夜光杯雑記帳

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【常用漢字表】漢検準2級の漢字/「呉越同舟」 そして呉と越はどうなったか

呉越同舟」は「ごえつどうしゅう」と読みます。呉と越は隣接する2つの国で、春秋時代ごろの中国大陸にありました。呉は現在の上海や蘇州のあたり、越は現在の紹興や寧波のあたりにありました。「呉越同舟」の呉は、三国志でおなじみの呉とは別の国です。中国史には、同じ名前の国や似た名前の国がたくさん出てきて、ややこしいですね。このブログおなじみの「デジタル大辞泉小学館)」では、「呉越同舟」は、「《「孫子」九地から》仲の悪い者どうしが同じ所に居合わせたり、行動を共にしたりすること。また、敵対していてもいざというときには共通の困難や利害のために協力し合うこと。」と解説されています。出典は「孫子」なのですね。そこで、「孫子」を見ますと、「孫武の著といわれる」とあり、「孫武」を見ますと、呉王の「呉王の闔閭(こうりょ)に仕え、その功を助けた。」とあります。「呉越同舟」というのは、呉側の人物による話だったのですね。そして、「闔閭」を見ますと、前496年没とのことで、その時点では呉も越もまだ存続しています。呉と越の運命については、それぞれの解説を見ていくと、分かりました。両国の抗争は、「臥薪嘗胆」なんていう言葉を生んだり、王・家臣・武人・美女の様々なドラマが繰り広げられるのですが、今回はそれらを省略し、歴史年表風に書くと次のようになるだろうと思います。
前???年 「呉越同舟」論
前473年 越が呉を滅ぼす →越の勝利
前334年 楚が越を滅ぼす