夜光杯雑記帳

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京都検定1級用語集 百本ノック 0401~0500

[0401]現存最古といわれる船底天井図は、三千院【 】の天井に描かれており、同寺内の「円融蔵」に原寸大で復元展示されている。(2013)
[0402]大将軍社の一つとされ、東天王社とも呼ばれる岡崎神社の神使とされる動物は【 】である。(2014)
[0403]【西国街道】から参道に入り西へ進んだ先にある三間流造の本殿が明治神宮本殿のモデルとなった神社は【 】である。(2015)
[0404]京都市右京区花園にあって「蓮の寺」としても知られる【①】は、【②】の山荘を寺院に改めて双丘寺となり、のちに天安寺と呼ばれたが衰微していたところ、1130年に【③】が再興したものである。(2009)(2016)(2018)/その庭園は浄土庭園の様子を今に伝え、特別名勝に指定されている【④】がある。(2023)/その国宝の本尊は、定朝様式の阿弥陀如来坐像であり、【⑤】が作ったものである。(2014)
[0405]スポーツの日の前日に当たる日曜日に秋元神社で行われる【 】は、室町時代の風流踊りに起源を持ち、「切子灯籠」を頭に乗せた女装の少年たちや踊り子の少女たちによって奉納される。(2018)
[0406]後に天台座主となった尊意が石の上に現れた菅原道真の霊を昇天させ雷雨を鎮めたことから、その石は【 】と名付けられ、現在は水火天満宮にある。(2017)
[0407]空海が唐から持ち帰った国宝の経典で、仁和寺が所蔵する国宝の宝相華迦陵頻伽蒔絵𡑮冊子箱に納められているものを【 】という。(2018)
[0408]「矢の根門」とも呼ばれる重要文化財の勅使門があるのは【 】である。(2014)
[0409]松尾大社の境内に湧く名水を【 】という。(2015)
[0410]「歌舞伎」という言葉は、異様な振る舞いや風俗をさす【 】が語源である。(2006)
[0411]松平容保が京都で在任した幕府の役職の役割は【 】である。(2013)
[0412]京都御苑内の九條邸跡の北側付近にある宗像神社は、【 家】の邸内社であった。(2018)
[0413]平安建都1200年を記念して梅小路公園内に造られた池泉回遊式庭園を【 】という。(2021)
[0414]お祝いの1割程度を返礼する京都のならわしを【 】という。(2005)(2019)
[0415]後に第2代京都府知事となった槇村正直は、殖産興業の一環として、明治3(1870)年に【①】を中心に【②】を開設し、石鹸・ラムネ・ビールなどの製造や技術指導を行った。(2005)(2009)(2010)(2022)
[0416]8月16日午後8時から、大文字、妙法、船形、左大文字の順に点火され、最後は曼荼羅山に【 】がともされる。(2008)
[0417]鹿ケ谷にある【霊鑑寺】は椿が有名な尼門跡寺院で、「谷御所」とか【鹿ケ谷■■■御所】と呼ばれる。(2014)
[0418]龍安寺境内の南側は回遊式庭園となっているが、その中心にある【 池】は、平安時代には徳大寺家の別荘の一部として、龍頭船が浮かべられた場所であった。(2015)
[0419]豊臣政権の五奉行として活躍した人物で、三条大橋の工事を担当してその擬宝珠に名前が刻まれているのは【 】である。(2021)
[0420]円山応挙が始めた革新的な絵画は【 画】といわれる。(2013)
[0421]仁和寺の御室御殿には重要文化財の茶室が2つあり、光格天皇遺愛の茶室は【①】、尾形光琳ゆかりと伝わる茶室は【②】である。(2023)
[0422]「かにかくに 祇園はこひし 寝る時も 枕の下を 水のながるる」と詠んだ人物は【 】である。(2008)
[0423]建仁寺両足院を創建したのは、日本に饅頭を伝えた【 】の子孫である。(2017)
[0424]西本願寺にある国宝の唐門は【 】とも呼ばれている。(2006)(2014)(2017)
[0425]役行者が草創し空海が再興したとされる寺院で、境内には修験道にちなむ伝承地があり、歌舞伎十八番の一つ「鳴神」の舞台となったのは【 】である。(2021)
[0426]【金戒光明寺】の塔頭・西翁院にある茶室で、淀方面を遠望できたことから名付けられたのは【 】である。(2010)
[0427]12月7~8日、大報恩寺千本釈迦堂)では無病息災を願う【 】が行われる。※有償提供。(2012)
[0428]東本願寺が分かれた際の西本願寺の宗主は【 】である。※そのときの東本願寺門主教如。(2017)
[0429]大林組の木村得三郎が和風の意匠を織り込んで設計し、昭和11(1936)年に竣工した【 】は、帝国ホテルとして2026年春の開業に向けて整備が進められている。(2012)(2021)
[0430]8月16日、家庭では【 】を炊いてお供えし、その湯がき汁を門口に撒くと精霊はこの世に未練を残さず冥土に帰ることができるとされる。(2008)
[0431]元治元(1864)年、長州軍と御所を守る薩摩・会津などの幕府軍との戦いは、激戦地となった京都御苑西側の門の名をとって【 】とも呼ばれる。(2012)/松平容保が自ら京都御所を守った戦いは【 】である。(2013)
[0432]雪舟の【天橋立図】にも描かれた丹後国一の宮で、宮司家の系譜を記した日本最古の系図として国宝に指定された「海部氏系図」を所蔵するのは【 】である。(2006)
[0433]金地院を再興し、江戸幕府の政治に参画して「黒衣の宰相」とも呼ばれ、禁中並公家諸法度を起草したのは【 】である。(2019)(2022)
[0434]日活から独立した【牧野省三】は【 】の境内に撮影所を設立し、阪東妻三郎月形龍之介といったスターを生み出した。(2013)
[0435]唐から伝来した散楽や日本古来の諸芸が交じり合い、後に能や狂言に発展したのは【 】である。(2008)
[0436]三十三間堂にある国宝の千手観音坐像を作ったのは【 】である。(2010)
[0437]東天王社と呼ばれた岡崎神社に対し、西天王社と呼ばれたのは【 】である。(2012)/美福門院が建てた歓喜光院の鎮守社とされた神社で、「角豆祭」として知られた神幸祭が5月10日に行われるのは【 】である。(2016)
[0438]千利休は、茶頭として織田信長や【 】に仕えた。(2006)
[0439]西本願寺御影堂前にあり、火災を防いだとされる木の樹種は【 】である。(2017)
[0440]江戸時代に御所から仁和寺に移築された国宝の建造物は【 】である。※紫宸殿を移築。(2013)
[0441]萬福寺で行事や儀式の刻限を報じるために使われる魚の形をした法器を【 】といい、黄檗宗寺院に特有のものである。(2022)
[0442]【池坊専好(2代)】を禁裏の花会に招いた天皇は【 】である。(2014)/退位した後、現在の修学院離宮となる山荘を造営した上皇は【 】である。(2005)
[0443]高野川、甲野さん、宗近君が登場する小説は【 】である。(2007)
[0444]京都中央電話局の建物は、現在、【 】として使用されている。(2009)
[0445]上七軒では、3月に「北野をどり」、11月に【 】が開催される。(2011)
[0446]豊臣秀吉が伏見に築いた城は慶長大地震で倒壊し、その後別の場所に城が築かれたため、両者を区別する場合は最初の城を【 】と呼ぶ。(2015)
[0447]山城国近江国の国境に設けられた関所で、小倉百人一首では蝉丸と清少納言の和歌に詠まれているのは【 】である。(2016)
[0448]五条寺を2つに分けて弟子に相続させたことに由来するともいわれる地名は【 町】である。※他説あり。(2019)
[0449]随心院の本尊は、重要文化財の【①】である。(2016)/随心院にある重要文化財の金剛薩埵坐像を作ったのは【②】である。※伝定朝作と伝わる重要文化財阿弥陀如来坐像もある。(2016)
[0450]俵屋宗達が描いた「牛図」や俵屋宗達の墓があるのは【 】である。(2015)
[0451]北野天満宮の本殿の建築様式は【 】である。(2012)
[0452]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、明治12(1879)年に【広瀬治助】が写し友禅染めの新技法を開発して量産化に成功したのは【 】である。(2006)(2007)
[0453]浄土宗大本山の一つである百萬遍知恩寺の中にあり、法然上人と第2世源智上人の墓石を覆う形の廟堂の入口にある門を【 】という。(2022)
[0454]本阿弥光悦が作った国宝の硯箱は【 】である。(2010)
[0455]上賀茂神社の社家の出身で、書家として世に出たが、東京永田町にあった「星岡茶寮」の美食家・料理家や陶芸家としても知られたのは【 】である。※星岡茶寮を「開いた」のではない。(2010)(2017)
[0456]重要文化財の絵巻「泣不動縁起」を所有する【 】では、2013年に能楽「泣不動」が上演された。※国宝絵画の「阿弥陀三尊像」とともに京都国立博物館に寄託。(2013)/清和天皇の勅願により円仁が四宗兼学の禁裏内道場として建立したのが始まりとされる寺院で、現在は浄土宗の京都四箇本山の一つとなっているのは【 】である。(2016)
[0457]最澄が作ったとされる薬師如来を本尊とし、西行や平康頼が庵住した寺院は【 】である。(2022)
[0458]西国三十三所の第28番札所である【 】は雪舟の【天橋立図】にも描かれている。(2005)(2007)
[0459]「応仁の乱勃発地」の石標が建つ神社は【 】である。(2006)(2008)/その神社の名物菓子である【 】は、疫病除けの煎餅としてふるまわれたのが起源といわれる。(2005)
[0460]雪舟が描いた国宝の絵画のうち、京都国立博物館が所蔵するのは【 】である。(2019)
[0461]鞍馬寺にある国宝の毘沙門天立像は、【ながめるように■■をかざしている】。(2013)
[0462]浄土宗の総本山で、徳川家康が母の菩提寺としたのは【 】である。(2022)/徳川家光により再建された国宝の御影堂に法然上人の座像を安置する寺院は【 】である。(2015)
[0463]下鴨神社の門前で販売されている名物菓子を【 】という。(2020)
[0464]元和9(1623)年にできた淀藩の初代藩主となり、淀城を築城したのは【 】である。(2022)
[0465]関ヶ原の戦いの前哨戦となった伏見城の戦いで、徳川家譜代の家臣であった【 】は小早川秀秋らの攻撃を受けて死亡したが、その際の床板が正伝寺や養源院に移されて血天井と呼ばれている。(2016)
[0466]京都博覧会の付博覧として、京舞井上流の三世井上八千代が創設したのは【 】である。(2009)
[0467]多くの京町家に見られる建築構造で、外壁面に柱が露出しているものを【 】という。(2015)
[0468]五花街におけるその年最後の踊りの会となるのは【 】であり、11月1日から10日まで開催される。(2006)
[0469]医者から転じて独自の煎茶道を創案し、その家元として公家や文人煎茶道を流行させ、のちにその喫茶法を『喫茶弁』として出版したのは【 】である。(2009)(2016)
[0470]重要伝統的建造物群保存地区のうち、伊根町にあるのは【 】である。(2009)
[0471]一休宗純が中興して晩年を過ごした寺院で、「一休寺」とか「薪の一休寺」と呼ばれるのは【 】である。(2014)
[0472]東寺が所蔵する国宝の絵画のうち、密教の教えの真髄を表現するものを【 】という。※他にも国宝絵画あり。(2006)
[0473]「小倉百人一首」に選ばれた大納言藤原公任の「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」の歌に詠まれている滝を【 】という。(2011)
[0474]延暦13(794)年、「この国、山河襟帯、自然に城をなす。この形勝によりて新号を制すべし。よろしく山背国を改め山城国となすべし。また子来の民、謳歌の輩、異口同辞し、【 】と号す」という詔が出された。(2007)
[0475]律令の施行細則のうち、その一部である「神名帳」に「式内社」を記載しているのは【 】である。(2008)(2018)
[0476]千本北大路の東北角には【 天皇】の火葬塚がある。(2019)
[0477]白河天皇が創建した法勝寺の境内にあった建造物で、高さ80m以上と推定されるのは【 】である。(2014)
[0478]山内容堂名の大政奉還建白書の提出を主導した土佐藩士は【 】である。(2017)
[0479]文久3(1863)年に刊行された『京(花洛)羽津根』によれば、現在の東山区宮川筋一丁目と二丁目の境を東西に通じる【■■辻子】は、寛文8年(1668)年に開通したとされる。(2011)
[0480]四条寺町の御旅所に隣接する八坂神社の境外末社で、商売上の駆け引きの罪などを払う「誓文払い」の神として信仰されている神社は【 】である。(2019)
[0481]天寧寺の山門は、【 】とも呼ばれている。(2014)
[0482]5月12日の夜、新たに神霊を迎える上賀茂神社の神事を【 】という。(2012)
[0483]畳んでも上端が広がる京扇子で、寺院の儀式などに用いられるものを【 】という。(2014)(2019)
[0484]毎年秋に抹茶4流派による市民大茶会が行われ、香雲亭や和楽庵などがある二条城内の庭園を【 】という。※飲食提供事業者は公募。(2011)
[0485]鳥羽離宮の東殿に建てられた寺院で、重要文化財阿弥陀如来坐像があり、本御塔は鳥羽天皇陵となったが焼失し、新御塔が近衛天皇陵となったのは【 】である。(2006)
[0486]公家や武家に料理を供する包丁家の中で、細川晴元の包丁人から興った流派を【 】という。(2014)
[0487]日本初の両切たばこの製造・販売を行い「煙草王」と呼ばれた【①】は、東山にロココ様式を取り入れた【②】を建てた。※紙巻たばこには両切と口付があった。(2008)(2016)//比叡山開創1150年を記念して設けられた延暦寺の大書院は、【①】の邸宅を移築したものである。※武田五一設計で、東京から移築したもの。(2022)
[0488]京都御所の建物のうち、大正天皇の即位礼の際に三種の神器の一つ「御鏡」を一時的に皇居から移して奉安したのは【 】である。(2017)
[0489]桓武天皇の父で、三室戸寺を創建したとされるのは【 】である。(2019)
[0490]2011年は法然上人の【 年】の遠忌であった。(2011)
[0491]1997年開業の4代目京都駅ビルを設計したのは【 】である。(2007)
[0492]最澄が創建し、【円山公園】の名称の由来となった山号を持つ【 】は、後に法然が吉水草庵を営んで専修念仏を広める拠点となった。(2013)
[0493]12月13日から31日まで六波羅蜜寺で行われる空也踊躍念仏は、【 】ともいわれる。(2014)
[0494]明治28(1895)年、現在の岡崎公園で第4回【 】が行われた。(2009)(2020)
[0495]石清水八幡宮の神使は「鳩」、吉田神社の神使は【 】である。(2013)
[0496]3月最終日曜日に随心院で行われる行事を【 】という。(2016)
[0497]源氏物語の作者の邸宅跡が境内にあるのは【 】である。(2007)
[0498]冷泉家などで行われている旧暦7月7日の七夕行事を【 】という。(2012)(2017)(2022)
[0499]日本初となる竪杭工法が採用された琵琶湖疎水の第一トンネルは、【 山】を貫いている。※大津市域から山科区域まで続く最長のトンネル。(2015)
[0500]明智光秀が最期を遂げた場所とされる明智藪は、京都市伏見区の【 】にある。(2015)(2019)

[0401]往生極楽院
[0402]うさぎ
[0403]向日神社
[0404]①法金剛院/②清原夏野/③待賢門院/④青女の滝/⑤院覚
[0405]赦免地踊
[0406]登天石
[0407]三十帖冊子
[0408]建仁寺
[0409]亀の井
[0410]傾く
[0411]京都の治安維持と御所・二条城の警護
[0412]花山院家
[0413]朱雀の庭
[0414]おため
[0415]①明石博高/②舎密局
[0416]鳥居形
[0417]鹿ケ谷比丘尼御所
[0418]鏡容池
[0419]増田長盛
[0420]写生画
[0421]①飛濤亭/②遼廓亭
[0422]吉井勇
[0423]林浄因
[0424]日暮らし門
[0425]志明院
[0426]澱看席
[0427]大根焚き
[0428]准如
[0429]弥栄会館
[0430]あらめ
[0431]禁門の変蛤御門の変
[0432]籠神社
[0433]以心崇伝
[0434]等持院
[0435]猿楽
[0436]湛慶
[0437]須賀神社
[0438]豊臣秀吉
[0439]銀杏
[0440]金堂
[0441]開梆
[0442]後水尾天皇上皇
[0443]虞美人草
[0444]新風館
[0445]寿会
[0446]指月伏見城(指月城)
[0447]逢坂の関
[0448]二帖半敷町
[0449]①如意輪観音/②快慶
[0450]頂妙寺
[0451]八ツ棟造(権現造)
[0452]京友禅
[0453]念字門
[0454]舟橋蒔絵硯箱
[0455]北大路魯山人
[0456]清浄華院
[0457]雙林寺
[0458]成相寺
[0459]①上御霊神社/②唐板
[0460]天橋立
[0461]ながめるように左手をかざしている
[0462]知恩院
[0463]みたらし団子
[0464]松平定綱
[0465]鳥居元忠
[0466]都をどり
[0467]真壁造
[0468]祇園をどり
[0469]小川可進
[0470]伊根浦
[0471]酬恩庵
[0472]両界曼荼羅図(伝真言曼荼羅
[0473]名古曽滝
[0474]平安京
[0475]延喜式
[0476]後冷泉天皇
[0477]八角九重の塔
[0478]後藤象二郎
[0479]団栗辻子
[0480]冠者殿社
[0481]額縁門
[0482]御阿礼神事
[0483]中啓
[0484]清流園
[0485]安楽寿院
[0486]進士流
[0487]①村井吉兵衛/②長楽館
[0488]春興殿
[0489]光仁天皇
[0490]800年
[0491]原広司
[0492]安養寺
[0493]かくれ念仏
[0494]内国勧業博覧会
[0495]鹿
[0496]はねず踊り
[0497]蘆山寺
[0498]乞巧奠
[0499]長等山
[0500]小栗栖

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