
[0066]鎌倉幕府との関係を深めて大きな勢力を持ち、東大寺興福寺から一字ずつ取って東福寺を造営した公卿は【 】である。※子の頼経が摂家将軍となったが、晩年は不遇となる。(2006)
[0067]親鸞延暦寺から六角堂へ参籠する際に身を清めたとされる「御聖水」という湧水がある寺院は【 】である。(2023)
[0068]【近松門左衛門】の浄瑠璃作品のうち、京都の南北の通り名が登場するのは【 】である。(2018)
[0069]5月12日に下鴨神社では御蔭祭が行われるが、糺の森における東游の舞楽奉納などからなる神事を【 】という。(2015)
[0070]和歌や公家の行事に関する貴重な資料を今日まで伝えているのは【 家】である。(2013)
[0071]白河天皇が創建した法勝寺の境内にあった建造物で、高さ80m以上と推定されるのは【 】である。(2014)
[0072]北野天満宮の本殿の建築様式は【 】である。(2012)
[0073]童謡で歌われる源義経と弁慶の決闘の場所は【 】である。(2012)
[0074]樹齢700年といわれる五葉松や額縁庭園で知られる寺院は【 】である。※ゴヨウマツは京都市登録天然記念物。(2019)(2021)
[0075]京福電鉄の嵐山駅から最短で大堰川を越えようとすると【 橋】を渡ることになる。(2005)
[0076]足利義満が春屋妙葩を開山として建立した【 】には二層宝形の舎利殿枯山水庭園があり、京福電鉄の最寄り駅は【 】である。(2009)(2012)(2017)
[0077]平安京の二大官寺とされたのは、東寺と【 】である。(2023)
[0078]五花街の舞踊の流派はそれぞれ異なり、祇園甲部は井上流、宮川町は【①流】、先斗町は【②流】、上七軒花柳流祇園東は藤間流である。(2011)
[0079]泉涌寺の山内寺院であり、洛陽三十三所観音霊場の札所の一つでもあり、「ばんだい号」の遺族によって本堂が寄進されたのは【 】である。(2019)
[0080]小説『花の生涯』に登場する村山たかが出家した寺院は【 】である。※NHK大河ドラマでは淡島千景が演じた。(2012)/与謝蕪村松尾芭蕉を偲んで再興した茶室や蕪村の墓がある寺院は【 】である。(2016)
[0081]高台寺の開山堂は、前身寺院の【 】から移築されたもので、臥龍池の上に渡した「臥龍廊」で秀吉・ねねの霊屋とつながっている。(2023)
[0082]現在の亀岡市出身の画家で、写生を重視し、国宝の「雪松図屏風」や寛政度造営の御所襖絵を描き、京都画壇の基礎を築いたのは【 】である。(2021)
[0083]二条城二の丸御殿遠侍は国宝であるが、その若松の間に描かれた天井画は天井全体が一つの絵画になっており、【 図】という。(2013)
[0084]「矢の根門」とも呼ばれる重要文化財の勅使門があるのは【 】である。(2014)
[0085]役行者が草創し空海が再興したとされる寺院で、境内には修験道にちなむ伝承地があり、歌舞伎十八番の一つ「鳴神」の舞台となったのは【 】である。(2021)
[0086]明治34(1901)年に舞鶴鎮守府の初代司令長官となったのは【 】である。(2021)
[0087]【藤森神社】の本殿にまつられる祭神のうちの一柱が【 皇后】である。(2014)/祇園祭の船鉾では、7月3日に「神面改め」が行われるが、この神面をつける御神体は【 皇后】である。(2015)
[0088]奈良の田村後宮から現在地に移された経過を持ち、臣籍降下した氏族から尊崇された【①】は、【②造】の重要文化財の本殿があり、桜の名所としても知られる。(2009)(2015)
[0089]大覚寺宸殿にある重要文化財の襖絵の「牡丹図」と「紅白梅図」を描いたのは、京狩野の祖とされる【 】である。(2009)(2012)
[0090]後に第2代京都府知事となった槇村正直は、殖産興業の一環として、明治3(1870)年に【①】を中心に【②】を開設し、石鹸・ラムネ・ビールなどの製造や技術指導を行った。(2005)(2009)(2010)(2022)
[0091]安政の御所炎上の際、孝明天皇が避難先の聖護院で食したとされる【 】は、厄除けの菓子としても知られ、節分の日に販売される。(2011)(2015)
[0092]祇園祭の山鉾のうち、平井保昌と【和泉式部】の恋物語をテーマとし、円山応挙の下絵を刺繡した前懸と胴懸があるのは【 】である。(2013)
[0093]1661年に萬福寺を開創したのは【 】である。(2022)
[0094]円山応挙が始めた革新的な絵画は【 画】といわれる。(2013)
[0095]世阿弥が自らの能楽論をまとめた【 】では、田楽能の一忠を「この道の聖」と評している。(2005)(2010)
[0096]灯台をモチーフとした京都タワーを設計した【 】は、日本武道館も設計している。(2017)
[0097]平清盛の【 第】は、『平家物語』に「玉をみがき金銀をちりばめて作られたりし」と表現されたが、都落ちの際に火をかけられて焼失した。(2008)
[0098]八幡山が所蔵する祇園祭礼図の屏風を描いたのは【 】である。※友松の子。(2018)
[0099]伊藤仁斎が自宅に開いた私塾を【 】といい、その遺跡は史跡に指定されている。※特別史跡ではない。(2009)(2019)
[0100]親鸞の死後、聖人の教えに反する多くの異説が現れたのを嘆き、弟子の唯円が書いたとされるのは【 】である。

[0001]東寺餅
[0002]毎月21日
[0003]にらみ鯛
[0004]浄土宗
[0005]小沢蘆庵
[0006]日向大神宮
[0007]12月1日から12月24日まで
[0008]寺町通
[0009]温習会
[0010]鷹峯
[0011]中井正清
[0012]朱雀の庭
[0013]表千家
[0014]三善清行
[0015]小笠原流
[0016]糺の森
[0017]麦代餅
[0018]白雲神社
[0019]神光院
[0020]京仏壇
[0021]新熊野神社
[0022]尾上松之助
[0023]並河靖之
[0024]俵屋宗達
[0025]湧泉寺
[0026]仮名
[0027]紀貫之
[0028]放生行事
[0029]松尾の猛霊
[0030]34基
[0031]①藤戸石/②佐々木盛綱
[0032]南禅院
[0033]秦河勝
[0034]松村月渓(呉春)
[0035]紅殻
[0036]京都芸術センター
[0037]曲直瀬道三
[0038]清流園
[0039]荷田春満
[0040]井菱
[0041]西院還来神社
[0042]澱看席
[0043]龍谷大学
[0044]有馬新七
[0045]小御所会議
[0046]出雲大神宮
[0047]燕庵
[0048]花供曽
[0049]藤原小黒麻呂
[0050]白沙村荘
[0051]細川頼之
[0052]以心崇伝
[0053]豊臣秀頼
[0054]天橋立
[0055]角倉素庵
[0056]長安(城)
[0057]武田五一
[0058]十代片山九郎右衛門(片山清司)
[0059]丹後とり貝
[0060]一月七日
[0061]神泉苑
[0062]浄瑠璃寺
[0063]頂法寺
[0064]都の賑い
[0065]フランソア喫茶室
[0066]九条道家
[0067]本願寺北山別院
[0068]堀川波
[0069]切芝神事
[0070]冷泉家
[0071]八角九重の塔
[0072]八ツ棟造(権現造)
[0073]五条大橋
[0074]宝泉院
[0075]渡月橋
[0076]鹿王院
[0077]西寺
[0078]①若柳流/②尾上流
[0079]善能寺
[0080]金福寺
[0081]康徳寺
[0082]円山応挙
[0083]葡萄図
[0084]建仁寺
[0085]志明院
[0086]東郷平八郎
[0087]神功皇后
[0088]①平野神社②比翼春日造(平野造)
[0089]狩野山楽
[0090]①明石博高/②舎密局
[0091]法螺貝餅
[0092]保昌山
[0093]隠元隆琦
[0094]写生画
[0095]風姿花伝
[0096]山田守
[0097]西八条第
[0098]海北友雪
[0099]古義堂
[0100]歎異抄

目次に戻る