[0401]【本阿弥光悦】、【近衛信尹】とともに【①】に数えられ、石清水八幡宮にゆかりの人物は【②】である。(2010)(2020)
[0402]豊臣秀吉は、宇治川を巨椋池から切り離すための【 】を築き、伏見城に水を引いた。(2007)
[0403]坂本龍馬と中岡慎太郎が京都見廻組の襲撃を受けた醤油商の屋号は【 】である。(2009)
[0404]聖徳太子ゆかりの七大寺の一つに数えられる広隆寺は、聖徳太子から賜った仏像を本尊として【①】が建立した寺院を起源とする。※七大寺のうち京都府内にあるのは広隆寺のみ。(2006)(2021)/彫刻として国宝指定第1号となった【②】は飛鳥時代の仏像である。※いわゆる「泣き弥勒」は国宝彫刻第50号。(2005)/世阿弥が書いた『風姿花伝』によれば、聖徳太子の命を受けて申楽を初めて上演した人物は【①】である。(2007)
[0405]永禄8(1565)年、三好義継・三好三人衆・松永久通の軍勢に襲撃され、殺害された室町幕府13代将軍は【 】である。(2020)
[0406]岩倉具視幽棲旧宅の敷地内にあり、【武田五一】が設計した建物を【 】という。(2013)(2019)
[0407]「鷲の図」と「竹林図」は東寺塔頭の【①】にあり、【②】が描いたものである。(2006)(2019)
[0408]主に洛北の農家の女性が「野菜どうどすえ、おいしおすえ」の呼び声で、大八車に積んだ朝採りの野菜を売りに来ていた販売方法を【 】という。(2020)
[0409]小野小町のもとに通い続けた「百夜通い」伝説の主人公は【①】である。(2016)/道元が創建したといわれる寺院で、「伏見の大仏」と呼ばれる丈六の毘盧遮那仏や、【①】ゆかりの井戸があるのは【②】である。※曹洞宗。(2018)
[0410]推古2(594)年に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うため建立した寺院で、聖徳太子の乳母であった玉照姫が初代住持と伝わるのは【 】である。(2021)
[0411]重要伝統的建造物群保存地区に選定されている伊根浦において、海に面した特徴的な建物を【 】という。(2015)
[0412]「利休七哲」のうちの一人で、利休死後に千少庵を保護し、徳川家康とともに千家の再興に尽力した武将は【 】である。(2022)
[0413]桓武天皇に平安遷都を進言したのは【①】である。(2009)/造営大夫として平安建都に尽力し、江戸時代に「護王大明神」の神号を授けられ、護王神社にまつられているのは【②】である。(2018)/弟とともに護王神社の祭神で、多くの孤児を養育したことから子育明神としても信仰されている女性は【③】である。(2022)
[0414]後白河法皇の臨終仏とされる阿弥陀如来像を本尊とする寺院は【 】である。(2014)
[0415]丹波国の一の宮【 】は、延喜式の神名帳に記載される古社である。(2009)/亀岡市内にある千歳車塚古墳は、南丹地域最大の前方後円墳で、6世紀前半の築造と推定され、その近くには丹波国の一の宮【 】がある。(2020)
[0416]新選組の総長だった山南敬助の墓があるのは【 】である。※総長は局長や副長よりも下位。浄土宗。(2020)
[0417]京福電鉄の嵐山駅から最短で大堰川を越えようとすると【 橋】を渡ることになる。(2005)/その橋は、法輪寺に虚空蔵菩薩を安置した秦氏出身の【 】が承和年間(834~48)に橋を架けたのが最初とされている。※現在の位置に架けたのは角倉了以。(2020)(2023)
[0418]西院春日神社の境内摂社で、旅行安全・交通安全の守り神をまつるのは【 】である。(2019)
[0419]西国三十三所の第28番札所である【 】は、雪舟の【天橋立図】にも描かれている。(2005)(2007)
[0420]南丹市美山町にある重要文化財の古民家で、慶安3(1650)年建築の最古の農家は【 家】である。(2019)
[0421]【池坊専好(2代)】以降の歴代家元の墓碑がある寺院は【 】である。※浄土宗。(2019)
[0422]後に天台座主となった尊意が石の上に現れた菅原道真の霊を昇天させ雷雨を鎮めたことから、その石は【 】と名付けられ、現在は水火天満宮にある。(2017)
[0423]祇園祭の山鉾のうち、茶人【武野紹鷗】の邸宅に湧いていた名水から名付けられたのは【 】である。(2009)
[0424]東福寺の禅僧の日記『碧山日録』には、【 】が武士に招かれて花を挿し、人々の間で評判になったことが記されている。(2014)
[0425]萬福寺は明朝末期頃の様式で建てられ、法堂などに見られる高欄(勾欄)の意匠を【 】という。※法隆寺などにもあり。(2022)
[0426]大正15(1926)年に阪東妻三郎が建てた撮影所が発展したものが、現在の【 】京都撮影所である。(2013)
[0427]蹴上発電所の電力を動力源とした傾斜鉄道は【①】と呼ばれた。(2009)/【①】の下をくぐり、らせん状にレンガが積まれたトンネルは【②】と呼ばれる。(2011)
[0428]祇園甲部歌舞練場の本館破風に掲げられている扁額「歌舞練場」を揮ごうしたのは【①】である。(2023)/【①】が宮司を務めたことがあり、境内に芸能神社がある神社の宮司最寄り駅は、京福電鉄【②】駅である。(2012)(2019)
[0429]「くじ取らず」の山鉾のうち、2024年の後祭の2番は【 】であった。(2008)
[0430]7代目小川治兵衛が作庭した神苑があるのは【①】である。(2018)/谷崎潤一郎の『細雪』で「まことに此処の花を措いて京洛の春を代表するものはない」と賞賛されているのは【①】の桜である。(2008)/時代祭行列の到着場所は【①】である。(2011)/6月1~2日に【①】で行われる伝統芸能の公演を【②】という。(2005)(2010)(2012)(2021)/
[0431]扇状の葉を持ち黄色や橙色の花を咲かせるアヤメ科の多年草で、祇園祭の期間中に厄除けの花として生ける風習があるのは【 】である。(2022)
[0432]京都中央電話局の建物は、現在、【 】として使用されている。(2009)
[0433]平安神宮の社殿配置は平安京の【①】を模しており、外拝殿は大極殿、神門は【②】と呼ばれる。(2005)(2016)(2020)/平安京大内裏の正庁である【①】は国家的行事に使われ、その正殿を大極殿という。(2009)
[0434]「小倉百人一首」に選ばれた「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」の歌を詠んだ人物は【①】であり、歌に詠まれている滝は【②】である。(2011)(2018)
[0435]洛中法華二十一ヵ寺本山のうち、石田三成の軍師であった島左近の墓があるのは【 】である。※島左近は関ヶ原で戦死。京都八本山の一つで、灰屋紹益の墓もあり、幽霊飴伝説も残る。(2017)
[0436]蓮華寺は、加賀藩家老の今枝民部近義が再興したとされているが、その再興に石川丈山や狩野探幽らとともに協力した朱子学者は【 】である。(2005)
[0437]豊臣政権の五奉行として活躍した人物で、三条大橋の工事を担当してその擬宝珠に名前が刻まれているのは【 】である。(2021)
[0438]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、刺繡を【 】という。(2006)
[0439]雪舟筆の【天橋立図】に描かれた寺院で、日本三文殊の一つである文殊菩薩を本尊とするのは【 】である。※臨済宗妙心寺派。他の三文殊は、奈良県桜井市の安倍文殊院、山形県高畠町の亀岡文殊大聖寺であるが、それぞれが序列の筆頭を主張。(2015)(2015)
[0440]桂離宮にあった5つの茶屋のうち最も東に位置し、対岸の古書院と向かい合い、白と藍染の加賀奉書を互い違いに配置した斬新な襖を持つ建物は【①】である。※竹林亭は現存しない。(2015)/桂離宮は、【八条宮智仁】親王と【智忠】親王の父子が造営したもので、市松模様の床の間がある建物を【①】という。(2018)/桂離宮に現存する茶屋は、【①】、【②】、【③】、【④】である。(2008)
[0441]京都市右京区にある【小倉山】の東北麓に位置し、鳥辺野、蓮台野とともに葬送の地であったのは【 】である。(2013)
[0442]「明治古都館」は【①】の一部であり、【②】が設計したものである。※帝国京都博物館の本館だった。(2012)(2019)
[0443]7月1日から5日までの間に山鉾町が行う神事始めの儀式を【 】という。(2016)
[0444]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品の中の「その他の工芸品」のうち、うちわと表具を除く他の一つを【 】という。※平安時代初期に「木簡」を複数枚つなげたのが始まり。(2006)
[0445]天寧寺の山門は、【 】とも呼ばれている。※眺めるのは比叡山。(2014)
[0446]現在の宮津市出身で、西洋医学を学んだ後、天保10(1839)年に医学校の順正書院を開設したのは【 】であり、その建物は現在、湯豆腐店となっている。(2019)
[0447]現存する国宝の曜変天目茶碗は3碗あり、そのうちの1碗を所蔵するのが大徳寺の塔頭【①】である。※他に所蔵するのは、東京都千代田区の静嘉堂文庫美術館と大阪市都島区の藤田美術館。(2019)/その塔頭には、小堀遠州が江月宗玩のために建てた国宝の茶室【②】があり、その書院床には南宋の密庵咸傑による国宝の墨蹟が掛けられて「密庵床」と呼ばれた。(2015)(2022)
[0448]「荒神口」の名は、【 】という寺院の通称名「清荒神」に由来する。(2016)
[0449]旧東海道の一部であった日ノ岡の峠道は、車道に【 】が並べられていたが、道路の損傷は激しく、しばしば改修が行われた。天文年間の改修は木食正禅上人によるもので、大きく改善された。(2023)
[0450]皆川淇園は、50歳前後で開物学という独自の学問を提唱し、町人から大名まで多くの門弟を抱えた。詩文や書画に優れ、有斐閣、呑海子と号し、文化3(1806)年、京都御所西に学問所【 】を設立した。(2019)
[0451]京町家の小屋根によく設置されるのは、鬼に強いとされる【 】の置物である。(2016)
[0452]賀茂社とともに王城鎮護の神として崇敬を集め、「酒の神」としても知られる神社は【①】である。(2010)/「賀茂の厳神」に対し、その神社は【②■■の■■】といわれる。(2015)/重森美玲が手掛けた上古の庭、曲水の庭、蓬莱の庭の三庭からなる松風苑がある神社は【①】である。(2018)
[0453]東寺は【■■■■寺】とも表記される。※法人名称でもあるが、「正式名称」とするのは異論もあり。(2006)
[0454]豊臣秀吉をまつる豊国廟がある山は【 】である。(2013)
[0455]雪舟が描いた国宝の絵画のうち、京都国立博物館が所蔵するのは【 】である。(2019)
[0456]大徳寺の塔頭のうち、細川忠興(三斎)が父藤孝(幽斎)の菩提所として創建し、茶室の松向軒があるのは【 】である。(2006)
[0457]上賀茂神社の境内摂社で、紫式部も参拝したとされるのは【 】である。(2015)
[0458]詩仙堂は、正しくは【①】と呼ばれ、徳川家康の家臣であった【②】が建てた住居に由来する。※曹洞宗。(2011)(2017)(2023)
[0459]八臂弁財天像を本尊とする寺院で、7月の第4日曜日に弁天祭が行われるのは【 】である。※過去問では弘法大師坐像も本尊とするが確認できず。(2014)
[0460]天平12(740)年、聖武天皇は平城京から現在の木津川市にある【 】へと都を移したが、そこには大極殿跡が残る。※山城国分寺跡も残る。史跡としては「宮跡」。(2014)
[0461]律令の施行細則のうち、その一部をなす「神名帳」に「式内社」を列記しているのは【 】である。(2008)(2018)
[0462]下賀茂社・下鴨神社の正式名称を【 】という。(2008)(2013)
[0463]一時的な仮御所を【①】というが、光厳天皇が仮御所とした【②】は、現在の京都御所の原形となった。(2007)(2010)(2014)
[0464]京の六地蔵めぐりの一つであり、源義経の母にゆかりがある【①】は、京福電鉄の【②】駅が最寄り駅である。(2012)/その寺院は【②】地蔵をまつる。(2011)
[0465]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、くくりの模様が子鹿の斑点に似ているとされるものを【 】という。(2006)(2022)
[0466]東寺にある建造物のうち、最初に国宝指定された建物は【 】である。※蓮花門、金堂、大師堂(西院御影堂)、観智院客殿も国宝。(2006)
[0467]【藤森神社】の境内に3500株あるとされる花は【 】である。(2014)
[0468]知恩院が所蔵する国宝の「阿弥陀二十五菩薩来迎図」は、通称【 】と呼ばれる。(2012)
[0469]大国主命の故事にちなみ、境内にある大国社の前に石造の狛鼠があるのは【 神社】である。※本殿前にあるのは狛犬。(2018)
[0470]7月1日に御戸代会神事が行われるのは【 】である。(2018)/フタバアオイを徳川家に献上する【 】の「葵使」は平成19(2007)年に復活し、毎年「静岡まつり」に参加している。(2007)
[0471]東寺金堂にある重要文化財の薬師三尊像や、因幡堂(平等寺)にある弘法大師像を作ったのは【 】である。※安土桃山~江戸初期の仏師。弘法大師像は今のところ文化財指定なし。(2019)(2022)
[0472]亀岡市内の神社で、足利尊氏が元弘3(1333)年に鎌倉幕府の倒幕を祈願し、挙兵した場所は【 】である。(2020)
[0473]八幡市内にある足利氏ゆかりの律宗寺院で、俗に「もみじ寺」とも呼ばれるのは【 】である。(2007)/明治時代の神仏分離までは本尊の僧形八幡大菩薩像が石清水八幡宮でまつられていた律宗寺院は【 】である。(2018)
[0474]【円山公園】の一重白彼岸枝垂桜は「祇園しだれ桜」とも呼ばれるが、その先代の桜と親木が同じとされるのは、井手町内にある【 】のシダレザクラである。(2021)
[0475]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、能装束を始め、大劇場の緞帳や横綱の化粧まわしにも使われているものは【 】である。(2006)(2012)
[0476]茶の湯で出される菓子のうち、落雁・煎餅・有平糖などの薄茶用のものを干菓子といい、蒸・生菓子などの濃茶用のものを【 】という。(2010)
[0477]元治元(1864)年の「蛤御門の変」の際、長州軍が本陣として駐留した【 】は、薩摩藩兵の攻撃で焼かれ、多くの建物を焼失する被害を受けた。(2011)
[0478]現在の京都御苑は「国民公園」と位置づけられ【 省】が管理している。※京都御所・京都仙洞御所・大宮御所は宮内庁管理、京都迎賓館は内閣府管理。(2018)
[0479]京狩野の祖とされる【狩野山楽】が描いた襖絵「楼閣山水図」や、比叡山を借景とする枯山水庭園があるのは【 】である。※臨済宗南禅寺派。血天井にも注意。(2015)
[0480]方広寺にある重要文化財の梵鐘に刻まれている計8文字の字句で、「大坂冬の陣」の契機となったのは【 】である。(2011)
[0481]「都七福神まいり」の社寺のうち、福禄寿をまつるのは【 】である。(2010)
[0482]琵琶湖疎水を建設した目的は【 】である。(2007)
[0483]花街の分業体制を担い、お茶屋に芸舞妓を派遣し、芸舞妓の生活や教育の場となっているところを【 】という。(2012)
[0484]第3回内国勧業博覧会に「四季美人図」を出品して画名を高めた【 】は、昭和23(1948)年、女性初の文化勲章を受章した。(2008)
[0485]文久3(1863)年に刊行された『京(花洛)羽津根』によれば、現在の東山区宮川筋一丁目と二丁目の境を東西に通じる【■■辻子】は、寛文8(1668)年に開通した。(2011)
[0486]天正10(1582)年の【山崎の戦い】において、明智光秀方と見られていた筒井順慶は、京都府八幡市と大阪府枚方市の間にある【 峠】に陣を置いて戦況を眺め、秀吉方についたとされる。(2023)
[0487]京町家の中のカマドは「おくどさん」とも呼ばれるが、上部の吹き抜けになっている空間を【 】という。(2020)
[0488]慶長6(1601)年、徳川家康は伏見に銀貨の鋳造所を設けたが、銀座役人を世襲した家名を【 】という。※江戸の銀座より早い。(2020)
[0489]随心院には小野小町が使ったとされる【 】があり、『都名所図会』にも記されている。(2016)
[0490]千本閻魔堂の大念仏狂言を始めたとされる人物は【 】である。※引接寺は高野山真言宗の寺院。(2020)
[0491]知恩院の山内で最も古い建物は【 】である。(2019)
[0492]氷河期以来の水生生物群集が天然記念物に指定されているのは【 池】である。※特別天然記念物ではない。(2007)
[0493]父が人間国宝の片山幽雪、姉は京舞井上流家元五世井上八千代という芸道一筋の家に生まれ、現在、京都観世会会長を務める能楽師は【 】である。(2012)
[0494]『新古今和歌集』を編さんした藤原定家が最上の歌体とするのは【 】である。(2023)
[0495]門前に「迷子みちしるへ」と刻まれた石碑があるのは【 寺】である。※北野天満宮の奇縁氷人石、八坂神社の月下氷人石も同様のもの。(2016)
[0496]大徳寺塔頭の真珠庵にある茶室【①】は、金森宗和好みと伝わり、内坪と呼ばれる建物内の露地がある。(2022)/真珠庵にある「花鳥図」を描いた【②】は、長年途絶えていた朝廷の絵所預に復帰し土佐家を再興した。(2022)
[0497]平安京のモデルとなった中国の都市は【 】である。(2005)
[0498]千本北大路の東北角には【 天皇】の火葬塚がある。(2019)
[0499]菅原道真を重用したのは【 天皇】である。(2018)/仁和寺を創建したのは【 天皇】である。(2013)
[0500]重要伝統的建造物群保存地区のうち、与謝野町にあるのは【 】である。(2009)
[0401]①寛永の三筆/②松花堂昭乗
[0402]太閤堤
[0403]近江屋
[0404]①秦河勝/②弥勒菩薩半跏(思惟)像
[0405]足利義輝
[0406]対岳文庫
[0407]①観智院/②宮本武蔵
[0408]振り売り
[0409]①深草少将/②欣浄寺
[0410]寂光院
[0411]舟屋
[0412]蒲生氏郷
[0413]①和気清麻呂/②和気広虫
[0414]長講堂
[0415]出雲大神宮
[0416]光縁寺
[0417]①渡月橋/②道昌
[0418]西院還来神社
[0419]成相寺
[0420]石田家
[0421]善想寺
[0422]登天石
[0423]菊水鉾
[0424]池坊専慶
[0425]卍字くずし
[0426]東映
[0427]①インクライン/②ねじりまんぽ
[0428]①富岡鉄斎/②車折神社
[0429]北観音山
[0430]①平安神宮/②京都薪能
[0431]檜扇
[0432]新風館
[0433]①朝堂院/②応天門
[0434]①藤原公任/②名古曽滝
[0435]立本寺
[0436]木下順庵
[0437]増田長盛
[0438]京繍
[0439]知恩寺
[0440]①松琴亭/②賞花亭/③笑意軒/④月波楼
[0441]化野
[0442]①京都国立博物館/②片山東熊
[0443]切符入
[0444]京扇子
[0445]額縁門
[0446]新宮凉庭
[0447]①龍光院/②密庵
[0448]護浄院
[0449]車石
[0450]弘道館
[0451]鐘馗
[0452]①松尾大社/②松尾の猛霊
[0453]教王護国寺
[0454]阿弥陀ヶ峰
[0455]天橋立図
[0456]高桐院
[0457]片山御子神社(片山社)
[0458]①凹凸窠/②石川丈山
[0459]長建寺
[0460]恭仁京
[0461]延喜式
[0462]賀茂御祖神社
[0463]①里内裏/②土御門東洞院殿
[0464]①源光寺/②常盤
[0465]京鹿の子絞
[0466]五重塔
[0467]紫陽花
[0468]早来迎
[0469]大豊神社
[0470]上賀茂神社
[0471]康正
[0472]篠村八幡宮
[0473]善法律寺
[0474]地蔵禅院
[0475]西陣織
[0476]主菓子
[0477]天龍寺
[0478]環境省
[0479]正伝寺
[0480]国家安康 君臣豊楽
[0481]赤山禅院
[0482]動力源、物流、農業用水
[0483]置屋(屋形、子方屋)
[0484]上村松園
[0485]団栗辻子
[0486]洞ヶ峠
[0487]火袋
[0488]大黒常是
[0489]化粧井戸
[0490]定覚
[0491]勢至堂
[0492]深泥池
[0493]十代片山九郎右衛門(片山清司)
[0494]有心体
[0495]誓願寺
[0496]①庭玉軒/②土佐光起
[0497]長安(城)
[0498]後冷泉天皇
[0499]宇多天皇
[0500]加悦