[0601]定朝の子とされ、七条仏所を設けたのは【 】である。※定朝の弟子説あり。(2021)
[0602]明治34(1901)年に舞鶴鎮守府の初代司令長官となったのは【 】である。(2021)
[0603]多宝塔が天皇陵となっているのは【 天皇】の御陵である。(2017)
[0604]上賀茂神社の境内摂社で、紫式部も参拝したとされるのは【 】である。(2015)
[0605]京都御苑内の九條邸跡には、拾翠亭という茶室や【①】という邸内社が残る。(2018)/【①】の祭神として宗像三女神とともにまつられており、平清盛の母とされる人物は【②】である。(2021)
[0606]蕉門十哲の一人である【服部嵐雪】が句集『枕屏風』の中で、東山三十六峰の穏やかな景観を詠んだ句は【 】である。(2009)
[0607]新選組の屯所として使われた当時の八木家の当主は【 】である。(2020)
[0608]京都市学校歴史博物館の建物は、【■■■小学校】の校舎を利用しており、白川石を使った石塀や立派な正門が残っている。(2019)
[0609]明治41(1908)年、千本一条上る東側にあった芝居小屋「千本座」の経営者の【 】が監督として「本能寺合戦」を撮影し、それが日本初の時代劇映画となった。(2008)(2013)(2019)
[0610]「四神相応」の四神について、東西南北の各方位を守護するとされるのは、それぞれ、【①】、【②】、【③】、【④】である。(2009)
[0611]8月14日から16日まで東大谷墓地で【 万灯会】が行われる。(2008)
[0612]6月1~2日に平安神宮で行われる伝統芸能の公演を【 】という。(2005)(2012)(2021)
[0613]「300年を紡ぐ絹が織り成す【 】回廊」は日本遺産に認定されている。(2017)
[0614]【 】/影向石/紀州熊野から三羽の烏が飛んできて石になったと伝える。三石(みついし)とも呼ばれ、末社の熊野社の神体。
[0615]銀閣寺にある国宝の【東求堂】の中にあり、付書院や違い棚などを持つ四畳半の部屋を【 】という。(2006)(2012)
[0616]日本初の勅撰和歌集は【 】である。(2006)(2023)/素性法師が都大路の春景を詠んだ歌「見わたせば 柳桜を こきまぜて 宮こそ春の 錦なりける」は、日本初の勅撰和歌集である【 】に収められている。(2008)
[0617]千宗旦四男の仙叟宗室が出仕した大名家は【 】である。(2005)(2015)
[0618]医者から転じて独自の煎茶道を創案し、その家元として公家や文人に煎茶道を流行させ、のちにその喫茶法を『喫茶弁』として出版したのは【 】である。(2009)(2016)
[0619]現在の亀岡市出身で、『都鄙問答』などを書いて石門心学の祖となったのは【 】であり、その門弟には手島堵庵などがいる。(2017)(2019)
[0620]鳥羽離宮の東殿に建てられた寺院で、重要文化財の阿弥陀如来坐像があり、本御塔は鳥羽天皇陵となったが焼失し、新御塔が近衛天皇陵となったのは【 】である。(2006)
[0621]灯台をモチーフとした京都タワーを設計した【 】は、日本武道館も設計している。(2017)
[0622]大内裏の正門から南方向へと続いていた大路を【 】という。※朱雀門。(2005)/その大路の南端に位置した平安京の正門を【 】という。(2010)
[0623]赤レンガの外壁を残して内部のみを改築するファサード保存の手法が用いられた日本最初の例とされるのは【 】である。(2016)
[0624]薩摩出身の実業家・伊集院兼常が造営した別荘は、市田弥一郎が譲り受けた際に【 】と命名されたが、その庭園部分は7代目小川治兵衛によって作り直され、現在は名勝に指定されている。(2020)
[0625]豊臣秀吉による都市改造の一つは、【 形】の町割の実施である。(2005)
[0626]醍醐寺の金堂で2月23日に行われる行事で、金堂前では大鏡餅を抱え上げる時間を競う奉納餅上げ大会が行われるのは【 】である。(2008)
[0627]観阿弥・世阿弥は、大和猿楽四座のうちの【 座】の出身である。(2005)(2010)
[0628]二条城の南にある重要文化財の住宅で、諸大名の宿泊施設として利用されたのは【 】である。(2022)
[0629]2019年に国宝となった五智如来坐像を京都国立博物館に寄託している寺院は【 】である。※5体とも国宝。(2019)
[0630]桂離宮にあった5つの茶屋のうち最も東に位置し、対岸の古書院と向かい合い、白と藍染の加賀奉書を互い違いに配置した斬新な襖を持つ建物は【①】である。※竹林亭は現存しない。(2015)/【八条宮智仁】親王と【智忠】親王の父子が造営した桂離宮の中で、市松模様の床の間がある建物は【①】である。(2018)/桂離宮に現存する茶屋は、【①】、【②】、【③】、【④】である。(2008)
[0631]かつて深泥池の名産であった「京の伝統野菜」で、とらえどころのない人のたとえにも使われるのは【 】である。(2009)
[0632]皆川淇園は、50歳前後で開物学という独自の学問を提唱し、町人から大名まで多くの門弟を抱えた。詩文を能くし、書画にも優れ、有斐閣、呑海子と号し、文化3(1806)年、京都御所西に学問所【 】を設立した。(2019)
[0633]豊臣秀吉による都市改造の一つは、【 通】・寺之内通の寺院街の形成である。(2005)
[0634]室町幕府の御用絵師となり、狩野派の祖となったのは【 】である。(2019)(2021)
[0635]現存最古といわれる船底天井図は、三千院【 】の天井に描かれており、同寺内の「円融蔵」に原寸大で復元展示されている。(2013)
[0636]永観堂の七不思議の一つは、【 松】である。(2015)
[0637]万治元(1658)年に中川喜雲が刊行した京都初の名所記は【 】である。(2007)(2018)
[0638]「遮那王が 背くらべ石を 山に見て わがこころなほ 明日を待つかな」という与謝野鉄幹の歌を刻んだ石碑が立つ寺院は【 】である。(2008)/源義経が牛若丸として幼少期を過ごした寺院は【 】である。(2012)
[0639]漢字に基づいて作られた日本語独特の文字を【 】という。(2006)
[0640]小町寺とも呼ばれる寺院で、小野小町の老衰像や姿見の井戸などがあるのは【 】である。(2012)
[0641]林羅山の生誕地とされる【 町】は、南観音山の山鉾町である。(2020)
[0642]頭を柊にさして門口に立てると魔よけになるとも言われ、節分に食べる魚は【 】である。(2007)
[0643]洛中では現存最古となる国宝の本堂がある【 】は、行快が作った重要文化財の釈迦如来坐像を秘仏本尊として所蔵する。※普段は非公開。(2019)
[0644]京丹後市丹後町間人の出身で、百三十銀行、南海鉄道、大阪紡績などを設立した【 】は、百三十銀行の破綻整理のため全財産を提供し実業界を引退した。(2020)
[0645]上賀茂神社の「白馬奏覧神事」、御香宮神社の「七種神事」、祇園4花街の始業式は、いずれも【■■月■■日】に行われる。(2013)
[0646]「春はあけぼの」で始まる随筆を書いたのは【 】である。(2006)(2007)/泉涌寺にある石碑に刻まれた「夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」の歌を詠んだのは【 】で、晩年を泉涌寺の近くで過ごしたとも伝わる。(2010)(2016)
[0647]「くじ取らず」の山鉾のうち、2023年の後祭の2番は【 】であった。※後祭復活前は最後尾だった。(2005)(2008)
[0648]第3代京都府知事の北垣国道は、京都の復興を図る百年の計として、大津三保ケ崎から京都蹴上に至る【 】を開削した。(2010)(2013)/7代目小川治兵衛が作庭した岡崎南禅寺界隈の別荘の庭園は【 】から水を引き込んでいる。(2018)
[0649]寛永年間の二条城大改修で現在の本丸西南部に天守閣が設けられた際、当初の天守閣は【 】に移築された。(2015)
[0650]豊臣秀吉は、宇治川を巨椋池から切り離すための【 】を築き、伏見城に水を引いた。(2007)
[0651]平安時代に疫病が流行した際、当時の国数に倣った66本の鉾を立て、神輿を【 】に送ったのが祇園祭の始まりとされている。(2006)/源義経が静御前と出会ったとされる場所は【 】である。(2012)
[0652]「鷲の図」と「竹林図」は東寺塔頭の【①】にあり、【②】が描いたものである。(2006)(2019)
[0653]京都市右京区花園にあって「蓮の寺」としても知られる【①】は、【②】の山荘を寺院に改めて双丘寺となり、のちに天安寺と呼ばれたが衰微していたところ、1130年に【③】が再興したものである。(2009)(2016)(2018)/その庭園は浄土庭園の様子を今に伝え、特別名勝に指定されている【④】がある。(2023)/その国宝の本尊は、定朝様式の阿弥陀如来坐像であり、【⑤】が作ったものである。(2014)
[0654]大徳寺塔頭の真珠庵が所蔵する「花鳥図」を描いたことで知られ、長年途絶えていた朝廷の絵所預に復帰したことから土佐家中興の祖とも呼ばれている江戸時代を代表する絵師は誰か。
[0655]8月7日から10日にかけて【 】で陶器祭が行われ、8日には陶器神輿が巡行する。(2008)(2013)
[0656]関ヶ原の戦いの前哨戦となった伏見城の戦いで、徳川家譜代の家臣であった【 】は小早川秀秋らの攻撃を受けて死亡したが、その際の床板が正伝寺や養源院に移されて血天井と呼ばれている。(2016)
[0657]五花街の舞踊の流派はそれぞれ異なり、祇園甲部は井上流、宮川町は【①流】、先斗町は【②流】、上七軒は花柳流、祇園東は藤間流である。(2011)
[0658]樹齢700年といわれる五葉松や額縁庭園で知られる寺院は【 】である。※ゴヨウマツは京都市登録天然記念物。(2019)(2021)
[0659]天然記念物に指定されている九重ザクラは、光厳法皇が創建した【 】にある。※鷹峯にある寺院との混同に注意。特別天然記念物ではない。(2021)
[0660]文徳天皇が染殿皇后の安産を祈願して創建した寺院で、在原業平が晩年を過ごしたことから「なりひら寺」とも呼ばれるのは【①】である。(2012)/その寺院には、業平がかつて恋人であった【②】を想って塩を焼いたとされる塩竃が復元されており、5月28日には業平忌が行われる。(2020)
[0661]天寧寺の山門は、【 】とも呼ばれている。(2014)
[0662]東福寺方丈庭園を作庭したのは【 】である。(2012)
[0663]「くじ取らず」の山鉾のうち、前祭の22番は【 】である。(2008)
[0664]歌中山という山号を持つ寺院で、西郷隆盛と月照が密談した郭公亭という茶室があったのは【 】である。(2017)(2022)
[0665]文久2(1862)年に創建され孝明天皇の勅願所となった神社で、参道入口に逆立ちしている備前焼の狛犬があるのは【 】である。※黒住教の教祖をまつる。(2020)
[0666]初代坂田藤十郎は、【①】が書いた「傾城仏の原」などの脚本を演じ、上方歌舞伎の和事芸を創始した。(2006)/初代坂田藤十郎が「伊左衛門」役を演じた歌舞伎の演目は【②】である。※近松の作品。(2009)/2020年に亡くなった4代目坂田藤十郎を始め、歴代の「坂田藤十郎」の屋号は【③】である。(2005)(2018)
[0667]小野小町のもとに通い続けた「百夜通い」伝説の主人公は【①】である。(2016)/道元が創建したといわれる寺院で、「伏見の大仏」と呼ばれる丈六の毘盧遮那仏や、【①】ゆかりの井戸があるのは【②】である。(2018)
[0668]12月13日から31日まで六波羅蜜寺で行われる空也踊躍念仏は、【 】ともいわれる。(2014)
[0669]「弘法さん」の縁日が行われる日は【毎月■■日】である。(2009)
[0670]三条大橋の東詰には、京都御所に向かって礼拝する【 】の銅像がある。(2009)/三条大橋の東詰には、「われをわれと しろしめすぞや 皇の 玉のみこへの かゝる嬉しさ」という【 】の歌を刻んだ石碑がある。(2022)
[0671]本尊が日本三如来の一つに数えられる因幡堂は、高倉天皇から【 】と命名されたが、町堂としても利用されてきた。※他の三如来は善光寺と清凉寺にある。(2010)/不明門通の名は、この通りに面する【 】の門が常に閉ざされていたことに由来するとされる。(2014)/「因幡堂縁起」には、【 】が因幡堂を創建した経過や本尊の薬師如来像の来歴が書かれている。(2019)
[0672]徳川家康は伊賀を目指して信楽街道を進み、瀬田道と交わる【①峠】を越え、山城と近江の国境である【②峠】を越えて信楽に入ったといわれる。(2023)
[0673]明智光秀が仕えた室町幕府の将軍は【 】である。(2019)
[0674]山城と丹波の国境であった大枝山の【①】峠付近には、源頼光が退治したとされる【②】をまつる首塚大明神がある。(2016)(2023)
[0675]京都府顧問、初代京都府会議長、京都商工会議所の第2代会長などを歴任したのは【 】である。※新島八重の兄。(2009)
[0676]『新古今和歌集』に収められている「偽りを 糺の森の 木綿襷 かけつつ誓へ 我を思はば」の歌を詠んだのは【 】である。(2009)
[0677]琵琶湖疎水工事の責任者は【 】であった。(2007)
[0678]京都市考古資料館として活用されている建物は西陣織物館として建てられたものであるが、設計したのは【 】である。(2015)
[0679]二条城の障壁画・襖絵を描いた画派を【 】という。(2011)
[0680]建仁寺法堂には、小泉淳作が描いた【 図】がある。(2013)
[0681]花街では12月13日から正月の準備を始めるが、京舞【 流】家元の稽古場には「玉椿」の軸が掛けられ、門弟から届けられた鏡餅が飾られる。(2006)
[0682]栂尾の高山寺は、鎌倉時代に華厳宗中興の祖である【 】によって再興され、国宝の「鳥獣戯画」を所蔵する。(2008)/高山寺が所蔵する国宝の肖像画に樹の上で座禅をしている姿が描かれている人物は【 】である。(2020)
[0683]2005年、落語の祖といわれる【 】の2代目襲名があり、約300年ぶりの大名跡復活となった。※2009年死去。(2005)
[0684]三条西家に伝わる古今伝授を受け継ぎ、居城の田辺城が敵方に包囲された際には歌道の伝統が絶えることを憂慮した後陽成天皇の勅命によって救われた戦国武将は【 】である。(2014)
[0685]江戸初期、宮中で行われた立花会を主催したのは【①天皇】であり、そこで指導者として活躍したのが【②】である。(2006)(2014)/退位した後、現在の修学院離宮となる山荘を造営したのは【①上皇】である。(2005)
[0686]【長楽寺】の庭園を作庭したとされるのは【 】である。(2019)
[0687]京都市中京区の木屋町三条付近にある寺院で、角倉了以が豊臣秀次とその一族を弔うために建立したのは【 】である。(2013)
[0688]豊臣秀吉による都市改造の一つは、【 橋】の架設である。(2005)/時代祭行列が鴨川を渡る時に通るのは【 橋】である。(2015)
[0689]服部宗巴・宗碩父子を継ぎ、明治以降は観世流宗家と親族関係となり、関西の観世流の総支配人的な役割を担っているのは【 家】である。(2007)
[0690]妙喜庵にある国宝の茶室【①】は、千利休が作ったとされる現存唯一のもので、わずか【②■畳】の広さながら、様々な工夫によって小さい空間を広く見せている。(2007)(2022)
[0691]東寺は【■■■■寺】とも表記される。※法人名称でもあるが、「正式名称」と言うことには異論もあり。(2006)
[0692]天台宗の門跡寺院であり、「黄不動」と呼ばれる国宝の不動明王像を所有するのは【 】である。※現物は京都国立博物館に寄託。(2006)
[0693]西国三十三所の第10番札所は【 】である。(2007)
[0694]落語「こぶ弁慶」に登場する男は、肩にできた弁慶の顔の瘤を取りたいと願い、【 】に日参した。(2021)
[0695]千利休は、茶頭として織田信長や【 】に仕えた。(2006)
[0696]西国三十三所の第18番札所は【 】である。(2007)/池坊家元が代々住職を務める六角堂の寺号は【 】である。(2014)
[0697]平安神宮の創建理由は【 】である。(2005)
[0698]現在の東京藝術大学にあたる東京美術学校の教授を務め、現在の京都工芸繊維大学にあたる京都高等工芸学校に招かれ、後の関西美術院にあたる聖護院洋画研究所を開き、関西の洋画界の発展に尽力した洋画家は【 】である。(2021)
[0699]二条城では、江戸幕府から朝廷に【 】を行う旨の事前告知が行われた。(2011)
[0700]慶長9(1604)年に江戸幕府が設けた制度で、生糸の輸入業を京都などの主要都市の商人集団に制限したものを【 】という。(2018)
[0601]覚助
[0602]東郷平八郎
[0603]近衛天皇
[0604]片山御子神社(片山社)
[0605]①厳島神社/②祇園女御
[0606]布団着て 寝たる姿や 東山
[0607]八木源之丞
[0608]元開智小学校
[0609]牧野省三
[0610]①青竜/②白虎/③朱雀/④玄武
[0611]東大谷万灯会
[0612]京都薪能
[0613]丹後ちりめん
[0614]①影向石/②梅宮大社
[0615]同仁斎
[0616]古今和歌集
[0617]加賀前田家
[0618]小川可進
[0619]石田梅岩
[0620]安楽寿院
[0621]山田守
[0622]①朱雀大路/②羅城門
[0623]中京郵便局
[0624]對龍山荘
[0625]短冊形
[0626]五大力尊仁王会
[0627]結崎座
[0628]小川家住宅
[0629]安祥寺
[0630]①松琴亭/②賞花亭/③笑意軒/④月波楼
[0631]じゅんさい
[0632]弘道館
[0633]寺町通
[0634]狩野正信
[0635]往生極楽院
[0636]三鈷松
[0637]京童
[0638]鞍馬寺
[0639]仮名
[0640]補陀洛寺
[0641]百足屋町
[0642]鰯
[0643]大報恩寺(千本釈迦堂)
[0644]松本重太郎
[0645]一月七日
[0646]清少納言
[0647]南観音山
[0648]琵琶湖疎水
[0649]淀城
[0650]太閤堤
[0651]神泉苑
[0652]①観智院/②宮本武蔵
[0653]①法金剛院/②清原夏野/③待賢門院/④青女の滝/⑤院覚
[0654]土佐光起
[0655]五条坂
[0656]鳥居元忠
[0657]①若柳流/②尾上流
[0658]宝泉院
[0659]常照皇寺
[0660]①十輪寺/②二条后(藤原高子)
[0661]額縁門
[0662]重森三玲
[0663]岩戸山
[0664]清閑寺
[0665]宗忠神社
[0666]①近松門左衛門/②夕霧名残の正月/③山城屋
[0667]①深草少将/②欣浄寺
[0668]かくれ念仏
[0669]毎月21日
[0670]高山彦九郎
[0671]①平等寺/②橘行平
[0672]①松峠/②裏白峠
[0673]足利義昭
[0674]①老ノ坂/②酒呑童子
[0675]山本覚馬
[0676]平貞文
[0677]田邊朔郎
[0678]本野精吾
[0679]狩野派
[0680]双龍図
[0681]井上流
[0682]明恵
[0683]露の五郎兵衛
[0684]細川幽斎
[0685]①後水尾天皇(上皇)/池坊専好(2代)
[0686]相阿弥
[0687]瑞泉寺
[0688]三条大橋
[0689]片山家
[0690]①待庵/②二畳
[0691]教王護国寺
[0692]曼殊院
[0693]三室戸寺
[0694]蛸薬師
[0695]豊臣秀吉
[0696]頂法寺
[0697]平安奠都1100年紀念祭、第四回内国勧業博覧会の記念殿
[0698]浅井忠
[0699]大政奉還
[0700]糸割符制度