夜光杯雑記帳

小ネタが輝く、万華鏡のようなブログを目指します

京都検定1級用語集 百本ノック 0601~0700

[0601]定朝の子とされ、七条仏所を設けたのは【 】である。※定朝の弟子説あり。(2021)
[0602]明治34(1901)年に舞鶴鎮守府の初代司令長官となったのは【 】である。(2021)
[0603]多宝塔が天皇陵となっているのは【 天皇】の御陵である。(2017)
[0604]上賀茂神社の境内摂社で、紫式部も参拝したとされるのは【 】である。(2015)
[0605]京都御苑内の九條邸跡には、拾翠亭という茶室や【①】という邸内社が残る。(2018)/【①】の祭神として宗像三女神とともにまつられており、平清盛の母とされる人物は【②】である。(2021)
[0606]蕉門十哲の一人である【服部嵐雪】が句集『枕屏風』の中で、東山三十六峰の穏やかな景観を詠んだ句は【 】である。(2009)
[0607]新選組の屯所として使われた当時の八木家の当主は【 】である。(2020)
[0608]京都市学校歴史博物館の建物は、【■■■小学校】の校舎を利用しており、白川石を使った石塀や立派な正門が残っている。(2019)
[0609]明治41(1908)年、千本一条上る東側にあった芝居小屋「千本座」の経営者の【 】が監督として「本能寺合戦」を撮影し、それが日本初の時代劇映画となった。(2008)(2013)(2019)
[0610]「四神相応」の四神について、東西南北の各方位を守護するとされるのは、それぞれ、【①】、【②】、【③】、【④】である。(2009)
[0611]8月14日から16日まで東大谷墓地で【 万灯会】が行われる。(2008)
[0612]6月1~2日に平安神宮で行われる伝統芸能の公演を【 】という。(2005)(2012)(2021)
[0613]「300年を紡ぐ絹が織り成す【 】回廊」は日本遺産に認定されている。(2017)
[0614]【 】/影向石/紀州熊野から三羽の烏が飛んできて石になったと伝える。三石(みついし)とも呼ばれ、末社の熊野社の神体。
[0615]銀閣寺にある国宝の【東求堂】の中にあり、付書院や違い棚などを持つ四畳半の部屋を【 】という。(2006)(2012)
[0616]日本初の勅撰和歌集は【 】である。(2006)(2023)/素性法師都大路の春景を詠んだ歌「見わたせば 柳桜を こきまぜて 宮こそ春の 錦なりける」は、日本初の勅撰和歌集である【 】に収められている。(2008)
[0617]千宗旦四男の仙叟宗室が出仕した大名家は【 】である。(2005)(2015)
[0618]医者から転じて独自の煎茶道を創案し、その家元として公家や文人煎茶道を流行させ、のちにその喫茶法を『喫茶弁』として出版したのは【 】である。(2009)(2016)
[0619]現在の亀岡市出身で、『都鄙問答』などを書いて石門心学の祖となったのは【 】であり、その門弟には手島堵庵などがいる。(2017)(2019)
[0620]鳥羽離宮の東殿に建てられた寺院で、重要文化財阿弥陀如来坐像があり、本御塔は鳥羽天皇陵となったが焼失し、新御塔が近衛天皇陵となったのは【 】である。(2006)
[0621]灯台をモチーフとした京都タワーを設計した【 】は、日本武道館も設計している。(2017)
[0622]大内裏の正門から南方向へと続いていた大路を【 】という。※朱雀門。(2005)/その大路の南端に位置した平安京の正門を【 】という。(2010)
[0623]赤レンガの外壁を残して内部のみを改築するファサード保存の手法が用いられた日本最初の例とされるのは【 】である。(2016)
[0624]薩摩出身の実業家・伊集院兼常が造営した別荘は、市田弥一郎が譲り受けた際に【 】と命名されたが、その庭園部分は7代目小川治兵衛によって作り直され、現在は名勝に指定されている。(2020)
[0625]豊臣秀吉による都市改造の一つは、【 形】の町割の実施である。(2005)
[0626]醍醐寺の金堂で2月23日に行われる行事で、金堂前では大鏡餅を抱え上げる時間を競う奉納餅上げ大会が行われるのは【 】である。(2008)
[0627]観阿弥世阿弥は、大和猿楽四座のうちの【 座】の出身である。(2005)(2010)
[0628]二条城の南にある重要文化財の住宅で、諸大名の宿泊施設として利用されたのは【 】である。(2022)
[0629]2019年に国宝となった五智如来坐像を京都国立博物館に寄託している寺院は【 】である。※5体とも国宝。(2019)
[0630]桂離宮にあった5つの茶屋のうち最も東に位置し、対岸の古書院と向かい合い、白と藍染の加賀奉書を互い違いに配置した斬新な襖を持つ建物は【①】である。※竹林亭は現存しない。(2015)/【八条宮智仁】親王と【智忠】親王の父子が造営した桂離宮の中で、市松模様の床の間がある建物は【①】である。(2018)/桂離宮に現存する茶屋は、【①】、【②】、【③】、【④】である。(2008)
[0631]かつて深泥池の名産であった「京の伝統野菜」で、とらえどころのない人のたとえにも使われるのは【 】である。(2009)
[0632]皆川淇園は、50歳前後で開物学という独自の学問を提唱し、町人から大名まで多くの門弟を抱えた。詩文を能くし、書画にも優れ、有斐閣、呑海子と号し、文化3(1806)年、京都御所西に学問所【 】を設立した。(2019)
[0633]豊臣秀吉による都市改造の一つは、【 通】・寺之内通の寺院街の形成である。(2005)
[0634]室町幕府の御用絵師となり、狩野派の祖となったのは【 】である。(2019)(2021)
[0635]現存最古といわれる船底天井図は、三千院【 】の天井に描かれており、同寺内の「円融蔵」に原寸大で復元展示されている。(2013)
[0636]永観堂の七不思議の一つは、【 松】である。(2015)
[0637]万治元(1658)年に中川喜雲が刊行した京都初の名所記は【 】である。(2007)(2018)
[0638]「遮那王が 背くらべ石を 山に見て わがこころなほ 明日を待つかな」という与謝野鉄幹の歌を刻んだ石碑が立つ寺院は【 】である。(2008)/源義経が牛若丸として幼少期を過ごした寺院は【 】である。(2012)
[0639]漢字に基づいて作られた日本語独特の文字を【 】という。(2006)
[0640]小町寺とも呼ばれる寺院で、小野小町の老衰像や姿見の井戸などがあるのは【 】である。(2012)
[0641]林羅山の生誕地とされる【 町】は、南観音山の山鉾町である。(2020)
[0642]頭を柊にさして門口に立てると魔よけになるとも言われ、節分に食べる魚は【 】である。(2007)
[0643]洛中では現存最古となる国宝の本堂がある【 】は、行快が作った重要文化財の釈迦如来坐像を秘仏本尊として所蔵する。※普段は非公開。(2019)
[0644]京丹後市丹後町間人の出身で、百三十銀行、南海鉄道、大阪紡績などを設立した【 】は、百三十銀行の破綻整理のため全財産を提供し実業界を引退した。(2020)
[0645]上賀茂神社の「白馬奏覧神事」、御香宮神社の「七種神事」、祇園4花街の始業式は、いずれも【■■月■■日】に行われる。(2013)
[0646]「春はあけぼの」で始まる随筆を書いたのは【 】である。(2006)(2007)/泉涌寺にある石碑に刻まれた「夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」の歌を詠んだのは【 】で、晩年を泉涌寺の近くで過ごしたとも伝わる。(2010)(2016)
[0647]「くじ取らず」の山鉾のうち、2023年の後祭の2番は【 】であった。※後祭復活前は最後尾だった。(2005)(2008)
[0648]第3代京都府知事の北垣国道は、京都の復興を図る百年の計として、大津三保ケ崎から京都蹴上に至る【 】を開削した。(2010)(2013)/7代目小川治兵衛が作庭した岡崎南禅寺界隈の別荘の庭園は【 】から水を引き込んでいる。(2018)
[0649]寛永年間の二条城大改修で現在の本丸西南部に天守閣が設けられた際、当初の天守閣は【 】に移築された。(2015)
[0650]豊臣秀吉は、宇治川巨椋池から切り離すための【 】を築き、伏見城に水を引いた。(2007)
[0651]平安時代に疫病が流行した際、当時の国数に倣った66本の鉾を立て、神輿を【 】に送ったのが祇園祭の始まりとされている。(2006)/源義経静御前と出会ったとされる場所は【 】である。(2012)
[0652]「鷲の図」と「竹林図」は東寺塔頭の【①】にあり、【②】が描いたものである。(2006)(2019)
[0653]京都市右京区花園にあって「蓮の寺」としても知られる【①】は、【②】の山荘を寺院に改めて双丘寺となり、のちに天安寺と呼ばれたが衰微していたところ、1130年に【③】が再興したものである。(2009)(2016)(2018)/その庭園は浄土庭園の様子を今に伝え、特別名勝に指定されている【④】がある。(2023)/その国宝の本尊は、定朝様式の阿弥陀如来坐像であり、【⑤】が作ったものである。(2014)
[0654]大徳寺塔頭の真珠庵が所蔵する「花鳥図」を描いたことで知られ、長年途絶えていた朝廷の絵所預に復帰したことから土佐家中興の祖とも呼ばれている江戸時代を代表する絵師は誰か。
[0655]8月7日から10日にかけて【 】で陶器祭が行われ、8日には陶器神輿が巡行する。(2008)(2013)
[0656]関ヶ原の戦いの前哨戦となった伏見城の戦いで、徳川家譜代の家臣であった【 】は小早川秀秋らの攻撃を受けて死亡したが、その際の床板が正伝寺や養源院に移されて血天井と呼ばれている。(2016)
[0657]五花街の舞踊の流派はそれぞれ異なり、祇園甲部は井上流、宮川町は【①流】、先斗町は【②流】、上七軒花柳流祇園東は藤間流である。(2011)
[0658]樹齢700年といわれる五葉松や額縁庭園で知られる寺院は【 】である。※ゴヨウマツは京都市登録天然記念物。(2019)(2021)
[0659]天然記念物に指定されている九重ザクラは、光厳法皇が創建した【 】にある。※鷹峯にある寺院との混同に注意。特別天然記念物ではない。(2021)
[0660]文徳天皇が染殿皇后の安産を祈願して創建した寺院で、在原業平が晩年を過ごしたことから「なりひら寺」とも呼ばれるのは【①】である。(2012)/その寺院には、業平がかつて恋人であった【②】を想って塩を焼いたとされる塩竃が復元されており、5月28日には業平忌が行われる。(2020)
[0661]天寧寺の山門は、【 】とも呼ばれている。(2014)
[0662]東福寺方丈庭園を作庭したのは【 】である。(2012)
[0663]「くじ取らず」の山鉾のうち、前祭の22番は【 】である。(2008)
[0664]歌中山という山号を持つ寺院で、西郷隆盛月照が密談した郭公亭という茶室があったのは【 】である。(2017)(2022)
[0665]文久2(1862)年に創建され孝明天皇の勅願所となった神社で、参道入口に逆立ちしている備前焼狛犬があるのは【 】である。※黒住教の教祖をまつる。(2020)
[0666]初代坂田藤十郎は、【①】が書いた「傾城仏の原」などの脚本を演じ、上方歌舞伎の和事芸を創始した。(2006)/初代坂田藤十郎が「伊左衛門」役を演じた歌舞伎の演目は【②】である。※近松の作品。(2009)/2020年に亡くなった4代目坂田藤十郎を始め、歴代の「坂田藤十郎」の屋号は【③】である。(2005)(2018)
[0667]小野小町のもとに通い続けた「百夜通い」伝説の主人公は【①】である。(2016)/道元が創建したといわれる寺院で、「伏見の大仏」と呼ばれる丈六の毘盧遮那仏や、【①】ゆかりの井戸があるのは【②】である。(2018)
[0668]12月13日から31日まで六波羅蜜寺で行われる空也踊躍念仏は、【 】ともいわれる。(2014)
[0669]「弘法さん」の縁日が行われる日は【毎月■■日】である。(2009)
[0670]三条大橋の東詰には、京都御所に向かって礼拝する【 】の銅像がある。(2009)/三条大橋の東詰には、「われをわれと しろしめすぞや 皇の 玉のみこへの かゝる嬉しさ」という【 】の歌を刻んだ石碑がある。(2022)
[0671]本尊が日本三如来の一つに数えられる因幡堂は、高倉天皇から【 】と命名されたが、町堂としても利用されてきた。※他の三如来善光寺清凉寺にある。(2010)/不明門通の名は、この通りに面する【 】の門が常に閉ざされていたことに由来するとされる。(2014)/「因幡堂縁起」には、【 】が因幡堂を創建した経過や本尊の薬師如来像の来歴が書かれている。(2019)
[0672]徳川家康は伊賀を目指して信楽街道を進み、瀬田道と交わる【①峠】を越え、山城と近江の国境である【②峠】を越えて信楽に入ったといわれる。(2023)
[0673]明智光秀が仕えた室町幕府の将軍は【 】である。(2019)
[0674]山城と丹波の国境であった大枝山の【①】峠付近には、源頼光が退治したとされる【②】をまつる首塚大明神がある。(2016)(2023)
[0675]京都府顧問、初代京都府会議長、京都商工会議所の第2代会長などを歴任したのは【 】である。※新島八重の兄。(2009)
[0676]『新古今和歌集』に収められている「偽りを 糺の森の 木綿襷 かけつつ誓へ 我を思はば」の歌を詠んだのは【 】である。(2009)
[0677]琵琶湖疎水工事の責任者は【 】であった。(2007)
[0678]京都市考古資料館として活用されている建物は西陣織物館として建てられたものであるが、設計したのは【 】である。(2015)
[0679]二条城の障壁画・襖絵を描いた画派を【 】という。(2011)
[0680]建仁寺法堂には、小泉淳作が描いた【 図】がある。(2013)
[0681]花街では12月13日から正月の準備を始めるが、京舞【 流】家元の稽古場には「玉椿」の軸が掛けられ、門弟から届けられた鏡餅が飾られる。(2006)
[0682]栂尾の高山寺は、鎌倉時代華厳宗中興の祖である【 】によって再興され、国宝の「鳥獣戯画」を所蔵する。(2008)/高山寺が所蔵する国宝の肖像画に樹の上で座禅をしている姿が描かれている人物は【 】である。(2020)
[0683]2005年、落語の祖といわれる【 】の2代目襲名があり、約300年ぶりの大名跡復活となった。※2009年死去。(2005)
[0684]三条西家に伝わる古今伝授を受け継ぎ、居城の田辺城が敵方に包囲された際には歌道の伝統が絶えることを憂慮した後陽成天皇の勅命によって救われた戦国武将は【 】である。(2014)
[0685]江戸初期、宮中で行われた立花会を主催したのは【①天皇】であり、そこで指導者として活躍したのが【②】である。(2006)(2014)/退位した後、現在の修学院離宮となる山荘を造営したのは【①上皇】である。(2005)
[0686]【長楽寺】の庭園を作庭したとされるのは【 】である。(2019)
[0687]京都市中京区の木屋町三条付近にある寺院で、角倉了以豊臣秀次とその一族を弔うために建立したのは【 】である。(2013)
[0688]豊臣秀吉による都市改造の一つは、【 橋】の架設である。(2005)/時代祭行列が鴨川を渡る時に通るのは【 橋】である。(2015)
[0689]服部宗巴・宗碩父子を継ぎ、明治以降は観世流宗家と親族関係となり、関西の観世流の総支配人的な役割を担っているのは【 家】である。(2007)
[0690]妙喜庵にある国宝の茶室【①】は、千利休が作ったとされる現存唯一のもので、わずか【②■畳】の広さながら、様々な工夫によって小さい空間を広く見せている。(2007)(2022)
[0691]東寺は【■■■■寺】とも表記される。※法人名称でもあるが、「正式名称」と言うことには異論もあり。(2006)
[0692]天台宗門跡寺院であり、「黄不動」と呼ばれる国宝の不動明王像を所有するのは【 】である。※現物は京都国立博物館に寄託。(2006)
[0693]西国三十三所の第10番札所は【 】である。(2007)
[0694]落語「こぶ弁慶」に登場する男は、肩にできた弁慶の顔の瘤を取りたいと願い、【 】に日参した。(2021)
[0695]千利休は、茶頭として織田信長や【 】に仕えた。(2006)
[0696]西国三十三所の第18番札所は【 】である。(2007)/池坊家元が代々住職を務める六角堂の寺号は【 】である。(2014)
[0697]平安神宮の創建理由は【 】である。(2005)
[0698]現在の東京藝術大学にあたる東京美術学校の教授を務め、現在の京都工芸繊維大学にあたる京都高等工芸学校に招かれ、後の関西美術院にあたる聖護院洋画研究所を開き、関西の洋画界の発展に尽力した洋画家は【 】である。(2021)
[0699]二条城では、江戸幕府から朝廷に【 】を行う旨の事前告知が行われた。(2011)
[0700]慶長9(1604)年に江戸幕府が設けた制度で、生糸の輸入業を京都などの主要都市の商人集団に制限したものを【 】という。(2018)

[0601]覚助
[0602]東郷平八郎
[0603]近衛天皇
[0604]片山御子神社(片山社)
[0605]①厳島神社/②祇園女御
[0606]布団着て 寝たる姿や 東山
[0607]八木源之丞
[0608]元開智小学校
[0609]牧野省三
[0610]①青竜/②白虎/③朱雀/④玄武
[0611]東大谷万灯会
[0612]京都薪能
[0613]丹後ちりめん
[0614]①影向石/②梅宮大社
[0615]同仁斎
[0616]古今和歌集
[0617]加賀前田家
[0618]小川可進
[0619]石田梅岩
[0620]安楽寿院
[0621]山田守
[0622]①朱雀大路/②羅城門
[0623]中京郵便局
[0624]對龍山荘
[0625]短冊形
[0626]五大力尊仁王会
[0627]結崎座
[0628]小川家住宅
[0629]安祥寺
[0630]①松琴亭/②賞花亭/③笑意軒/④月波楼
[0631]じゅんさい
[0632]弘道館
[0633]寺町通
[0634]狩野正信
[0635]往生極楽院
[0636]三鈷松
[0637]京童
[0638]鞍馬寺
[0639]仮名
[0640]補陀洛寺
[0641]百足屋町
[0642]鰯
[0643]大報恩寺千本釈迦堂
[0644]松本重太郎
[0645]一月七日
[0646]清少納言
[0647]南観音山
[0648]琵琶湖疎水
[0649]淀城
[0650]太閤堤
[0651]神泉苑
[0652]①観智院/②宮本武蔵
[0653]①法金剛院/②清原夏野/③待賢門院/④青女の滝/⑤院覚
[0654]土佐光起
[0655]五条坂
[0656]鳥居元忠
[0657]①若柳流/②尾上流
[0658]宝泉院
[0659]常照皇寺
[0660]①十輪寺/②二条后(藤原高子)
[0661]額縁門
[0662]重森三玲
[0663]岩戸山
[0664]清閑寺
[0665]宗忠神社
[0666]①近松門左衛門/②夕霧名残の正月/③山城屋
[0667]①深草少将/②欣浄寺
[0668]かくれ念仏
[0669]毎月21日
[0670]高山彦九郎
[0671]①平等寺/②橘行平
[0672]①松峠/②裏白峠
[0673]足利義昭
[0674]①老ノ坂/②酒呑童子
[0675]山本覚馬
[0676]平貞文
[0677]田邊朔郎
[0678]本野精吾
[0679]狩野派
[0680]双龍図
[0681]井上流
[0682]明恵
[0683]露の五郎兵衛
[0684]細川幽斎
[0685]①後水尾天皇上皇)/池坊専好(2代)
[0686]相阿弥
[0687]瑞泉寺
[0688]三条大橋
[0689]片山家
[0690]①待庵/②二畳
[0691]教王護国寺
[0692]曼殊院
[0693]三室戸寺
[0694]蛸薬師
[0695]豊臣秀吉
[0696]頂法寺
[0697]平安奠都1100年紀念祭、第四回内国勧業博覧会の記念殿
[0698]浅井忠
[0699]大政奉還
[0700]糸割符制度

目次に戻る

京都検定1級用語集 百本ノック 0501~0600

[0501]修学院離宮の下離宮にあり、後水尾上皇の御座所とされた建物を【 】という。(2016)
[0502]後に第2代京都府知事となった槇村正直は、殖産興業の一環として、明治3(1870)年に【①】を中心に【②】を開設し、石鹸・ラムネ・ビールなどの製造や技術指導を行った。(2005)(2009)(2010)(2022)
[0503]東寺、仁和寺とともに京都三弘法の一つに数えられ、太田垣蓮月が晩年に隠棲したのは【 】である。(2008)(2020)
[0504]【本阿弥光悦】、【近衛信尹】とともに【①】に数えられ、石清水八幡宮にゆかりの人物は【②】である。(2010)(2020)
[0505]京の六地蔵めぐりのうち、鳥羽地蔵をまつるのは【 】である。(2011)
[0506]南禅寺の境内にあり、琵琶湖疎水の分線が流れる半円アーチ式煉瓦造の建造物を【 】という。(2006)(2016)
[0507]尊王攘夷派の薩摩藩士で、文久2(1862)年の寺田屋事件で、鎮圧部隊の道島五郎兵衛を道連れに死亡したのは【 】である。(2020)
[0508]五花街ごとに芸舞妓がそろって顔見世興行を鑑賞する行事を【 】という。(2008)(2010)
[0509]方除けの大社として信仰を集める【①】は、後鳥羽上皇が【②】を理由に諸国の兵を募り、承久の乱を起こしたことで知られる。(2008)/2005年、【①】では承久の乱以降途絶えていた【②】が復活し、その後は不定期に開催されている。(2005)/境内に湧く「菊水若水」を霊元法皇が飲んで痛みが治ったという記録があり、お百度を踏んで祈願してから水を持ち帰る習慣も伝わる神社は【①】である。※どの部位の痛みだったのか公式サイトには記載なし。(2022)/平安の庭で、鑓水に朱の杯を流し、その杯が流れてくるまでに和歌をつくり、酒杯を飲み干す行事を【③】という。(2007)
[0510]役行者が開山し空海が創建した寺院で、境内には修験道にちなむ伝承地があり、付近のシャクナゲ京都市の天然記念物となっているのは【①】であり、歌舞伎十八番の一つ【②】の舞台にもなった。(2005)(2021)
[0511]祇園甲部の始業式は、京舞井上流家元による【 】の舞で締めくくられる。(2010)(2022)
[0512]賀茂社とともに王城鎮護の神として崇敬を集め、「酒の神」としても知られる神社は【 】である。(2010)/重森美玲が手掛けた上古の庭、曲水の庭、蓬莱の庭の三庭からなる松風苑がある神社は【 】である。(2018)
[0513]祇園祭が官祭から町衆の祭礼へと変化していったことは、『祇園執行日記』に「神事コレ無クトモ、【 】渡シタキ事ヂヤケニ候」と書かれていることからもうかがえる。(2006)
[0514]六勝寺のうち、鳥羽天皇御願寺は【 】である。(2020)
[0515]二条城は将軍上洛の際の居館として築かれたが、【徳川家光】の次に上洛した将軍は【 】である。(2005)
[0516]「都七福神まいり」の社寺のうち、大黒天をまつるのは【 】である。(2010)
[0517]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、子どもの身代わりに悪いことを引き受けるものとして用いられたのが始まりとされるものを【 】という。(2006)
[0518]菖蒲の節句発祥の神社といわれ、勝運と馬の神社としても知られているのは【 】である。(2005)
[0519]伏見稲荷大社は、和銅4(711)年に【①】が稲荷山の【②】に三柱の神をまつったのが起源とされる。(2012)(2020)
[0520]応仁・文明の乱の当事者で、【日野富子】の夫の弟にあたるのは【 】である。(2017)
[0521]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品の中の「その他の工芸品」のうち、うちわと表具を除く他の一つを【 】という。※平安時代初期に「木簡」を何枚かつなげたのが始まり。(2006)
[0522]全国的にも知名度の高い日本酒製造業者が酒づくりを行ってきた地域は【 】である。(2012)
[0523]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、和装飾用、帯締め、羽織ひも、和洋服飾品などに使われるものを【 】という。(2006)(2008)
[0524]油小路五条の北側にあった本草漢学塾で、2014年にその旧跡の土蔵から多数の新資料が見つかったのは【 】である。※京都学・歴彩館に寄託。(2021)
[0525]5月5日に下鴨神社で行われる神事を【 】という。(2020)
[0526]京都市下京区には『源氏物語』に登場する女性の墓とされる場所を表示する石柱が立っており、その場所は【 町】である。(2020)
[0527]番組小学校には、火事の発見や時刻を知らせるために【 】があったが、現在は元有済小学校校舎の屋上に唯一現存し、国の登録有形文化財になっている。(2019)
[0528]知恩院の【瓜生石】には、【 】が降臨して一夜にして瓜が実ったという伝説があり、また、二条城へ続く抜け道の出入口とも言われる。(2016)
[0529]東本願寺に伝わる「坂東本」と呼ばれる国宝の親鸞自筆の書物を【 】という。※京都国立博物館に寄託。(2007)
[0530]2023年の祇園祭の山一番は、前祭が【①】、後祭が【②】だった。(2006)(2007)(2022)
[0531]「夜泣き止め松」は、【 寺】5世であった日諦上人にまつわる伝承に由来する。(2015)
[0532]京の町家の内部の「通り庭」や「走り庭」と呼ばれる通路の中ほどに設けられる半間ほどの板や衝立を【 】という。(2010)(2015)
[0533]東本願寺が分かれた際の西本願寺の宗主は【 】である。※そのときの東本願寺門主教如。(2017)
[0534]菅原道真の生涯や怨霊による災いなどを描いた北野天満宮所蔵の国宝の絵巻を【 】という。(2006)
[0535]現存する国宝の曜変天目茶碗は3碗あり、そのうちの1碗を所蔵するのが大徳寺塔頭【①】である。※他に所蔵するのは、東京都千代田区静嘉堂文庫美術館大阪市都島区藤田美術館。(2019)/その塔頭には、小堀遠州が江月宗玩のために建てた国宝の茶室【②】があり、その書院床には南宋の密庵咸傑による国宝の墨蹟が掛けられて「密庵床」と呼ばれた。(2015)(2022)
[0536]法師が木に登って賀茂の競馬を見物する情景が書かれている文学作品は、【吉田兼好】の【 】である。(2010)
[0537]平清盛の【 第】は、『平家物語』に「玉をみがき金銀をちりばめて作られたりし」と表現されたが、都落ちの際に火をかけられて焼失した。(2008)
[0538]「勘亭流」を作った岡崎屋勘六は、江戸時代の公文書の書体となった御家流を学んだといわれるが、その御家流の発祥の寺院は【 】である。(2011)
[0539]「東山三十六峰」の中で最も北にある山は【 】である。(2010)/後水尾天皇の幡枝御所であった圓通寺の枯山水庭園は【 】を借景としている。(2020)
[0540]東寺の門前で売られている名物菓子を【 】という。※東寺との関係は薄い。どら焼きは門前では売られていない。(2009)
[0541]光悦寺は、本阿弥光悦徳川家康から拝領した【鷹峯】に草庵を結び【 】を建てたのが始まりで、その後、日慈を開山とする寺院となった。(2015)
[0542]【藤森神社】の境内に3500株あるとされる花は【 】である。(2014)
[0543]寺町通、【①】、麩屋町通富小路通、【②】、堺町通間之町通東洞院通車屋町通烏丸通両替町通、【③】、衣棚通新町通、【④】、西洞院通、小川通、【⑤】、醒ヶ井通堀川通(2010)
[0544]慶長6(1601)年、徳川家康は伏見に銀貨の鋳造所を設けたが、銀座役人を世襲した家名を【 】という。※江戸の銀座より早い。(2020)
[0545]上賀茂神社の社家の出身で、書家として世に出たが、東京永田町にあった「星岡茶寮」の美食家・料理家や陶芸家としても知られたのは【 】である。※星岡茶寮を「開いた」のではない。(2010)(2017)
[0546]鎌倉時代初め、東寺の復興に尽力した僧は【 】である。※神護寺の復興にも尽力。袈裟御前にも注意。 (2006)
[0547]明治37(1904)年に竣工した重要文化財京都府庁旧本館は、創建時の姿をとどめる現役の官公庁の建物としては日本最古のものであるが、この建物を設計したのは【 】である。※1888年北海道庁旧本庁舎は現役庁舎ではない。愛知県本庁舎は1938年。(2012)
[0548]天平12(740)年、聖武天皇平城京から現在の木津川市にある【 】へと都を移したが、そこには現在も大極殿跡が残る。※山城国分寺跡も残る。史跡としては「宮跡」。(2014)
[0549]宮川町では、4月に【 】、10月に「みずゑ会」を開催する。(2011)
[0550]六波羅蜜寺で1月1~3日に有償授与される飲み物であり、元日に汲んだ「若水」でいれた煎茶に梅干しと結び昆布を入れたもので、空也上人がふるまい、村上天皇が飲まれたこともあるものを【 】という。(2021)
[0551]扇状の葉を持ち黄色や橙色の花を咲かせるアヤメ科の多年草で、祇園祭の期間中に厄除けの花として生ける風習があるのは【 】である。(2022)
[0552]1月7日に祇園の芸舞妓が一同に会する行事を【 】という。※上七軒は1月9日。(2011)
[0553]昭和40年代、京焼・清水焼の窯元の一部は、恵まれた創作環境を求めて宇治市北部の【 】という山あいの地域に移転した。(2021)
[0554]国風文化を代表する長編物語は【①】であり、それを書いたのは【②】である。(2006)(2007)
[0555]源氏物語の作者が仕えた一条天皇中宮は【 】である。※清少納言が仕えた人物との混同に注意。(2007)
[0556]祇園祭の巡行に参加する山鉾の総数は【 基】である。※2023年7月時点。(2009)
[0557]仙洞御所は、後水尾天皇上皇となった際に造営されたもので、当初の庭園は【 】によるものだが、後に後水尾上皇によって大きく改変され、安政元(1854)年に御所は焼失し、現在は茶室と庭園が残っている。(2018)
[0558]浄土庭園の代表例は、木津川市内の【 】の庭園で、史跡・特別名勝に指定されている。※特別史跡ではない。(2012)/京都府内最古の三重塔は【 】にあり、国宝である。(2017)
[0559]泉涌寺の山内寺院であり、洛陽三十三所観音霊場の札所の一つでもあり、「ばんだい号」の遺族によって本堂が寄進されたのは【 】である。(2019)
[0560]京都府に招かれたドイツ人の化学者で、陶磁器や七宝の釉薬などの新技術を指導し、岡崎公園に顕彰碑があるのは【 】である。(2009)(2020)
[0561]「くじ取らず」の山鉾のうち、前祭の5番は【 】である。(2008)
[0562]奈良の田村後宮から現在地に移された経過を持ち、臣籍降下した氏族から尊崇された【①】は、【②造】の重要文化財の本殿があり、桜の名所としても知られる。(2009)(2015)
[0563]清水寺本堂に代表される懸造(舞台造)は、醍醐寺上醍醐にある国宝の【 】でも見られる。※他の懸造は峰定寺など。(2021)
[0564]桂離宮の中では唯一の瓦葺の建物で、宮家の持仏堂であったものを【 】という。(2022)
[0565]【藤森神社】の境内に湧く御神水を【 】という。(2014)
[0566]角倉了以・素庵、伊藤仁斎・東涯らの墓があるのは【 】である。(2016)
[0567]現在の東寺南大門は、【 】の西門が移築されたものである。(2017)
[0568]「くじ取らず」の山鉾のうち、前祭の21番は【 】である。(2008)/2023年に与謝蕪村の「琴棋書画図」を下絵に刺繡を施した下水引を244年ぶりに復元新調したのは【 】である。(2023)
[0569]平等院には、源頼政が自害した場所といわれる【 】があり、最勝院内には頼政の墓がある。(2014)
[0570]応徳3(1086)年に白河上皇が造営した鳥羽離宮の土地は【 】から寄進を受けたものである。(2020)
[0571]天明の大火の際に聖護院を仮御所とし、後に修験道の祖である役行者に対して神変大菩薩の号を与えたのは【 天皇】である。※天明の大火。(2017)
[0572]織屋の丁稚と織子の言い争いから起きた「撞かずの鐘」の伝説が残る寺院は【 】である。※黒田長政が死去した部屋がある。(2016)
[0573]後水尾天皇八条宮智忠親王らと親交があり、随筆『にぎはひ草』を書いた京都の豪商・文人は【 】である。(2012)
[0574]石清水八幡宮元服し「八幡太郎」と呼ばれたのは【 】である。(2021)
[0575]石清水八幡宮が鎮座する山は【 】である。(2021)
[0576]新選組の参謀を務めたが、活動方針の相違から離脱して御陵衛士高台寺党)を結成した後、近藤勇らの謀略により七条油小路で暗殺されたのは【 】である。(2016)
[0577]足利義満を補佐する管領であった【 】が創建した地蔵院には、「十六羅漢の庭」と呼ばれる枯山水庭園がある。※上京区の同名寺院との混同に注意。(2015)
[0578]仁和寺の再興を支援した将軍は【 】である。(2013)/東寺五重塔は、現存する木造塔として最高の高さで、寛永21(1644)年、【 】によって再建された。(2017)/知恩院の現在の御影堂を建てた将軍は【 】である。(2019)
[0579]万治2(1659)年、後水尾上皇の山荘(現在の修学院離宮)に招かれ、日記『隔蓂記』に「御庭の滝風景凡そ眼を驚かせ、肝胆に徹するものなり」と書いたのは【 】である。(2017)
[0580]京町家の間口が狭く奥行きが深いことを【 】と表現する。(2008)
[0581]立花とは異なり、私的な場における非定型の簡略な花であったものを【 】という。(2014)
[0582]豊国神社が所蔵する「豊国祭礼図屏風」を描いたのは【 】である。(2021)
[0583]桓武天皇の父で、三室戸寺を創建したとされるのは【 】である。(2019)
[0584]小浜藩出身の尊王の志士で、京都市中京区にある大福寺に寓居したこともある【 】は、安政の大獄で獄死し、時代祭では維新志士列の中に吉田松陰頼三樹三郎らとともに名前入りで登場する。(2015)
[0585]「京都府立陶板名画の庭」を設計したのは【 】である。(2011)
[0586]五摂家のうちの一つで、禁門の変蛤御門の変)で久坂玄瑞らの長州藩士が朝廷へ嘆願するために立てこもり、現在は京都御苑の堺町御門の北側にあった邸宅跡地に石柱が立つのは【 家】である。(2015)
[0587]鞍馬寺は、鑑真の高弟であった【 】が宝亀元(770)年に毘沙門天をまつったことに由来する。(2021)
[0588]世阿弥の能は、現在の【 流】へとつながる。(2005)
[0589]現在の亀岡市出身の画家で、写生を重視し、国宝の「雪松図屏風」や寛政度造営の御所襖絵を描き、京都画壇の基礎を築いたのは【 】である。(2021)
[0590]永徳の長男【 】が描いた「鳴き龍」とも呼ばれる蟠龍図があるのは【 】の法堂である。(2005)(2013)(2021)
[0591]八幡市内にある足利氏ゆかりの律宗寺院で、俗に「もみじ寺」とも呼ばれるのは【 】である。(2007)/本尊の僧形八幡大菩薩像が明治時代の神仏分離まで石清水八幡宮でまつられていた律宗寺院は【 】である。(2018)
[0592]豊臣秀吉伏見城築城の際に宇治川に架けた【 】は王政復古後の動乱で焼け、現在はその場所に観月橋が架かる。(2016)
[0593]明治5(1872)年に京都博覧会の附博覧として披露された「都をどり」を振り付けし、六世片山九郎右衛門と結婚して京舞能楽の交流を深めたのは【 】である。※四世は八世片山九郎右衛門と結婚。(2013)(2016)
[0594]大徳寺塔頭で、豊臣秀吉織田信長の菩提を弔うために建てたのは【 】である。(2012)(2017)
[0595]祇園祭の粽に付けられる護符には、【牛頭天王】の故事にちなんで【 】と書かれている。(2008)
[0596]能『頼政』をパロディー化した狂言は【 】である。(2009)
[0597]平安京の都市区画制度を【 】という。※耕地の区画制度との混同に注意。(2005)
[0598]後鳥羽上皇は【 】に配流された。(2021)
[0599]平成20年(2008)年に行われた記念事業で、「古典の日」が法制化されるきっかけとなったのは【 】である。(2012)
[0600]江戸時代の歌人で、「平安和歌四天王」の一人に数えられ、平易率直な「ただこと歌」を主張し、歌集『六帖詠草』や歌論書『布留の中道』などを書いたのは【 】である。(2009)

[0501]寿月観
[0502]①明石博高/②舎密局
[0503]神光院
[0504]①寛永の三筆/②松花堂昭乗
[0505]浄禅寺
[0506]水路閣
[0507]有馬新七
[0508]花街総見
[0509]①城南宮/②流鏑馬/③曲水の宴
[0510]①志明院/②鳴神
[0511]倭文
[0512]松尾大社
[0513]山鉾
[0514]最勝寺
[0515]徳川家茂
[0516]松ヶ崎大黒天
[0517]京人形
[0518]藤森神社
[0519]①秦伊呂具/②三ヶ峰
[0520]足利義視
[0521]京扇子
[0522]伏見
[0523]京くみひも
[0524]山本読書室
[0525]歩射神事
[0526]夕顔町
[0527]太鼓望楼
[0528]牛頭天王
[0529]教行信証
[0530]①山伏山/②浄妙山
[0531]本隆寺
[0532]嫁隠し
[0533]准如
[0534]北野天神縁起
[0535]①龍光院/②密庵
[0536]徒然草
[0537]西八条第
[0538]青蓮院
[0539]比叡山
[0540]東寺餅
[0541]法華題目堂
[0542]紫陽花
[0543]①御幸町通/②柳馬場通/③室町通/④釜座通/⑤油小路通
[0544]大黒常是
[0545]北大路魯山人
[0546]文覚
[0547]松室重光
[0548]恭仁京
[0549]京おどり
[0550]皇服茶(大福茶
[0551]檜扇
[0552]始業式
[0553]炭山
[0554]①源氏物語/②紫式部
[0555]中宮彰子
[0556]34基
[0557]小堀遠州
[0558]浄瑠璃寺
[0559]善能寺
[0560]ワグネル
[0561]函谷鉾
[0562]①平野神社②比翼春日造(平野造)
[0563]清瀧宮拝殿
[0564]園林堂
[0565]不二の水
[0566]二尊院
[0567]三十三間堂
[0568]放下鉾
[0569]扇の芝
[0570]藤原季綱
[0571]光格天皇
[0572]報恩寺
[0573]灰屋紹益
[0574]源義家
[0575]男山
[0576]伊東甲子太郎
[0577]細川頼之
[0578]徳川家光
[0579]鳳林承章
[0580]鰻の寝床
[0581]抛入花
[0582]狩野内膳
[0583]光仁天皇
[0584]梅田雲浜
[0585]安藤忠雄
[0586]鷹司家
[0587]鑑禎
[0588]観世流
[0589]円山応挙
[0590]①狩野光信/②相国寺
[0591]善法律寺
[0592]豊後橋
[0593]片山春子
[0594]総見院
[0595]蘇民将来之子孫也
[0596]通圓
[0597]条坊制
[0598]隠岐
[0599]源氏物語千年紀
[0600]小沢蘆庵

目次に戻る

京都検定1級用語集 百本ノック 0401~0500

[0401]【近松門左衛門】の浄瑠璃作品のうち、京都の南北の通り名が登場するのは【 】である。(2018)
[0402]谷崎潤一郎の『細雪』で「まことに此処の花を措いて京洛の春を代表するものはない」と賞賛されているのは【 】の桜である。(2008)/6月1~2日に【京都薪能】が行われるのは【 】である。(2010)/時代祭行列の到着場所は【 】である。(2011)/7代目小川治兵衛が作庭した神苑があるのは【 】である。(2018)
[0403]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、絵が中骨と一体ではなく後から取り付けられるのが特徴であるものを【 】という。(2006)(2022)
[0404]藤森神社の境内社のうち、社殿が重要文化財となっているのは、【①】と【②】である。(2014)
[0405]近衛家に仕え、西郷隆盛らと交流があったことから「安政の大獄」で処罰されたが、維新後に嵯峨野の直指庵を再興したのは【 】である。(2014)
[0406]日本初の両切たばこの製造・販売を行い「煙草王」と呼ばれた【①】は、東山にロココ様式を取り入れた【②】を建てた。※紙巻たばこには両切と口付があった。(2008)(2016)//比叡山開創1150年を記念して設けられた延暦寺の大書院は、【①】の邸宅を移築したものである。※武田五一の設計で、東京から移築。(2022)
[0407]建礼門院が出家したとされる寺院で、時宗に改められて【一遍】を含む7人の上人の木造を所蔵するのは【 】である。(2007)
[0408]小堀遠州が師事した茶人は【 】である。(2015)/藪内家初代の剣仲紹智は、【武野紹鷗】に茶を学び、利休の媒酌で【 】の妹が妻となり、茶室の【燕庵】を賜った。(2022)
[0409]石清水八幡宮は、貞観元(859)年に南都大安寺の【 】が豊後の宇佐神宮から八幡大神を勧請したのが起源である。(2017)(2021)
[0410]光明皇后が創建したと伝わる清水寺塔頭の泰産寺にある三重塔を【 】という。(2018)
[0411]北側へと分岐する道がなく、南側のみに分岐していたことから名づけられたとされる地名に由来する京福電鉄の駅は【 】である。(2012)
[0412]五条寺を2つに分けて弟子に相続させたことに由来するともいわれる地名は【 町】である。※他説あり。(2019)
[0413]石川五右衛門南禅寺の三門から見える春の情景を前に「絶景かな絶景かな」と言う場面で知られる歌舞伎の演目を【 】という。(2008)
[0414]大覚寺が所蔵する重要文化財の太刀で、源頼光が土蜘蛛を切った伝説があるのは【 】である。(2021)
[0415]東寺金堂にある重要文化財の薬師三尊像や、因幡堂(平等寺)にある弘法大師像を作ったのは【 】である。※安土桃山~江戸初期の仏師。弘法大師像は今のところ文化財指定なし。(2019)(2022)
[0416]2020年に京都市左京区岡崎でリニューアルオープンした美術館は【 】である。※所在する円勝寺町には京都国立近代美術館もある。(2020)
[0417]【菅原道真】に引退を勧め、道真失脚の黒幕説もあるのは【 】で、子の浄蔵貴所の祈りが通じて一条戻橋の上で一時蘇った伝説を持つ。(2015)(2020)
[0418]聖徳太子ゆかりの七大寺の一つである広隆寺は、聖徳太子から賜った仏像を本尊として【①】が建立した寺院を起源とする。※七大寺のうち京都府内にあるのは広隆寺のみ。(2006)(2021)/彫刻の中で国宝指定第1号となった【②】は飛鳥時代の仏像である。※いわゆる「泣き弥勒」は国宝彫刻第50号。(2005)/世阿弥が書いた『風姿花伝』によれば、聖徳太子の命を受けて申楽を初めて上演した人物は【①】である。(2007)
[0419]牛若丸(源義経)が奥州に出発する時に道中の安全を祈願したとされる神社は【 】である。※承安4(1174)年のこと。(2011)(2012)
[0420]後に天台座主となった尊意が石の上に現れた菅原道真の霊を昇天させ雷雨を鎮めたことから、その石は【 】と名付けられ、現在は水火天満宮にある。(2017)
[0421]泉涌寺にある重要文化財の「聖観音像」は、玄宗皇帝が寵妃の面影を写させたとの伝承を生み、江戸時代初め頃から【 】と呼ばれている。(2009)
[0422]聖徳太子四天王寺建立の材木を求め、現在の六角堂がある地域を訪れたところ、太子の念持仏であった【 】が、この地にとどまって人々を救いたいと太子に告げたため、太子が御堂を建てて安置したとされる。(2021)
[0423]京都出身の医者で、戦国武将の信頼を受け医学校の啓迪院を開き、「医聖」と呼ばれたのは【 】である。(2018)
[0424]京都御所の正殿を【 】という。(2007)
[0425]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、型友禅の技術を生かして小さな文様を引き染めすることが多いものを【 】という。(2006)(2020)
[0426]京狩野の祖とされる【狩野山楽】が描いた襖絵「楼閣山水図」や、比叡山を借景とする枯山水庭園があるのは【 】である。※血天井にも注意。(2015)
[0427]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、書画を掛軸や額に仕立てたり、屏風・衝立・襖などにするものを【 】という。(2006)(2011)
[0428]本阿弥光悦が作った楽茶碗には、赤茶碗の【 】や、白茶碗の「不二山」などがある。(2015)
[0429]足利義満が春屋妙葩を開山として建立した【 】には二層宝形の舎利殿枯山水庭園があり、京福電鉄の最寄り駅は【 】である。(2009)(2012)(2017)
[0430]琵琶湖疎水の第3トンネル西口の扁額に【三条実美】が揮毫した字句は【 】である。※東口は松方正義の「過雨看松色」。(2017)
[0431]境内から水が湧き出して良い香りが四方に漂い、その水を飲むと病気がたちまち癒えたという奇瑞から名を賜った神社は【 】であり、「御香水」は環境省の「名水百選」にも選ばれている。(2022)/その神社は徳川家康により建立されたが、本殿の建築様式を【 】という。(2019)
[0432]自らの隠居所として「凹凸窠」(のちの詩仙堂)を建てた徳川家康の元家臣は【 】である。(2011)(2023)
[0433]仁和寺の御室御殿の北側には重要文化財の茶室が2つあり、光格天皇遺愛の茶室は【①】、【②】ゆかりと伝わる茶室は【③】である。(2013)(2014)
[0434]5月5日の藤森祭(深草祭)で奉納される神事を【 】という。(2014)
[0435]東山三十六峰が見える山紫水明処で頼山陽が完成させた歴史書は【 】である。(2018)
[0436]御土居の西南に設けられた都への出入口は、JR嵯峨野線の【 】駅としてその名が残っている。(2016)
[0437]片波川源流域には、京都府指定の天然記念物である伏条台杉の群生地があり、その中で最大といわれる通称【 杉】の幹回りは15.2メートルで、樹齢は800年を超えるともいわれる。(2021)
[0438]二条城の築城に際し、建設予定地の町家の立ち退きの様子を「町屋四、五千間モノクト云々」と記録する醍醐寺三宝院座主の日記を【 】という。(2017)
[0439]神護寺の鎮守として空海宇佐神宮から勧請したといわれ、44面の花卉が描かれた「花の天井」がある神社は【 】である。(2019)
[0440]昼夜の寒暖差が大原の早朝に現れる霞を【 】という。(2022)
[0441]「此比都ニハヤル物 夜討強盗謀綸旨」で始まる【 】は、後醍醐天皇の政治や世相を風刺したものである。(2009)
[0442]室町幕府8代将軍の足利義政が造営した東山殿(後の銀閣寺)は、夢窓疎石が再興した臨済宗寺院の【  】をモデルとして造られた。(2011)
[0443]三十三間堂にある国宝の千手観音坐像を作ったのは【 】である。(2010)
[0444]俵屋宗達が描いた「牛図」や宗達の墓があるのは【 】である。(2015)
[0445]後に第2代京都府知事となった槇村正直が行った京都近代化政策の一つは、女性教育機関である【 】の開設である。(2005)/京都府の勧業政策の一つとして花街にも設立され、現在は祇園で芸事や習い事を教えるための法人は【 】である。※学校名は祇園女子技芸学校。(2015)
[0446]祇園甲部の始業式では、芸舞妓は家元からご祝儀の【 】を受け取る。(2006)
[0447]明智光秀が最期を遂げた場所とされる明智藪は、京都市伏見区の【 】にある。(2015)(2019)
[0448]【海住山寺】の五重塔は、【 】の一周忌の供養に際して建てられたものである。(2017)
[0449]松平容保が京都で在任した幕府の役職の役割は【 】である。(2013)
[0450]日活から独立した【牧野省三】は【 】の境内に撮影所を設立し、阪東妻三郎月形龍之介といったスターを生み出した。(2013)
[0451]上賀茂神社の門前で売られている名物菓子を【 】という。※販売店は複数あり、見た目も異なる。(2010)
[0452]世阿弥室町幕府将軍の支援を受けるきっかけとなった公演は【 】で行われた。(2005)/後白河院が創建した【 】は、院御所であった法住持殿の鎮守とされ、また、院お手植えと伝わる大樟は「大樟大権現」と呼ばれ、京都市指定の天然記念物である。(2008)(2021)
[0453]太秦初の映画撮影所を開設したのは、俳優の田村高廣・正和・亮の父としても知られる【 】のプロダクションだった。(2021)
[0454]『蜻蛉日記』の作者の夫で、京都市東山区にある大将軍神社の相殿にまつられているのは【 】である。(2017)
[0455]後鳥羽上皇の勅命により元久2(1205)年に編さんされた【 】は、八代集の一つに数えられる勅撰和歌集である。(2005)(2021)
[0456]西国三十三所の第29番札所は【 】である。(2007)/美福門院の念持仏とされる国宝の普賢延命菩薩像を所蔵するのは【 】である。(2017)
[0457]京都に煎茶を普及させ、【①】とも呼ばれた黄檗僧は【②】である。(2007)(2014)/その人物は、享保19(1734)年、東山に茶亭【④】を設けた。(2011)
[0458]醍醐山上に小堂宇を建立して准胝・如意輪の両観音を安置し、醍醐寺を創建したとされるのは【 】である。(2006)
[0459]【朱雀大路】は羅城門があったところで終わり、そこから真南方向には【 】が淀に通じていた。(2019)
[0460]天元5(982)年に書かれた随筆で、右京の荒廃ぶりを描写した【①】を書いたのは【②】である。(2018)(2022)
[0461]千家十職のうち、竹細工・柄杓師は【 家】である。(2012)
[0462]法然を開山として知恩院の諸堂を興したのは【 】である。(2011)
[0463]明治41(1908)年に押小路通沿いに創建された能楽堂は【 】である。(2018)
[0464]桓武天皇に平安遷都を進言したのは【 】である。(2009)/造営大夫として平安建都に尽力し、江戸時代に「護王大明神」の神号を授けられ、護王神社にまつられているのは【 】である。(2018)
[0465]鴨川は桂川に合流し、さらに下流三川合流点では宇治川、【 】、桂川が合流して淀川となる。(2020)
[0466]京都府画学校を修了し「アレ夕立に」や「斑猫」などを描き、京都画壇を代表する画家となり第1回文化勲章を受けたのは【 】である。(2020)
[0467]現在の石川県七尾市出身の絵師で、智積院に残る国宝の「楓図」を描いたのは【 】である。(2010)
[0468]京都の旦那が芸舞妓や幇間の一八らを連れて山に登る筋書きの落語【 】では、火伏信仰で知られる山での「かわらけ投げ」で盛り上がりを迎える。(2021)
[0469]鞍馬寺にある国宝の毘沙門天立像は、【ながめるように■■をかざしている】。(2013)
[0470]二条城二の丸御殿遠侍は国宝であるが、その若松の間に描かれた天井画は天井全体が一つの絵画になっており、【 図】という。(2013)
[0471]西本願寺にある国宝の唐門は【 】とも呼ばれている。(2006)(2014)(2017)
[0472]呉春を祖とする画派を【 】という。(2013)
[0473]元治元(1864)年、三条小橋近くの旅籠【 】に長州藩士らが集まっていたところを新選組が襲撃した。(2010)(2020)/その事件は、新選組が壬生の旧前川邸で【 】を自白させて起こしたである。(2014)
[0474]浄土宗の総本山で、徳川家康が母の菩提寺としたのは【 】である。(2022)/徳川家光により再建された国宝の御影堂に法然上人の座像を安置する寺院は【 】である。(2015)
[0475]妙心寺塔頭で、東睦宗補が作庭した「東海一連の庭」が名勝・史跡となっているのは【 】である。※特別名勝特別史跡ではない。(2021)
[0476]天龍寺の庭園は、中央の【 】を巡る池泉回遊式庭園で、夢窓疎石が作庭した。(2014)
[0477]岩倉具視西郷隆盛などとともに王政復古のクーデターを行った一人で、河原町御池の北東に銅像が立つのは【 】である。(2011)
[0478]歌舞伎は、【 】が慶長8(1603)年に京都で踊ったのが始まりとされ、北野の杜や五条河原などでも興行した。(2006)(2010)
[0479]建仁寺両足院を創建したのは、日本に饅頭を伝えた【 】の子孫である。(2017)
[0480]京都市上京区にある三時知恩寺は尼門跡寺院であり、【 】とも呼ばれた。(2020)
[0481]神護寺が所蔵する国宝の似絵(肖像画)は、「伝源頼朝像」、「伝平重盛像」、【 】である。(2014)
[0482]大将軍八神社は、小説『天地明察』の主人公である【 】が作った天球儀などを所蔵する。(2012)/碁所であった京都の安井家に生まれたが、「貞享暦」を作った功績で幕府の初代天文方となったのは【 】である。(2023)
[0483]京都五山を整備し南北朝の合体を実現するなど、幕府の全盛を築いた室町幕府の将軍は【 】である。(2007)/応永6(1399)年の応永の乱で大内義弘に勝利した室町幕府の将軍は【 】である。(2023)/室町幕府3代将軍【 】は、新熊野神社観阿弥世阿弥親子の公演を観て、世阿弥を庇護した。(2005)(2010)
[0484]12月の第1土曜日、広沢池の水を抜いて鯉などを収穫する冬の風物詩を【 】という。(2012)
[0485]大徳寺塔頭で、後にキリシタン大名となった大友宗麟元服前に建立され、重森三玲による庭が「十字架の庭」とも呼ばれるのは【 】である。(2020)
[0486]西陣聖天とも呼ばれる雨宝院の本堂前の八重桜は、【 】と呼ばれ根元から花が咲く。(2016)
[0487]『宇治拾遺物語』によれば、「京の台所」の錦小路は、当初【 】と呼ばれていた。(2005)(2022)
[0488]足利将軍家同朋衆が座敷飾などを解説した書物を【 】という。※作者は能阿弥と相阿弥か。(2021)
[0489]父から桂離宮を引き継いで整備したのは【 】である。(2008)
[0490]斎藤道三の書状と伝わる「美濃一国譲り状」を所蔵するのは【 】である。(2020)/狩野派歴代の墓がある日蓮宗の寺院は【 】である。(2021)
[0491]時代祭行列を運営する市民組織を【 】という。(2006)(2011)
[0492]千本三条の交差点から南東方向に続く道路は【 通】である。(2019)
[0493]キリスト教宣教師として来日したアメリカ人で、同志社大学アーモスト館、大丸ヴィラ、東華菜館を設計したのは【 】である。(2019)
[0494]安永9(1780)年に刊行された【①】は、京都とその周辺の名所や史跡を【②】が竹原春朝斎の挿絵付きで解説している。(2006)(2011)(2013)(2018)
[0495]旧明倫小学校の建物は現在、【 】として活用されている。(2019)
[0496]大仙院書院庭園や龍安寺方丈庭園の庭園様式を【 】という。※大徳寺方丈庭園、西芳寺庭園(上段)、金地院庭園、本願寺大書院庭園も特別名勝枯山水でない龍安寺庭園は名勝。(2006)(2012)
[0497]治承4(1180)年、後白河天皇の皇子であった【 】は諸国に平氏打倒の令旨を発したが失敗し、奈良興福寺へ向かう途中で討たれた。(2013)
[0498]2015年に下鴨神社で約550年ぶりに復活した能の行事を【 】という。※その後は定期開催していないが令和元年は天皇即位を祝い開催。(2015)
[0499]日本初の官許の花街となった島原には、置屋【 】のほか、大門や柳の木が残る。(2011)
[0500]16世紀前半に花道の大成者がまとめた、いけばな理論の花伝書を【 】という。(2014)

[0401]堀川波
[0402]平安神宮
[0403]京うちわ
[0404]①大将軍社/②八幡宮
[0405]村岡局(津崎矩子)
[0406]①村井吉兵衛/②長楽館
[0407]長楽寺
[0408]古田織部
[0409]行教
[0410]子安塔
[0411]帷子ノ辻
[0412]二帖半敷町
[0413]楼門五三桐
[0414]膝丸
[0415]康正
[0416]京都市京セラ美術館
[0417]三善清行
[0418]①秦河勝/②弥勒菩薩半跏(思惟)像
[0419]首途八幡宮
[0420]登天石
[0421]楊貴妃観音
[0422]如意輪観音
[0423]曲直瀬道三
[0424]紫宸殿
[0425]京小紋
[0426]正伝寺
[0427]京表具
[0428]毘沙門堂
[0429]鹿王院
[0430]美哉山河
[0431]①御香宮神社/②五間社流造
[0432]石川丈山
[0433]①飛濤亭/②尾形光琳/③遼廓亭
[0434]駈馬神事
[0435]日本外史
[0436]丹波口
[0437]平安杉
[0438]義演准后日記
[0439]平岡八幡宮
[0440]小野霞
[0441]二条河原落書
[0442]西芳寺
[0443]湛慶
[0444]頂妙寺
[0445]①女紅場/②八坂女紅場学園
[0446]舞扇
[0447]小栗栖
[0448]貞慶
[0449]京都の治安維持と御所・二条城の警護
[0450]等持院
[0451]やきもち(葵餅)
[0452]新熊野神社
[0453]阪東妻三郎
[0454]藤原兼家
[0455]新古今和歌集
[0456]松尾寺
[0457]①売茶翁/②高遊外/③通仙亭
[0458]聖宝
[0459]鳥羽作道
[0460]①池亭記/②慶滋保胤
[0461]黒田正玄
[0462]源智
[0463]大江能楽堂
[0464]和気清麻呂
[0465]木津川
[0466]竹内栖鳳
[0467]長谷川等伯
[0468]愛宕山
[0469]ながめるように左手をかざしている
[0470]葡萄図
[0471]日暮らし門
[0472]四条派
[0473]①池田屋/②古高俊太郎(枡屋喜右衛門)
[0474]知恩院
[0475]東海庵
[0476]曹源池
[0477]桂小五郎木戸孝允
[0478]出雲の阿国
[0479]林浄因
[0480]入江御所
[0481]伝藤原光能
[0482]渋川春海(安井算哲)
[0483]足利義満
[0484]鯉揚げ
[0485]瑞峯院
[0486]歓喜
[0487]具足小路
[0488]君台観左右帳記
[0489]八条宮智忠
[0490]妙覚寺
[0491]平安講社
[0492]後院通
[0493]ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
[0494]①都名所図会/②秋里籬島
[0495]京都芸術センター
[0496]枯山水
[0497]以仁王
[0498]糺勧進
[0499]輪違屋
[0500]池坊専応口伝

目次に戻る

京都検定1級用語集 百本ノック 0301~0400

[0301]上七軒では、3月に「北野をどり」、11月に【 】が開催される。(2011)
[0302]平家一族が綾部市北部の隠れ里で作り始めたとされる京都府指定の無形文化財は【 】である。(2015)
[0303]お祝いの1割程度を返礼する京都のならわしを【 】という。(2005)(2019)
[0304]南禅寺発祥の地で、亀山法皇の作庭ともいわれる史跡・名勝の池泉回遊式庭園は心字島を特徴とし、方丈などが桂昌院の寄進で再建されたのは【 】である。※特別史跡特別名勝ではない。(2016)
[0305]少彦名命などを祭神とする神社で、農耕、医薬の神として信仰され、天使社とも呼ばれるのは【 】である。(2018)
[0306]京都コンサートホールを設計したのは【 】である。(2005)(2023)
[0307]上野岑雄が「深草の野辺の桜し心あらば…」と詠んだところ、桜が喪に服するかのような色で咲いたとされることにちなんだ地名を【 】という。※藤原基経の死を悼んで詠んだ歌。(2007)
[0308]西国三十三所の第28番札所である【 】は雪舟の【天橋立図】にも描かれている。(2005)(2007)
[0309]梨木神社には、物理学者の【湯川秀樹】や『雨月物語』を書いた【 】の歌を刻んだ石碑がある。(2011)
[0310]後に第2代京都府知事となった槇村正直が行った京都近代化政策の一つは、産業振興を目的とした【 】の開催である。※内国勧業博覧会との混同に注意。(2005)
[0311]平安京に遷都する前の都は【 】である。(2005)
[0312]京都の顔見世興行で役者名を描いた看板を【①】という。(2010)/その看板が墨書される書体を【②】という。(2006)(2010)(2012)/その看板が書かれる場所は【③寺】である。※日蓮宗の京都八本山の一つ。(2022)/舞妓が12月に挿す花簪は【①】である。(2013)
[0313]亀岡市内の薭田野神社などの4社合同で8月14日に実施される【 】は、国の重要無形民俗文化財に指定されており、神輿巡行、太鼓掛け、灯籠追い、人形浄瑠璃などが行われる。※他の3社は御霊神社、河阿神社、若宮神社。(2017)
[0314]明治10(1877)年に仙洞御所内で日本初の水素気球を揚げたのは【 】である。(2009)
[0315]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、くくりの模様が子鹿の斑点に似ているとされるものを【 】という。(2006)(2022)
[0316]北野天満宮の摂社・火之御子社で毎年6月1日の例祭日にのみ授与されるのは、【 】除けの守札である。(2013)
[0317]【日本外史】を書いた儒学者で、「三十六峰外史」とも号し、京都の風景美を「山紫水明」と表現して書斎の名称にも用い、長楽寺に葬られたのは【 】である。(2011)(2013)
[0318]豊臣秀吉が生涯の最後に築城した京都新城の遺構が2020年に出土したが、その場所は京都御苑内の【 】である。(2020)
[0319]東山三十六峰の穏やかな景観を「布団着て 寝たる姿や 東山」と詠んだのは【 】である。(2012)
[0320]スポーツの日の前々日から15日にかけて行われる粟田神社の神事・行事を総称して【 】と呼び、神輿を先導する剣鉾は祇園祭の鉾の原型ともいわれる。※知恩院や瓜生石との関わりに注意。(2011)(2017)
[0321]公家や武家に料理を供する包丁家の中で、細川晴元の包丁人から興った流派を【 】という。(2014)
[0322]【動植綵絵】などの作品を描いた絵師【①】は、錦市場の【②】を営む家に生まれ、動物の中で特に【③】をよく描いた。(2005)(2016)(2022)
[0323]京の六地蔵めぐりのうち、鞍馬口地蔵をまつるのは【 】である。(2011)(2016)
[0324]1493年に細川政元足利義澄を将軍に擁立した事件を【 】という。(2017)
[0325]聖徳太子の創建とされ、宇治橋を管理していたとされることから「橋寺」とも呼ばれ、境内に重要文化財宇治橋断碑があるのは【 】である。(2006)(2016)
[0326]8月16日午後8時から、大文字、妙法、船形、左大文字の順に点火され、最後は曼荼羅山に【 】がともされる。(2008)
[0327]渉成園のほぼ中央に位置し、左右側面に山廊を置き、高欄付きの階段と屋根を上層に向かって架けた外観が特徴的な2階建ての建物を【 】という。(2021)
[0328]南観音山では、祇園祭宵山の深夜に御神体を神輿に縛り付け、激しく揺らしながら町内を巡る儀式が行われるが、これを【 】という。(2015)
[0329]重要伝統的建造物群保存地区に選定されている伊根浦において、海に面した特徴的な建造物を【 】という。(2015)
[0330]2月の初午の日に食べる辛子和えに用いる野菜で、京都府の「京の伝統野菜」に指定されているのは【 】である。※京のブランド産品には指定されていない。(2008)
[0331]指定替えで誕生した国定公園で、福知山市舞鶴市宮津市京丹後市伊根町与謝野町にまたがるのは【 】である。(2007)
[0332]延暦4(785)年、長岡京造営の中心人物でもあった藤原種継が暗殺される事件が起こり、これに関与した疑いで【 】は乙訓寺に幽閉された。(2021)
[0333]「荒神口」の名は、【 】という寺院の通称名清荒神」に由来する。(2016)
[0334]京町家の2階部分に見られるもので、漆喰塗りの格子を付けた窓を【 】という。(2013)
[0335]木津川市内の寺院で、国宝の釈迦如来坐像を本尊とし、『今昔物語集』に里の娘が難を逃れた逸話が登場するのは【 】である。(2014)(2018)
[0336]現在の五条通から七条通の間、平安時代の【朱雀大路】を挟んだ東西には【 】という外交施設があり、渤海国の外交使節などを接待した。(2019)
[0337]2月10~13日、初午大根焚きが行われる寺院は【 】である。(2015)
[0338]重要伝統的建造物群保存地区のうち、地区内に五重塔があるのは【 】である。(2009)/伝統的建造物群保存地区の制度ができる前、【 】は京都市の「特別保全修景地区」制度による最初の指定地区であった。※祇園新橋も指定されていた。(2011)
[0339]京都織物会社本館の建物は、現在、【 】として活用されている。(2009)
[0340]奈良時代に創建され、平安時代に千観内供が中興した寺院で、昭和20年代に一旦廃寺となった後、仏像彫刻家の西村公朝が住職となり復興し、境内に1200体の羅漢像があるのは【 】である。(2021)
"[0341]7月15日に四条通を挟んで麩屋町通の南北に生竹が1本ずつ建てられる行事を【①】という。(2017)
祇園祭前祭の山鉾巡行の際に四条堺町で行われる行事を【②】という。(2009)/祇園祭前祭の山鉾巡行の際に四条麩屋町で行われる行事を【③】という。(2009)"
[0342]五山の送り火の一つである東山の「大」の字形には諸説あるが、寛文2(1662)年の『案内者』では【 】の筆画とされている。(2014)
[0343]重要伝統的建造物群保存地区のうち、与謝野町にあるのは【 】である。(2009)
[0344]小野妹子の子である小野毛人の経歴が書かれ、国宝に指定されている墓誌は、【 】の裏山から発見されたものである。(2012)
[0345]菓子屋の当主が大峰山霊夢を受けて作ったのが始まりといわれ、7月16日限定で販売される京菓子は【 】である。※2022年に発売中止となったことがある。(2007)
[0346]祇園祭の山鉾のうち、中国の『二十四孝』から題材を取り、「筍山」とも呼ばれるのは【 】である。(2011)
[0347]京町家の中のカマドは「おくどさん」とも呼ばれるが、上部の吹き抜けになっている空間を【 】という。(2020)
[0348]「利休七哲」のうちの一人で、利休死後に千少庵を保護し、徳川家康とともに千家の再興に尽力した武将は【 】である。(2022)
[0349]後水尾上皇が造営した修学院離宮にある茶室のうち、京都市内が一望できる高い場所に立つのは【 】である。※もう一つの茶室は「窮邃亭」。(2014)
[0350]小堀遠州の茶道の真髄は、わび・さびの精神に美しさ、明るさ、豊かさを加える【 】である。(2015)
[0351]宇治七名水のうち唯一残っているのは、宇治上神社に湧く【 】である。(2018)
[0352]「弘法さん」との縁が深い名物菓子を【 】という。※「門前」では販売されていない。(2009)
[0353]「歌舞伎」という言葉は、異様な振る舞いや風俗をさす【 】が語源である。(2006)
[0354]坂本龍馬中岡慎太郎とともに、京都見廻組の襲撃を受けた醤油商の屋号は【 】である。(2009)
[0355]嵯峨野観光鉄道は、嵯峨と【 市】を結ぶトロッコ列車を運行している。(2011)/円山応挙の出身地は現在の【 市】である。(2013)
[0356]清水寺の西門下にある石燈籠に虎の絵を刻んだ絵師は【 】である。※燈籠らしくない外観。(2022)
[0357]北野天満宮の本殿前の中門は【 】とも呼ばれる。※天神さまの七不思議の一つ。(2012)
[0358]応仁の乱が起こった当時の将軍の正室は【 】である。(2008)
[0359]童謡で歌われる源義経と弁慶の決闘の場所は【 】である。(2012)
[0360]後白河法皇の臨終仏とされる阿弥陀如来像を本尊とする寺院は【 】である。(2014)
[0361]道元が伏見深草に創建し、淀城主の永井尚政が宇治の地に再興した曹洞宗の寺院で、総門から続く琴坂にサクラやカエデが植えられているのは【 】である。(2006)(2019)
[0362]北野天満宮の本殿の建築様式は【 】である。(2012)
[0363]享保2(1717)年、後の大丸となる呉服店「大文字屋」を伏見に開業した【 家】は、【海宝寺】を援助した。(2012)
[0364]葵祭斎王代列の女官のうち、馬に乗る巫女を【 】という。(2019)
[0365]萬福寺は明朝末期頃の様式で建てられ、法堂などに見られる高欄(勾欄)の意匠を【 】という。※法隆寺などにもあり。(2022)
[0366]宇治上神社から源氏物語ミュージアムへと向かうときに通る散策路を【 】という。(2008)
[0367]時代祭が始まるきっかけとなった行事は【 】である。(2011)
[0368]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、比叡山麓や白川の里から切り出されたものを原材料としていたものを【 】という。※現在では他府県産の石材も使う。(2006)(2023)
[0369]京都出身の実業家で、フランスのリュミエール兄弟から「シネマトグラフ」を買い取り、明治30(1897)年に【元立誠小学校】敷地内で日本初の映画試写を行ったのは【 】である。(2018)
[0370]交差点で山鉾を直角に方向転換させることを【 】という。(2009)
[0371]初代の京都大工頭として二条城の建設工事を指揮したのは【 】である。※江戸城名古屋城仁和寺金堂(もとは御所の紫宸殿)なども手がけた。(2018)
[0372]六波羅蜜寺の「空也上人立像」を作った康勝は【 派】の仏師である。※有名作品だが国宝ではなく重要文化財。(2005)
[0373]「くじ取らず」の山鉾のうち、2023年の後祭の6番は【 】であった。(2008)
[0374]石川丈山が造営した詩仙堂は、正しくは【 】と呼ばれ、でこぼこした土地に建てた住居を意味する。(2017)
[0375]不審庵は、もともと利休の屋敷にあった茶室であり、大徳寺117世の【 】が「不審花開今日春」という禅語からつけたとされる。(2022)
[0376]北野天満宮にある神木で、立冬から立春前日までに初雪が降ると天神が降臨して雪見しながら詩を詠むという伝説が残るのは【 】である。※天神さまの七不思議の一つ。(2015)
[0377]真如堂は、正式には【 】という。(2010)/明治41(1908)年、【 】の境内で「本能寺合戦」が撮影された。(2013)/洛陽六阿弥陀巡りの一つで、重要文化財の本堂が天台宗寺院として京都市内最大規模であり、また、三井家の墓があるのは【 】である。※他の洛陽六阿弥陀は、永観堂清水寺阿弥陀堂、安祥院、安養寺、誓願寺。(2016)
[0378]宇治田原町立川大道寺地区では、「鶴の子柿」という小ぶりの渋柿を柿屋で乾燥させ、【 】と呼ばれる干し柿を作る。(2023)
[0379]平安京のように大内裏を北端に置く都市を【 】という。(2022)
[0380]大正期には、日活の撮影所が北野地域へ移動し、【 】道具店(後の【 】商会)は小道具の協力を始め、その歴史は、今も【 】古文化会館で確認できる。(2013)
[0381]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、漆器を【 】という。(2006)(2010)
[0382]東福寺の開山となり、応長元(1311)年に日本初の国師号となる聖一国師の号を贈られたのは【 】である。(2019)
[0383]文久3(1863)年に刊行された『京(花洛)羽津根』によれば、現在の東山区宮川筋一丁目と二丁目の境を東西に通じる【■■辻子】は、寛文8(1668)年に開通した。(2011)
[0384]京都の正月のお節料理で「三種」と呼ばれるのは、ごまめ、たたき牛蒡、【 】である。(2009)
[0385]1月9日から16日まで、西本願寺親鸞聖人を偲んで行われる法要を【 】という。※東本願寺報恩講は旧暦に従い11月。(2017)
[0386]10月の第3日曜日に上賀茂神社で行われる神事で、騎射三物の一つに数えられ、2005年に復活したものを【 】という。(2014)
[0387]京福電鉄【 線】の鳴滝駅近くには山中貞雄稲垣浩らが住み、「鳴滝組」といわれた。(2013)
[0388]徳川家康が慶長8(1603)年に将軍宣下を受けた場所は【 】である。(2022)
[0389]天皇の代理として伊勢神宮に仕える斎王が身を清めた場所で、源氏物語の舞台ともなったのは【①神社】である。(2005)/黒木の鳥居や小柴垣のある神社が舞台となっている『源氏物語』の巻名を【②】という。(2012)
[0390]国宝の「風神雷神図」を描いたのは【 】である。(2006)/京都国立博物館が所蔵する「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」の書は本阿弥光悦によるもので、鶴の絵は【 】が描いたものである。(2022)
[0391]千宗旦が隠居所に設けた茶室は四男の仙叟宗室に継承され、【①】という庵号に託された精神を受け継いだのは【②家】である。(2006)(2022)
[0392]平重盛邸であった「小松殿」の遺構ともいわれ、江戸時代には妙法院の所有となった庭園を【 】という。※現在はホテルの付属庭園。(2017)
[0393]明治28(1895)年、京都電気鉄道は東洞院塩小路と伏見【■■■町】の間に日本初の路面電車を開業した。(2012)
[0394]徳川家康の孫娘で、豊臣秀頼正室であった【 】の墓は知恩院にある。(2022)
[0395]世阿弥が自らの能楽論をまとめた【 】では、田楽能の一忠を「この道の聖」と評している。(2005)(2010)
[0396]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、刺繡は【 】である。(2006)
[0397]スポーツの日の前日に当たる日曜日に秋元神社で行われる【 】は、室町時代の風流踊りに起源を持ち、「切子灯籠」を頭に乗せた女装の少年たちや踊り子の少女たちによって奉納される。(2018)
[0398]「若しうらゝかなれば、峰によぢのぼりて、はるかにふるさとの空を望み、木幡山、伏見の里、鳥羽、羽束師を見る。勝地は主なければ、心を慰むるにさはりなし。歩み煩ひなく、心遠くいたる時は、これより峰つゞき、炭山を越え、笠取を過ぎて、或は石間にまうで、或は石山を拝む」と書いたのは【①】である。(2007)/鴨長明が、山科の日野に草庵を結んで書いた作品は【②】である。(2016)
[0399]都をどりが開催される会場は【 】である。※改修時期は別会場開催だった。(2016)
[0400]文久2(1862)年の寺田屋事件は、薩摩藩の実権を握っていた【 】が過激派の薩摩藩士を粛清したものである。(2014)

[0301]寿会
[0302]黒谷和紙
[0303]おため
[0304]南禅院
[0305]五條天神宮
[0306]磯崎新
[0307]墨染
[0308]成相寺
[0309]上田秋成
[0310]京都博覧会
[0311]長岡京
[0312]①まねき/②勘亭流/③妙傳寺
[0313]佐伯灯籠
[0314]島津源蔵
[0315]京鹿の子絞
[0316]雷
[0317]頼山陽
[0318]京都仙洞御所
[0319]服部嵐雪
[0320]粟田祭
[0321]進士流
[0322]①伊藤若冲/②青物問屋/③鶏
[0323]上善寺
[0324]明応の政変
[0325]放生院
[0326]鳥居形
[0327]傍花閣
[0328]あばれ観音
[0329]舟屋
[0330]畑菜
[0331]丹後天橋立大江山国定公園
[0332]早良親王
[0333]護浄院
[0334]虫籠窓
[0335]蟹満寺
[0336]鴻臚館
[0337]三千院
[0338]産寧坂
[0339]京都大学東南アジア地域研究 研究所
[0340]愛宕念仏寺
[0341]①斎竹建て/②くじ改め/③注連縄切り
[0342]近衛信尹
[0343]加悦
[0344]崇道神社
[0345]行者餅
[0346]孟宗山
[0347]火袋
[0348]蒲生氏郷
[0349]隣雲亭
[0350]綺麗さび
[0351]桐原水
[0352]どら焼
[0353]傾く
[0354]近江屋
[0355]亀岡市
[0356]岸駒
[0357]星欠けの三光門
[0358]日野富子
[0359]五条大橋
[0360]長講堂
[0361]興聖寺
[0362]八ツ棟造(権現造)
[0363]下村家
[0364]騎女
[0365]卍字くずし
[0366]さわらびの道
[0367]平安奠都千百年紀念祭
[0368]京石工芸品
[0369]稲畑勝太郎
[0370]辻回し
[0371]中井正清
[0372]慶派
[0373]北観音山
[0374]凹凸窠
[0375]古渓宗陳
[0376]影向松
[0377]真正極楽寺
[0378]古老柿
[0379]北闕型都市
[0380]高津(道具店・商会・古文化会館)
[0381]京漆器
[0382]円爾
[0383]団栗辻子
[0384]数の子
[0385]御正忌報恩溝
[0386]笠懸神事
[0387]北野線
[0388]伏見城
[0389]①野宮神社/②賢木
[0390]俵屋宗達
[0391]①今日庵/②裏千家
[0392]積翠園
[0393]下油掛町
[0394]千姫
[0395]風姿花伝
[0396]京繍
[0397]赦免地踊
[0398]①鴨長明/②方丈記
[0399]祇園甲部歌舞練場
[0400]島津久光

目次に戻る

京都検定1級用語集 百本ノック 0201~0300

[0201]現在の亀岡市出身の医者で、宝暦4(1754)年に六角獄舎で日本初の人体解剖を行ったのは【 】である。(2018)
[0202]宇治川の中州にある浮島十三重塔は高さ約15mの日本最大の石塔であり、宇治橋を修復した際に【 】が建立した。(2017)
[0203]千本北大路の東北角には【 天皇】の火葬塚がある。(2019)
[0204]京都市南区にある神社で、祇園祭の神輿を守護する2人の「久世駒形稚児」を出すのは【 】である。(2021)
[0205]京都初の映画撮影所は、【 】の西南隅櫓の向かい側に開設された。(2013)/現在の京都御苑の北部分にあった【桂宮邸】の建物は【 】に移築されている。※明治27(1894)年に移築され本丸御殿となる。(2018)
[0206]後白河上皇に寵愛され高倉天皇の生母となったのは【 】である。※建春門院とも呼ばれ、建礼門院との混同に注意。(2014)
[0207]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、木製品、金属製品、木彫仏、仏画軸を指すものを【 】という。※11世紀初頭の七条仏所で本格的な製作が始まった。(2006)
[0208]京の台所を支えた名水として知られるのは【 】である。(2022)
[0209]「鳥羽伏見戦跡」の石標は【 橋】付近にある。(2022)
[0210]丹波国一の宮【 】は、延喜式神名帳に記載される古社である。(2009)/亀岡市内の千歳車塚古墳は6世紀前半の築造と推定され、南丹地域最大の前方後円墳で、その近くには丹波国一の宮である【 】がある。(2020)
[0211]東福寺塔頭で、その現存最古の禅宗方丈建築が国宝に指定されているのは【 】である。(2007)(2016)
[0212]「谷御所」とも呼ばれ、日光椿など100種類以上の椿がある鹿ケ谷の尼門跡寺院は【 】である。(2006)
[0213]天神川は北区鷹峯に源を発し、北野天満宮の付近から上流を【①川】と呼び、下流を天神川と呼ぶことが一般的であるが、その名称は平安時代の図書寮の別称【②院】に由来する。(2020)
[0214]能楽シテ方5流派のうち、4つは東京を本拠地にしているが、【 流】の宗家は京都市に在住している。(2010)
[0215]円山応挙の師で、醍醐寺三宝院の障壁画「蘇鉄に孔雀図」を描いたのは【 】である。(2017)
[0216]『源氏物語』の第1帖は【①】であり、第45帖【②】から第54帖までを【③】という。(2005)(2007)
[0217]香川景樹を祖とする和歌の流派は【 】で、『古今和歌集』を重視した。(2015)
[0218]大徳寺塔頭の【聚光院】方丈にある襖絵は、【 】・永徳の父子が描いたものである。※国宝指定の現物は京都国立博物館に寄託され、現地にあるのはデジタル複製品。(2014)
[0219]新田義貞首塚があるのは【 寺】である。(2019)
[0220]平安京の左京と右京には【 】と呼ばれる行政機関が置かれ、司法・警察・民政などを担当した。(2010)(2017)
[0221]「弘法さんが晴れやったら天神さんは雨や」の意味は【 】である。(2009)
[0222]大覚寺に縁が深い第52代天皇は【 】である。(2018)/空海に東寺を下賜した天皇は【 】である。(2006)(2023)
[0223]明治24年に完成した蹴上発電所の電力で運転を始めた傾斜鉄道は【 】と呼ばれた。(2009)
[0224]現在の宮津市出身で、西洋医学を学んだ後、天保10(1839)年に医学校の順正書院を開設したのは【 】であり、その建物は現在、湯豆腐店となっている。(2019)
[0225]旧京都商工会議所ビルの跡地にあったとされる、藤原実頼の邸宅を【 】という。※実頼は藤原北家嫡流だった。(2021)
[0226]火伏・防火の神として知られる愛宕神社では、かつては本殿に本地仏の【①】をまつっていた。(2015)/神仏分離の際、愛宕神社の【①】は、小塩山の中腹にある【②寺】に移された。(2017)
[0227]祇園祭の山鉾のうち、左甚五郎作といわれる破風【蟇股】の彫刻や、円山応挙による屋根裏の草花図で知られるのは【 】である。(2007)
[0228]八幡山が所蔵する祇園祭礼図の屏風を描いたのは【 】である。※友松の子。(2018)
[0229]7月の土用の丑の日下鴨神社で行われる行事で、「足つけ神事」とも呼ばれるのは【 】である。(2005)(2020)
[0230]赤松満祐が室町幕府6代将軍【足利義教】を殺害し、幕府軍に討伐された一連の騒動を【 】という。(2014)
[0231]白い餅と草餅の上につぶ餡をのせたもので、城南宮の近く、鳥羽街道の名物菓子として知られるのは【 】である。(2021)
[0232]フランスから輸入したジャカード機の国内製造に成功した西陣の機大工は【 】である。(2009)
[0233]京の三閣の一つとされる飛雲閣がある西本願寺の庭園を【 】という。※名勝指定。(2011)
[0234]南禅寺の三門は、寛永5(1628)年に【 】の寄進により再建された。(2005)
[0235]石清水八幡宮の神使は「鳩」、吉田神社の神使は【 】である。(2013)
[0236]毎年秋に抹茶4流派による市民大茶会が行われ、香雲亭や和楽庵などがある二条城内の庭園を【 】という。※飲食提供事業者は公募。(2011)
[0237]落語「幽霊飴」では、幽霊の女は【 】の墓地に葬られており、「子を大事」と掛けたオチとなっている。(2021)
[0238]平安神宮が創建されたのは【 年】である。(2005)
[0239]山城国近江国の国境に設けられた関所で、小倉百人一首では蝉丸と清少納言の和歌に詠まれているのは【 】である。(2016)
[0240]梶井基次郎の小説のうち、「私」が爆弾に見立てたものを京都の書店に置く描写があるのは【 】である。(2016)
[0241]本阿弥光悦俵屋宗達が関わったとされる手書き風の豪華な活字印刷本は【①】と総称されるが、それらを出版したのは豪商【②】である。(2010)(2014)/高瀬川は、角倉了以とその子【②】によって開削された。(2020)
[0242]「風狂の僧」として知られ、応仁・文明の乱で荒廃した大徳寺の住持を務めたのは【①】である。(2019)/その僧がの中興して晩年を過ごした寺院で、その僧の等身大の像があり、「一休寺」とか「薪の一休寺」とも呼ばれるのは【②】である。(2014)
[0243]茂山千五郎家が家訓とする狂言のあり方を【 】という。(2007)(2010)
[0244]小堀遠州が作庭した特別名勝の庭園があるのは、南禅寺塔頭の【 】である。(2007)
[0245]7月7日に行われる貴船神社の水まつりでは、神事の後、献茶式や舞楽奉納、【 流】の式庖丁が披露される。(2005)
[0246]「明治古都館」は【①】の一部であり、【②】が設計したものである。※帝国京都博物館だったときの本館。(2012)(2019)
[0247]市民参加で作庭された石庭があり、東山天皇中宮であった承秋門院の旧殿から移築された四脚門が残る左京区岩倉の寺院は【 】である。※「こころの庭」は植治12代が監修。(2015)
[0248]白峯神宮にある京都市指定天然記念物の【 】は、【飛鳥井家】の邸宅であった時代の植栽といわれ、樹齢800年ともいわれている。(2021)
[0249]平清盛の【西八条第】の鎮守社として創建された神社で、社前に清盛手植えと伝わる大楠があるのは【 】である。(2018)
[0250]北野天満宮の祭神は【 】である。(2012)/その父は【 】である。(2018)/その母をまつる北野天満宮の摂社は【 】である。※公式サイトによれば「末社」ではなく「摂社」。(2018)
[0251]西国三十三所の第19番札所は【 】である。(2007)/「都七福神まいり」の社寺のうち、寿老神をまつるのは【 】である。(2010)
[0252]【遣唐使】が伝えた唐菓子の一つで、「聖天さん」に供える菓子として、「お団」とも呼ばれるのは【 】である。※万人向けでない独特の味わいがある。(2009)
[0253]日本三大摩利支天の一つに数えられる建仁寺塔頭で、境内に多くの狛亥がまつられているのは【 】である。(2018)
[0254]征夷大将軍として蝦夷征討に功績があり、「王城の守護神」とあがめられた人物で、清水寺の創建に尽力したのは【 】である。(2020)
[0255]築堤工事によって伏見港と宇治川との間が船で通航できなくなったため、昭和4(1929)年に宇治川と濠川の合流点に建設した施設を【 】という。(2015)
[0256]大徳寺塔頭【芳春院】にあり、「京の四閣」の一つに数えられる楼閣は【 】である。(2005)
[0257]知恩院の七不思議に数えられる「抜け雀」と「三方正面真向きの猫」を描いたのは【 】である。(2023)
[0258]2月25日に北野天満宮で行われる祭りを【 】という。(2012)
[0259]8月24日に志古淵神社で行われる念仏踊の奉納行事を【 】という。(2015)
[0260]与謝野町内にある京都府指定の天然記念物で、推定樹齢1000年を超えるとされる古木を「滝の【 】」という。※国指定でない天然記念物ならば京都府指定よりも京都府登録のほうが格上。(2021)
[0261]承久の乱が起こったときの鎌倉幕府の執権は【 】である。(2021)
[0262]葵祭室町時代後期と明治期に中絶しているが、明治4(1871)年の中絶後、明治17(1884)年に再興した人物は【 】である。(2006)(2015)
[0263]【近衛信尹】、【松花堂昭乗】とともに寛永の三筆として知られる【 】は、江戸幕府から洛北【鷹峯】に土地を与えられて芸術村をつくった。※その時期を「晩年」と言ってよいか微妙。(2007)
[0264]祇園祭山鉾巡行で、前祭の先頭は長刀鉾、後祭の先頭は橋弁慶山、先祭の最後は【 】が務めることになっている。(2005)(2008)/祇園祭山鉾巡行では前祭の最後を務める山鉾で、安産の御利益があるといわれるのは【 】である。(2021)
[0265]一条通沿いの寺院で、花びらが1枚ずつ散る五色の八重散椿があり、「椿寺」とも呼ばれるのは【 】である。※西京区の同名寺院との混同に注意。(2016)
[0266]京都博覧会の付博覧として、京舞井上流の三世井上八千代が創設したのは【 】である。(2009)
[0267]下鴨神社上賀茂神社の直近の式年遷宮は、【 年】に行われた。(2008)
[0268]9月15日に石清水祭の一部として行われる行事で、川に魚を放って生き物の平安を願うものを【 】という。(2021)
[0269]江戸在住者の視点で京都見聞録『見た京物語』を書いたのは【 】である。※1781年時点で京都は「田舎」との評価。(2017)
[0270]足利尊氏は、後醍醐天皇の冥福を祈るため、【 上皇】が亀山殿を造営した地に天龍寺を創建した。(2005)/皇統が持明院統大覚寺統に分かれる原因を作ったのは【 天皇】である。(2020)/車折神社に「正一位車折大明神」の神号を与えたと伝わるのは【 天皇】である。(2017)
[0271]12月7~8日、大報恩寺千本釈迦堂)では無病息災を願う【 】が行われる。※有償提供。(2012)
[0272]京都御所の建物のうち、大正天皇の即位礼の際に三種の神器の一つ「御鏡」を一時的に皇居から移して奉安したのは【 】である。(2017)
[0273]大徳寺塔頭のうち、細川忠興(三斎)が父藤孝(幽斎)の菩提所として創建し、茶室松向軒があるのは【 】である。(2006)
[0274]大谷廟堂を建てて本願寺の基礎を築いた親鸞の末娘は【 】である。(2020)
[0275]五奉行の一人で、主に宗教政策を担当し、関ヶ原の戦いの後に初代丹波亀山藩主となったのは【 】である。(2018)
[0276]平安神宮の祭神は、桓武天皇と【 天皇】である。(2005)/松平容保をあつく信頼したのは【 天皇】である。(2013)
[0277]三条通沿いの御幸町通麩屋町通の間には【 石】がある。(2008)
[0278]落語「はてなの茶碗」は、清水寺の【■■の滝】近くの茶店で、茶道具屋が茶碗に興味を持ったことで話が展開していく。(2021)
[0279]方広寺にある重要文化財の梵鐘に刻まれている計8文字の字句で、「大坂冬の陣」の契機となったのは【 】である。(2011)
[0280]3人の息子を大名に仕官させ、三千家の基礎を築いたのは【 】である。(2007)
[0281]本阿弥光悦が作庭したとされる「三巴の庭」がある寺院は【 】である。※日蓮宗の京都八本山の一つ。(2010)
[0282]修学院離宮は、上離宮・中離宮・下離宮からなり、松並木道でつながっている。上離宮には音羽川の水を引いて【 池】が造られている。(2018)
[0283]蹴上浄水場にある石碑に刻まれた「御目ざめの 鐘は知恩院 聖護院 いでて見たまへ 紫の水」の歌は【 】が詠んだものである。(2011)
[0284]元和元(1615)年、江戸幕府は、天皇と公家のあり方を定める【①】を制定した。(2007)/金地院を再興し、江戸幕府の政治に参画して「黒衣の宰相」とも呼ばれ、【①】を起草したのは【②】である。(2019)(2022)
[0285]富岡鉄斎宮司を務めたこともあり、境内に芸能神社がある神社の鳥居がホームから見える京福電鉄の駅は【 】である。(2012)
[0286]小説『山椒大夫』を書いたのは【 】である。(2010)/小説『高瀬舟』を書いたのは【 】である。(2016)
[0287]七条大宮仏所を設けて院派の祖となった仏師は【 】である。※七条仏所を設けた人物との混同に注意。諸説あるが少なくとも定朝の縁者。(2018)
[0288]フタバアオイを徳川家に献上する【 】の「葵使」は平成19(2007)年に復活し、毎年「静岡まつり」に参加している。(2007)/7月1日に御戸代会神事が行われるのは【 】である。(2018)
[0289]銀閣寺にある国宝建造物のうち、付書院や違い棚を備えた四畳半の【同仁斎】があるのは【 】である。※他の国宝建造物は「銀閣」。(2014)
[0290]重要伝統的建造物群保存地区のうち、京都市右京区にあるのは【 】である。(2009)
[0291]畳んでも上端が広がる京扇子で、寺院の儀式などに用いられるものを【 】という。(2014)(2019)
[0292]比叡山から如意ケ岳にかけての山麓を源流とする白川は祇園の花街を流れ、6月の第1日曜日に祇園放生会が【 橋】で行われる。(2020)
[0293]足利義政に取り立てられ、作庭分野で名を残したのは【 】である。(2012)
[0294]1997年、地球温暖化防止京都会議(COP3)で【 】が採択された。(2007)
[0295]2019年3月、JR嵯峨野線の【 駅】が開業した。(2019)
[0296]元治元(1864)年の「蛤御門の変」の際、長州軍が本陣として駐留した【 】は、薩摩藩兵の攻撃で焼かれ、多くの建物を焼失する被害を受けた。(2011)
[0297]神護寺には、空海が唐から請来したものを手本に書写したとされる、日本現存最古の両界曼荼羅図である【 】が伝えられており、国宝に指定されている。(2012)
[0298]知恩院の三門楼上には白木の棺があり、造営奉行であった【 】夫婦の木像が納められている。※七不思議の一つ。(2017)
[0299]明治4(1871)年、日本初の博覧会は【 】の書院で行われた。※内国勧業博覧会との混同に注意。(2009)
[0300]鎌倉幕府との関係を深めて大きな勢力を持ち、東大寺興福寺から一字ずつ取って東福寺を造営した公卿は【 】である。※子の頼経が摂家将軍となったが、晩年は不遇。(2006)

[0201]山脇東洋
[0202]叡尊
[0203]後冷泉天皇
[0204]綾戸國中神社
[0205]二条城
[0206]平滋子
[0207]京仏具
[0208]錦の水
[0209]小枝橋
[0210]出雲大神宮
[0211]龍吟庵
[0212]霊鑑寺
[0213]①紙屋川/②紙屋院
[0214]金剛流
[0215]石田幽汀
[0216]①桐壺/②橋姫/③宇治十帖
[0217]桂園派
[0218]狩野松栄
[0219]滝口寺
[0220]京職
[0221]京都は4~5日の周期で天気が変わる
[0222]嵯峨天皇
[0223]インクライン
[0224]新宮凉庭
[0225]小野宮
[0226]①勝軍地蔵/②金蔵寺
[0227]月鉾
[0228]海北友雪
[0229]御手洗祭
[0230]嘉吉の変(乱)
[0231]おせき餅
[0232]荒木小平
[0233]滴翠園
[0234]藤堂高虎
[0235]鹿
[0236]清流園
[0237]高台寺
[0238]明治28(1895)年 
[0239]逢坂の関
[0240]檸檬(レモン)
[0241]①嵯峨本/②角倉素庵
[0242]①一休宗純/②酬恩庵
[0243]お豆腐狂言
[0244]金地院
[0245]生間流
[0246]①京都国立博物館/②片山東
[0247]実相院
[0248]オガタマノキ
[0249]若一神社
[0250]①菅原道真/②菅原是善/③伴氏社
[0251]革堂行願寺
[0252]清浄歓喜
[0253]禅居庵
[0254]坂上田村麻呂
[0255]三栖閘門
[0256]呑湖閣
[0257]狩野信政
[0258]梅花祭
[0259]久多花笠踊
[0260]ツバキ
[0261]北条義時
[0262]岩倉具視
[0263]本阿弥光悦
[0264]船鉾
[0265]地蔵院
[0266]都をどり
[0267]2015年
[0268]放生行事
[0269]二鐘亭半山
[0270]後嵯峨天皇上皇
[0271]大根焚き
[0272]春興殿
[0273]高桐院
[0274]覚信尼
[0275]前田玄以
[0276]孝明天皇
[0277]弁慶石
[0278]音羽の滝
[0279]国家安康 君臣豊楽
[0280]千宗旦
[0281]本法寺
[0282]浴龍池
[0283]与謝野晶子
[0284]①禁中並公家諸法度/②以心崇伝
[0285]車折神社
[0286]森鷗外
[0287]院助
[0288]上賀茂神社
[0289]東求堂
[0290]嵯峨鳥居本
[0291]中啓
[0292]巽橋
[0293]善阿弥
[0294]京都議定書
[0295]梅小路京都西駅
[0296]天龍寺
[0297]高雄曼荼羅
[0298]五味金右衛門
[0299]西本願寺
[0300]九条道家

目次に戻る

京都検定1級用語集 百本ノック 0101~0200

[0101]弟とともに護王神社の祭神で、多くの孤児を養育したことから子育明神としても信仰されているのは【 】である。(2022)
[0102]蹴上の【インクライン】の下に、らせん状にレンガを積んでいるトンネルがあり、それを通称【 】という。(2011)
[0103]鳥羽法皇崩御直後、後白河天皇とその兄の【 】が争った戦乱を【 】という。(2014)(2020)
[0104]西国三十三所の第21番札所で、横たわった釈迦涅槃像や身代わり観音の伝説があるのは【 】である。(2007)(2018)
[0105]藤原定家の歌「忍ばれむ 物ともなしに 【①】 軒端の松ぞ なれてひさしき」にちなんで軒端寺とも呼ばれる寺院は【②】である。(2005)(2007)
[0106]祇園甲部の紋章は【■個の■■■■■に■の字】である。※宮川町は三つ輪、先斗町は千鳥、上七軒は交差する五つ団子、祇園東は8個のつなぎ団子。(2023)
[0107]古嶽宗亘が創建した【 】は、本堂(方丈)が国宝に、書院庭園が史跡及び特別名勝に指定されている。※書院は重文、枯山水庭園は特別名勝。(2015)
[0108]京都府派遣留学生であった【稲畑勝太郎】は、学友であったリュミエール兄弟から「シネマトグラフ」を購入し、明治30(1897)年、現在の【元■■小学校】(当時は京都電燈株式会社)の敷地で日本初の映写を行った。(2013)
[0109]元治元(1864)年、長州軍と御所を守る薩摩・会津などの幕府軍との戦いは、激戦地となった京都御苑西側の門の名をとって【 】とも呼ばれる。(2012)/松平容保が自ら京都御所を守った戦いは【 】である。(2013)
[0110]江戸時代の伝説的人物である白幽子が晩年を過ごし、富岡鉄斎による「白幽子巌居之蹟」の石碑が残り、また、臨済宗中興の祖である白隠の著書『夜船閑話』に登場する山は【 】である。(2013)
[0111]後水尾上皇が造営した山荘は【 】である。(2006)
[0112]平安京のモデルとなった中国の都市は【 】である。(2005)
[0113]千本三条の北東角には、かつて在原行平が創設した【 】があり、その跡を示す石標がある。(2019)
[0114]京田辺市内の寺院で、実際に1000本の手を持つ千手観音立像を本尊とし、かつては東側に鶴沢の池が広がっていたのは【 】である。(2014)(2020)
[0115]与謝蕪村と合作で国宝の「十便十宜図」を描いたのは【 】である。(2006)/その妻の玉瀾が時代祭の江戸時代婦人列に登場するのは【 】である。(2013)/2018年、深泥池貴船神社に「【 】ゆかり之地」の石碑が建立された。(2018)
[0116]大佛次郎の小説『帰郷』では、主人公の守屋恭吾と娘の伴子は【 】の境内で再会する。(2010)/2016年、北山大塔の「相輪」の一部と見られる青銅製の破片が【 】の境内から発掘された。(2017)
[0117]伊藤仁斎が自宅に開いた私塾を【 】といい、その遺跡は史跡に指定されている。※特別史跡ではない。(2009)(2019)
[0118]祇園甲部では、4月に「都をどり」、10月に【 】を開催する。(2007)(2011)(2023)
[0119]【池坊専好(2代)】以降の歴代家元の墓碑がある寺院は【 】である。(2019)
[0120]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、能装束を始め、大劇場の緞帳や横綱の化粧まわしにも使われているものは【 】である。(2006)(2012)
[0121]聖徳太子の母である穴穂部【 】(はしうど)皇后は、蘇我氏物部氏の争乱を避けて現在の京丹後市丹後町に逃れたが、乱が収まった後、都に戻る際に自らの名を贈ったところ、里人は皇后の名をそのまま地名にするのはおそれ多いとして、皇后の退座にちなみ、【 】と書いて「たいざ」と読むことにしたとされる。(2021)
[0122]大宝元(701)年に松尾大社を創建した人物は【 】である。(2015)
[0123]大将軍社の一つとされ、東天王社とも呼ばれる岡崎神社の神使とされる動物は【 】である。(2014)
[0124]中根金作が作庭した余香苑は、妙心寺塔頭の【①】にあり、水滴が落下する音を楽しむ【②】がある。(2012)
[0125]現在の宇治田原町出身で、「青製煎茶製法」を開発したのは【 】である。(2018)
[0126]六歌仙三十六歌仙に数えられる歌人のうち、紫野の雲林院と関わりが深いのは【 】である。※三十六歌仙に含まれない六歌仙もいる。(2019)
[0127]舞鶴市内の寺院で、亀腹に瓦を葺き上重の高欄に鳥居をもつ多宝塔があるのは【 】である。(2017)
[0128]小説『花の生涯』に登場する村山たかが出家した寺院は【 】である。※NHK大河ドラマでは淡島千景が演じた。(2012)/与謝蕪村松尾芭蕉を偲んで再興した茶室や蕪村の墓がある寺院は【 】である。(2016)
[0129]【上品蓮台寺】や【醍醐寺】に伝わる国宝の絵画で、釈迦の伝記を絵解きしているものを【 】という。(2008)(2016)
[0130]「陀羅尼の鐘」は建仁寺、「迎え鐘」は六道珍皇寺、「安珍清姫の鐘」は【①】にある。(2012)(2013)/安珍清姫の鐘の再鋳供養を題材にした能楽の演目は【②】である。(2005)
[0131]藪内家を代表する重要文化財の茶室【 】は、相伴席付の三畳台目で、【古田織部】の作風を伝える。(2009)
[0132]西国三十三所の第20番札所は【 】である。(2007)/西山宮門跡とも呼ばれる寺院で、天然記念物に指定されている樹齢約600年の「遊龍松」があるのは【 】である。(2005)(2015)
[0133]応仁の乱で「西陣」の名の由来となる西軍を率いた守護大名は【 】である。(2008)(2010)(2015)
[0134]豊臣秀吉によって造られた土塁は【御 】と呼ばれ、軍事目的や治水目的のほか、洛中と洛外を分ける役割もあった。(2005)(2008)
[0135]八坂神社の境内末社の祭神は容姿端麗だったとの言い伝えがあり、【 】の前には美容水が湧き出ている。(2012)(2022)
[0136]「京都美術協会雑誌」の編集者を務め、画家・図案家として琳派を継承しつつ近代デザインの先駆者となったのは【 】である。(2023)
[0137]松平容保大政奉還後の京都で経験した戦いは【 】である。(2013)
[0138]茶の湯で出される菓子のうち、落雁・煎餅・有平糖などの薄茶用のものを干菓子といい、蒸・生菓子などの濃茶用のものを【 】という。(2010)
[0139]たらしこみ技法を考案した俵屋宗達を祖とする画派を【 】という。(2005)/本阿弥光悦などを祖とする画派を【 】という。(2010)
[0140]空海藤原三守の邸宅を譲り受けて設置した学校を【 】という。(2022)
[0141]雪舟が描いた国宝の絵画のうち、京都国立博物館が所蔵するのは【 】である。(2019)
[0142]文久2(1862)年に岩倉具視が一時失脚したときに出家隠棲した寺院で、境内に歯牙塚が残るのは【 】である。(2017)
[0143]人臣として初めて関白に就任し、宇多天皇の時代に「阿衡の紛議」を起こしたのは【 】である。(2019)
[0144]『山州名跡志』によれば、修学院から延暦寺へと続く音羽川沿いの山道は、夕雲が覆い、都からは雲が生ずるようにも見え、【 】と呼ばれた。(2005)(2012)
[0145]本堂に重要文化財聖徳太子像がある浄土真宗の寺院で、飛鳥時代に織られ江戸後期に法隆寺から贈られた太子ゆかりの蜀江錦の一種である「法隆寺裂」が2021年に見つかったのは【 】である。(2021)
[0146]平等院宇治川の間にある川沿いの散策路を【 】という。(2011)
[0147]市聖空也にならって踊念仏を行い、時宗を創始したのは【 】である。※信濃踊念仏を始めた後に京都でも行う。(2015)
[0148]知恩院にある建造物で、今日では縁結びの神として親しまれているのは【 】である。※11月25日に護摩木を焚く法要が行われる。(2019)
[0149]京都市右京区にある【小倉山】の東北麓に位置し、鳥辺野、蓮台野とともに葬送の地であったのは【 】である。(2013)
[0150]「京都府の鳥」に指定され、舞鶴市の冠島が繁殖地として知られるのは【 】である。(2009)
[0151]伏見稲荷の社家の出身で国学の四大人に数えられる【 】は、江戸で国学を説き、神田明神(東京都千代田区外神田)には「国学発祥の地」の碑がある。※契沖の「国学発祥の地」は和泉市にある。(2020)
[0152]「市屋道場」とか「一夜道場」と呼ばれる寺院で、重要文化財の「遊行上人絵巻」を所蔵するのは【 】である。(2022)
[0153]天龍寺の庭園は【 】が作庭したとされ、近景の亀山や遠景の嵐山を借景とした池泉回遊式で、史跡・特別名勝である。(2005)/西芳寺は「苔寺」とも呼ばれるが、その庭園は【 】が作庭したとされ、史跡・特別名勝である。(2008)/後醍醐天皇足利尊氏が帰依した【 】は、天龍寺庭園、西芳寺庭園などを作庭した。(2012)
[0154]【宝鏡寺】に立つ人形塚には【 】の歌碑がある。(2012)
[0155]木津川市加茂町当尾にある寺院で、本尊の阿弥陀如来坐像や三重塔などの重要文化財を有し、アジサイの名所としても知られるのは【 】である。(2014)/隅鬼が垂木を支える重要文化財の三重塔があるのは【 】である。(2017)
[0156]「ちぎりをく 花とならびの 丘のへに あはれいくよの 春をすぐさむ」と詠んだのは【 】である。(2008)/「つれづれなるままに」で始まる【徒然草】を書いたのは【 】である。(2018)
[0157]日本初の官許の花街となった島原には、揚屋建築の【 】が残る。(2011)
[0158]応仁の乱で東軍を率いた守護大名は【 】である。(2008)/龍安寺「西の庭」の廟堂にある木像は、1473年に亡くなった【 】をまつるものである。(2022)
[0159]平安神宮の社殿配置は平安京の【①】を模しており、外拝殿は大極殿、神門は【②】と呼ばれる。(2005)(2016)(2020)/平安京大内裏の正庁である【①】は国家的行事に使われ、その正殿を大極殿という。(2009)
[0160]福知山市内の神社で、明智光秀をまつるのは【 】である。(2019)
[0161]京福電鉄の嵐山駅から最速で大堰川を越えようとすると【 橋】を渡ることになる。(2005)/その橋は、法輪寺虚空蔵菩薩を安置した秦氏出身の【 】が承和年間(834~48)に橋を架けたのが最初とされている。※現在の位置に架けたのは角倉了以。(2020)(2023)
[0162]1986年から都道府県持ち回りで開催されており、2011年は京都府での開催となった文化祭典を【 】という。(2010)
[0163]聚楽第の一部が移築され、大徳寺の【 】になったとされる。(2017)
[0164]京都府立図書館や京都市役所本館を設計したのは【 】である。(2006)(2012)
[0165]京都中央電話局の建物は、現在、【 】として活用されている。(2009)
[0166]【日野富子】の子で、室町幕府9代将軍となったのは【 】である。(2017)
[0167]源頼朝に「日本国第一の大天狗」と評された【①】は、今様集の【②】を編さんした。(2009)(2014)
[0168]陸軍第16師団司令部庁舎は、現在、【 】となっている。(2009)
[0169]父が人間国宝の片山幽雪、姉は京舞井上流家元五世井上八千代という、芸道一筋の家に生まれ、現在、京都観世会会長を務める能楽師は【 】である。(2012)
[0170]門前に「迷子みちしるへ」と刻まれた石碑があるのは【 寺】である。※北野天満宮の奇縁氷人石、八坂神社の月下氷人石も同様のもの。(2016)
[0171]「迎え鐘」を撞くのは珍皇寺、「送り鐘」を撞くのは【 】である。(2006)(2008)
[0172]妙法の送り火が点火される松ヶ崎の日蓮宗寺院であり、8月15日と16日に最古の盆踊りともいわれる題目踊りが行われるのは【 】である。(2008)
[0173]与謝蕪村に絵画や俳諧を学び、蕪村の死後は円山応挙との交流を深めて影響を受け、四条派の祖となった絵師は【 】である。(2016)
[0174]貞観8(866)年に大納言伴善男が応天門を放火したとされる事件「応天門の変」は、国宝の絵巻物【 】の題材となった。※出光美術館が所蔵。(2013)
[0175]8月16日、家庭では【 】を炊いてお供えし、その湯がき汁を門口に撒くと精霊はこの世に未練を残さず冥土に帰ることができるとされる。(2008)
[0176]現在の衣棚通三条通から六角通までの部分は、その地に住んだ茶人にちなんで【 】とも呼ばれる。(2021)
[0177]梨木神社に湧く名水を【 】という。(2012)
[0178]最澄が作ったとされる薬師如来を本尊とし、西行や平康頼が庵住した寺院は【 】である。(2022)
[0179]永観堂が建立される以前にこの地に住み、「奥山の 岩垣紅葉 散りぬべし、照る日の光 見る時なくて」(『古今和歌集』)と詠んだのは【 】である。(2009)
[0180]京都御所の正門を【①門】という。(2007)/5月15日、勅使や斎王代の行列は御所の【①門】前を出発する。(2006)/時代祭行列の出発前に、【①門】の前で行われる祭事を【②】という。(2015)
[0181]下鴨神社の門前で販売されている名物菓子を【 】という。(2020)
[0182]松尾大社の境内に湧く名水を【 】という。(2015)
[0183]首途八幡宮は、奥州へ出発する牛若丸(源義経)が道中の安全を祈願したとされ、そのとき随従した伝説的商人【 】の屋敷の鎮守社と伝わる。(2014)
[0184]明治28(1895)年、現在の岡崎公園で第4回【 】が行われた。(2009)(2020)
[0185]観阿弥世阿弥親子は、演技主体の猿楽能に【■■能】の歌舞や曲舞のリズムを取り入れ、夢幻能の様式を作り上げた。(2010)
[0186]応仁の乱が起こったときの将軍は【 】である。(2008)
[0187]【吉井勇】の歌碑が立ち、「かにかくに祭」が行われる場所にあったお茶屋「大友」の女将で、文芸芸妓として知られたのは【 】である。(2014)/御池大橋西詰にある石碑に刻まれた「春の川を 隔てゝ 男女哉」の句は、夏目漱石祇園お茶屋「大友」の女将【 】に贈ったものである。(2022)
[0188]下鴨神社の境内摂社で、鴨長明と関係が深いのは【①】である。(2020)/この境内摂社では、美麗の祈願絵馬として、手鏡の形をした【②】を奉納する。(2013)
[0189]イタリアにある京都市姉妹都市で、錦市場と友好協定を締結した市場があるのは【 】である。(2022)
[0190]経済産業大臣が指定した京都府内の伝統的工芸品のうち、17世紀には【野々村仁清】や尾形乾山、19世紀には奥田頴川や【青木木米】などの名工が活躍した陶磁器を【 】という。(2006)(2007)
[0191]【西芳寺】庭園の上段は枯山水庭園、下段は池泉回遊式庭園となっており、下段の【 】は心字池とも呼ばれる。※史跡・特別名勝。(2018)
[0192]大徳寺塔頭のうち、三千家菩提寺は【 】である。(2020)
[0193]随心院には小野小町が使ったとされる【 】があり、『都名所図会』にも記されている。(2016)
[0194]聖徳太子の創建と伝わる寺院で、国宝の『絵因果経』を所蔵するのは【 】である。(2013)/蓮台野と呼ばれたかつての葬送地には、十二坊と呼ばれる真言宗の寺院【 】の北に近衛天皇の火葬塚がある。(2019)
[0195]市比賣神社の湧水で、洛陽の七名水の一つに数えられる【 】は、歴代天皇の産湯に使われたと伝わり、神水を飲んで絵馬に一つだけ願い事を書いて奉納すると叶うとされる。(2022)
[0196]京舞井上流の流祖は、奉公先の【①】で御殿舞などを学び、流派の紋である【②】は同家に由来する。(2008)(2014)(2016)/京都御苑の北西部にある糸桜は、五摂家の一つであった【①】の邸宅跡に植えられている。(2013)
[0197]大徳寺塔頭の真珠庵にある【 】は、金森宗和好みと伝わり、内坪と呼ばれる建物内の露地がある。(2022)
[0198]西院春日神社の境内摂社で、旅行安全・交通安全の守り神をまつるのは【 】である。(2019)
[0199]舞妓が9月に挿す花簪は【①】が多い。(2005)/舞妓が10月に挿す花簪は【②】が多い。(2010)
[0200]下鴨神社の社家住宅として現在も残るのは鴨脚家のみであり、【 】は下鴨神社の資料館となった。※鴨社資料館秀穂舎。(2015)

[0101]和気広虫
[0102]ねじりまんぽ
[0103]①崇徳上皇/②保元の乱
[0104]穴太寺
[0105]①小倉山/②常寂光寺
[0106]8個のつなぎ団子に甲の字
[0107]大仙院
[0108]元立誠小学校
[0109]禁門の変蛤御門の変
[0110]瓜生山
[0111]修学院離宮
[0112]長安(城)
[0113]奨学院
[0114]寿宝寺
[0115]池大雅
[0116]金閣寺
[0117]古義堂
[0118]温習会
[0119]善想寺
[0120]西陣
[0121]間人
[0122]秦忌寸都理
[0123]うさぎ
[0124]①退蔵院/②水琴窟
[0125]永谷宗円
[0126]僧正遍昭
[0127]円隆寺
[0128]金福寺
[0129]絵因果経
[0130]①妙満寺/②道成寺
[0131]燕庵
[0132]善峯寺
[0133]山名持豊山名宗全
[0134]御土居
[0135]美御前社
[0136]神坂雪佳
[0137]鳥羽・伏見の戦い
[0138]主菓子
[0139]琳派
[0140]綜芸種智院
[0141]天橋立
[0142]霊源寺
[0143]藤原基経
[0144]雲母坂
[0145]佛光寺
[0146]あじろぎの道
[0147]一遍
[0148]濡髪大明神
[0149]化野
[0150]オオミズナギドリ
[0151]荷田春満
[0152]金光寺
[0153]夢窓疎石
[0154]武者小路実篤
[0155]岩船寺
[0156]吉田兼好
[0157]角屋
[0158]細川勝元
[0159]①朝堂院/②応天門
[0160]御霊神社
[0161]①渡月橋/②道昌
[0162]国民文化祭
[0163]唐門
[0164]武田五一
[0165]新風館
[0166]足利義尚
[0167]①後白河法皇/②梁塵秘抄
[0168]聖母女学院本館
[0169]十代片山九郎右衛門(片山清司)
[0170]誓願寺
[0171]矢田寺
[0172]湧泉寺
[0173]松村月渓(呉春)
[0174]伴大納言絵詞
[0175]あらめ
[0176]了頓図子
[0177]染井の水
[0178]雙林寺
[0179]藤原関雄
[0180]①建礼門/②行在所祭
[0181]みたらし団子
[0182]亀の井
[0183]金売吉次
[0184]内国勧業博覧会
[0185]田楽能
[0186]足利義政
[0187]磯田多佳
[0188]①河合神社/②鏡絵馬
[0189]フィレンツェ
[0190]京焼・清水焼
[0191]黄金池
[0192]聚光院
[0193]化粧井戸
[0194]上品蓮台寺
[0195]天之真名井
[0196]①近衛家/②井菱
[0197]庭玉軒
[0198]西院還来神社
[0199]①桔梗/②菊
[0200]旧浅田家

目次に戻る